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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
163/207

163,ゆくりなくも見つけた砂粒


 じりじりと、焦げた匂いが鼻につく。

 ナクルは追いづらくなった文字から目を離し、油灯の中身へと目を映す。油の量は十分に補給してきたはずだが、長時間ともなるとまだまだ足りない。現に、満杯近くまで入れてきた油が底を尽きかけている。読みにくいと感じたのは、どうやら気のせいではなかったようだ。


 ──ここまでか。

 完全に消えるまでまだ若干の余裕があるが、そこまで粘ると帰りは真っ暗闇の王宮内を歩かなければならなくなる。ナクルが困りはしないが、すれ違う人に余計な警戒心を抱かせてしまうだろう。ただでさえ緊張感が漂っているのに、いらぬ怯えまで与えてしまうのはナクルの本意ではない。

 開いているこのページだけ読んだなら、終わりにしなければ。

 目頭をつまみ、一度肩を大きく回し、これが最後だと言い聞かせる。

 薬師見習いの一人が、目の疲労に効く薬を作ったと聞いたことがある。試作品の域を出ないそうだが、悩まされていた頭痛が軽くなったと、ライゼンが話してくれた。明日の朝一番にもらいに行こう。試作品であっても、効果が出ると実証されたなら、それはもはや薬だ。

 ナクルの主も、同じ悩みを持っているかもしれない。ナクルが試して確証を得たなら、キーシャにも勧めてみよう。


 そこまで考え、我知らず笑っていた。いつの間にか、キーシャのことで頭が占められているではないか。

 離れていても気にかけてしまう。書類仕事に関しては補佐官であるキャレルや、宰相のライゼンに任せているので心配してはいないが、内容だけが全てではない。

 最近はナクルがいさめる場面も少なくなってきた。彼女の成長ぶりがうかがえると同時に、どこか寂しいのかもしれない。寂しい、などと感じること自体おこがましいのだが。

 いつか彼女は、ナクルの手を借りることもなくなるだろう。せめて、その日が来るまでは支えていくのだ。これまでと変わらず、彼女の傍らで。

 ナクルの指が書類の最下部までたどりつく。おかしい箇所は何もなかった。嘆願書を出した者の自筆があり、年、日付、国王の自筆で締めくくられる。


 今日の収穫はない。これでは、いつキーシャの元に成果を持って行けることやら。また、日を改めて探すしかない。木製のしおりを挟み、資料を閉じようとしてその手を止める。

 何か、今。

 ナクルは閉じかけた頁を開き、もう一度上から指をわせ、目で追っていく。

 別の頁でも見かけた嘆願書。過去のものと形式は少し異なるが、書かれている内容は大まかには同じだ。


 七年前。請われた内容は乗船手続きについて。煩雑な手続きが多く、船に乗るまで最低三日はかかるため、簡素化してほしいという意味合いだった。ここまで時間がかかると、他国の滞在も長引いてしまう、良い天候の日を逃してしまう。そういった苦情も出ていたらしい。嘆願書を書いたのは、アルティナ王国に居を構えている商人。ラディラ共和国へ商売に出ているらしい。主な行き先は港町ルパ。彼の名は──

 前の頁をめくり、次の頁もめくる。

 ただ眺めているだけでは気づかなかっただろう。違和感があることを前提に注意深く見ていなければ、ナクルだってわからなかった。


「──見つけた」


 油灯だけが、ナクルの呟きに喝采を上げた。



  **



 月の光は、どうしてこんなに鮮烈なのだろう。寝転がったラスターの元まで、絶えることなく降り注いでくれる。ラスターだけでなく、誰の元にも平等に。こうして眺めていられるのが特権とすら思えてくる。

 それなのに、起き上がって眺めるほどの気力は湧いてこない。ひらひらと舞う遮幕が避けた先。見せてくれる景色をなんとなく目に移している。

 漆黒を配下に引き連れて、ひとつだけ堂々と輝いている。すぐ傍にいるはずの星をものともせず、その存在を誇示するように。満月には少し足りない。真円からわずかに欠けた月影。もし完全な満月だったとしても、ラスターは物足りなさを感じただろう。なぜなら、ここにシェリックがいない。

 就寝する時間だから。レーシェの私室だから。そんないくらでも挙げられる言い訳はいらないのだ。シェリックがいなければ、どれだけ見上げても満月ではない。シェリックがいないのなら、ラスターはずっとどこか欠けたままなのだから。

 いつか満ちる日は来るのだろうか。

 欠けることない完璧な月の形を見せられるのだろうか。

 けれども、もし満ちたなら? 満ちる日がやって来たなら、そこから先は欠けるだけではないか。


 月は満ちる一方ではない。一度円を描ききってしまえば、そこから先は細くしぼんでいく。満ちては欠けて、欠けては満ちて、いつまでも続いていく。

 太陽ほど明るくはなくとも、その明かりは重要だ。外灯がなければ月光を頼りにするしかない。星明かりでは淡すぎて、心許ないからだ。手先まで照らす明るさを、欲さずにはいられない。

 灰色の雲が覆い被さって、月と星、どちらも消してしまう。

 雲隠れとはよく言ったものだ。姿を見えなくさせるのに、どかしたくても実体はない。何か言葉だけでは表せない存在に、邪魔をされているようだ。姿を見たくても、見せてくれない。

