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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
148/207

148,変わる世界を臨むだけ


 窓の向こうに佇む大木は何度も大きく頷いて、もっともっと催促している。嬉しくてたまらないのか、それとも手招いて呼び寄せているのか。

 空の上から。この世ではないところから。ここまでおいでと誘われるように。一度はその足を入れかけたのだろうと。君には、ここまで来る資格があると。


「……行かないよ」


 呼ばれたのに? なぜ? もう、彼の横に君の居場所はないだろう?


「だって、ボクはまだ……」


 何を躊躇ためらう必要がある? 足踏みをしているなら前に踏み出せばいい。簡単だ。実に簡単だと思わないか?

「簡単じゃない。難しいよ」


 たかが一歩。踏み出すだけ。前に行くだけ。線を越えるだけ。歩き続けるのは楽なのに、歩き始めるのはこんなにも難儀だ。

 ざわ、と。ひと際大きな風が吹く。会話は終わりだと告げるみたいに。実際は会話ですらない独り言。

 枝がしなるほどの風にあおられて、たくさんの葉がざわめく。ラスターに抗議しているのか、風の強さに文句を言っているのか。木の声を聞いたならわかるだろうか。幹に耳を押し当てて、彼らの声が聞けたなら。

 ともすれば飲み込まれてしまいそうなうなり声なのに、地面に腰を据える幹が押しとどめている。いやいや首を振る枝をなだめ、時折おとなしくさせて。


 木々の隙間から抜け出した一枚の葉が、優雅に舞い落ちてきた。我がままを言って、先に解放されてきたのだと。頭上で交わされるやり取りなど、関係ないと言いたそうに。

 ひらひらと踊り、窓枠の外へ消えていった。

 ラスターは窓に貼りつく。

 行方が気になって追いかけたのだが、地面には仲間の葉がありすぎて、とっくに紛れてしまっていた。どれが今見た一枚なのか、見当もつかない。

 きっと、このどこかへ無事に降り立ったのだろう。あれほど雅やかに踊っていたのだから。心配せずとも、新しい環境を喜び、また風に誘われて踊り始めるのだろう。彼は、新たな一歩を踏み出せたのだから。


「今日は風が強いわね」


 ラスターの肩越しに覗くレーシェへ、こっくりと頷いた。風を扱う魔術師が遊んでいるのだろうか。彼の性情を思わせる気まぐれで。

 伝えようとして振り返り、口を噤んだ。

 話してはいけない。

 シェリックもリディオルも敵視しているレーシェには、話せない。こんな、世間話でさえも。

 ラスターを見ていたレーシェは、ことさら明るく大げさに言ったのだ。


「外に出たら、吹き飛ばされちゃいそうよ」

「そうかな」


 ラスターははにかんで答える。髪の毛はぐしゃぐしゃにされそうだ。

 何も言わない。ラスターは言えない。ラスターを守ろうとしてくれているレーシェの思いが伝わってくるからこそ、彼らを話題に上げてはいけない。

 ラスターがそう考えていることを、きっとレーシェも気づいている。何も言われない優しさに、甘えてしまう。ずっとこのままでは、いけないのに。

 自由に話せたらいいのに。思うままに、広々とした世界を行き来する、あの風のように。

 今この窓を開けたなら、薬の材料は飛んでしまうだろう。材料となるのは乾燥させた植物が多いから、軽いのが利点であり欠点でもある。

 風に舞わせたなら、遠くに飛んでいけるに違いない。人よりも、もっと簡単に。空の果てだって、海の向こうだって、飛んでいける。

 けれど人が吹き飛ばされるくらいの強さだったなら、人だって旅をすることができるだろうか。風に乗って、目指した地へ、どこへでも。

 どこへ行こうか。何がしたいだろうか。

 なんだってできるというなら、何をしようか。


「──はい?」


 レーシェが応え、そこから離れていく。

 閉じられた世界。限られた空間。

 丸く切り取られた空は、とても小さく映る。外界は、こんなにも狭かっただろうかと、錯覚してしまうほどに。今まで見てきたどんな光景より、小さかった。

 思っていたことがある。なんのしがらみもなかったなら、順調に進んでいたなら、やりたかったことがある。

 ──ボクは。

 もう叶わない、夢の続きを。

 ふわ、と。

 漂ってきた香りに気を取られた。


「バレちゃいました?」


 首を回した先に、箱を取り出すセーミャと、奥でレーシェとともに話をしているグレイがいた。セーミャもグレイも、どうしたのだろう。ラスターがそう訊くより先に、セーミャが白い箱を掲げて教えてくれる。


「私のおすすめのお菓子、持ってきたんですよ」


 中身の見えない白い箱。今か今かと、出番を待ちわびているように。


「みんなでお茶にしましょう? ラスター」


 惹かれるように近づくと、セーミャはにっこりと笑って言ったのだ。



  **



 月に一度、賢人たちが集まる報告会。

 強制力はないが、各々が手掛けていることの進捗具合を確認し合うのに、必要な場だった。本来ならば、十二賢人全員とシャレル、キーシャ、ナクルの十五人がそろうはずなのだが──ここにいたのは全部で九人。賢人に至っては半数しかいなかった。

 不在である変えようのない事実と、抱えている事情とを合わせても、これは由々しき事態だ。

 今回だけに関して反省を上げるなら、全員参加必須だと、あらかじめ通達しておくべきだった。そうしておけば、職務の延長い当たるという理由で、賢人たちを伝令に走らせる必要もなかったろうに。次の月で行う前には、その旨を忘れずに伝えようとキーシャは心に決める。──それも引っくるめて伝令すべきだったと思い至り、反省点を追加した。


