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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
151/207

151,虚ろな彼に願えども


 隙間風ひとつ通さない、堅固な石牢。拳で叩いた音が思いの外反響してしまい、グレイは手を引っ込めた。


「何してるの?」

「叩いてみたかっただけだ」

「意外と君、好奇心旺盛だよね。ラスターといい勝負」


 褒められているのかけなされているのか。判断のつかなかったグレイは、眉根が寄ったのを感じながら閉口した。嬉しくはない。

 三度ばかり右手を握って開く。それでも手の甲に浮かぶ青紫の血管は薄くならなかった。石壁を触ったからだけではない。

 地上階よりも肌寒いのだ。原因は窓がなく陽が届かないためと、王宮内よりも圧倒的に人が少ないからだろう。人がいないにも関わらずどこか息詰まるのも、窮屈さを感じるのも、天井が低いためと。殺風景な石造りのせいだ。

 閉塞感を覚えるのは、この暗さも手伝っているだろう。自然光にも室内灯の明るさにも及ばない、ぼんやりと灯る明かりがぽつりぽつりと置かれているだけ。

 薄暗い地底の世界へと誘われるような、そんな錯覚がした。死したあと空に昇れず、星の巡りから外された者が還ると言われる、地底の世界へ。


「思ってたより綺麗なんだね」

「衛生面を考えるなら、整えておくべきだろう。万が一ここから疫病が発生したなら、王宮が大変な事態になる。街まで広がる可能性も捨てきれない」


 小声で話すファイクに、グレイも同じように小さく返した。

 潜める必要はないのだが、ここでは音が響きすぎてどうもいけない。普通に話す声量だと反響してしまって聞こえづらいのだ。経験は、物事の改善を生み出す。


「牢屋、って言うとじめじめしてて小汚い雰囲気が浮かぶよ。ほら、リザレストであったの覚えてる? 捕らえてた罪人が処刑される前に伝染病で亡くなったって話」

「まさに衛生問題で話題になっていたな。一時期リザレスト国内も混乱してただろう」

「そう、それ。過ごしやすそうなら、ラスターも少しは安心するんじゃないかな」

「牢屋にいることに変わりはない」


 安心できはしないだろう。


「そりゃあ、そうだけどさー……こう、心配事が減った感じ、みたいな? ──あ、グレイ、あそこ」


 ファイクが示した先に、人が立っている。腰に剣をき、戦場に出向くものよりも軽装な鎧に身を包んでいる。グレイに見覚えはないが、騎士隊の一人か、護衛官の一人か。いずれにせよ、腕の立つ人物だろう。

 地下牢の一番端。最も奥まった位置。警戒はいくらしても足りないということか。


「わかりやすくて涙が出ちゃうね」

「本当にな」


 ここまでは労せずに来れたが、問題はここからだ。あと一歩のところまで来て、結局会えずじまいなんてのはごめんだ。


「お疲れ様です」


 立っている彼がこちらに気づき、すかさずファイクが挨拶をした。


「──ああ、薬師のとこの」

「どうですか? 彼の様子は」


 親しげに話す様子から、どうやらファイクの顔見知りの者らしいとうかがえた。しかし、顔見知りであってもたやすく通してはくれない。彼には彼の職務があるのだから。


「変わらずおとなしいもんだよ。ああ、でも時々……」

「時々? なんです?」


 考え込む素振りを見せた彼へ尋ねてみるも、首を振られてしまった。


「いや、詮ないことを言った。忘れてくれ」

「途中まで言ってやめないでくださいよ。気になるじゃないですか」

「なんでもないんだ。それより用件はなんだ。聞くだけ聞こう」

「聞いてはくれるんですね。門前払いかと思いました」

「聞くだけだ、聞くだけ。要望が通るかどうかは別だ」


 口ではこう話しているが、彼の容姿から想像される厳格な態度とは少し遠ざかっている。見知った相手ゆえか。それに、職務とはいえ、こんな場所で長時間一人で居続けるのは耐久力が試される。人と話したくなるのは当然の欲求か。