 吹いていた風が止み、窓の内側にかかった布が景色を隠してしまう。

 落ち着かない気持ちになるのは、それがそのままシェリックを指しているようだからだ。目が冴えているのは、昼間の話を繰り返しなぞり続けているからだ。

 シェリックに会えるかもしれない。そしてこれが最初で最後の機会だと、ナキは言った。

 最後。逃してしまえば、二度と会えない。ラスターはどうするのが正しいのだろう。ラスターがどんな答えを出したとしても、咎める者はいないだろう。深くを聞かず、受け入れてくれるだろう。気を遣ってくれるだろう。──ラスターは、それが嫌なのだ。

 優しさに甘えて、その優しさを享受するだけになってしまうのが嫌なのだ。

 頼りきりになってはいけない。自分の意志で、王宮ここにいると決めたのだ。甘えてばかりではいられない。迷惑かけてばかりでは──


 ぎゅっと目をつむり、布団を引き寄せる。

 会いたい。会わなければならない。──会いたくない。会えない。

 こんな相談、レーシェにはできない。話したら最後、シェリックは探し出されて、牢屋に戻されてしまう。そうなったらどうなる? 王宮の人間に見張られて、管理され、ラスターとは大きな壁に阻まれる。距離でも高さでも測れない、周囲の者からの配慮という壁が。

 それから? ジルクが伝令したように、占星術師が剥奪されてしまう。星を見ることに長け、星と向き合っていた人が、星を見られなくなってしまう。星に近い位置で、気に入っていると話してくれたあの塔で。

 戻りたくないと話していた人が、無理矢理にその地位を取り上げられてしまう。──それだけのことをしたのだと、これでもまだぬるい処置だと、ラスターの知らない誰かがささやく。罪人である彼の意志など、考慮する必要はないと。

 シェリックは、いずれアルティナに返すのだと言っていた。占星術師という地位を。しかし、シェリックが失うのは、その地位だけではない。賢人という地位に就くには、受継を行わなければならない。本来の受継は賢人の地位とともに、名と星命石をも受け継ぐのだと。シェリックは、ラスターに教えてくれた。

 シェリックはきっと返したかったはずだ。地位だけでなく、受け継いだ星命石を。いなくなってしまった彼の代わりにアルティナへと返して、終わらせたかったはずだ。だから、シェリックが求めていた返還は、決してこんな形で訪れていいものではなかったはずだ。

 ラスターがそう考えることも余計なのだろうか。被害者ラスター加害者シェリックを擁護するべきではないと。


「……誰も、守ってくれないじゃん」


 レーシェは猛毒であるかのように遠ざけて、ジルクは冷徹に処遇を伝えに来て。シェリックが悪であると認識された途端、全ての矛先がシェリックに向けられた。誰もが正しいと主張し、あるいは正義は我にありと言わんばかりに。

 遮幕がひらりと煽られる。雲の影から、月がほんのりと顔を出している。

 答えは出た? 君はどうするの? 見上げているラスターをそっとうかがって。

 月がひょっこり覗いたように、ラスターの答えも、あの雲のどこかに隠れていたらいいのに。雲が晴れたなら、ラスターが求めた答えが見つかるかもしれない。星に埋もれていたなら、月が導いてくれたなら──誰かや何かに諭された答えに、なんの意味がある?


 堂々巡りする考えに、ラスターの胸が圧迫される。押し込めて抑えつけていた感情を、叫びたくなる。今叫んではいけない。出てこないよう口を引き結び、身体を丸めて、鎮まるときをただ待った。

 ところ構わずわめき散らしたい。誰でもいい。食ってかかりたい。責めて、なじって、ラスターこそが正義だと知らしめて。衝動のままに振る舞い、それでシェリックとまた同じように話せるのなら。

 浮かぶ空想に昂揚するも、すぐにしぼんでしまう。無理だとわかっているからだ。どれだけ思い描いたとしても、妄想に過ぎない。そんな都合の良い未来はやって来ないのだから。

 もしやってきたとしても、ラスターは自己嫌悪して沈むだけだろう。


 どんなに時間をかけて作り上げても、壊れるときは一瞬のうちだ。崩れ、失われてしまえば、また初めから組み立てるより他にない。できるだろうか。出会ったときと同じように。また三年かけて修復できるのだろうか。

 ──仮に、できたとして。

 シェリックが修復するのを拒んだとしたら? 出会ったあのときから殺したかったと告白されたら? ラスターに受け止めることができるだろうか。

 ──絶えられない。怖い。怖くないなんて、言えない。

 ──怖さがなかったら。

 ラスターは上体を起こす。隣で寝息を立てているレーシェを起こさないよう、息を潜めて、裸足を床に下ろし、窓に寄る。


「怖くなかったら……」


 ──あんたはどうしたいの。

 正面から目を合わせて、ナキはラスターに尋ねてきた。覚悟など必要ない。怖いなら、誰かと一緒に行けばいい。ラスターは何を望むのかと。

 シェリックに会って、ラスターはどうしたいだろう。話せる最後の機会に、ラスターは何を話せばいいだろう。

 答えを求めて月を仰ぐも、月の前に立ちふさがる遮幕が、開かれることはない。

 ラスターは手を伸ばす。

 どかした遮幕の向こうでは、姿を露わにした月が、ラスターを見下ろしていた。



  七章 了


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