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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
155/207

155,橙色の憧憬を


 ユノは黙りこくったまま。それが降参の意志か、反撃の策謀か。

 リディオルにも、企てられた策謀までは覗けない。口を閉ざされ、反応されなければ推し測ることすら難儀である。観念してくれたならそれでいい。ただ、ここで降参を示すほど弱い信念ではないはずだ。どちらにせよ、ユノにこれ以上は何もできないだろうけれど。

 棚はどんなに少なく見積もっても大人一人以上の重量がある。魔術の使えないユノに、そこから一人で脱出するなど不可能に等しい。


 さて、事情を知らぬ者が今ここにやってきたなら、果たしてどちらが正義で、どちらが悪に見えるだろう。正義とは都合のいい理由になり得る。自らが信じてやまない正義を掲げれば、道徳すらも狂わせ、悪さえも善の行動であると称賛される──してしまう。

 ユノが持つ正義は、後者だ。正義を盾に己の願望を追求し、倫理を歪めてしまうほどの。

 ころころと床を滑っていた一本が、ユノの傍までたどり着く。

 手を伸ばせばつかめるだろう距離。ユノがそうしないのは、できないからだ。ユノの上に覆い被さっている棚が、身じろぎを取らせることも許さない。折れた杖を手に取ったところで、使えはしない。ないよりはましだと言えるかもしれないが、実用性は皆無だ。


 リディオルは、ユノへと油断なく近づく。

 安心しきれない。リディオルを見上げようとする目に、諦めの色は見いだせない。重さに耐えるようにしかめられているが、この状況を受け入れた顔ではない。動けずとも、何もできずとも、降参の意志はない。

 ユノのその目が、まだくすぶっている。虎視こし眈々(たんたん)と、機会を待っている。


「──殺さ、ないんですか」


 大立ち回った反動と、全身を圧迫されているせいだろう。絶え絶えの息でユノは訊いてきた。


「んな物騒なことするかよ。俺はおまえに訊きたいことあんの」


 殺人を勧告されても困る。

 リディオルは膝を折り曲げた。この高さならば、ユノの視界にも入るだろう。


「なん……でしょうか」


 リディオルは右手の親指で、自らの左肩を指した。


「ここ」


 この仕草だけで通じるはずだ。


「自分でつけたのか?」


 示したのは傷の箇所だ。リディオルではなく、ユノが襲われたときに負った、彼の怪我の位置。


「はい。それが……一番、手間がかかりませんでしたから」


 かすれた声で、けれども流暢りゅうちょうに答えられる。

 自分で生み出した火を、自らの肩に押しつけて、重傷になるほどの火傷を作り出す。声は上げたのか。悲鳴を漏らさないよう歯を食いしばったのか。浮かんだ想像に、リディオルは口ごもった。


「おまえが傷つく必要はあったのか?」

「……必要がなければ、我が身を犠牲になんてしませんよ」


 ユノが怪我を負って、リディオルが倒れて、騒がれていたあとにエリウスが殺された。周りの注意を、治療師に向けたくなかったためだと言えるかもしれない。


「嬢ちゃんやシェリックのことだけじゃなく、エリウス殿や他の賢人を殺したのもおまえだな?」


 リディオルが尋ねると、ユノの口元が弓なりに変形した。


「──だったら、なんだって言うんです?」


 違っていてほしかった、否定してくれれば良かった──そう考えるのは筋違いだろう。エリウスの一件がなかったとしても、ユノが人を傷つけ、王宮を混乱の最中に陥れたことは確かだ。その事実がなくなることはない。

 エリウスと交わした最後の言葉を、託された約束を、セーミャの叫びを。リディオルは忘れてはならない。エリウスに託されたリディオルだからこそ──なんて考えるのは非常に不本意だが。

 誰がエリウスを手にかけたのか。なぜ彼は殺されたのか。ここまで関わったリディオルには、答えを知る権利くらいあってもいいだろう。


 それに、ユノと相対すると決めてここにいるのは、リディオルだ。

 おおよそユノらしくなくても、全て受け止める。恨みごとも、憎まれごとも、全部。それが魔術師でありユノの先輩でもある、リディオルの役目だと。

 問い詰めたい思いを忘れることに努める。冷静でなくてはならない。詰問しては、反発を食らうだけ。それが反撃に繋がらないと、どうして言えよう。


「あんなに外灯に熱心だったのは、実際に使われたら身動きが取りづらくなるからか?」

「……そう、ですよ。でも、その前に、あなたは魔術を封じられた。試験段階にすぎない今、あなたを排除するには、絶好の機会だったんです」


 提唱した、灯りを使った警備。異常があれば灯りの色が変わり、特定の位置にある灯りが勝手に壊れるという細工を施していた。


「おまえがそうまでして賢人を殺したい理由は、追い詰められた原因はなんだ?」

「──白々しい」


 ユノは苦々しく吐き捨てた。


「兄を、知っているなら……理由も、原因も……想像ついているんじゃ、ありませんか?」

「……輝石の島か」

「それ以外に、何があります? オレは全てを奪われた。家も、両親も、友人も、故郷も、何もかも! なら、奪い返すのが筋でしょう」


 だからこその復讐か。かつて受けたからという理由で、同じことを返す。だから、ユノが抱える恨みは妥当であると──認めるのは違う。何があっても、何もなくても、人を手にかける理由にはならない。

