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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
八章 アルティナ王国Ⅴ
165/207

165,君に微睡む黎明に


 ふ、と意識が浮上する。

 声は聞こえない。それなのに、誰かに呼ばれたような、奇妙な感覚が残っていた。

 頭から被っていた布団をどかし、シェリックは半身を起こす。人の気配はない。

 気持ちが敏感になりすぎているせいか。思い当たる節しかない。


 薬草園の温室の中に、なぜこんな仮眠室があるのかというと、薬草の管理をするのにこの場で寝泊まりするのが楽だからと教えてもらった。年に数回、特定の時期がきたときに使うだけで、普段は使わないのだそうだ。

 すぐにばれてしまいそうなものだが、グレイ曰く、「シェリック殿が来る前に一度調べられているので、少しの間でしたら大丈夫でしょう」とのことだ。肝が太いというか。

 見つかる恐れがあるので外は覗けない。布団を剥ぐと、途端に人工光の眩しさが目を射た。太陽光より人工光に慣れる方が時間を要するのは、自然の明るさではないからだろうか。太陽を模した擬似的な光。手元を照らすだけでは満足できなかった者たちが考え、編みだし、今や太陽が出ていない間にも昼間と同じくらいの明るさを提供できるまでに至っている。

 太陽にはなれずとも工夫次第でどこまでも近づいていける。人の努力の賜物だろう。

 人の知的欲求や利便性の追求は、何も明かりだけに留まらない。より遠くへ行けるようにと交通手段の発達や、より安全な場所で暮らせるようにと国の設立にも及んでいる。より効果の高い植物の繁殖や適した栽培方法なども、そのひとつだろう。


 保たれた温度と湿度。煌々と照らされた明かりの下で育つ植物は、かけられた手も多いだろう。厳しい寒さや飛ばされそうな強風に怯えることなく、すくすくと育っている。

 緊張に晒されず、生命の危機に瀕しもしない。刺激を受けず、大切に育てられた植物(彼ら)は、果たして本当に幸せなのだろうか。


「君たちには、君たちにしかわからない悩みがあるんだろうな」


 環境が良く、一見何も問題がなかったとしても、その身に抱えている思いまでは覗けない。もしかしたらこの環境に嫌気が差し、外に出たいと思っている植物も、一本くらいはあるかもしれない。ぬくぬくとした温室ではなく、変わらない日常だけでなく、灼熱の太陽に照らされても、険しい山道を越えてでも、新しい世界を見たいと野望を抱くものが。

 自分の思う幸せが、相手の幸せであるとは限らない。似たような幸せを浮かべる人がいれば、全く別の形を描いている人もいる。幸せの形は一人一人違う。

 もしも同じ形だったなら。合致したなら。ともに同じ未来を目指す、同志になれるかもしれない。それはきっと嬉しいだろう。


「──てる。任せておけばいい」

「そっか、何か見つかればいいね」

「……厳しいな。ナキの手腕に期待するしかない」

「うーん……。僕が手を貸したら何かわかるかな」

「ナキに訊いてみたらいい。借りるのはナキだ」

「それもそうだ。じゃあ、頼んだよ、グレイ」

「ああ。そっちは任せた」

「任された」


 伝えていた日は、今日の夜。

 シェリックが他の誰かに見つかることなく塔に着けるのか、ラスターはやって来るのか、邪魔されることなく話せるのか。懸念事項はいくら列挙しても枚挙にいとまがない。

 それに、シェリックをかくまっている彼らが知られてしまっては、彼ら自身も罰されるだろう。彼らは、それすら考慮に入れていたのだろうか。一時の感情ではなく、同情ではなく。シェリックと彼らとの間には、ラスターという小さな接点しかないというのに。


「起きていましたか」


 植木鉢の前でしゃがんでいたシェリックへ、グレイが声をかけてくる。


「朝食、食べられますか。今持ってきたんですが──」

「グレイ」


 入り口から言葉を重ねる彼へ呼びかける。

 グレイは言葉を切り、そこから動こうともしない。


「どうして君たちは、俺を助ける? 俺を助けたところで、君たちに利益はないだろう?」


 唐突な質問だったにも関わらず、グレイは狼狽える素振りがない。このときが来るのを待っていたかのような、静かな目をしていた。


「あなたの疑問はもっともです。あなたを助けたところで、俺たちには何ひとつ益がない」

「なら、どうして」


 わかっていながら、あえて協力した理由は。

 グレイはシェリックから目を逸らす。その仕草は、どこか気まずそうに見えた。


「昼すぎまで待ってください。今、ここでは話せないので」

「わかった」


 シェリックは、グレイの提案に首肯する。

 昼すぎには、薬師見習いの一人、ナキがやってくる。理由の大元は彼女なのか、それとも彼女がいないところでは話せないのか。

 言い淀むグレイに追及するのは得策ではない。それに、今はできずともいずれ教えてくれると申し出てくれたのだ。待てば良い。そのときが来るまで。今はまだ、そのときではないだけだ。


