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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
153/207

153,相対するは、その人の


 がちがちに強張った肩。両手は斜めにかけられたかばんひもをつかんでいる。そこが落ち着ける位置だと言いたそうに。傍目から見ても緊張全開である彼へ、声をかけようか悩んだ末にやめた。

 首を動かさないよう、しかし忙しなく視線を彷徨さまよわせているのは、好奇心を露骨に出さないためか。緊張していても気になるものは気になるらしい。時折半開きになった口が、彼の世間知らずを語る。いや、この場合は世間というより王国知らずか。

 彼が目を輝かせるのと同じくらい、彼にも好奇の目が向けられているのだが、夢中になっている彼は気づきもしない。あえてこちらから指摘するつもりもなかった。萎縮いしゅくさせたところで、利は何もない。


 ここまでで彼についてわかったのは、名前と年齢、家族構成と出身地のみ。それも、会話の内容は、質問と答えの応酬のみだ。他の話は一切ない。一問一答をしていたわけではないのだが、彼のこの様子では無理もないか。世間話を振っても気軽に応じてくれるか──危うい。

 そうこう逡巡しゅんじゅんしている間に、目的の部屋までたどり着いてしまう。

 案内するべき場所は塔の方が良かったかもしれないが、こちらの方がその後の移動に差し支えない。早々に覚えてもらうためにも、こちらに案内した方が理に適っていると言えよう。

 どのみち、塔はこれからいくらでも行く機会があるのだ。急ぐ必要は全くない。


「──あ、あの」


 部屋に入ったところで、初めて彼が自主的に声をかけてきた。上擦った声音から、緊張感はまだ解けていないらしいことがうかがえた。それでも歩いたおかげか、興味深い廊下を眺めていたおかげか、今にも卒倒しそうだった顔色はなくなっている。


「ん?」

「案内をしてくださってありがとうございました。あとは、リディオル殿がここにいらっしゃるのを待てばいいですか?」


 彼を案内してきたのは、件の人物の私室。塔の私室を作業場とするならば、こちらは滅多に使われることがなく、半ば物置と化している部屋だ。人を通すのは、ごった返している部屋よりもいくらか小綺麗にしている部屋の方がいいだろう、という都合もあった。


「ああ、それなんだがすぐ終わる」


 言い訳を重ねるならば、機会がなかったのだ。説明しようとしていたら、機会をすっかり逃してしまった。だからこれは、不可抗力だ。


「俺がリディオル=マゴスだ。よろしくな、ユノ=トルキア」


 伝え損ねていた自分の名を伝えた瞬間、彼はその場で固まった。



  **



 彼の名前全てを呼んだのは、初めて会ったそのとき、一度きりだった。彼と接し、彼と話し、癖や性格に触れ、重ねた歳月の中で、いつしか自然とその呼称を使っていた。天才少年と。これほど彼に合致する呼び名はないと。

 天才と初めに称したのは誰だったか。リディオルは、そこから拝借して呼び始めたのだった。

 冗談半分ではあっても、冗談で使っていたのではなかった。受け取る側は、からかわれているだけだと思っていたのだろう。呼び名だけに留まらず、揶揄やゆした言葉や態度、そのひとつひとつに反応するものだから、律儀というかなんというか。


 雨を呼べず失敗して肩を落としていたときも、思った魔術が使えず悔しそうに顔を歪めていたときも、傍に寄っては呼びかけて、あるいは通りがけに何気なく呟いては、彼に反発された。少しは本来の調子を取り戻させるのに役立っていただろうか。リディオルはそのために呼んでいたようなものだ。

 初めて聞く知識には前のめりになって耳を傾け、カルムと開いていた難解な資料には二人して頭を悩ませ、苦手なきのこをそれと知らず口にしたときは目を白黒させて。治療室で真剣な顔をして、アルセと話をしていたこともあったか。

 合間に見せる大人びた表情も、いつまで経っても直らない一人称も、背伸びした振る舞いも。年齢という不利な条件を武器とはせず、不利益ともせず、彼はいつだってひたむきだった。

 扱う炎のような苛烈な感情は表面に見えない。内側で静かに燃えているのか、燃え上がるそのときを待っているだけなのか。リディオルからの呼びかけに対して微動だにしなかった。


 すねることも、とぼけることも、訂正することも、烈火のごとくかみついてくることもなく、ただリディオルを見返してくる。こちらの出方を窺っているのか、言葉を探しているのか。