 リディオルは膝を伸ばす。

 わかった。ユノは賢人全員を殺すことが目的ではない。ユノの目的は、かつて輝石の島に関わっていたシェリックだ。ユノが恨む原因ともなった、輝石の島をアルティナ王国と統合したことだ。

 もめた調停には、シェリックが赴いたと聞いた。ならば、ユノが恨む矛先はアルティナ王国よりもシェリックに向いている。

 彼をおとしめるために。彼に罪を重ねさせることがユノの目的だったに違いない。失脚すればいいと考えたのだろう。大切なものを奪われたのだから、彼が大切にしているものを奪えばいいと。


 シャレルは話していた。シェリックを守るためだと。どこまで見透かしていたのか。シャレルが言ったように、初めからシェリックが狙われていたのだ。

 いや、それだけではない。原因が輝石の島であるなら、リディオルにできることがある。その件に関しては完全に部外者だが、関わっていた人物に心当たりがある。シェリックとは別に、あの人なら──


「──ですよ」


 その呟きへ、聞き返そうと口を開く。


「詰めが甘いですよ──ナル=ハクレシア殿」


 構える間もなかった。

 急激に力を失った膝からくずおれる。顔面から衝突せずに済んだのは、突いた片膝のおかげと、辛うじて力の入った拳がリディオルの上体を支えたからだった。

 息を吐く音がいやに大きく聞こえる。吸うだけの動作が、嘘のように重い。定まらない視界。今無理を押して立ち上がったなら、今度こそ無様に倒れるだろう。

 名を呼ばれただけだ。リディオルが魔術師となる前の名を。


「──簡易詠唱、できないって言ってなかったか?」

「はい。別の言葉で編んでいたので」


 放棄したくなる思考が、こんなときでもしっかりと動いてくれる。リディオルは、喉奥で笑って理解した。


「なるほど。発動条件は名前ってことか。それも、ご丁寧に今使われていない方の」

「いつでも発動してしまうと厄介ですので。気づかれなくて良かったです」


 疑問はもうひとつ。


「なんでおまえ、杖なしで魔術が使える?」


 壊したはずだ。真っ二つになった杖は、まだユノの目の前に転がっている。手を伸ばせば楽に取れるだろう。なのに、ユノは一切手を触れていない。杖など必要ないと言わんばかりに。

 棚だけを燃やし、ユノはよろけながら這い出てくる。ぶれる景色の中で、ぼやけた輪郭だけでも読み取れた。回る火の速さに、いつから燃やし始めていたのかと記憶を探る。匂いに気づかなかったのは、強すぎる香りにあてられたせいだ。音は? 喋り続けていたから気づかなかった? 笑えない。


「目に見えることだけが全てではありませんよ、リディオル殿。あなただって杖がなくても魔術が使えるじゃないですか」

「おまえは精霊を呼べない。事象のあるところに精霊あり。火がなければ、精霊はいないからだ」

「そうです。だからオレは、杖がなければ魔術を使えません」


 生み出せなければ精霊を呼べない。自然界に存在しない火を作り出すためには、まず初めに火種を作らなければならない。

 考えるのが億劫おっくうになりつつあるリディオルへ、ユノが答えを教えてくれた。


「オレがいつ、あの木が杖だと言いました? オレの杖は、別にあります」

「そういうことかよ……」


 迂闊うかつだった。そう認めるしかなかった。


「リディオル殿は、最後の最後で甘いんです。オレのことを疑い始めた時点で問い詰めるべきでした。それに、さっきも。優位に立ったのなら、息の根まで止めるべきです。守りたいものがあるなら、他は全て排除しなければなりません」


 わざわざ勧告したのは、リディオルの甘さを指摘するためか。

 端から覆われていく。一瞬でも気を抜けば持っていかれる。手放してしまえばおしまいだ。手放さずとも、立つことすらままならないこの状態では──

 くっと笑みが漏れる。

 なんてざまだ。人に説教をしている場合ではない。これでは、形勢逆転ではないか。

 視界も、声も、思考も、別の何かに塗りつぶされていく。真っ黒に。全てを吸収してしまう暗闇に。ああ、これは確かにまずい。意識を奪われるのが予想以上に早い。風が呼べたなら、体内から全て追い出してやれるのに。こんなときばかり後悔する。

 落ちてきた大粒の汗はどこからなのか。身体中が暑いと悲鳴を上げ始めているのに、指先から熱が失われていく。逃さないよう握りしめても、留めることは叶わない。


 待て。まだ、待ってくれ。

 この熱がなくなる前に。

 せめて、ほんの一瞬だけ。


「どうぞ、旅立ってください。あなたがいなければ、ことが楽に進みますから」


 声がする。そこにユノがいる。好都合だ。

 感覚だけで腕を捕まえる。


「──なぁ、ユノ」


 口を開く。まだ動く。まだ届けられる。この意識があるうちに。


「辞世の句くらいでしたら、聞きますよ」


 聞く耳持たずに息の根を止めれば、それでしまいだろう。甘いのは、おまえもだ。

 思ったこととは別の言葉が口から出てくる。

 意識がなくならないうちに。全て消えてしまう、その前に。

 そうしてユノは。


 リディオルは。





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