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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
150/207

150,望まぬ円の外側で


 リディオルが招き入れた彼は、うつむいたままでおとなしく座っている。

 初めこそ落ち着きなく視線をさまよ彷徨さまよわせていたが、思うことでもあったのだろう。内側に何かを秘め、じっと耐えているみたいに。


「珍しいじゃねぇか、おまえがここに来るなんざ。俺が塔にいなかったからこっちまで来たのか?」


 彼は顔を上げる。一切のためらいを捨て去って。


「珍しいのはあなたの方です。同じ言葉、そっくりお返しします」


 お互い様か。


「俺が塔にいないのはいつもだ。珍しくもなんともねぇよ」

「いえ、あなたが自室にいらっしゃることがです」


 彼は正しく言い換える。

 ここは魔術師の塔ではなく、王宮に誂えられたリディオルの自室だ。塔に留まることが少ないと称するなら、自室にいることはほぼ皆無だ。よほど重要な用件がない限り、近寄りもしない。

 そもそもリディオルがひとところに留まることが珍しいのだ。賢人になってから、王宮にこれだけ長期間いたことも久しぶりだ。

 自室が嫌いだからではない。ここには、魔術書も魔術に関する資料や道具が揃っている。塔に置かれている種類や数には及ばないが、やりたい研究だけを手がけるなら都合がいい。

 リディオルを知る王宮の人間も、普段ここに部屋の主がいないのをわかっているから、人払いをして集中したいときにうってつけの部屋だ。だからこそ、滅多には使わないのだが。


「何度か嬢ちゃんの様子見に行ってるんだろ?」

「はい……芳しくはないですが」

「だろうな」


 傷を癒やすには時間がかかる。たかだか二十日の期間で完治するなら、シェリックの元へ怒鳴り込むなりするだろう。ラスターは怒鳴り込むというより涙を溜めて訴えてきそうだけれど。

 圧倒的な時間の不足と負った傷の深さが、快方へ向かうことへの拒絶を生み出している。本人が望む望まないに関係なく。

 彼女たちに関わっていた周囲の人間も戸惑っているきらいがある。過去に一度牢屋へと入れられた人間が、再び罪を犯した事実。

 野次馬が発する糾弾と、真実と虚構で練り上げられていた噂に対抗する武器が足りない。

 彼をかばい、減刑するだけの人物に値するのかという判断をくだすのに、迷いとためらいが生じている。当事者でない者たちがくだすのは、妥当すぎる内容だ。


「ま、嬢ちゃんが何をどう考えるか、それは嬢ちゃん本人にしかわからねぇよ。間違っても俺らがどうこう口出して急かすもんじゃない。どれだけ時間をかけても、嬢ちゃんが向き合っていかなきゃならない問題だ。精神的な傷を治すのは、身体的な傷を治すより遥かに時間がかかる。そもそも乗り越えられない可能性だって捨てきれねぇからな。待つしかねぇ」


 執務に使う机へ、リディオルは腕を組んで寄りかかる。椅子代わりにするにはおあつらえ向きな高さだ。先ほどからじっとリディオルを眺めている彼と、視線を合わせる。


「絶対も必ずもねぇんだよ。だから、嬢ちゃん次第だ。俺らは俺らでできることをすりゃいい」


 頷きもせず、首を振りもせず、彼は黙って聞いている。にこりとするわけでもなく、悲しむでもなく。リディオルの言葉に耳を傾けて。


「それに、おまえと話したいこともあったしな」


 とぼけた疑問も、おどけた返しも来ない。彼はただひたすら聞いているだけ。


「おまえ、ディアって知ってるな?」


 誰だとも、なんだとも説明しない。


「──はい」


 けれども彼は、ひと言だけ答えた。



  **



 グレイは茶器に口をつける。中身へと落とした目線が和らいだが、それも一瞬だった。グレイは受け皿へと茶器を戻し、ちらとラスターの背後を一瞥いちべつしてから口を開いた。


「あの人が、今地下牢にいるのは知ってるな?」


 ラスターは、できるだけ小さく頷く。

 グレイがうかがったのは、入り口で話しているレーシェだろう。話す内容が彼女の耳にひとつでも入ったなら、グレイはラスターの前から即座につまみ出されてしまうに違いない。

 細心の注意を払っているのはそのせいだ。


「今回の報告会で、あの人の処遇がほぼ確定になる。エリウス殿が話しているのは、恐らくその件だ。俺の想像の範囲内なら、王宮追放は免れない」

「追放……」


 たったのふた文字。それなのに、重く響いてくる。

 シェリックはここにいるのだと思っていた。望んだ場所でなく、望んだ地位でなくとも、ここに来さえすれば会うことはできるのだと。シェリックが王宮から追放されてしまったら、それすらもできなくなる。