 こちらとしてはありがたい状況だ。この調子なら、グレイがしゃしゃり出ずともいい。ファイクの説得だけでいけるだろう。

 グレイは傍観の姿勢を決め込んだ。


「──あ、お疲れ様です」


 彼の様子が一転したのはその直後だった。どこか緊張をにじませた面持ちでグレイに挨拶する。

 彼がたった今グレイに気づいたからではない。半身振り返ったグレイは、そこに一人の人物がいたことに気づいた。

 安心して気が緩んでいたのは確かに認める。しかし、響くはずの足音もさせず、ひっそりと忍び寄られたことに、別の意図を勘ぐりかけた。


「お疲れ様です。先客がいましたか」

「……どうも、お疲れ様です。フィノ殿も用事ですか?」


 鉱石学者の見習いであるフィノ。やってきたその人は、グレイたちを見てわずかに目を見張った。決して喜ばしい遭遇ではない。誰もやってこなそうな時間帯をあえて選んだつもりだったのに。


「ええ。私は彼への伝言を。あなたがたは?」


 フィノから凝視され、どこか疑われていると感じてしまうのは、警戒心を抱きすぎているからか。

 致し方ない。グレイは予め用意していた役割を告げた。


「彼の栄養状態の確認をしに来ました。聞いたところによると、もう何日も食事を取られていないと。このままでは、彼への処罰が下される前に参ってしまう。それは、誰にとっても望む事態ではありません。ですので、我々が参りました。レーシェ殿には内緒で」

「そうでしたか」


 納得してもらえただろうか。

 レーシェの命令ではない。それを示すことで、彼に害を及ぼしに来たのではないと、わかってもらえたのならいい。嘘ではないが、真実でもない。グレイたちの目的は別にある。全てを語っていないだけだ。


「あの」


 牢番が手を差し出す。


「一旦、その中を拝見させてもらってもいいですか?」

「ええ、構いません」


 肩にかけていた鞄を下ろし、彼に預ける。見られて困るものは入っていない。

 ちらりとフィノをうかがうが、彼は牢番を見ている。ファイクは緊張した面持ちで、口を出さずに成り行きを見守っているのがわかった。

 思案顔をしていたフィノが、不意に面を上げてこう言った。


「そういえば、私が頼んでいた薬は持ってきていますか?」

「──はい、その中に」


 丁寧な口調とは不釣り合いなその目。探られている様子をひしひしと感じながら、グレイは牢番が調べている鞄を示した。


「──はい、ありがとうございます。結構です。──どうされますか?」

「いつもと同じように。彼らは問題ありません」

「しかし……」


 口を挟む隙がなく、グレイは傍観を決め込んだ。


「私はお伝えするだけですが、彼らはそれだけでは的確な判断ができないでしょう。本来ならば、その方の状態を実際に見て、聞いて、触れて、確かめてから薬を処方するのではないでしょうか。もしくは、治療師のように、症状にも薬にも詳しい方の説明によって。今、治療師の方はおりませんから、彼らにその目で確認していただくのが一番です。私やあなたでは気づけずにいた症状があるかもしれませんし」

「……わかりました。半刻だけですよ」

「ありがとうございます」


 渋々離れていく彼の背中を見送り、ある程度の距離ができたところでグレイは小さく話しかけた。


「ありがとうございます。ですが、なぜ?」


 フィノがやってきたのは予想外だったし、断られるどころか助け船まで出されたのも完全に予想外だった。

 探られながらも訴えかけられた眼差し。それに気づけたからこそ、グレイはとっさに反応できた。かつて教わった処世術が、こんなところで役立つとは思いもしなかったが。


「本来ならば、こういった役目は治療師が請け負うはずです。なのに、あなたがたがここにいる。レーシェ殿のめいでないとすれば、独自に動いているであろうことが予測されます。大方、立場を利用してシェリック殿の様子を見に来た、と言ったところでしょうか」


 訂正の必要もないほど的確だが、それはグレイたちの状況であり、グレイが上げた疑問への回答ではない。


「だとすれば、どうします? 俺たちを、レーシェ殿に突き出しますか?」

「いいえ。──私は、納得がいかないんですよ」


 独白のように。それは、何に対してなのか。


「それと、鞄から栄養剤の瓶が見えました。あれは、ラスター殿が作ったものですね?」

「はい。よくご存じですね」


 鉱石学者と薬師の部屋自体は隣同士だ。しかし関連性の薄さから、互いの接点はほとんどない。この栄養剤だって、ナキの騒ぎがなければ、ラスターが持っていると知るのはまだ先だったかもしれない。

