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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
147/207

147,在処を探したほころびは


 まただ。

 洋墨インクを取ろうとして突っ込みかけた右手が、引き出しの手前で引っかかった。開け方が足りなかったか、洋墨の瓶を奥に入れすぎたからか。──一番目につく存在からは目を逸らして考える。

 知っているからだ。大体これのせいだと。

 腕を動かすたびにどこかしらへとぶつけ、音を鳴らしてその存在を主張してくれる。いい加減(わずら)わしくて鬱陶うっとうしいだけの装飾品を、取り外してしまいたい衝動に駆られる。いいや、取り外すだけより、恨み辛みをぶつけて壊してしまいたい。

 明らかに手首と合っていない大きさにいら立ちが募る一方なのと、しゃくの種の全てがここから発生しているのではないかと疑ってしまうからだ。

 結論。やはりこいつのせいである。

 そして何より、大きさがあっていようがいなかろうが外すわけにはいかないという現状が一番(かん)に障っている。まあ、どれだけ邪魔であろうと、外せないし壊せないのだが。


「……あー、集中切れたわ」


 取り外した洋墨を筆記具の真横に並べ、待ての合図をかける。ぴくりとも動かないのを確認して、リディオルは椅子の背もたれに寄りかかり、天井を仰いだ。

 背もたれに高さがあるから、ちょうど首を置くことができる。書きものばかりで同じ姿勢をしていたから、首が伸びて気持ちがいい。

 右腕だけ伸ばして、右側に置かれていた書類の一部を拾い上げる。他国で上がった魔術道具の問題、魔術と科学技術の融合を示唆した演説の一部、媒体を使用した魔術の実験例、王国から他国へ渡るための魔術師要請、等々。よくもまあ集めてきたものだと感心する。


 上向きに読んでいたせいで、今度は腕が堪えてきた。上半身を起こして座り直す。

 どこまでこなせるかは時間の問題だ。処理しきれなかった残りの書類がどこへ行くのか──リディオルの想像の中で、押しつける予定の人物に顔をしかめられた。

 本当は、外せる機会はあったのだ。リディオル自身が拒んでしまったため、その可能性もふいにしてしまった。

 今考えれば、軽率な判断だったかもしれない。ジルクに弁解をしていたなら、別の方法が取れたに違いない。

 それを、あの人は頑なに拒んだ。まだそのときではないと。あの人がそう言った。


「何考えてんだかね……」


 あの人の崇高な考えは理解できない。リディオルはあの人が望む機会を作り上げるだけだ。それが、最初で最後だと言われたから。

 それは、耳というよりも感覚だった。入り口に視線を留まらせる。

 遠慮がちに三度、扉から音がしたのはその直後だった。


「開いてるぜ?」


 声で応じたが、彼だか彼女だかは入ってくる気配がない。躊躇ためらっているのか、律儀に開けてもらうのを待っているのか。

 仕方なくそこから立ち上がり、来訪者を迎えに行った。



  **



「──ちょっと、待ってください」


 順番に続いていた話し声。それだけが聞こえていた中だったからこそ、キーシャの立ち上がった音は不吉なほど大きく響いた。

 途端に注目が集まる。その中に彼女からの視線を見つけ、キーシャは他の者には構わずに彼女と向き合った。


「その判断、納得がいきません」

「それは、どういった点に関してでしょうか、キーシャ様」


 キーシャの注目を得たジルクは、動じるそぶりもなく涼しげに返してくる。

 今、キーシャが発言する前に提案したのと、全く変わらない調子で。


「結論を出すのがあまりに時期尚早です。仮に今回の件と賢人が殺された事件と彼が無関係なら、今後彼が狙われる可能性もあります。それに、彼から片腕を奪う必要性を感じません」


 キーシャの言い分は、無言の瞬きによって受け取られる。

 こんな発言をするのはおかしいかもしれない。アルティナ王国の王女であるキーシャと、禁術を犯した罪で六年もの間牢屋に入れられていた占星術師と。賢人制度や王国の人間であることを鑑みなければ、接点はほとんどないに等しい。

 キーシャがたまたま出かけた先で彼と出会い、彼とともにいた少女に助けられた、ただそれだけの接点。あまりに希薄な繋がりだ。

 キーシャ自身、彼と話した覚えもあまりないし、私情を挟んでいると指摘されればそれまでである。

 だから、私情だけの判断ではない、客観的な意見を必要とする。彼がいなくなったなら、彼とともにいた少女が悲しむに違いないという個人的な見解を、できるだけ忘れることに努めていた。

 それに、キーシャの言ったことは方便ばかりではない。ただでさえ十二人揃っていない賢人がさらに減る可能性があるのだ。これまでも、なんとか保たれてきた均衡だったが、今やいつ崩れてもおかしくはない。


「命を奪おうとしているのではありません。彼はラスター殿を手にかけようとしていました。なればこそ、その手をひとつ排除する提案をしているだけに過ぎません」

「ではジルク。彼の腕を切る役目を誰に押しつけるつもりですか。罪人とはいえ、生きている人の腕を切り落とし、その責を負う者を!」

「キーシャ様」


 誰をも介さない左隣からたしなめられる。


「おっしゃることも一理あります。どうぞ、お座りください」

「ライゼン」


 片眼鏡をかけた宰相ライゼンが、キーシャに頷いてみせる。気持ちの昂ぶりに合わせて前のめりになっていた姿勢をうしろへと引き、キーシャはおとなしく彼に従った。


「しかし、彼は罪を犯した人物。罪人には相応の報いを受けていただくべきかと。そうでなければ、ここにいる賢人たちに示しがつかないどころか、他の者も納得がいかないでしょう」