 混乱の渦中にあったから見過ごしていた、なんて言い分は通らない。これはやはり、将来への勉学という観点も合わせて見習いに代役を立てる必要がある。

 大事なのは風通しの良さ。分野こそ違うが、違うからこそ取れてくる連携だってある。現に、近衛騎士が担っている警備は、魔術師と協力して推し進めているではないか。

 片や剣を手に取り、片や魔術を操る。有機物と無機物。扱う力は正反対に位置するが、この王国を守ると言う目的に違いはない。

 同じではないからこそ、それまで見えなかった新たな意見が生まれてくる。

 キーシャは、すっかり重くなってしまった腰を上げた。

 誰もいなくなってしまった円卓の議事場は、広すぎてどうにも落ち着かない。

 静かな場所ではあるし、考えごともはかどりはするのだが、静かすぎて呼吸ひとつするのにも気を遣ってしまう。ここには気の置けない人物しかいないというのに。


「なんとかできないかしら……」

「最悪の事態を免れただけでも僥倖ぎょうこうではありませんか?」

「そうね」


 背後から慰められて、キーシャは肯定する。

 最悪ではない。確かに幸運だ。同時に、付け加えておくこともあった。

 キーシャは振り返る。報告会の初めから控えていたナクルがそこにいた。


「けれど、最善じゃない。動機も理由もはっきりとしていない状況で、彼の処置を決めつけてはいけないわ。私は、最善の策を探したい」


 それが難しいのは百も承知している。


「ラスター殿のためですか?」

「いいえ」


 キーシャは首を振る。


「どうにかしたい気持ちはあるわ。でもそれは、私の一存だけではどうにもならない」


 だから、決して嘘ではない。ただ、理由の全てではないという違い。


「強いて言うなら、この国の未来のためよ。他の賢人たち、アルティナに暮らす人々が納得する処置を。ラスターにとって大事な人だからといって簡単に免罪するわけにはいかない。──それも踏まえた上で、ラスターの傍にもいられる結論を……」

「私情ですね」


 にべもなく返されてしまう。


「……そうよね」


 キーシャはアルティナの王女だ。親しいからという理由だけで、特定の者を贔屓ひいきしてはならない。アルティナ王国は、キーシャだけの国ではないのだ。


「ですが、キーシャ様は人間です」

「ええ、そうね。魚や鳥、獣ではないと思っているわ」


 意図がつかめず、思いついた生き物を列挙する。水中で呼吸はできないし、空を飛べもしない。二本の足で立って歩き、二本の手を自在に使い、脳で考え、道具も使う人間だ。


「考えることができ、考えていたことを実行する前に、それが正しいかどうかを自問します。全面的に私情を挟むのには賛成できかねますが、人としての情を忘れる考えもまた、賛成しかねます」


 常日頃から礼節を重んじ、キーシャも何度諭されたろう。そのナクルに、こんなことを言われるとは。


「いいの? ナクルが言って。遠慮なく挟むわよ?」

「賢人と国民が納得できる回答ならいいのでは? 私も、情の欠片のない方に仕えているつもりはありませんので」

「言質取ったわよ」

「ご随意に」


 温度差があることは否めない。諸手を挙げるわけにもいかないけれど、考慮に入れるくらいならいいだろう。


「傍から見て非情だと思われたことが、当人たちにとっては温情だった事態もあります。何が正しくて、何が間違いであるか、状況次第で変化します」


 理屈で正しいこと。情が間違いでないこと。その判断が真に正しいと決めるのは、判断したあとの結果だ。


「彼を知るまで、私は六年前の事件を詳しく知りもしなかった。禁忌を犯してしまったというそれだけで、悪人であり罪人だと見てしまった。名前と噂と、聞きかじった憶測だけでしか知らなかったのにね」

「口にしない、調べてはいけない。そう言われていましたから」

「だから仕様がない? 知識見聞に対しての怠惰だわ、そんなの。どうしてお父様はこんな命令を出したのか……それだけでもわかれば良かったのだけれど」

「──陛下が?」


 意外そうに瞬かせたナクルが、驚きを隠さずに尋ねてくる。


「ええ、そうよ。箝口令かんこうれいは、お父様が敷いたの。今となっては、なぜ敷かれたのかわからずじまいだわ」

「陛下と前占星術師は仲が良かったですね。よく、お二人で一緒にいられたのをお見かけしましたし」

「お父様はこそこそするのがお好きだから──」


 他の賢人ではない。どうして前占星術師だったのか。


「──ナクル。私が調べていたことを託してもいいかしら?」

「ですが、私には禁書庫に入る権限がありません」

「許可状を書くわ。キャレルにも伝えておく」


 知り得なかった観点。キーシャの知らない姿を、ナクルは知っている。ナクルなら、キーシャが気づかなかったことに気づくかもしれない。

 二人がいなくなった理由も、現占星術師である彼と関わりがあるのなら、調べてみる価値はある。

 判断ひとつで王国の未来が変わるのなら、材料はいくつでも揃えておきたい。

 ここにはキーシャとナクルの二人だけしかいない。けれども、キーシャはできる限り声を潜めて、ナクルにしか聞こえない声で告げた。


「私のお父様について──この国の国王について、調べなさい」


 それがいずれは、アルティナ王国のためになると信じて。




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