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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
160/207

160,何度、何度も、何度でも


「そろそろ、本題に入ってもいいかな?」


 ファイクが声を割り込ませる。肩のところで遠慮がちに挙げられた右手が、小さく主張する。


「そうよね。お待たせ、ファイク」

「全然。そろそろレーシェ殿が戻ってくる頃だと思うし、ちゃっちゃと済ませよう」


 本題、ということは、他に何か話があったのか。ファイクはただ、見届けるためだけにここにいたのではなかったのだ。

 なんの話だろう。ファイクから改めて説教されるかもしれない。採ってきたヒザクラの使いみちだろうか。それとも、お互いの進捗を確かめるためか。

 ラスターが思いつく推測は、どれもしっくりこない。座っていた椅子ごと近づいてきたファイクを眺めていても、ラスターには思い当たらなかった。

 ナキはというと、ファイクに注視している。役目は既に終わったとばかりに。ラスターもナキにならい、体の向きを変えてファイクへと向いた。


「ラスター、今から言うことは他言無用にしてほしいんだけど、いい?」


 なぜかそう前置きをされ、ファイクの真面目くさった顔と声に気圧されながらも頷いた。

 他言無用の話なんて、余計に浮かばない。良い話か悪い話か──

 隔離された場所で、薬師見習いたちの内緒話。困った様子も笑った顔も見せないファイクが話す内容に、ラスターは一抹の不安を拭えずにいた。

 ファイクは一段と声を落とし、眉間にしわを寄せて言ったのである。


「牢屋からいなくなったシェリック殿、実は僕らがかくまってる」


 ぽかんと。

 ファイクが告げた台詞は、ラスターの耳を通り抜けていった。


「──え?」


 ファイクの口は真一文字に引き結ばれている。二度は言わないと、表明されているみたいに。口にはしない代わりに、ファイクはひとつ、時間をかけて頷いた。


「シェ──」


 漏れだそうとした声を、ラスターは慌てて両手でふさぐ。

 他言無用とあらかじめ言われたその意味が、じわりじわりと理解できてくる。ラスターたち以外の誰かに聞かれてしまうのではないか。この話を、シェリックの居場所を知られてしまうのではないか。

 もし、もしも。

 見つかってしまったら? シェリックは──?

 駆け巡る悪い想像が、ラスターの思考を支配していく。同時に、伝えるべき言葉も奪われていく。


 硬直していたラスターの様子を、ファイクはどう眺めていただろう。目が離せないのに、考えていることはファイクを素通りしていた、ラスターを。

 このままだんまりが続いていくのではないかという雰囲気を破ったのは、ファイクだった。


「知っているのは四人だけだ。僕、ナキ、グレイ、セーミャ殿──君を入れれば五人か。とにかく、その五人だけ。先に断っておくけど、あの人に危害を加えようとか、そんな理由じゃない」

「じゃあ、どうして……?」


 手を外し、ラスターは小声で尋ねた。

 ファイクたちとシェリックに接点は何もない。強引に作るとしたら、ラスターを通じての関係だろう。セーミャは禁術に頼ろうとしていたと教えてくれた。けれど、今も同じように望んでいる気配は感じられない。それだってきっと、小さな接点だ。


「ファイクの遅い反抗期よ」


 しれっとナキが口を挟んだ。


「レーシェ様にたてつきたいんだって」

「ちょっとナキ、言い方があるだろ」

「端的に、わかりやすく言っただけ。間違いじゃないんだからいいじゃない」

「……わかったよ」


 ふうと息を吐き、気を取り直してファイクは語る。


「ちょっと、納得がいかなかったんだよ。レーシェ殿は君を故郷に帰そうとしてるけど、君の意見はひとつも聞いてない。君思いなのはわかるけど、君にだって選ぶ権利はあるはずだ。結果として会わない選択肢もある。だけどそれだって、決めるのはラスター、君だと思うんだ」


 ファイクは丁寧に教えてくれる。いつものように、少し困った様子をにじませながら。


「要するに、僕らからの特大のお節介。あのままじゃ、レーシェ殿は君とあの人を会わせようともさせないんじゃないかと思ってね。だから、どうにかして君に会わせてあげることはできる」


 だから危険を冒してくれたというのか。ラスターにシェリックを会わせようとしてくれた、ただそれだけのために。


「あり──」

「お礼はまだ早いよ。僕は、君に確かめなくちゃいけない」


 真剣そのものの表情に戻り、ファイクはラスターに尋ねてきた。


「ラスター。君は、あの人に会う覚悟はある?」


 ──覚悟?

 ラスターを見つめてくるファイクは、いつになく険しい。

 当然だ。会えるならば会いたい。このまま離ればなれになって終わりだなんて、そんな未来は望んでいない。

 ラスターの答えは既に出ている。あとは言葉に変換して、この意志をファイクに伝えるだけだ。ひとつ頷く、それだけでいい。

 そんな単純な動作が、どうしてかできない。はなから禁止されているかのように。

 頷けない。口に出せない。覚悟とはなんだと問う一方で、それがなんなのか、ラスターには想像がついてしまっている。

 会いたい。知りたい。理由を訊きたい。教えてほしい。──怖い。


 嫌いだと断言されることが、突き放されたと知ってしまうことが、ラスターには恐ろしくて堪らない。でてくれた手の温かさより、首に巻きついた手の冷たさの方が強く焼きつけられてしまったからだ。

