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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
158/207

158,必然の道が敷かれても


「調べものですかな?」


 声と同時に射した気配。ナクルは腰にいていた剣の柄に手をかけ、椅子を蹴飛ばしかけたところで動きを止めた。

 安全だと、頭では理解していた。周囲の音を気にかけないほどに没頭し、人の気配すら意識の外に置いて。


「ライゼン殿」


 腰を浮かした中途半端な構えになってしまったナクルをとがめることなく、彼はにこにこと笑っている。毛ほども動じていない彼に毒気を抜かれ、ナクルは緊張を解く。

 合わせて、過剰なまでの敵意を露わにしてしまったのをただただ恥じた。

 不必要に警戒せずともいい場で反応してしまったのは、心のどこかで知られてはならないと思っているからだ。


 国王の不在。いなくても問題はないとばかりに、滞りなく維持されている王国。国に関わる決定権の大半が、国王にあるというのにだ。

 名代として採決の一部をシャレルやキーシャが請け負っているのは、ナクルも聞いている。しかし、それだけで何事もなく国を維持していけるとは思えない。何か、ナクルやキーシャの知らない事態が隠れているのではないか。そしてそこに、賢人の誰かが絡んでいるのではないか。たとえばそう、国の中枢にほど近い、宰相の立場である彼のように──


「申し訳ありませんでした」

「いや、いや、私こそすまない。驚かせるつもりはなかった」


 両手を挙げて弁明をされる。彼はナクルの向かい側へ腰を下ろした。それを見てナクルも座り直す。

 その笑顔に裏があるのではないか。偶然を装ってナクルに忠告をしにきたのではないか──疑いをかけ始めたところで、考えるのをやめる。用心はし過ぎることはないが、全てを疑ってかかるのも違う。

 彼が置いた書物の表紙をさっと確認した。疑うような類の書物ではない。よく見れば書物でもなく、そこには大量の手紙が収められていた。

 勘ぐってどうする。人の厚意すらも疑念に抱かなければならないなら、騙された方がまだ救いようがある。


「それは、賢人たちからの報告書ですか?」

「そう。私も少々調べたいことがありましてな。ナクル殿は輝石の島の記録かな?」

「そのとおりです」


 片眼鏡という特徴的な道具を使用している老紳士。賢人の中でも、キーシャが特に信頼を置く人物の一人だ。宰相ライゼン=ミニストル。白髪が目立つ彼は、現賢人の中において最年長である。


「ライゼン殿」


 賢人としての歴も長い彼に、ふと尋ねてみたくなった。ナクルの狭い思考だけでは及ばない角度からの意見が欲しかった。経験は知識に勝る。時には想像さえも超える。


「今回の事態、どうお考えですか?」

「それに答えるにはまず、君の考える今回の事態がどこからどこまでを示すのか、私に教えてくれるかい?」


 全てを聞けるなら聞いてみたくはある。しかし、いかんせん範囲が広すぎたか。ナクルは慎重に言葉を選ぶ。


「……失礼しました。賢人たちが殺された事件、シェリック殿の仕業しわざだとお考えですか?」

「ふむ……賢人たちの事件に関してなら私は違うと考えているよ」


 ライゼンはおもむろに片眼鏡を外し、息を吹きかける。懐から取り出した布で丁寧に拭いた。


「ジルク殿の推測は面白かったけれどね。もし仮に、彼がリディオル殿と手を組んでいたとしても、わざわざアルティナに戻ってくる必要があるかい? 捕まることがわかっているなら、姿を消してしまった方が見つかりづらいだろう。彼は未来が見えるから、逃げるのも苦ではなかっただろう。連れの彼女がいたなら、一緒に連れてくることもなかっただろうね。彼女が彼の弱みだと、ひけらかしているようなものだ」


 戦にも政にも、直接関わりのない占星術師が重宝されるのは、先見の知があったからこそだ。未来を知ることができたその一点と、予め知り得た未来へ備えるため。


「……未来は、変えることができないのでしょうか?」


 予知した未来が現実にならないように。望まぬ結末を回避して、新たな未来を作り出す。もし本当にそんなことが成し遂げられるとしたら。


「私は占星術師ではないから、未来を変えられるかどうかはわからないよ。ただ、変えられた試しがないとは、聞いたかな」


 未来へのただひとつの道を、必然の道を敷くために。

 知りたい、と思うのだろうか。いずれ必ず来ると、変えられないとわかっているのに。先を知って嘆くよりは、先を知らないままでいた方がいいのではないだろうか。

 人が絶望に打ちひしがれるのは、未来がないと知ったときではないか。未だ見ぬ理想を実現させるために努力する。目標をその手につかみ取るために、今を踏みしめて歩いて行く。希望を抱き、たどり着くかわからない道のりを懸命に進み、歯を食いしばって生きていく。