 理由がなければ留まりはしない。シェリックは、そういう人だ。


「良くて追放、悪くて処刑。そんなとこだろう」

「──え」


 弾かれたように顔を上げる。及ばず、至らず、よぎりもしなかった結果だった。処刑されてしまう選択肢もあるのだと。


「悪くて、だ。そうならないように、エリウス殿に動いてもらっていた」


 グレイが口早に説明する。気まずそうにされて、喋るつもりはなかったのかもしれないと知れた。喉の奥に溜まっていた不安を吐き出す。

 心臓に悪いことを言わないで欲しい。

 ただ、その未来がやってくることも十分考えられ、またいつその結果が下されてもおかしくはない状況にあるのだ。


「じゃあ、今話してるのは、決まったからってコト?」

「ああ。それの結果報告だろうな」


 両の拳を握りしめる。何かに力を入れていないと、抑えられない衝動がどんな行動を起こすかわからない。

 振り向きたい。エリウスの元へ行って、こと細かに問い質して話を聞きたい。シェリックがどうなったのか。これからどうなるのか。最悪の決断はくだされていないのか。追放されてしまうのか。それならばいつなのか。聞くのが怖いのに、知りたくて堪らない。

 心が矛盾してばかりなのは、ラスターが我儘わがままなせいだ。不都合な結果は聞きたくなくて、そうあってほしい未来だけ聞きたい。これが我儘と言わずなんだと言うのだろう。


「二度目だ」


 一瞬なんのことかわからなかった。

 見当違いの方向から単語が飛んできた気がしたのだが、言ったのは紛れもなくグレイだ。ラスターが正解にたどり着くより先に、グレイが教えてくれる。


「あの人が罪を犯すのは、今回で二度目だ。無罪放免にはならないだろう」


 もしかしたら。そんな希望的観測をたやすく塗り潰してくれる。グレイのひと言ひと言が辛辣しんらつに聞こえるのは、ラスターが抱いた甘い考えを消し去ってくれるからだ。

 都合のいい理想論と、訪れる可能性の高い推測。現実を目の当たりにしたとき、受ける衝撃が少ないのはどちらか。


「グレイが話しているのは、何もしなかった場合だ」

「そうだな」

「被害を受けたボクの言葉だったら、その結果が変わるかもしれない。当事者からの意見だったら、簡単にはね除けられないよね?」

「難しいな。仮に抗議したとしても、そこまで斟酌しんしゃくしてくれるかどうかはわからない」

「──でもきっと、レーシェ殿が許さないと思いますよ」


 濡らした布巾で卓を端から拭きながら、セーミャはぽつりとつぶやいた。


「ラスターがシェリック殿を弁護するのも、シェリック殿に会おうとするのも。どちらも恐らく、レーシェ殿が許可しないと思います。レーシェ殿は一刻も早くラスターを王宮から遠ざけようとしていますから、もう二度と、ラスターをシェリック殿と関わらせないようにするのが目的でしょう。ラスターがどう思っていようとも、です」


