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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
166/207

166,小さな反乱、灯されて


 走り書きされた文字と、形の整った文字を見比べる。大きな違いが見受けられないのを確認し、ナキは二枚の書類を伏せて置いた。

 一枚はナキ自身の治療記録。反省の意味合いも込めて調べたいと告げたら、エリウスが写しを取ってくれた。もうひとつは、ファイクとグレイが問診したシェリックの記録だ。さすがに彼の治療記録を借りるわけにはいかない。借りるに値する理由を持ち合わせていないからだ。

 治療師ではないから正確性には欠けるが、表だって動けないナキたちにはこれが限界だ。勘の良いレーシェに気づかれない、ぎりぎりの範囲である。


「既往症はなし。食物などの拒絶反応もなし──」


 彼の症状については心の中だけで繰り返す。

 幻覚、幻聴、悪夢。そこから引き起こされる破壊衝動──いや、殺人衝動と言い換えていい。

 ありもしない声を聞いて、いるはずもない姿を見る。夢の中までやってきては、彼を苛み続ける。その状態は、どれほど彼を追い詰めているのだろう。

 彼の状態を目の当たりにしていないナキには、想像しかできない。ナキ自身が苦しんだ毒の効果を思い出し、顔をしかめた。似て非なるとはいえ、多少の共感はできなくもない。


 ナキが彼と顔を合わせていない理由は、ファイクから、ナキの体調が回復していないからだと言われた。いくらかは本心だろうと思うが、本当のところは別にあると疑っている。万が一彼が豹変するなんて事態に陥ったら、ナキには腕力で敵わないからだろう。もしラスターのように殺されかけたなら、抗いきれない可能性があると──それが彼らの判断だ。

 腕力に限らずとも、反撃する方法はいくらでもある。先の尖った筆記用具を柔らかい部分に向けて突き刺せば十分対抗できるし、ナキならば忍ばせた毒薬を使うことだってできる。いずれにせよ双方無事には済まないので、口には出さなかったが。


 彼がその目で見、耳で聞く幻を、嘘であり思い込みだと断言してしまうのは早急だ。ただの妄言だと片づけることもできないのは、ナキに知識があるせいだ。

 似た症状を知っている。関連があるのではないかと疑ってしまう。結びつけてしまう。気が狂ったと責めるより先に、別の可能性を考えてしまう。ナキも体験したからよくわかる。

 実際に苦しんでいたときには考える余裕もなかったが、そこから抜け出した今、こうして俯瞰ふかんして眺めるとわかってしまうのだ。彼を苦しめているのは、毒がもたらす症状と似通っていると。

 人体には受けつけない成分が体内へと入ったせいで、身体が毒素を追い出そうと引き起こした拒絶反応であり、防衛反応の一種。彼が闘っているのだという証。それがもし正しいならば納得もいく。


 しかし、一方でさらなる疑問も浮かび上がってくる。

 彼も、なんらかの方法で毒を摂取していたとしたら──それはどこで、どのように。彼が望んだのか、あるいは誰かが仕向けたのか。では、誰が。なぜ。

 疑問というならもうひとつ。彼を苦しめ、幻覚や幻聴を見せ、あれほど頃合い良くラスターを襲わせることができるのか、ということだ。

 なぜ他の人間ではなく、ラスターだったのか。なぜ彼だけ苦しませる方法を取らなかったのか。仮にラスターでなく、王族の人間を害させたならばすぐにでも処刑となっただろうに。おとしめることが目的ではないのか。それとも、ナキたちがここまで考えることを想定していて、彼が嘘の発言をしている場合も──


 そこまで考えて、ナキはやめた。出口の見えない迷宮を彷徨さまようだけではきりがない。

 彼が嘘をついているかどうかなど、実際に会ってこの目で確かめればいいだけだ。机上の空論で導き出した答えが、現実にも合致するとは限らない。百の話を聞くより、自らの足と目で出くわした景色の方が、十分に説得力がある。

 だから、思うだけに留まった。つくづく難儀で不可解な事件だと。

 嘘か本当かも判断がつかないまま、それでも奔走している者たちがいる。ファイクや、ラスターの傍についているセーミャを思うと、なぜあそこまで意志が固いのかと思わずにいられない。彼の潔白が確定してはいないのに。


 彼が根っからの悪人には見えない。とは言っても、その腹のうちまではわからない。

 お人好しばかりだ。似た者ばかりが集まると言われているように、お人好しの周りにはお人好しばかりが集まるのか。似ているから話しやすく、近づきやすいのか。

 人は相手との共通点を見いだして親しみを感じると言われているが、ナキにはよくわからない。

 卓に残された古傷に、ナキはじっと視線を落とす。木の皮を削ろうとしたときにあまりの固さになかなか削れず、力を入れすぎた小刀が滑ってしまった跡だ。ナキが安全な削り方を教わった名残である。

