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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
161/207

161,からから回る空想論


「──うん、これで問題ないかな」

「戻っても平気ですか?」

「うん、いいよ」

「やった!」


 ナキ本人よりも先に、ファイクが喝采かっさいを上げてしまい、慌てて口にふたをする。

 エリウスには生温かな微笑を向けられ、ナキに至ってはわざわざファイクを顧みてまで片眉を上げられてしまう。じと、なんて擬音がつきそうだ。

 態度ひとつでこれほど雄弁な反応はない。悪態を吐かれないだけましか。


「でも、ナキさん。定期的に経過報告はしに来てね。毎日でなくてもいいけど──そうだな、二、三日に一度くらい。毒はほとんど身体に抜けたとはいえ、まだ微量に残ってる。気分が悪くなったり頭が痛くなったり、不調を感じたらすぐに来てほしい。渡してある薬は、用法用量を守って飲んでね。薬の予備が切れたときにも、一度様子を見せに来てほしいかな」

「わかりました。この薬あたしたちで作ってもいいですか?」

「もちろん。元々君たちに作ってもらったものだからね。配合の成分はわかる?」

「それなら、薬室にあると思います。あるわよね?」


 ナキが、首を回して確かめてくる。


「うん。僕の資料棚に置いてあるよ」


 つい先日も使った記憶がある。また使うだろうと、右端に置いていた。


「なら良かった。もしそっちに余裕があれば、去年のヒザクラを譲ってくれないかな? 急ぎじゃないから、ナキさんが来るときで構わないんだけど」

「調べて、あったら持参します」

「ありがとう。助かるよ」


 足下に置いていたかばんを持ち、ナキは椅子から立ち上がる。


「初期対応から入院治療まで、大変お世話になりました」

「エリウス殿、それに治療師見習いの皆さんも、ありがとうございました」


 ナキと並んで、ファイクは頭を下げる。

 薬師見習いだけで対処できなかった事態を、治療師たちにも広げてしまった。ファイクたちが引き起こした騒動だったのに、余計な手間をかけてしまったのはこちらの落ち度だ。


「どういたしまして。あんな無茶は、二度としちゃ駄目だよ」

「はい、身に染みて感じました。すいませんでした」

「うん、それじゃあまた」

「ありがとうございました」


 二人並んで治療室をあとにする。

 回復したら、いつでも動けるようにと。ナキの私物は既にまとめられていた。いつ治療室から出てもいいように。すぐに動くために。鞄を持ってしまえば、帰る準備はおしまいだ。

 二十日と少し。それだけの期間訪れていなかった薬室を、ナキは懐かしいと感じているだろうか。もしファイクならばどうだろう。懐かしいよりも、後ろめたい思いが強いかもしれない。大勢いたら入りづらく、話しづらい。薬室に戻ってしまったら。ほとぼりが冷めるまで聞くこともままならないだろう。


「ねえ、ナキ。どうしてあんなことをしたのさ」


 レーシェも、他の見習いもいない。ファイクしかいない今なら、答えてくれるだろうか。ファイクだけにでも、教えてくれるだろうか。


「あの場で聞いてたでしょ、あたしとラスターの会話。ラスターに何も言い返せなくて、毒を飲んで逃げたのよ。やろうと思ってやったわけじゃない。どうしってって説明するなら、勢いのせいかな。酩酊状態だったから、あたしの判断力も鈍ってた。──言い訳がましいけど」


