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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
154/207

154,譲れぬ意志を宿す目に


 感情が、思考が、全て覗けたなら。人の心がわかれば、最も相応しい対応ができたろうに。目的や理由、そこにかける思い。その一端に触れられたのなら。

 喋らないユノの代わりに、彼の両目が微かに感情を映し出してくれる。そこからリディオルが見て取れたのは動揺だった。

 思いもしなかったことを言われたと。リディオルの述べた考えは決して的外れな内容ではなく、本心にほど近い指摘となったのか。

 ユノが抱えていたのは復讐かもしれない。リディオルには、その可能性が浮かんでいた。全てをかけていいと思うほどの激情。眩しいほど熱い思いではなく、どこかくらく危うさを帯びた感情が向けられている先は、決して未来ではないと。


 もしユノが賢人をも殺したなら──亡くなった四人だけでなく、シェリックも入れ、アルティナ王国の賢人全員を根絶やしにしたいと考えるほどの計画があるのならば。その中には当然リディオルも含まれるだろう。思い当たる節は今のところないが、無関係な顔をするにはあまりに近すぎる位置にいる。近いどころか、当事者だ。

 復讐は、人を傷つけることはいけないと声高に言うつもりはない。それがどれだけ正論であったとしても、正論だけで人を救えはしない。なんだったら気が済むまでやらせればいい。

 ただ、やったこと全てが許されるわけではない。同じことをしたなら、同じことをされるかもしれないと肝に銘じておくことも忘れてはならない。


「──関係、ありますか? あなたに、オレの人生がどうなるかなんて」

「ある。関わるはずがなかったかもしれない俺とおまえの人生がここにあるんだ。人の縁はどこで繋がって、いつ途切れるかわからねぇ。今日繋がっていた絆が、明日も同じ形で繋がっているなんて保証がどこにある? 保っていられるかどうかは、誰にもわからねぇんだよ。少なくとも俺は、いつ途切れるかわからないことを恐れるよりも、今ここにある縁を大事にするな」


 たとえ自分が足を止めても、周りも同じように止まっているとは限らない。絶えず進む刻がある限り、変化は必ず存在する。目に見えても、見えなくても。

 今日と同じ明日は、二度と来ない。


「それが、オレとどう関わるんです?」

「おまえが計画の先を考えていなくて、終わらせたと同時におまえも命を絶つっつーんなら、俺は意地でもそれを止めるっつってんだよ」


 全てをかけると言うならば。すぐに導き出された結論だった。

 考えが至らないのではない。ユノがその先を、未来を考えていなかったのは、己もろとも終わりにしようとしていたからではないか。気づいていながら指をくわえて眺めているだけなんて、リディオルはごめんだ。


「おまえをふん縛って兄貴の前に突き出せば、嫌でも止まるだろ?」


 直後、親の仇でも前にしたかのように凄まれる。シャレルよりリディオルよりよほど効果があると踏んでの発言だったのだが、狙いどおり覿面てきめんだったようだ。

 発覚されるのを恐れてか、巻き添えにしたくない一心か。家族をたてあおるのは、我ながら嫌なやり口だと思いながら。


「──全力で拒否します」


 言い終わるよりも早く、ユノは卓を蹴飛ばし、椅子から飛び退いてリディオルと距離を取った。杖の先端をリディオルに向け、いつでも撃てる体勢で構える。どこかに携えてきたのは想像がついていたが、着込んだ外套の内側だったか。隠し持ってきたのだろう。

 こんなときだというのに、頬が緩んでしまう。

 魔術を使うときは、対象物から意識も目も決して離すな。

 ユノにそう教えたのはリディオルだ。教わったリディオルに相対するときでも、教えを忠実に守るとは。


「──ひとつ、小さな種の中。ふたつ、破れた殻の外」

あめぇよ」


 引き出しから回収していた小瓶のふたを片手で開ける。手のひらで簡単に握り隠せてしまう大きさ。

 外れた蓋が落下する。木製の丸い蓋は、リディオルから離れるよう一目散に逃げていく。

 小瓶の中に入っているのは、ひと口で飲み干せてしまいそうな液体。薬師見習いから、調合したものを譲ってもらった。水ではなく、揮発性の油らしい。

 充満するのは金木犀きんもくせいの香り。その強さに一瞬咳き込みかけるも、手の甲で鼻を守ると、わずかに緩和された。瓶を逆さに傾ける。

 柔らかな香りだと説明されたが、それは適量を用いた場合の話だ。全量を一遍に開け放てば、柔らかさの欠片もない。ただただ匂いの強さにむせ返る。匂いに慣れていなければ、余計に。