 それを、フィノは知っているのだという。


「アルティナへお連れする際に、シェリック殿がラスター殿に飲ませてあげていたんです。それで、私も記憶に残っておりました」

「……ラスターが、シェリック殿に飲ませたのではなくて?」

「はい」


 ラスターが作ったものではあるが、飲ませたのはシェリックだという。

 来された齟齬そごが疑念を生んだが、詳細を聞くまでには至らない。フィノこそが、ラスターとシェリックを連れてきた人物だと聞いた。道中に何があったなどと、この場で触れる必要はないだろう。


「誰よりも、ラスター殿を気にかけていらっしゃいました。私にはどうしても──」


 だから納得がいかないと、フィノは考えているらしい。噤まれた続きは、グレイにも容易に推測できた。


「フィノ殿、あんた、確か初めに見つけたんだよな?」


 社交性の仮面をかなぐり捨てて尋ねる。


「はい。ラスター殿がシェリック殿に首を絞められているのを、確かにこの目で見ました」


 グレイの変貌に驚きもせず、フィノは断言する。しかし、その目に浮かぶ迷うような気配は隠しきれていない。ファイクも気づいたのだろう。ずいと、前に進み出てきた。


「ねえ、だったら聞いてもいいかな? 最初に発見したなら、その現場に居合わせたってことでしょ? 君がそんなに擁護しているのはどうして?」


 当事者であるシェリックとラスター、その二人でしか語れないこともある。けれども最初の発見者であり、目撃者でもあるフィノでも語れることはあるのではないか。


「僕らはラスターを助けたい。同じ薬師のよしみもなくはないけど、ラスターには助けられたからね。本人は新しい知識に慣れるので必死だけど、僕からしたらラスターの方が知識の宝庫だ。僕自身、ラスターから教わりたいことが山ほどある。もちろん、教えたいことだって。レーシェ殿がラスターを帰そうとしてるけど、できたらそれを阻止したいんだよ。教えるの途中だし」

「それはおまえの都合だ」

「助けたい気持ちは一緒だって。それがシェリック殿を助けることにも繋がるんだよ」

「こじつけだな……」

「なんだっていいんだよ。目的は一緒なんだから」


 おそらく、フィノもシェリックを助けたいと思っていたからこそ、グレイとファイクがここに来たのを追い返さなかったのだろう。追い返すどころか、手助けまでしたのだから。

 人当たりのいい柔和な顔は、グレイの想像とは裏腹に曇ったままだ。


「何か、懸念が?」

「僕らの言ったことを信じてもらうのは、難しいかな、やっぱり」

「──いえ」


 やがて意を決したように、フィノは顔を上げた。


「でしたら、お願いがあります」

「お願い?」


 フィノが頷く。その直後だった。


「──うわっ!」


 獣のようなうなり声が響き、ファイクが飛び上がってグレイの腕をつかむ。


「な、なに……?」


 どちらかというと、ファイクの行動に驚かされたグレイだが、邪険にするのもなんなので、肘で小突くだけに留めた。

 恐る恐る、ファイクがグレイから離れる。

 注意深く耳を澄ましてみれば、それはとても低い人の声だとわかった。

 まさか、という思いとなぜ、という疑問が浮かぶ。フィノは諦めた様相で、首をゆるく横に振った。


「私にもわかりません。ですが、時折シェリック殿にこういった症状が現れるのです」

「もしかして、さっき牢番の人が言いかけたのって」


 牢番が濁した内容がこの様子を指すなら、確かに言いにくいか。それも時々起こるのなら、気が狂ったのではないかと考えるだろう。決して少なくない頻度であるならば、なおのこと。


「──やる」


 そっと凝らした牢の中から、何か聞こえた。それは何度も呟く彼の言葉だと知れる。なんと言っているのか。そばだてたグレイの耳が、音を拾うと同時にざらりとなでられた。

 聞き間違いだろうか。疑う耳と目がフィノに答えを求めると、無言で頷かれた。では、間違いなどではなく、これが正しかったというのか。

 音が言葉に変換される。ぞっとする低音とともに、抑えが効かなくなった感情も上乗せされて。

 牢屋から絶えずに聞こえてくる。


「──殺してやる」


 呪いにも似た文言が。





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