 これまでリディオルが見てきたどんな彼とも違う。別人が宿ったのではないかと疑いをかけてしまうほどに。

 これは誰だ。

 彼の姿を模した別の人物なのか。それならば納得できる。それとも、今までリディオルと過ごしてきた彼こそが虚構であり、この人物こそが本来の彼自身だとでも言うのか。

 ふっと空気が揺れる。一部だけ小さく震わせて。


「どうして、オレだと思ったんです?」


 先の呼びかけに対する応答をようやく喋ったかと思えば、今度は口の端だけで笑う。およそ彼らしくない笑い方をして。それも瞬きの間にしまい込んだ。


「否定はしねぇんだな」


 はぐらかされる予想もしていた。いつもの調子で少し慌てながら、必死に否定するのではないかと。

 彼は、これまでの話の中でリディオルに肯定だけでなく、否定をも返してこなかった。

 組んでいた腕を解く。重力に従い、流れに身を任せるように、上から下へと落下する。自然の原則に逆らわずにいるかのように。落ちたがった腕輪同士がぶつかって、存在感を高らかに誇示した。

 彼の態度を見れば当然か。彼はここに、世間話をしに来たのではない。煙に巻きに来たのでも、茶を濁しに来たのでもない。あるがままを受け止めに来たのではないか。その上で己の望みを果たしに来たのではないか。


 目的が何であっても簡単に認められるとは思っていなかったから、認めた点は意外のひと言に尽きる。リディオルの疑問に答えてくれるのかは、また別の話になるが。

 秘密や隠し事を明かすならば、相応の勇気が必要だ。人はそれを覚悟と呼ぶ。受け入れられないかもしれないと怯え、伏せていた事柄の共有に心が浮き足立って。彼がその覚悟を携えてきたのならば、リディオルも準じるべきだろう。こちらも明かす秘密があるのだから。


「おまえだけだったんだよ。俺が風を飛ばして、気配をつかめなかったのは。どれだけ探しても、おまえの気配だけわからなかった」


 気にかかったのはそれが初めだ。彼がいなくなったあのとき、リディオルは風に命じて彼の気配をたどろうと試みた。しかし、探った気配が小指の先すらもかすめず、霧の中を歩いているような、得体の知れない感覚だけ与えられた。

 戸惑う精霊たちに説明できるほどの答えは持っておらず、姿の見えない実体を探しているような、本体をつかむ前に霧散してしまうような、徒労感だけを残して。

 焦りが判断力を鈍らせ、行動を誤らせ、飛んだ先での着地点を間違えてしまったのには忸怩じくじたる思いが残る。

 そのときだけだと思っていた。彼の気配がつかめないのは、彼がいないことに気づき、リディオルが動揺していたせいだと。リディオル自身の迷いが風の精霊たちにも影響し、うまく気配をつかみきれないと。そして倒れるまで歯牙にもかけていなかった、リディオル自身の体調悪化のせいだと。


「それと、嬢ちゃんの星命石を拾ったときだ。あのときおまえは、どうして俺じゃなく、シェリックに名指しして聞いた? ──知ってたからだろ? あれが嬢ちゃんの星命石だと、初めから」


 拾われた装飾品。誰のものかと彼が尋ねたのはシェリックにだった。まるでシェリックが来るのを待っていたような口ぶりで、シェリックに向けて訊いたのだ。治療室には、初めからリディオルもいたというのに。誰でも良かったわけではない。あれは、シェリックを誘導するための質問だった。


「嬢ちゃんを狙ったのは、星命石にまつわる噂に乗じて、あいつに嬢ちゃんを傷つけさせるためか?」


 傷がついたから直せないか。ラスターがそう頼んできたと、フィノが話していた。起きてしまった出来事と噂に因果関係はないが、ラスターは特に気にしていたと。


「よく見ていますね。弔いの儀やセーミャ殿のことでかかりきりになっているとお見受けしましたけど」

「そう思われてたんなら、俺にとっては好都合だったな」


 かかりきりとは言わずとも、気にかけていたことは嘘ではない。厄介な預かりものをしていたから、それをセーミャに渡す必要があった。判断は委ねられていたが、届けるのがリディオルの役目だった。リディオルは、その使命を全うしただけだ。隠れみのにしていた役目の裏側で、探り、追い詰めるための駒を密かに進めていたのだから。


「今、おまえの気配を探ってやれないのが唯一の心残りだよ」


 ジルクにつけられた装飾品。魔力を封じる腕輪。風の声を遮断してくれた異物。

 これがあるからこそ、今彼の気配がつかめるのかどうか、示してやれないのが残念でならない。風の声が聞こえないので、二人ともが口を閉ざしてしまえば、室内は静寂に満たされる。重厚な扉に封じられていては、廊下の音も聞こえてこない。ぴんと張られた見えない糸が切られたなら、この静けさもなくなるだろう。