「それで、飯はどうされますか? 食べやすいよう、米を握ってきたのですが」


 忘れ物をしたみたいに、グレイは再度呼びかけてくる。

 シェリックはふ、と笑った。


「いただこう」


 夜までは、まだ長い。



  **



 その日キーシャが起こされたのは、定刻よりもだいぶ早い頃だった。


「キーシャ様、起きていらっしゃいますか?」


 今まさにその声で起こされたばかりだ。

 窓の外はまだ明るくなりきってはいない。地平線から太陽が見え始めたような、そんな時間帯。

 昨日、急ぎの用件は聞いていない。予定外の事態でも起きたのだろうか。扉を隔てた先から呼ぶ彼女へ、キーシャは答えた。


「寝てるわ」

「キーシャ様」

「キャレル、何かあった?」


 たしなめられるも、弱り顔で話しかける彼女を思い浮かべて、キーシャは少し笑う。温度の上がらない明け方は、顔の筋肉も動かせば温まると、話してくれたのはキャレルだった。寝台から足を下ろし、室内履きではなく外履きに足を入れる。

 常なら定刻まできっちりと寝かせてくれるキャレルだ。だから、常ならぬ事態が起きたに違いない。


「ナクル殿が、キーシャ様をお呼びでございます。大至急、お伝えしたいことがあるそうです」


 キーシャを起こしてまで伝えたい火急の用件。


「すぐ行くと伝えてちょうだい」

「でしたらお着替えを──」


 肩に羽織った上着に袖は通さず、扉を開ける。目の前にいたキャレルが息を呑み、一歩退いた。


「公式の場ではないから手伝いはいらないわ。ありがとう、キャレル」

「……キーシャ様は手がかからない方ですから、寂しいです」

「楽の間違いでしょう」

「滅相もない」

「ナクルは?」

「ナクル殿は執務室においでです」


 キャレルが内容を伝えてこないということは、キーシャに直接話したい内容であるということだ。緊急性はあっても、事件性のある報告ではないだろう。たとえば、誰かが命を落としたというような。

 ならば、キーシャが依頼していた捜索が完了したのか。彼は今、どこにいるのか。先導するキャレルに続き、執務室へと向かう。せっかく動かした頬が強張っていく。

 良き報告なら笑えるように。悪い報告なら受け止められる心の準備を。逸る気持ちに足を止めて、キーシャは執務室へと入る。


「おはようございます、キーシャ様」


 扉を開けるなり、ナクルが早足で歩み寄ってきた。その手に辞書と見まがうほどの分厚い冊子を抱えて。


「おはようナクル」

「朝早くからお呼び立てして申し訳ありません」

「構わないわ。──キャレル、頭がすっきりするお茶を淹れてくれる?」

「はい、かしこまりました」


 入り口に控えていたキャレルが俊敏な動きで部屋を出て行く。

 朝早くでも、夜遅くでも、彼女の動きの速さは変わらない。キャレルの働きを見ていると、キーシャも負けじと背筋が伸びる。

 扉が最後まで閉まりきったのを確認して、キーシャはナクルへと向いた。


「それで、急ぎの用件って何?」

「こちらをご覧いただけますか?」


 手に持ったままではどうにも見づらい。ナクルも持ちにくいだろうと、執務机まで移動する。机上で開かれたその冊子を、キーシャはナクルと額をつき合わせるようにして覗き込む。

 開かれて察する。冊子は冊子でも、これは書類を保管している冊子だ。記録書とでも言おうか。ナクルが開いたページにざっと目を通す。


「嘆願書ね」

「ええ、そうです。次に、こちらを」


 前の頁が一枚めくられる。今度は治水工事の報告書が現れた。

 一見して、どこもおかしい部分はない。どちらも公的な文書であり、どちらにも自筆が記されている。虚偽文書というわけでもなさそうだが、ぱっと見ただけではすぐに判別するのは難しい。


「変なところはなさそうだけど……」

「こちらです」


 ナクルはある部分を指差す。とある人の名前を。


「おわかりですか?」


 キーシャは元の頁をめくり、ふたつの記録を穴が空くほど見比べる。一枚だけではわからなかった。二枚あるからこそ、キーシャにも気づくことができた。

 信じがたい思いでナクルを見ると、彼もまた、キーシャの胸中を表したかのような顔をしていた。


「これを、ナクルが……?」

「はい。昨晩気づき、こうして参った次第です」

「なら──っ」


 なぜ昨晩来なかったのか。問い詰めかけて、ナクルを見て、思い直す。

 簡単だ。もしこれが、昨夜告げられていたなら? キーシャはきっと迷惑も顧みず、衝動に突き動かされるまま、行動を起こしていただろう。ナクルは慮ってくれたのだ。


「──ありがとう、ナクル」

「手がかりを探すのが私の役目でしたので」


 冊子を閉じ、こんなときでもしれっと話すナクルが小憎らしい。キーシャは、固くなっていた頬を緩ませる。


「ついていらっしゃい、ナクル。お母様に確かめるわ」

「はい。お供します」


 どんな物事にも対処できる冷静さを。取り乱さず、話せるように。話し合いに感情を交えすぎてはならない。方向性を見失ってしまうからだ。

 そして、キーシャは胸中でつぶやく。越えずにいられた線と、口に出さない配慮への感謝を。



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