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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
159/207

159,伝えたかった償いは


 その場所に足が向いたのは、何も意図してのことではなかった。

 治療師がとむらわれた丘は草木があまりない、見晴らしの良い場所だ。海がよく見え、遮蔽物しゃへいぶつが少なく、時には風が好き勝手に吹き荒れる。腫れた穏やかな日には、隣国の大陸がくっきりと臨める。


 今この場所に、弔いの儀を行った際漂っていたあの悲嘆の空気はない。風に乗って海に運ばれ、人知れず深海まで沈んでしまったようだ。

 目をらさずともすぐに見つかる。丘の頂上から王宮に向けて少し下った位置。そこには、くっきりとした焦げ跡が残っている。大人一人が横たわり、収められた箱の形。治療師が弔われた痕跡だ。

 アルセはあの日、雰囲気に呑まれないよう火を起こすユノの補佐に徹していた。

 あれから、もう二十日以上経った。それだけの日が経過したのに、昨日のことのように思い出せる。身も心も張っていたからだろう。弔う立場のアルセが悲嘆に暮れてはならない。アルセの役目は、弔いの儀を滞りなく終わらせることだった。

 補佐とは言っても、実際に火を起こしたのはユノだ。アルセは、ユノを手助けし、進行させていただけだ。それが魔術師見習いたちの任務だったのだから。


「……ほんと、どこまで油売りに行ったんすかねえ……」


 姿を見せないリディオルに対して、カルムは反応が薄い。そのうちふらっと戻ってくるだろうとか、きっと単独で何かやっているのだとか、悠長なことばかり言っている。

 痺れを切らせたアルセが王宮へと探しにきたのだが、リディオルの姿は一向に見つからない。

 アルセが不安に思い始めたところでセーミャに出くわし、彼女に諭されて徐々に落ち着きを取り戻せたのだ。

 知らず知らず頼ってしまったことが恥ずかしい。アルセも気づかずにいた無意識下で、動転していたのだろう。

 波が運んでくる海の香り。それに逆らうように羽ばたいた音が、白い翼が、次第に遠ざかっていく。高く、遠く、海の向こう、他の陸地を目指して。


「あとでユノにも聞いてみるっすか……」


 そういえば、ユノも今朝から見ていない。何やら硬い表情をして王宮へ向かったのは見たのだが、アルセがユノを見かけたのはそのときが最後だ。なんとなく声をかけづらく、意を決して声をかけようとした直後、カルムに呼ばれたのだ。

 聞いておけば良かっただろうか。どこへ行くのか。何をしに行くのか。いつ戻るのか。特に気に留めることもなく、アルセはそのまま見送ってしまった。

 人は慣れる生き物だ。暗さにも、逆境にも、幸せにも、どんな絶望でさえも。

 リディオルはほとんど王宮にいなかったはずなのに、彼が長期間留まっていると途端にこれである。アルセも、リディオルがいることに慣れてしまったに違いない。手が届き、声をかけられる距離にいることに。この贅沢な状況に。


「しっかりしないといけないっすね」


 せっかく晴れた不安を、抱えて直しても仕方ない。解消していこう。

 いずれまた、リディオルが王宮から長らく離れることだってあるだろうから。



  **



 手を引かれて歩く夢の途中。

 ふわふわと。ゆらゆらと。

 覚束ないのは足元か思考か。

 意識ははっきりしている。頬をつねってはいないけれど、夢ではないことはわかる。ラスターの手を引いているのがナキで、ラスターの質問に二言三言答えてくれているのもナキで。それは本当にナキなのだろうかと、疑いをかけてしまうのが申し訳ないけれど──不思議な状況だ。