「集い、力を示せ。望むは対象の無力化」


 雨を降らすときのような、長ったるい詠唱などしていられない。汲み取ることができ、伝わればそれでいい。聞こえなくても、声は届く。予め頼んでおけば、一時(しの)ぎの魔術になる。

 単なる私室でしかなかった空間に、うなり声が聞こえてきた。恐れをなした棚ががたがたと震え出し、そこに確かにいる何かの存在を教えてくれる。


「いつつのつぼみ、六つ花──」


 詠唱しながらユノは窓際に走り、かかっていた遮幕を強引にはぎ取った。破かれる音。中途半端に千切れた残りの布が、名残惜しそうに揺れる。

 そうして、二人の間を隔てるように投げられ、布はふわりと広がった。互いの姿が見えなくなる。

 目隠しのつもりか。窓から差し込む光が、ユノの影を映し出した。


「逆効果だぜ? それ」


 暴れる風は吹きすさぶだけでは終わらない。布をユノの身体へと巻きつけ、ユノごとねじり上げた。

 一瞬だけ静まりかえった部屋に、焦げた匂いが漂ってくる。


「──いいんですよ、勢いが弱まれば」


 杖は縦に持ち替えられ、遮幕だけを綺麗に燃やしたユノが、そこから現れた。傷ひとつなく、余裕も崩れず。

 ユノがリディオルの問いに答えなかったのは、出しかけていた魔術を途切れさせないため。集中するために決めた言葉を使い、魔術を発動させるのが一般的だからだ。

 詠唱がなくとも集中が切れさえしなければ発動させることは可能だが、形ないものを扱おうというのだから、どうしたって慣れが必要だ。形ある事象と比べて感覚を頼りにせざるを得ないため、難易度は跳ね上がる。

 強大な魔術であればあるほど、詠唱も比例して長くなる。それだけの集中力が必要となるからだ。

 威力はともかく、発動させる早さに関しては、ユノに負けるつもりはない。今のリディオルに欠点があるとすれば、使える数が限られていることか。


「そちらこそ、いいんですか? 奥の手を早々に使ってしまって」


 灰と化した幕は、床に触れるよりも先にはらはらと崩れて辺りに舞う。ユノの足が、何の感慨もなくそれらを踏みつけた。


「挨拶代わりだよ。魔術を封じられてる俺の、驚愕の手品ってな?」

「その情報、更新されていませんよ。もう、魔術を使えているんじゃないですか。使えないなら、おとなしく封じられていてください」

「やなこった」


 舌を出し、拒絶する。


「そうです、かっ!」


 ユノの杖が足下へと振り下ろされる。


「内なる火よ、弾けろ!」


 床に着く直前、ユノの声に合わせて杖の根元が小さな火に変わり、四散する。いや、根元が変化したのではない。そこに落ちていた何かが弾け飛んだのだ。

 小さくはあっても、触れたら火傷は免れない。避けたら避けたで、火が燃え移る。

 瞬時に脱いだ外套がいとうで、飛んできた小さな火たちを叩き落とす。真似をするようで少し抵抗を覚えたが、やらずに部屋を焼け跡だらけにするよりましだ。


「──光を導く糧となれ」


 拾った声に舌打ちする。間に合わない。

 握っていた空の小瓶を壁へと投げつける。正しくは、壁の手前に飾られた花瓶目がけて。


「宙の炎よ、ぜよ!」

「散らせ!」


 発動したのはほぼ同時。盛大な爆発音がリディオルの耳をつんざいた。

 片手で庇っただけでは、衝撃の全てを殺せない。消しきれなかったいくつかの火の粉がかすめ、残る熱気に息を止める。欲した酸素は腕に口を当てて服越しに吸い込み、首にかけていたもうひとつの小瓶を引っ張り出す。

 爆発音の近距離にいたユノが部屋の隅まで後退し、体勢を立て直そうとしている。再び構えられた杖の先がリディオルへ向くより早く、リディオルは小瓶の蓋を開けきっていた。狙うは──


「っ、聖なる陽火ようか、赤き神紋しんもん──」

「貫け!」


 対象も何もかもを省略した風の刃が、リディオルの意図を違えることなく飛んでいく──見えないから気配と音で察するしかない。飛んでいったのだろう。ユノの方向へと、一直線に。