 キーシャのすぐ右手側にいる彼は、キーシャの気持ちをいくばくか汲んでくれている。その証拠に、眉根が少し寄っているのが見て取れた。

 難儀を抱えているときの、彼の癖だ。それだけではない。


「彼を断罪する点について異論を唱えているのではありません。彼にはもちろん罪を償ってもらいますが、手段に関しては別の方法を取ってみてはいかがでしょうか。たとえば、この国の未来を読み、永劫王宮の外へは出さないようにする、などのやり方も考えられます。占星術師は唯一、未来が読める人物ですから」


 相手の立場や相手の心情を慮って、結論を出してくれる。キーシャは、そんな宰相の性格を知っていた。


「──随分とまた、手ぬるい処置をなさいますね。ライゼン殿」


 補佐官キャレルは、動かしていた筆記具の手を止める。

 主に記録係を担当している彼女は、自ら発言することがあまりない。記録が追いつかなくなる、というのが理由らしいが、本当のところはわからない。記録を取っていないときでも寡黙な彼女が喋り続ける光景は、滅多にお目にかかれない。

 彼女の口数が多くなるときは、シャレルに報告や言及をするときだろうか。キーシャがその場面に遭遇したことだって、片手で足りてしまう。


「人を一人殺めかけておきながら、彼を使い続けるだけとは、罰になんてなりません。無人の離島に流し、彼に二度とこの地を踏ませないくらいの処置が必要では?」

「いいや、それでも生温い!」


 岩のような拳で円卓を叩き、端まで振動が伝わってくる。

 大柄な体型、大木の幹のようにがっしりとした両腕。彼のひと回りもふた回りも立派な筋肉は、彼自身行ってきた鍛錬による成果だろう。体つきだけでなく、彼の野太い声もひと際大きく響く。

 近衛騎士の長を務めるウェントン、その人だ。


「かつて禁術を犯す愚行をしておきながら、それでも飽き足らず今回の事態! 奴の人格を見抜けないまま賢人に就けてしまった我々の責もありますが、やはりここは、彼を極刑に処すべきではありませんか?」

「しかし、今回の件に関して言及するならば、彼は未遂です」

「ジルク殿、未遂だろうがなんだろうが、奴が殺そうとしたことに変わりはありません」

「そうですね。事実に相違はありません」

「ほれ、見たことか!」


 我が意を得たりとばかりに、にやりと笑う。


「だからあんときも、最果ての牢屋なんかに押し込まず、とっとと罰を与えておけばよかったんです。そうすりゃ、今こんな事態に陥りはしなかった。違いますか?」


 ウェントンが見据える真正面。そこにはシャレルが座している。


「耳に痛い言葉です。そのような考え方もできますね」


 動じることなく、シャレルは悠然と頷いた。


「なら、シャレル様。今からでも遅くはありません。奴は、またいつ身近な者に凶行を繰り返すかもわかりません。未然に防ぐ手立てを講じる必要があるんじゃないですかい? あるいはそうなる前に、今回こそ極刑にくだすべきです」

「では問いましょう、ウェントン。人を二人殺めかけて重傷を負わせた者と、禁術を使い、成功させなかった者と。どちらの罪が重いでしょうか?」


 開いていた大口が怪訝に閉まる。


「重さだけで言うならば前者です。……が、どちらも、罪を犯したことに違いはありません」

「そうですね。かつて双方には罰を与えました。片や隣国で自由を奪われ、片や築いてきた尊厳を奪われて。栄えある者たちから未来を奪っては、更生するための期間も同時に奪ってしまいます。私は、その事態を避けたいのです」


 幼子に向けるような笑みで、シャレルはウェントンへ頷いた。


「シャレル様の温情も理解できます。しかし、我々は彼の処遇について早急に結論をくだすべきではないでしょうか。たかが罪人一人に、時間を費やすべきではありません」


 これまで一度も口を開いていなかった護衛官ラビアが、重々しく告げる。


「賢人を殺したかもしれない人物を、たかが罪人と称しますか」

「……失礼しましたジルク殿。言葉のあやです」

「発言にはお気をつけください、ラビア殿」


 ひっそりと、だが確実に不穏の気配が積み重なっていく。この空気を壊すまでには至らないが、飽和点に達する前に払拭しなければならない。方向性を失った話し合いなど、子どものいさかいとなんら変わりない。


「──結論を、待っていただくことはできますか?」


 右手を挙げ、いささか緊張した面持ちの治療師エリウスが発言する。彼もまた、始まりから口を挟まずにいた一人だった。

 しかし無理もない。彼が賢人になってから初めての会合だ。緊張するなという方が難題だろう。


「問題を先延ばしにするおつもりですか?」


 不快感を滲ませたキャレルへ、エリウスは慌てて首を横に振った。


「いいえ、決してそんなつもりはありません。ただ、提案したいことがありまして」

「もったいぶんないでくださいよ、エリウス殿。気にかかることってなんですかい?」


 口を挟んだウェントンをちらと眺め、エリウスはシャレルを向いて言った。


「今回、彼が戻ってきたのは彼自身の希望ではありません。当初、彼は戻ってくる意思が皆無であり、シャレル様からの招聘しょうへいがあっての故だったと聞いています」

「ええ、そのとおりです」

「でしたら、彼に猶予を与えるのはいかがでしょう?」

「エリウス殿、そんな悠長なことを言っている場合ですか?」


 渋面になったキャレルへ、エリウスは臆せず話す。


「私たちは、手をこまねいて待つのではありません。猶予を与える間、彼を王宮に留まらせます。ただし──」


 エリウスが提案した内容に、その場にいた全員が息を呑んだ。




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