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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
149/207

149,それは幸せで満ち足りた


 生涯で作る数が膨大な量だったとしても、依頼してきたその人にとっては一生涯にたったひとつ。ゆえに、いかなるときでも手を抜いてはならない。

 望まれた品物を、望まれた形で。

 作り上げた品物に心が、願いが、宿りますようにと。


 手先が器用な兄の口癖だった。

 兄の手によって次々と新しいものができあがり、依頼してきた人に渡すとき、満面の笑みを見られるのが、とても誇らしかった。

 兄とは違って不器用だったから、兄と同じようにはできなかった。同じものを作ろうとしても、兄の作った作品と比較したら一目瞭然だった。

 兄と同じにはなれない。だから、せめて、兄の横に並び立てる人になりたいと思った。兄とは、違う道をたどって。

 追いかけた背中は遠くても、いつか必ず追いついて、隣に並び、追い越すのだと。

 それは今も変わらぬ、幼い頃からの誓い。


 ──これ、ほしい。

 兄が初めて手がけた作品。未完成で、失敗作だと話していた作品を手にして、兄にそう望んだ。

 それは完成品ではないと。大事にしておく価値はないと。到底作品とは言えない代物だと。諭そうとした兄へ首を振り、これがいいのだと説き伏せた。

 いつでも近くにいられるから。抱いた思いを、心を、忘れずにいたかったから。

 ──わかった。

 頑なに放そうとしない姿を見て、とうとう最後に兄は折れた。

 以来、兄からもらった作品は、決意の証として携えている。決してなくしたりしないように。落としたり、壊したりしないように。この証に刻んだ誓いを、ひとときたりとも忘れたりしないように。


 胸元に秘めた証を、ぎゅっと握る。

 準備は、それだけで十分だった。

 目的の場所を前にして、緊張のせいで狂うのではないかと考えていた心は、予想に反して凪いでいた。

 思っていたよりも落ち着いている、なんて域ではない。波風立たず、波紋ひとつさえも発生するのが恐れられているようだ。

 嵐の来訪を警戒しているような、静かすぎて身構えてしまうような。

 覚えた違和感。書棚をあさってめくった文献。探していた答えにたどり着いたとき、奇妙な高揚感に包まれた。少ない機会を自分のものにできる、またとないめぐり合わせ。それが、今この瞬間、訪れているのだという事実。


 憧れた兄のように。目指していた目標へと到達するために。必要なことを、成すために。

 ここから先、焦ってはならない。ことをし損じる可能性を、できるだけ皆無にしていかなければならない。こんな千載一遇の機会は、もう二度とやってくることがないかもしれないのだ。

 扉を叩き、応じる声を待つ。


「──なんだ、入ってくりゃいいのに」


 そういうわけにはいかない旨を伝えると、喉の奥でくっと笑われた。


「真面目」


 自分を茶化し、部屋の主はさっさと奥に行ってしまう。そうして、思い出したかのように振り返る。


「どうぞ?」

「おじゃまします」


 促されるまま中へと入り、扉を閉めた。



  **



 白くて平たい陶器の皿。表面には薄い桃色の花が描かれている。以前聞いた話によれば、温かい季節に咲く花らしい。ぼかされた淡さは、水で溶いた絵具を薄く伸ばしたような色合いだ。レーシェのお気に入りである食器のひとつだ。

 食器棚から取り出された四枚は、ここにいる人数と同じだけの数だ。皿の上には不銹鋼ステンレス製の突き匙が、セーミャの手によってひとつずつ乗せられていく。

 ラスターはその前に座って、手際いい準備を目で追っていた。


「酸味があるなら、くせの少ない葉の方がいいか?」

「そうとも限らないわ。どれでも相性はいいから、好みで選んでいいわよ」

「それなら、渋みの少ない茶葉はあるか?」

「だったらこっちね」


 あちらはあちらで食材棚の扉を全開にして、両手に茶葉缶を持ちながら、グレイとレーシェが話し込んでいる。

 グレイもレーシェも焜炉コンロの前にいることが多いけれど、一緒に立つのは珍しい光景だ。二人が協力して料理したなら、何かもの凄い大作ができあがりそうだ。

 今は二人とも、料理ではなく茶葉について話しているけれど。


「セーミャ、ボクも何か手伝う」

「ありがとうございます。でも、すぐに用意できるので大丈夫ですよ。ラスターは座っててください」


 セーミャにやんわりと断られてしまう。申し出を断られて二回目。目の前でただ見ているだけというのは、落ち着かないことこの上ない。


「わたしのとっておきをご紹介するので、ラスターにはゆっくり味わっていただきたいんですよ」

「でも、ボクだけ動いてないのは……」

「俺も動いていない。相談に乗っただけだ」


 携えていた包丁が卓に置かれる。ラスターの斜め向かいに座りながら、グレイは言った。

 レーシェとの茶葉相談は終わったらしい。


「何にしたんです?」

金剛宝土ダージリンです。先日、良い茶葉が入ったと宰相殿から譲り受けまして」

「ライゼン殿ですか! あの方もお詳しいですよね」

「ええ。俺も随分助けられました」


 ラスターの知らない情報網がまたひとつ。薬師や治療師だけではない繋がりが、ラスターの見えないところで広がっている。


「あとは蒸らせば終わりよ。セーミャ、そっちは?」

「はい。切り分ければ終わりです」


 まだ開かれていない白い箱。勝手に開けるわけにはいかないので、手も触れずにいた。甘い香りが主張してくれているおかげで、中身を見るのが楽しみだった。果たしてここには、どんな菓子が入っているのだろう。