 確定された未来を知るということは、人が努力を重ねる在り方を崩してしまう。


「──ただ、ね」


 拭き終えた片眼鏡が、彼の右目に装着される。


「未来を知りたい人間は多い。誰も想像つかないはずの将来を、占星術師ならば知ることができる。好奇心、絶望的な状況を変えたいがため……未来を求める彼らの理由は十人十色だろうね。けれど、誰よりも未来というものに縛られているのは、占星術師ではないかと思うんだよ。未来を知るというのは便利かもしれないが、人間が使うには不相応な能力ではないかとね」


 ライゼンが宿した憂いは、一人に向けられる。しかし、ここにはいない彼に届くことはない。


「予測を立てることは必要だ。推察した事柄に対して対策を講じられるのだから。けれど我々は、いずれ訪れる未来まで知る必要はないと思うんだ。未来に何が起こるかわからないからこそ、我々は幾通りもの可能性を浮かべられ、いずれつかむかもしれない希望に心躍らせ、やってくるであろう試練への心構えができる。未来を知ることは、私たちからその思考力を奪い取ってしまうだろう」

「必然だとわかってしまえば、足掻いたところで意味はない──諦めて受け入れてしまいますね」

「そうだね」


 ライゼンは頷いて答える。

 唯一の道しかないとわかってしまえば、浮かんだはずの他の道を見ることもなく、選択肢から排除してしまうだろう。それどころか、他の道がある可能性を考えつくことすら、できないかもしれない。抗っても無駄だと知ってしまうから。たとえ、新たな道への対策が完璧に講じられていたとしても。

 逃れられないとわかってもなお未来を知りたいと願うのは、諦めという感情を助長させてしまうだろう。そうして人はただ一本の道だけを歩く生き物になる。脇道も横道も気づかず、近道という方法を取ることもなく、敷かれた人生という一本道を。


「それにね、ナクル殿。私は思うのだよ」


 柔和な雰囲気をまとい、ライゼンは言った。


「たとえ不変の未来であったとしても、先に知ってしまっては待つ楽しみが減ってしまうだろう?」


 と。



  **



 大きいかごを持ってきたのだが、あっという間にいっぱいになってしまう。薬草園にある分はこれでちょうど半分くらい摘み取っただろうか。花がなくなり、緑だけになってしまったヒザクラは、どこかもの悲しく映る。それでも残りはまだ半分。かごの容積を考えても、これ以上は摘めないだろう。

 そう判断したラスターとセーミャは、ヒザクラを運んでいた。薬室に半分を置き、次の目的地は治療室だ。窓から見えるヒザクラは、緑の多い薬草園の中でも良く映える。

 薬草園にヒザクラ以外の花もあるが、今の時期、王宮から臨める花はそう多くない。

 仲良く並んで風に吹かれるままゆらゆらと揺れる様は、とても可愛らしく映った。

 ゆうらゆうら。ゆらゆらり。


 あなたは正しい。

 君の言うとおりだ。

 何も間違いじゃない。

 応えようじゃないか。

 今ならなんでも頷いてあげる。


 促されるまま、請われるまま、形だけの同意を求めても虚しいだけだ。肯定して欲しいから悩んでいるわけではない。否定されたくないから相談しないのではない。

 虚しくても、意味なんてなかったとしても、考え続けなければならない。

 シェリックはそこに消えてしまったのか。フィノはどこに行ってしまったのか。リディオルはどうしていないのか。


「セーミャは」


 考え続けなければ、押しつぶされそうだった。得も言われぬ、重苦しい感情に。


「セーミャはどうして、ボクを助けてくれるの?」


 治療室まであと数歩のところで、二人は示し合わせたように足を止める。

 振り向いたセーミャとはたったの一歩。この距離が、いつか大きく開くのではないか。そこから湧いてくる不安に、心が落ち着かない。セーミャもいずれ、ラスターの前からいなくなっってしまうのではないか。


「だって、ボクは何もしてない。セーミャの先生が亡くなったときだって、ボクは何もできなかった。なのに、ボクはセーミャからもらってばっかだ。元気づけてくれたし、セーミャに助けられてばっかだ。ボクはセーミャに、何もできていないのに!」


 ──ああ、いなくなったのではないかもしれない。知らず知らず、ラスターが彼らを遠ざけてしまったのかもしれない。心配事が解消できなくて、不安が拭えなくて。助けられる価値が見いだせない。みんなが優しいから、ラスターを助けてくれているだけだ。