 だから、あんな行動を起こしてしまった。売り言葉に買い言葉。目には目を。その衝動に突き動かされて。


「出してあった瓶、全部ナキのだよね?」

「グレイが使ったもの以外はそうよ。あたしが棚から出したの。それが?」


 出したのはナキで間違いない。他の誰かが用意したものではない。ナキの証言を踏まえた上で、ファイクは確信する。


「じゃあ……やっぱり、おかしいかな」


 瞬間的に開いたナキの口。そこから出てきかけたのは、恐らくファイクへの抗議だ。常なら間髪入れずに放たれるが、今回は出てくることがなかった。


「……何が?」


 責任か、罪悪感か。どちらにせよ、ファイクにとってはありがたい。癖で曖昧あいまいに濁してしまった言葉を、すぐに説明できる。


「あのときは僕も必死だったから気づかなかったけど、今考えるとおかしいんだ。ナキはきちんと整理してた。毒も、薬も、ひと目で何かわかるように」

「いちいち探し出す手間を省きたかったからよ。分量ひとつ間違えただけでも大惨事になる。あたしはそれを避けたいの」


 広がっていた光景。ファイクが覚えた違和感。

 何か違うとわかるのに、その正体がはっきりとしなくてもやもやしていた。手が届きそうで届かない思いが、ファイクにはもどかしくて仕方なかった。


「僕、わからなかったんだよ。あの毒の成分。見当もつかなかった」

「出しっぱだったじゃない。分量がわからなくても、成分だったら一発でしょ?」


 ファイクでなくても、それこそ素人が見てもわかったはずだと。ナキがいぶかるのも無理はない。

 ナキの苦しむ姿を見ながら、グレイと話をしながら。ファイクは何度も思い返していた。

 時間が経てばおぼろげに消えてしまう記憶を、薄れるその前に脳裏に描き続けて。それでも鮮明さが失われていくのは仕方なかった。ファイクが閃いたのは、ラスターとのやり取りのときだ。


「君が倒れたとき、あそこに出されてた瓶はひとつも表記がなかった。だから僕は、君が何を調合して口にしたのか、すぐにわからなかった。僕だけじゃなく、グレイもラスターも、レーシェ殿でさえわからなかった。だからナキ、僕が今から言うことを怒らないで答えてほしい」


 これからするファイクの質問は、ナキの名誉を傷つけてしまうかもしれない。だからファイクは断りを入れる。決して肯定しないでほしいと願って。


「君は、わざと瓶の表記をわからなくしたわけじゃないよね?」


 何を調合したのかうやむやにするために。ナキが、どんな毒を口にしたのか、思い至らせないために。


「……今度こそしばき倒すわよ」

「お、怒らないでって言ったじゃないか!」

「あたしは同意してない」


 失敗である。ファイクは肩を落とした。

 ナキが素直に話してくれることは、以前よりずっと多くなった。しかし、まだ全てを話してくれるまでには至らないようだ。誰にだって、言えないことはある。話せないこともある。話したくないことだって、ある。

 むっつりと黙ってしまったナキからは、怒っているらしい気配だけひしひしと伝わってくる。こうなってしまったら、しばらくは話してもくれないだろう。ファイクからは何も言えない。

 無理に聞いてはいけない。踏み込み過ぎると閉ざされてしまう。覚えておこうと、こっそり誓いを立てた。


「──覚えてないのよ」


 とっさにナキを見る。

 険しい目つき。難しげに寄った眉。ほどく気配もない腕。それらとは正反対の小ささで。今のは本当にナキが喋ったのか、疑いたくなるほどの声量だった。


「どうして、あんなことをしたのか」


 風に運ばれて消えてしまいそうなナキの懺悔ざんげを、それでもファイクの耳は聞き取った。空耳ではなかった。


「覚えてない?」


 これで嘘だと言うのなら、ナキに名演技だと拍手を贈りたい。それほとまでに、ファイクには嘘だと思えない。

 それに、ナキはこういうときに嘘を吐いて逃れたりはしない。どれだけ不利な状況におかれていたとしても、正面切って戦う人だ。持論をかざし、自分の言葉と行動は自らの責任であると、そう言い切る人だ。

 ファイクの目には、その強さがいつもまぶしく映るのだから。

 覚えていないだなんて、そんな曖昧な言葉で片づける人ではない。


「どこまでが君の意志だったか判断つく?」


 ナキの証言が限りなく正しいならば。


「……改めて問われると自信ない。ラスターに言われてかっとなったのは覚えてる。グレイに腕を捕まれたことも、あんたに諭されたことも。だから、瓶の表記をわからなくさせたのがあたしだったとしても、いつそれをやったのか記憶にない」

「でもさ、中身が何かわからないまま調合しないと思うから、調合したあとじゃないかな」

「先に覚えておいて調合する、って手もあるわよ」

「しれっと怖いこと言わないでよ。ナキがそんな不確実な方法で調合したとは思えない。そうなると、毒だけ先に作り終わってて、そのあとにグレイのお酒を飲んだっていう流れかな──何?」