 共感。似た者同士。同じ知識。話せる間柄。

 ──ならば、ナキはレーシェと似た者だったから声をかけられたのだろうか。必要だと差し出された手を取り、互いに情報を共有し、新たな知識を得る喜びを知り。それが確かに、嬉しいし楽しい。


「……案外、悪くはないかもね」


 そうして薬室に迎えられ、ファイクやグレイに出会い、ラスターに出会い、いつの間にか、彼らに毒されてしまったのかもしれない。きっと、ナキもお人好しの一人として数えられているだろう。時間があればこうして懲りもなく、彼の症状と合致しそうな毒について調べているのだから。

 染まりきったと認めたくないので、不本意だとは述べておこう。もはや誰に向けての抗議なのかもわからないが。


 彼を苛む症状と一部でも当てはまる毒を余白に書き足していく。一部分が該当する毒はいくつか挙がるが、完全に合致する毒は見つからない。幻覚の作用が強く、幻聴も強力で、意識障害を引き起こす類。

 ひとつだけで合わないのならば、数種類を調合したのだろう。ナキが勢いであおってしまった、あの毒のように。

 即座に反応が現れたのでないと仮定するなら、静脈注射でなく、経口摂取の線が濃厚だ。

 どこから入手したのか。街の薬屋で購入する? そんな危険物を店頭に並べておくわけがない。たとえ買い求める人物がいたとしても、それ相応の理由がなければ購入することはできない。

 納得させるだけの理由をでっちあげて入手するか、あるいは自らの手で採取しに行くという方法もある。自生している毒は決して少なくない。ただ、毒についての知識がない者には気づかれていないだけで。


 それよりも、もっと簡単な方法だってある。

 振り返り、座ったままで上向いたナキの目が、毒薬の収められた棚を映した。

 街に下りず、毒薬を作るだけの材料を調達できる場所。ナキが持つ鍵以外でここを開けられたなら、なんて便利な棚だと言えるだろう。棚も鍵も壊された形跡はないので、その線はないか。

 思考の袋小路にはまってばかりだ。気を取り直そうと、毒薬の種類へと意識を向ける。症状だけで考えるなら、マホロバソウが一番近い。この棚には抽出薬も収められている。けれどマホロバソウが持つ幻覚症状は、幸福感をもたらすものだ。現実の苦痛を忘れさせ、服用した者にいっときの幸せを与えてくれる。マホロバソウが持つ依存性から、麻薬の一種だと指定されている毒草。夢見心地で幸せ。そういった作用ならば、間違っても憎む相手を見ることはないはず。

 ──意味合いが異なる幸福ならば? 幻覚で出てきた相手をその手にかけることで得られる幸福だったならどうだろう。万人全てが同じ感覚を持っているわけではない。そういった幸福を求める人だっているだろう。身近ではなくとも、顔も名も知らず、会ったことすらない人の中に、共感する人が一人くらいはいるかもしれない。


 思いつきと同時にやって来た感情がある。硝子戸に反射する眉根を寄せた表情が、ナキに教えてくれた。自らもちていくようなそんな狂った幸せ、ナキならば決して得たくない。

 しばらくマホロバソウの瓶を眺めていたが、不意にあることが気になって立ち上がる。棚を解錠し、マホロバソウの隣に置かれていた瓶を手に取った。

 他とは違い、透明な瓶。光による変化が起きないので、色のついていない瓶に入っている。光で反応しないとは言っても、収められているのはれっきとした毒だ。


 中がよく見えるからこそ気づけたのかもしれない。

 乾燥させたこの毒は、砕いて粉にして使用する。水辺近くの木陰に生息し、三角形のかさを持つ、背の低い茸。乾燥させると驚くほど固くなることから、挽くのに時間と労力がかかる。その分、恨み辛みをより込められるのだと言われている。回復とはほど遠い怨念を宿すのに適しているといううたい文句は、誰から聞いたのだったか。

 この毒も幻聴作用はある。けれど、マホロバソウに比べたら強力ではないし、幻覚作用もない。摂取することで神からのお告げが聞こえると噂されていたせいで、発覚自体が遅れた代物。他国のとある宗教が常用し、信者にも継続的に使用させていたという毒だ。

 ナキは瓶を回す。悪い想像ほど当たるのはなぜだろう。引き寄せたつもりはないのだが。


 毒の名はユメミダケ。

 八本収められていたはずの量が、六本に減っていた。



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