「いいえ」


 うつむいたラスターの顔が覗き込まれる。一歩の幅を詰めて、しゃがんで、怖いほどに真顔で、しゃんと伸ばされた背筋で。セーミャは言った。


「いいえ、ラスター。わたしは、ラスターたちに助けられました。わたしはお師匠様が亡くなったとき、規律から外れようとしていたんです。──シェリック殿に、お師匠様を呼び寄せてもらおうとして」

「それって……」

「亡くなった人を、一時的に呼び戻す禁術です。彼が六年前に犯してしまった罪と同じことを、わたしはさせようとしていました」


 いつの間にそんなことが起きていたのだ。シェリックからも、セーミャからも、そんな話は聞かなかった。素振りですらも感じられなかった。悲しみに沈んでいたセーミャが、禁じられていた術を求めるとは──それほどまでに、セーミャは師に会いたいと思い詰めていたのか。


「でも……禁術は行われなかった」

「そのとおりです」


 真顔が崩れ、いつものセーミャが少しだけ顔を出す。


「シェリック殿とリディオル殿に諭されました。わざわざ呼び出すより、ずっと確実なお師匠様からの言葉があると。ラスターも、わたしに約束をしてくれました。お師匠様が亡くなった時間に捕らわれていたわたしに、先を見ることのできる約束を」


 今日、果たしちゃいましたけどね、なんて照れながら話される。

 またいつか、おいしいお菓子を食べようと。セーミャに、セーミャの師、レーシェ、ラスター、それからシェリック。和やかだったあのひとときを、もう一度一緒に。一度だけでなく、これから先、何度でも。

 ほんの些細ささいな約束だった。


「あのときのわたしは、現実を受け入れられない自分の心に支配されていました。周囲の人たちが根気よく呼び戻してくれたおかげで、今、わたしはここにいるんです」

「でも、それは……」


 ラスターのおかげではない。セーミャがここにいるのはシェリックとリディオルのおかげであって、ラスターの功績などではない。


「ラスター。次の約束をくれたのはラスターです。わたしはラスターがくれた約束から希望をもらいました。だから、今度はわたしの番です。そもそも友達を助けるのに、理由なんていらないでしょう?」

「そうかもしれないケド……」


 だって。でも。

 出てこようとする言い訳がラスターを混乱させ、卑屈にもさせる。

 見返りを求めたわけじゃない。これはラスターだけの問題だ。ラスター自身が解決に導かなければならない悩みだ。助けられる理由なんて、ラスターには──


「──ああ、もう、うっとうしい!!」


 聞いたことのある声が、前から投げ込まれた。

 これだけはっきりと聞こえてくる空耳なんて珍しい。顔を上げたら、声の主と目が合った。


「だってとか、でもとか、言い訳ばっかで腹立つのよあんた! あたしに怒鳴りつけたあの威勢は、どこに落としてきたの!?」


 治療室に備えられている白い服。ユノも着ていたから知っている。その上から黒い外套を肩にかけて、とても病人にはみえない剣幕をし、両手を腰に当てて。目をつり上げてこちらを威圧する気満々の彼女は、治療室の入り口に立っていた。


「ナキ……? もう、動けるの?」


 まごつくラスターを意にも介さず、つかつかと歩み寄ってくる。動くたび、外套の袖がひらひらと揺れた。

 面会には行けず、あれからどうなったのかわからずにいた。ラスターと盛大に言い合いをしたナキは、その熱量を原動として勢いのまま毒を飲んでしまって。ラスターはファイクとグレイと協力して応急処置を施し、治療師たちに託して──そのナキが、服装こそは違うけれど、変わらずにそこにいる。


「体調は?」

「少なくともあんたよりはいいわよ」

「そっか……」


 上からの物言いも、ラスターを嫌いだと体現する態度も。ラスターにはどちらも苦手だったのに。力が抜けて、その場にへたりこむ。


「ラスター?」

「ちょっと、あんた、もしかしてまだ出歩いちゃまずいんじゃないの!?」


 わけのわからないものが、無性にこみ上げてくる。肩が震えてしまう。


「……あんた、なんで笑いながら泣いてんのよ。意味わかんない」

「だって」


 おかしくて、おかしくて、堪らない。

 焦るナキが見られるなんて希少だ。懐かしいことが嬉しくて、こごっていたわだかまりと暮れていた悲嘆が、すとんと落ちていった。


「相変わらず変な奴……ほら、平気なら立ちなさいよ。通行の邪魔になるでしょう?」


 差し伸べられたナキの手を借りて立ち上がる。

 いなくなる、だけじゃなかった。

 シェリックも、フィノも、リディオルもいなくなって、みんなラスターの前から姿を消してしまうのではないかと思ったのだ。

 けれどもセーミャはここにいる。いてくれる。ナキも回復した。戻ってきてくれた。

 いなくなるだけでは、なかったのだ。




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