 唱えかけていたユノは反射的に言葉を切り、やってくるであろう刃に目をつむった。

 すかさずリディオルは床を蹴る。放った風は、ユノをすり抜け、背後にある棚の下方を破壊する。


「──っ!?」


 想定していた事態と異なる音に気づいたユノが、両目を開ける。間近に迫ったリディオルを捉え、瞠目した。


「おらぁっ!」


 容赦など微塵もしなかったリディオルの右足は、吸い寄せられるようにユノの左脇腹へと入り、ユノをうしろの棚へ吹っ飛ばした。リディオルは左に避ける。


「ぐっ──げ、ほっ……うぁっ!」


 均衡を失い、倒れてきた棚がユノを下敷きにする。数十冊は収められていた書物と、一緒くたにされて。

 ユノの手から離れた杖を見つけて、リディオルはようやく息を吐いた。上がった呼吸は、それだけで鎮まらない。


「ちまちました術しか使わねぇからだよ」


 ユノが使おうとしていた魔術は、いずれも手の平で収まるくらいの火を生み出すものだった。

 リディオルは額から落ちてきた汗を雑にぬぐう。それは決して、ユノとの戦闘を繰り広げたからだけではない。部屋のほぼ中央で爆発した熱気が冷めきっていないのと、鎮火しきれなかった水が蒸発して漂っているからだ。

 隠せなくなった窓からは呑気な陽光が覗いている。隅では砕かれた花瓶と巻き添えを食った花たちが散らばっている。床のあちこちにには焦げた跡。その上を灰が覆っている。足の一本が砕け、本来の役目を果たせなそうな棚と、まき散らされた書物。この程度で済んだことを喜ぶべきか、片づけるのに骨が折れそうだと嘆くか──難しいところである。


「当ててやろうか? おまえが大がかりな術を使わなかった理由」


 最後にユノが紡ぎかけていた術は、文字にして表したなら五十字にも満たない。その言葉から生み出される魔術はまともに浴びたなら火傷を負うかもしれないが、人を殺めるだけの威力は備わっていない。

 リディオルがしたように、他の物体への攻撃を仕掛けるなら方法はあったろう。それだって、魔術以外の道具や立地が必要になってくる。正攻法だけではない、小賢しい仕掛けが。

 圧迫されていて話しづらいのか、ユノからは苦しそうなうめき声が返される。構わず、リディオルは喋り続けた。


「ひとつ。おまえの仕業だと気づかれたくないから。ひとつ。貴重な魔術書を灰にしたくないから。ひとつ。巻き込まれてこのあとの計画に支障を来したくなかったから」


 ここまで大立ち回りを演じても、誰かがやって来そうな気配はない。入ってくる際、人除けの術でも施されていたのだろう。用意周到なことだ。リディオルが気づかなかった理由は単純明快だ。腕輪のおかげで見えない魔術を感じ取れないため。そして、あえて注意を払わなかったためだ。身構えすぎては警戒されると思ったからこそ、リディオルはいつもどおり接することにしていた。

 ここにある魔術書は、ものによっては貴重品と捉えられるものもある。しかし、大半は魔術書の中でも比較的大衆に出回っている品ばかりだ。だからといって雑に扱っていいという言い訳にはならない。壊してしまった書物はあとで修復しようと決める。

 リディオルは転がっていた杖を拾い上げた。それは、ユノが握っていた杖に他ならない。


「ま、術が大きかろうが小さかろうが、それも全て魔術が使えなきゃどうにもなんねぇ」

「魔術に頼り、すぎていると……言いたいんですか?」

「いいや? 魔術なんて、目的を達成するための手段のひとつにすぎない。この力があるからなんでもできる、そんなわけはねぇよ。魔術を持っていても、できないことはたくさんある」

「なんでもできなくても……使えないよりは、できることが、たくさんあります」

「便利な一面があるっつーのには否定しねぇよ。だがな、今この場で言うなら、おまえの手足をもぐのに等しい」


 歯がみしながら這いつくばっているユノを、リディオルは冷徹に見下ろす。


りぃな」


 ユノにも、作られた杖にも。

 杖の先端を床につけて斜めに立たせ、杖を持った手は離さずに、左足で踏み抜く。

 枝を折るような小気味いい音でなく、壊されたくないとばかりに杖からめりめりと悲鳴が上がる。中の木の素材が剥き出しになり、まだ白い生皮が露わになる。首の皮一枚ならぬ木の皮一枚だけで繋がった杖を、さらに両手でねじ切った。

 リディオルは手を離す。二本になった杖は、二度ばかり跳ねて床に転がった。


 杖がなければ魔術は使えない。魔術に携わる者なら周知の事実だ。

 例外として精霊へと直に頼んで使えたりもするが、ユノにそれは当てはまらない。精霊が宿るのは事象の中。風や水のように自然現象の中に精霊は宿るのだが、火に関しては、生み出さなければ精霊が宿らない。火がなければ、精霊はそこにいない。頼み込むなんて話をする前に、精霊の存在がないのだ。

 ならば、火を生み出せなくすればいい。杖を取り上げ、火を作れる状況をなくせば、ユノに魔術は使えない。


「まだ、やるか?」


 情けをかけるつもりはない。

 万にひとつの勝ち目も、与えるつもりはなかった。




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