 思いつくままに口に出していたら、不思議なものを見るようなナキと目が合う。ファイクを見ているようで、もっと別の何かを見ているようだ。


「わからなければ、調べればいい話よね……」


 どことなく上の空な状態のナキを察し、ファイクはそれ以上話しかけるのをやめる。

 考えに浸っているナキに話しかけると、適当にあしらわれてしまうからだ。しまいには反応すらくれなくなるのを、ファイクは経験から知っている。邪魔にならないように、ナキから意識を外す。

 ナキが導き出す答えへと、密かな期待を抱きながら。



  **



 誰かに話すことで、脳内のあちこちに散らばっていた考えが整理できる。言葉という形に置き換えるだけでも、思考という得体の知れない存在を明確に捉えられる。

 セーミャと会話し、不安を吐露しただけでもだいぶすっきりした。不安と、ひと言に説明してもその中身は様々だ。何に対して不安なのか──リディオルの姿が見えないことに対して。彼が事件に巻き込まれたのではないかと考えてしまうことに対して。

 では、どうしたら解消できるか。──リディオルの無事な姿を確認できたら。しかし、今その確認は難しい。ならば、別の考え方をする。

 この先リディオルがいなくなるとき、同じ解消法は望めない。ならば、彼がいなくても対処できるように、安心できるように、やって来るいつかを想定して動けばいい。

 リディオルへの文句は、会えるそのときまで彼に取っておけばいい。


「お疲れっす、ユノ」


 アルセが塔に戻ったそのとき、上方の階段を上るユノの姿を見つけた。


「お疲れ様です、アルセ殿」


 足の運びだけではない。返答にもにじみ出た緩慢さに、アルセは首を傾げる。


「……どうかしたっすか?」


 非常に疲れているような、憔悴しょうすいしきっている様子に、アルセは急ぎ距離を詰める。ユノが抱えているものを見てぎょっとした。


「……ちょっと、杖を壊してしまって……」

「いやいや、ちょっとじゃないっすよそれ!? 大丈夫……じゃないっすもんね。ユノ、怪我はしてないっすか?」

「しましたけど、治療室に行ったので大丈夫です」


 どう見ても自然に壊れた類ではない。力任せに折られたような、そんな壊れ方をしている。何が起きたらこんな無残な姿になるのか。


「うわ……酷いっすね、これ」


 大変な事態だ。いいや、まさに一大事だ。ユノに元気がないのにも頷ける。

 魔術を扱う者たちにとって、杖は生命線だ。魔術を扱うために必要な道具なのだから。命の次に大事なものだと言っても過言ではない。星命石と同じか、それ以上の価値があると言ってもいい。

 その杖が、壊れた。


「……アルセ? いいところに。この文献の続きを知らないか?」


 アルセたちの声を聞きつけたのだろうか。下の部屋から、ひょっこりとカルムが顔を出した。


「カルム! 杖直せるっすか?」

「……なんの話だ?」


 カルムの胡乱うろんな眼差しにも見えるよう、アルセはユノの杖を示す。


「ユノが杖壊しちゃったみたいっす」


 宙を向き、指折り数え、カルムが口を開く。


「……七日あれば」

「長いっすよ! 三日で直すっす!」

「……無茶言うな」

「ユノが困ってるんすよ、カルムの無駄に器用な腕前を、今こそ見せるときっす!」

「……褒めるかけなすかどっちかにしてくれ」

「褒めてるっすよ」


 それも、最大級だというのに。疑うとは失礼千万である。


「オレの杖は全然、気にしないでください。大丈夫なので」

「大丈夫なもんすか!」


 遠慮しようと下がるユノへ、アルセはくわっと噛みつく。


「杖は、魔術師にとって大事なものっす。それを抜きにしても、ユノはあんなに大事にしてたじゃないっすか。直せる人間がここで手を拱いているんすから、直してもらうっすよ!」

「……別に腕組みはしていない」


 ユノの感じている引け目がうしろめたさなら、その背を押してあげるのがアルセたちの役目だろう。


「文献の続きはうちが探すっすから、カルムはユノの杖を任せるっす」

「……そういうことなら」


 カルムは二人がいる位置まで階段を上がってくる。そうしてアルセに文献を、ユノに手を差し出した。


「……ユノ」


 ユノはカルムの手に視線を落としている。いくら凝視したところで、その手に答えなど書かれていないのに。


「……預かる」


 再度促したカルムの手のひらへ、ユノはぎこちなく杖を乗せる。


「……よろしくお願いします」


 消え入りそうな声と一緒くたにして。




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