 心と身体に正反対の指示がかけられ、身動きが取れない。答えは出ていても、身体がいうことを聞いてくれない。


「あんたはきっと、会いたいって思ってる。でも、そうできない。決めきれない自分に戸惑ってる。違う?」


 助けを求めたラスターに、ナキは確かめるように語りかけてくる。居丈高な物言いは鳴りを潜め、こんな話し方もできるのかと思うほどに。


「でも、想像と現実は違う。今、そうしたいと思ってることが思いどおりにはならないみたいに。会いたくても、実物を前にしたらもっと逃げたくなるかもしれない。それくらい、現実は強烈。思考だけでしか組み立てられない想像は、あてにならない。今までの関係なんて吹っ飛ぶかもしれない。だから、前を同じように話せるとは思ってない」


 もう一度、殺されるかもしれない。それどころか、今度こそ息の根を止められるかもしれない。また以前と同じようになんて、もう二度と叶わないかもしれない。

 そのとおりだ。


「──って、考えてる?」


 それは、絶妙な間合いだった。


「あんたのことだから、どうせ考えすぎてるんでしょ」

「だって、それは……」

「だっても、でもも、禁止。あんたは、何に悩んでるの? 会いたいか会いたくないか、考えるのは単純な二択でいいんじゃないの?」


 ナキはなおも言う。


「覚悟なんて大層なものはいらない。実際は想像してたより大したことなかったって方が、ずっと多いわよ。躊躇ためらう理由が怖いからって言うなら、あたしたちの誰かを一緒に連れて行けばいいでしょ。怖さがなかったら、あんたはどうしたいの? 何を望むの?」


 恐怖がなかったら──?


「──ナキ、時間だ」


 首を巡らせていたファイクがそう言って、椅子から俊敏に立ち上がる。普段の彼からは感じられないくらいに素早く。

 白幕の向こうで、レーシェの声が聞こえてくる。遅れて、ラスターも察した。

 こんな、中途半端な状態で終わってしまうのか。まだ、二人にどうするのか伝えていないのに。


「二日後の夜、占星術師の塔の最上階」


 寄せられた肩に驚く間もなく、耳元でささやかれる。

 ナキと至近距離で目が合った。


「いい? それまでに答えを決めて、気持ちを作っておいて。でも、考えすぎないこと。そこがきっと、最初で最後の機会」


 肩を叩かれ、背中を押され。そこから先は一人きりで考えるのだと。


「……わかった」


 誰の力も借りられない。ラスターが見つけなければいけない。


「ナキ、ありがとう」


 寝台に潜り込みかけたナキが、呆れた様子を隠しもせずに言う。


「だから、まだ早いってファイクも言ってたでしょ」

「今言いたかったんだ」

「はいはい。どういたしまして」


 つれないナキに背を向けて、先に出て行ったファイクを追いかける。

 ──大丈夫。ラスターは、答えを見つけられる。叩かれた肩と押された背中が、どことなく温かい。ナキがくれた、重大な手がかりだ。

 あの手の強さを、ナキがくれた勇気を、忘れないでいよう。

 ラスターはこっそりと誓った。



  **



 夢のような日々。理想みたいな世界。

 過ぎていく情景が、本物と偽物の境界を曖昧あいまいにさせる。目が回るほどに、耳が聞き分けられないほどに。話に聞く走馬灯というのは、これと似たようなものだろうか。死に瀕した際に過去の情景や誰かの顔が頭の中を駆け巡るその様が、走馬灯と良く似ているからだと。自分もまさに、その状態なのか。

 ならば、そこに沈むその前に。

 霧に覆われた視界は晴れない。けれどその声だけは耳に届く。鈍痛にさいなまれつつも持ち上げた頭が、その姿を捉える。


「──ああ、こんなところにいたのか」


 長年渦巻いていた感情が、ようやく晴らせるときが来た。なんのつもりかは知らないが、のこのこと現れて、人の好さを前面に貼りつけて。

 もう知っている。それが仮面であると。騙すために作られた、『彼』の虚構だと。

 さあ、いでやる。その下に隠された本性を。好意的な態度は全て紛いものだったと。知らしめてやる。

 逃がさない。逃がしはしない。この千載一遇の機会を、決して逃すものか。

 手を伸ばす。はぎ取られた仮面の下、蔑みと憐れみの目でこちらを見る『彼』へと。今度こそ、この手で制裁を。奪われた憎しみと怒り。裏切られた恨み。その全てを、同じだけの思いを。

『彼』の口が開く。

 こぼれるのは苦悶か憎悪か懇願か。なんだっていい。言いたければ勝手に吐き出せばいい。聞く義理など、持ち合わせていない。ああ、でもこれが最後だというなら。最後くらいは、耳を傾けて──


「シェリ──」


 限界いっぱいまで目を見開く。込めていた力が緩まる。『彼』の口から、『彼』ではない声がした。

 どうしてと疑問を挟む間もなく、『彼』から勢いよく引き剥がされる。


「──何を、しているんですか! あなたは!」


 ──ティカ? どうしてそんなに大きいのだ? いや、止められる筋合いなどない。今ここで、決着をつけなければ。


「どけ、ティカ。あの男に、制裁を──」

「あなたは、何をご覧になっているのです!?」


 何を? 何とは心外な。どうして邪魔立てをするのだ。あの男がいるから、自分たちはこんな生活を強いられていたというのに。どうしてティカは、あの男をこれほどまでに庇うのだ。

 ティカの肩越し、『彼』の姿を見て凍りつく。駆けてきた誰かによって、守られるように支えられ、意識のないままその腕に抱えられた姿を。


「──ラス、ター……?」


 何が起きたのだ。『彼』はどこだ。今、間違いなくそこにいた『彼』は。どうしてラスターがここにいる。自分は何をした。

 自分は──シェリックは、ラスターに、何をした?



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