 そんなラスターたちのうしろからセーミャは何も言わずについてくる。


「──ナキ! 君、どこ歩いてたんだよもう! まだ安静にしててって言われてるだろ!」

「悪かったわよ」


 戻る、と話していたから、向かう先はレーシェの部屋だと思っていた。ナキのうしろから首を伸ばして、その認識が間違っていたことを知る。


「治療室……」

「それ以外の何に見えるのよ。ほら、こっち」


 連れられて歩いた距離は、確かに歩数が少なかった。こんな歩数では、レーシェの部屋まで明らかに足りないのに。

 治療室なのに、薬師見習いが二人もいて、さらにはラスターもいる。場所がおかしいのか、ここにいるラスターたちがおかしいのか、ちぐはぐな状況に混乱を来す。


「あれ、連れてこれたの?」

「そこで会ったのよ。おかげで手間が省けた」

「そっか。良かった……」


 ラスターを見たファイクがほっと胸をなで下ろす。

 もしかしなくても、ナキはラスターを呼びに行こうとしていたのか。途中で遭遇して良かったかもしれない。もしすれ違っていたら、あちこち探させる事態になっていた。


「セーミャ殿、あたしの寝台使っていい?」

「ええ、もちろんです」


 ナキに、ファイクに、セーミャ。

 三人だけがわかっているような会話に、ラスターは口を挟めないでいる。エリウスの姿は見えないが、代わりに見習いたちがきびきびと動いている。漏れ聞こえる会話の一部から推測するに、彼らはナキの治療法について話しているようだ。


「ラスター、こっち」


 白幕で仕切られた寝台の、奥から二番目。どうやらここがナキの寝台らしい。区切られた小部屋は壁まではいかずとも、治療師見習いたちの話し声を弱めてくれる。

 ラスターのうしろからファイクもやってきて、いつの間にか持参していた椅子をどっかりと置いた。ファイクはいそいそと腰を下ろし、奥の椅子を指差す。


「ラスターはそっちの椅子を使うといいよ」


 遅れて、ファイクはそのために自分用の椅子を持ってきたのだと気づく。


「ありがとう。ナキは?」

「あたしはここ」


 ラスターに答えながら、ナキは寝台に腰をかける。ユノの見舞いに訪れたとき、ユノは寝台上に身を起こしていた。寝台をこうして見ると、椅子に利用する丁度良さに頷ける。高さといい、座りやすさといい、見た感じでは最適だ。

 これから何が始まるというのだろう。もしかして、ナキが回復したから、お互い存分に話せるよう、ファイクが場を用意してくれたのだろうか。お互い激昂しすぎないように、ファイクはいてくれるのかもしれない。

 ラスターを連れてきたのはナキだった。意図なんてわからない。けれど、お膳立てが整えられたというなら──伝えなければ。


「ナキ。ごめん」


 ラスターは、ナキに言わなければならないことがある。

 ナキへと頭を下げて、ラスターはあの日を思い出す。薬を作るために誰かを苦しめてはいけないと、ナキにそう言ったのはラスターだ。


「ナキが話してくれたことが許せなくて、むきになって言い返した。ボクの言ったコトが正しかったかもしれなくても、あのときナキを追い詰めたのはボクだ。だから、ごめん」


 話しながら考える。ラスターが今もし、ナキから同じ話を聞いたらどうだろう。認められるだろうか。ラスターの母親はすごいのだと、同意できるだろうか。ナキのように、レーシェを手放しで称賛することができるだろうか。

 ──時期が問題ではない。やはり、許せないものは許せない。ラスターの気持ちはあのときから変わらない。

 名を挙げるために。万能の薬のために。それならば、有名になんてならなくていい。万能の薬ひとつより、不便な薬をいくつか合わせて使えば良い。己の利を得たいがために、その影で誰かを苦しめたくはないと思うのだ。

 だけど、あのときとは違った言い方ができるかもしれない。ナキに毒を飲む選択をさせないように、慎重に言葉を選べるだろう。きっと。ナキだって、薬を作る一人だ。犠牲にしてはいけない、大事な一人だ。


 想像と願望をどれだけ並べても、現実は変わらない。だって、そうだろう。過ぎたことは変えられないし、動かなければ現実だって未来だって、変わらない日々だ。

 絵空事を壁に飾って、来もしない未来を毎日眺めて暮らすようなものだ。

 ナキだけではなく、ファイクからも何も反応がない。顔を上げる、たったそれだけでも怖いのは、ナキの反応がわからないからだ。見なければ、自ら動かなければ、何も変わらない。

 強張った首を元に戻すと、ラスターを見ているナキと目が合った。ラスターから目を逸らさず、ラスターの言葉にじっと耳を傾けていたのだろう。

 ラスターと同じように、ナキの考えも気持ちも変わらないかもしれない。レーシェを憧れだと語り、心酔しているなら。


 人を変えるのは容易ではない。なぜなら、他人より自分が変わる方がずっと簡単だからだ。

 考えを押しつけてはいけない。ナキにはナキの考えがある。ラスターとは異なる感覚から生まれるものだ。

 世の中にどれだけ似た境遇の人がいても、考え方まで同じにはならない。人は一人一人、感じ方も、捉える視点も、異なるからだ。

 相槌もせずに聞いていたナキの、丸められた右手が伸びてくる。ラスターは目で追った。ナキの反応の唯一であるような、見届けなければいけないような気がしたのだ。それはラスターの目と鼻の先までやってきて、何をするのだろうと──