「あなたは……怖い人です」


 伏せられた目は何を映し、感じ取っていたのか。それをリディオルに見られることを恐れたのか。目蓋の裏にしまわれた思いは、当然ながら見えなかった。


「おまえがここに来たのは、今の俺なら御せると確信したからか?」

「それこそオレが聞きたいです。魔力が使えないとわかっていながらオレを招き入れたのは、勝算があってのことですか?」

「さぁてね。どっちだと思う?」


 変わらない。

 気楽な話をするときには容易く逸らされる視線が、真っ直ぐリディオルに伸ばされる。彼が意志を伝えてくるときは、必ず真正面から向かってくる。

 ──あいつみたいだな。

 常ならば曖昧に返されていた言葉が、妙に断言する口調になったとき。必要ない挨拶や世間話が省かれ、単刀直入に切り出してくるとき。悪友と、似たような話し方をしてくる。

 彼自身の意志が口調に反映されたかのように、揺るぎない瞳が向けられる。何があっても意見を曲げはしないと、読み取れてしまう。

 だから、リディオルは嫌いなのだ。どんな言葉を並べようと、どんな反応をしようとも、その意見を、思いを、覆すことはできないと知っているから。

 人がその目に弱いことを知られていたのかと、うっかり疑ってしまうほどに。


「あなたは、適当に思えて、その実計算高く物事を進めています。一見無謀だと思える行動だとしても、あなたは目的を達成するための逃げ道を用意している」

「買いかぶりすぎだ、天才少年。俺は面倒くさがりなだけだ」

「……オレは、天才少年なんかじゃありません」


 彼は、今度こそ反論する。寄せられた眉根、しかめられた顔、食いしばられた歯が、彼の押し殺せずにいた感情を語る。何よりも雄弁に。


「おまえ、いっつも怒ってたもんな」


 過剰なほどの反応を見せて、怒っているていを成していたのなら、大したものだと褒めてやりたい。


「……気にも留めず使い続けていたのはあなたです」


 とがめてくる彼へ、リディオルは薄く笑う。

 冗談混じりで、からかうための名称。あくまでもその気にさせるための呼称。

 からかいはした。しかし、虚仮こけにした覚えはない。鼓舞させたが、見下したつもりもない。馬鹿にしてもいない。本当の意味で呼んだこともない。ただの一度として。

 ──おまえにとってこの呼び名は、そんなに重かったか?

 もしそう訊いたなら、どんな反応をされるだろう。

 嫌悪されるだろうか。吐き捨てるように拒絶するだろうか。名を知ってもらう分にはありがたかったとうそぶくだろうか。どれもが違っていて、どれもが正解かもしれない。事実は小説よりも奇なり。想像をいとも簡単に超えてしまう。


「──なぁ、ユノ。おまえが考えてる計画、頓挫させちゃくれねぇか?」

「無理ですね」


 試しに尋ねてみれば、あえなく即答される。他人からの申し出で変更するような、そんな柔な意志ではないと。


「じゃあ仮に、その計画が全て予定どおり実行されたら、どうするつもりだ?」


 ならば、攻め方を変えればいい。

 しかめ面だったユノが、虚を突かれたように量眉を上げた。


「終わったらおしまいです。そこから先なんてありませんよ」

「おまえは?」


 一歩。


「予定をこなしゃ、計画は確かに終わるだろうな。だが、おまえが終わるわけじゃない。生きている限り、おまえの人生はまだ続くんだよ。そうまでして、計画に全てをかけて、そこから先はどうするつもりだ?」

「オレは、そのために生きてきたんです。人生全てをかけるつもりで」

「それが生きがいだ? 笑わせんなよ。人一人の人生かけて構築できるのは、生きて死ぬまでの一生だけだ。おまえの人生がいち計画だけに換算されるほど、安いもんのはずがねぇだろ」


 一歩。近づいていく。


「人を傷つけて憂さが晴れたかよ? おまえが抱えてきた思いは報われたかよ? おまえの望みが達成されたら、おまえの手に何が残る? 得るものがあるっつーんなら、それはおまえのこれからの人生に本当に役立つものなのか?」


 さらに一歩。近寄るリディオルを、卓を挟んだユノが見上げてくる。

 動きを止めていた彼の目が、答えを探すように揺らめいた。




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