「行きますよ? ──じゃーん!」


 セーミャがもったいぶって開けた箱。中身がよく見えるよう、ラスターはグレイと二人して身を乗り出してしまった。


「凄い……」

「美味しそうだな」

「でしょう! 見た目もですが、味も文句なしですよ!」


 華やかで豪華。

 色とりどりで鮮やか。

 ラスターが初めて目にしたアルティナの街並みを表現しているかのような菓子が、そこに現れた。

 ラスターの知る焼き菓子といえば、材料を全て生地に混ぜ合わせ、それらを型に流して天火で焼いた菓子のことだ。手の凝ったものだと果実を行儀良く揃えたり、形を整えたりして見栄えを良くする。

 そこに現れた菓子は、そんなラスターの認識を綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれた。

 ラスターたちの感嘆に、レーシェも茶器を運びながらやってくる。


「見せて見せて。──あら、美味しそうね。スグリと木苺のパイ?」

「そうです! 人気商品ですぐに売り切れてしまうので、朝一番に買ってきました」

「それは心していただかなきゃね。贅沢だわ」

「期待は裏切りませんよ。たまには贅沢しませんと」


 表面を覆う、鮮やかな赤い果実。小ぶりな木苺と赤スグリがふんだんに使われていて、きらきらと光っている。このきらきらしたものの正体はわからないが、きっと美味しいに違いない。


「それに、ラスターと約束しましたから。また一緒に、美味しいお菓子を、と」


 丁寧に切り分けながら、セーミャは語る。

 小さな口約束。もちろん、言っただけで終わらせるつもりはなかったのだが、セーミャが覚えてくれていたことが何より嬉しかった。


「誰より、わたしが食べたかったんですけどね。約束にかこつけちゃいました」


 照れながら話すセーミャに、ラスターもちょっぴり笑う。

 ──ありがとう。

 六等分された菓子は、皿にひと切れずつ乗せられ、残ったふたつは箱に入った状態でしまわれる。


「グレイ殿、あとでこちらをお渡ししていただけますか?」

「ええ。きっと喜びます」


 ころころと丸い白の茶器。茶器の小さな口から出てくる水色すいしょくは、透きとおった濃いめの橙色だ。

 菓子の近くにあると茶葉の香りは隠れてしまいがちだが、本来の香りは菓子に負けず劣らず優雅だ。

 四客分揃った茶を各々に配り、レーシェはラスターたちを一望した。


「さ、お茶も入ったことだし、いただきましょう?」

「いただきます!」


 見事に唱和された言葉を合図に、ひと口目を運んだ。


「んー、美味しい! セーミャが絶賛しただけあるわね。今度買いに行こうかしら。セーミャ、お店を教えてくれるかしら?」

「はい、勿論! 嬉しいです。持ってきた甲斐がありました」

「確かに美味しい。甘党には堪らない味ですね」

「王宮で一時期話題になっていたお店なんですよ。あまりに色々な方が行きすぎて、王室御用達の札がかかるんじゃないかって、噂されていたほどです」

「いっそかければ良かったのに」

「今でも十分人気ですから、さらに買えなくなってしまいますよ」

「それは困るわね」


 ラスターは三人の会話を聞きながら、咀嚼そしゃくしていた分を飲み込む。口の中だけでなく鼻にまで残る余韻に、思わずほうと息を吐いた。

 外に逃がしてしまうのが勿体ない。香りさえも飲み込んで味わいたかった。


「セーミャ」

「はい?」

「美味しい」


 そのひと言でセーミャは破顔した。


「良かったです! わたしの大好物なので、ラスターと一緒に食べたかったんですよ!」

「うん。ありがとう」

「こちらこそ」


 約束を。ラスターも守らなければ。セーミャが守ってくれたように。

 今日はレーシェとグレイが用意してくれたから、次の機会ではラスターが用意しよう。セーミャに喜んでもらえるような、ほっこりとひと息吐ける美味しい茶を準備して。

 グレイも詳しそうだし、相談してみよう。


「──あら、早い」


 叩かれた扉に、いち早く反応したのはレーシェだった。

 残りのひと口を放り込み、あっという間に食べるなりそちらへ向かう。


「お疲れ様。どうだった? 初めての月報会は?」

「……もー、緊張しっぱなしでした。気軽に話せる方がいなかったですし、完全に敵地でしたよ。──あれ、美味しそうな匂いがする」


 戸口から一歩踏み入れ、エリウスが顔を出した。


「あ、お疲れ様です、エリウス殿」

「ええ、俺を差し置いて美味しそうなの食べてる! セーミャさんずるい……」

「治療室にちゃんとありますよ。わたしは、ラスターとお茶をしに来たんです」


 セーミャはしれっと茶を飲んでいる。

 セーミャの言うとおりだ。嘘は言っていない。茶だけではなく菓子もあるという、説明していない部分があるだけで。


「ありがとう。あとでいただきます」

「どうぞ、召し上がってください」

「それで、今回の月報会ですが──」


 いささか距離のあった会話を終わらせ、エリウスは声を小さくしてレーシェと話し始めた。本来の必要な会話をするために。元々、彼はそちらが目的だったのだろう。


「──ごちそうさまでした」

「どういたしまして。あ、片付けはわたしがやりますよ」

「助かります」


 セーミャとグレイのやり取りが聞こえてきて、ラスターも慌てて手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


 準備は何もかも任せてしまったから、片付けは手伝おう。

 まだ熱の残る紅茶は全部飲みきれなかったので、皿と突き匙を四人分、セーミャとグレイと手分けしてまとめる。


「ありがとうございます」

「あ、ボクも──」

「ラスター、座れ」


 ラスターはセーミャとともに立ち上がりかけたが、それをグレイに制止される。


「話がある」


 その真剣な様子に、少しばかり気圧されて。





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