「いった!」


 最後まで目を開けていられなかった。

 ラスターは両手で額を押さえ、じんじんと痛む位置をさする。人差し指で弾かれただけなのに、ここまで痛いのは反則だ。

 目を白黒させているラスターへ、ナキはそっと口を開いた。


「正しいことを言っただけでしょ、あんたは」


 にじんでいたラスターの涙が引っ込む。波紋ひとつ立たない水面みたいな声だった。


「責められこそすれ、どうしてあたしがあんたに謝られなきゃいけないのよ」


 落ちた石などものともしない、そんな静謐せいひつさを漂わせる。ナキにもまた、確固たる思いがあった。


「あれはあたしの逃げの一手だった。あんたの気持ちを考えてもいなかった。あんたに反論できなかったから、あたしは言い返すのをやめたのよ。あんたもグレイも、あたしに謝罪する必要はない。あんたが何を言っても、最終的に毒を飲んだのはあたしの責任。あたしの起こした行動に、あんたは関係ない」


 感情的ではない。あのときとは違う。ラスターと会わないでいた期間に、慎重に選んでくれたナキの言葉。心の底からの。そうだと、信じたい。


「それに、謝るのはあたしの方。不注意から大騒ぎ起こして悪かったわ。本当に、ごめんなさい」


 ナキがラスターへ深々と頭を下げる。

 おろおろとさまよったところ、視線が交差したファイクに頷かれる。ラスターの思うようにすればいいと言われているかのようだった。


「でも、あたしは毒を扱うことをやめない。動物には毒になる植物でも、人にとっては薬になる植物だってあるし、当然逆の場合もある。薬の元になる毒だってある。一方的な視点だけで終わらせたくない。あたしは可能性を広げたい。どこまでが薬でどこからが毒だなんて単純な境目を決めつけるんじゃなくて、毒でも薬になるんだって証明した。でも、二度とあんなことはしないと約束する」


 毒だから触れてはいけない。扱っても、調べてもいけない。禁止しようと思えば、いくらでも理由は思いついてしまう。危険だから。人を殺すことのできる道具だから。包丁だって、正しく使えば調理する道具だ。


「──わかった」


 ラスターは頷いた。たとえつっぱねたとしても、ナキはただ聞いてくれただろう。その場合は、互いに受け入れがたい思いを残しただろうけど。

 ナキとラスターの会話を。口も手も出さずに、けれどいつでも割って入れるその位置で。

 顔を上げたナキが、ラスターを見て少し笑う。


「止めないのね、あたしが毒を使うこと」


 ナキも、心のどこかで反対されるだろうと思っていたかもしれない。


「うん。だって、ファイクが、毒の扱いに長けてるのはナキだって、ファイクもグレイも敵わないんだって、言ってたから。レーシェから、保管されてる毒を任されたのはナキなんでしょう?」

「そうよ」


 ナキが任されたのだ。毒の扱いに関しては右に出る者がいないと言われている、レーシェから託されたのだ。何にも勝る太鼓判ではないだろうか。


「だったら、信頼できるじゃん。問題ないよ」


 問題が起きたあとに問題ないと断言するのもおかしな話だけれど。


「……呆れた。あんたねえ、あたしが騒ぎ起こしたのに、まだ任せられるって言うの?」

「うん。言うよ」


 ラスターは即答し、怯んだナキへ告げる。ナキが気づいていない事実を。ナキに任せられるその理由を。


「だって、ナキは毒を飲んだケド、その毒で他の誰かを傷つけたりはしなかった」


 ナキ自身は副作用が出て大変だったろう。数日はまともに動けなかったと聞いている。あのとき作り上げた毒を何に使おうとしていたのかはわからない。けれども誰に使われることもなく、ナキは全て自分で消費した。それは、誰も傷つけちゃいけないと言ったラスターへの、返答だったのではないだろうか。

 ラスターが言う誰かの中に、もれなくナキも入れてもらいたかった名残はあるが──過ぎたことを蒸し返すのはやめよう。

 反応の止まったナキだったが、やがて躊躇ためらいがちに微笑んだ。


「……あんた、本当に変な奴」

「変じゃないよ。変わってるかもしれないケド」

「それが変って言うのよ」


 ナキから呆れ混じりに返された。それが照れ隠しだということを、ラスターはもう知っている。




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