 卓に視線を落とし、手早く拭き上げたセーミャは布巾を流しに持っていく。

 望んでいない。

 ラスターは決して、望んだりしていない。ラスターのためだと大義名分を掲げられて、理由がでっちあげられて、全て勝手に進んでいってしまう。


「──おかしいよ」


 口を吐いて出てきた。

 ラスターの考えは? ラスターの思いは? ずっとここに、置き去りにされたまま。

 また、だ。

 ラスターのあずかり知らないところで、事態が進められていく。渦中にラスターもいるはずなのに、ラスターの意志はどこにもない。

 ではどうすればいい? 抱え続けていた言葉は。膨れ上がる気持ちは。誰に伝えれば届くのだ。


「これは、ボクとシェリックの問題だ。関係ない人に決められて、ボクとシェリックを爪弾きにしてる。そんなの、おかしいよ」

「もう、ラスターたち二人だけの問題じゃない。あの人には、賢人を殺したかもしれない疑いだってかけられてる」

「絶対ない!」

「──何? どうかした?」


 上がってしまった声量がレーシェの注意を引いてしまい、慌てて口を引き結ぶ。ばれてしまっただろうか。


「……すまない。ラスターに以前、薬膳酒を味見したんじゃないかと聞いたら怒られた」

「それはあなたが悪いわ、グレイ」


 レーシェは再びエリウスと話し始める。ラスターは強張っていた肩から力を抜いた。


「……ごめん」

「肝が冷えた」


 グレイが嘘をでっち上げてくれたおかげで、まだ話ができる。弛緩した空気の中で、ラスターはくすりと笑った。


「口からでまかせ」

「勢いともっともらしい表情が大事だ」

「グレイ殿……何を教えているんですか」


 うまく切り抜けられただけでなく、殺伐としかけていた雰囲気が一掃されたのも事実だ。再開させようとした、その瞬間だった。


「──レーシェ殿!」


 廊下の向こうから走ってくる足音。息も絶え絶えに呼んだ名。血相を変えたような声。切羽詰まった声は、ファイクだ。


「あら、どうかした?」


 似たような状況に覚えがある。ナキの一件がよぎる。

 反応が早かったのはグレイだ。足早に近寄り、ファイクへと問い質す。


「何があった」

「シェリック殿が……」


 言いよどんだ言葉が、奔流となって一気に解き放たれる。それはしっかりと、ラスターの元まで聞こえてきた。


「シェリック殿が、地下牢からいなくなったんだ!」



  **



 お互いに何も言わず、視線だけで探り合う。相手の出方を。考えを。

 先にそこから逃れたのは彼の方だった。


「どうしてあなたが知っているのか、そちらの方がお聞きしたいですね」

「考えりゃわかんだろ。誇張抜きにあいつと過ごした時間は俺が一番長い。知っててもおかしくはねぇだろ?」

「素直に語る人だとは思いませんが」

「長年ともにいると、昔語りをしたいときだってあるんだよ」

「そういうことにしておきます」


 釈然としない様子が見て取れる。

 なぜ知ったのか。

 ここで詳しく語る必要はない。彼が何故知っているのかも、聞く必要はない。彼もリディオルも知っている。ここでは、それだけわかればいい。


「あなたの情報網の広さは恐ろしいですね」

「そりゃどうも。秘密裏に情報収集する手腕は、おまえも相当なもんだろ」

「そんなことはありません」

謙遜けんそんするなよ。でなけりゃおまえが一番の好機を逃さないわけがねぇ」


 反応がないのは肯定の証か。下手にしらばっくれられるよりはよほどいい。彼が保つ沈黙は、言い逃れをしないためでもあるだろう。

 彼は座ったまま身じろぎせずに待っている。長考を決め込んでいる様子ではない。そのときが訪れるのを、座して静かに待っている。

 リディオルはおもむろに右手を前に掲げる。しゃらりと鳴った音に彼は眉を動かし、注意を向けた。


「これが何か、もう知ってるな。おまえは、俺が今どういう状態にあるのか正しく理解してここに来た」


 そこから表情ひとつ動かさないのは見事だと言えよう。話すこと以外に彼の動作を引っ張り出せたのは、視線と注意だけ。動かざること山のごとし。


「違わねぇか? 邪魔者を消すには、絶好の機会だろ?」


 そこでようやく、彼の口が再び開いた。


「邪魔者だなんて」

「事実だろ」


 彼の言葉にかぶせると、途端に口を噤まれた。

 今度こそ疑問に疑問で返さない。リディオルは断言する。


「おまえは、これがなんだと調べてきた?」

「それは、答えなければなりませんか?」


 リディオルは笑みでもって返す。


「時間の無駄だと思いませんか?」

「おまえの仮定が合ってるかどうか、確認してやろうって言ってんだよ」

傲慢ごうまんですね」

「わかりきった答えを確かめるだけだろ? 間違ってたら遠慮なく笑ってやるからよ」


 我ながら下手な挑発だと思いながら、唇を引き結んだ彼を待つ。


「……魔術を封じるための魔道具、ですね」

「正解。ほらな、おまえならちゃんと答えを持ってくるだろうと思ってたよ」


 リディオルは見せていた右手を下ろす。敵意の塊のような表情しか見せなかった彼が、困ったように笑った。


「──そこまで自身の状態を把握しておきながら、どうして無防備に一人でいるんですか。予測がついているなら、ここで殺されても文句は言えないですよ」

「決めつけんなよ。俺は、こんなところで死ぬ気はねぇぞ。おまえにただで殺されてやるつもりもねぇし」


 穏やかに交わされる会話をいつまでも続けていけたなら、どんなにか平穏なひとときだったろう。


「じゃあ、なんのためにこんな無意味なことを──」

「おまえをおびき寄せるためだ」


 楽しんでいた気持ちを押し込め、寄りかかっていた机から離れる。


おとり……ということですか」


 空腹を満たすのなら、腹八分目まで。惜しむ気持ちを残すくらいがいい。満腹になってしまったら、次の楽しみがなくなってしまう。

 幸せも平穏も、八分目くらいでちょうどいい。


「俺が一人でいりゃおまえから来るだろうし、現にそうだったろ?」


 わずかな時間とはいえ、ゆっくり話すことも叶った。これ以上望むほどの欲はない。ならばここからは、彼の決意を存分に受け止め、リディオルなりの回答でもって返すのが礼儀だろう。

 眉根を下げてこちらを見上げてくる彼を、リディオルはしかと捉えた。


「なぁ──天才少年」




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