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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
146/207

146,知らぬ心に触れたなら


 階下からやってくる足音は軽快だ。反響した音にうまく紛れさせている鼻歌が、途切れ途切れに聞こえてくる。ユノには馴染みのない旋律。

 塔の中央は地上階から最上階まで吹き抜けになっているおかげで、声も音も通りやすいのだ。伝達にはとても適している。

 近づいてくる足音。上機嫌な鼻歌。もっと聞いていたかったのに、どちらも唐突に止まってしまった。ああ、感づかれてしまった。


「──あれ、ユノ?」


 今気づいたとばかりに、ユノは顔を向ける。声の主がアルセであることはわかっていた。


「戻ってたんすね。いるならいるで報告してほしかったっすよ」


 赤く染まった頬をかいたアルセが、気まずそうに佇んでいた。塔に誰もいないときにしか、アルセは鼻歌を歌わない。

 心地よさに任せて黙って聞いてしまった罪から、ユノは何食わぬ顔で続ける。


「すみません、アルセ殿。調べたいことがあったので」


 たとえ、白々しいと思われていても。

 読んでいた書物を丁寧に閉じて元の棚へと戻し、積み上げていた新しい書物をひとつ手に取る。

 この一角は、壁一面、床から天井まで書物で埋め尽くされている。ユノたちにとっては魔術に関する知識の宝庫だ。王宮の書庫に収められている書物よりも、より専門的な内容だったり、技術や理論に関する記録だったり、あるいは門外不出の禁書だったり、指折り挙げてもきりがない。書庫まで足を運ばずとも調べものができるのは、一番の利点だろうか。

 決して小さくはない書物のおかげで、今のユノには一度に多くの量を出し入れできない。頁をめくったり、一、二冊運ぶくらいだったら問題なく行えるのに。何より、革張りの書物を粗雑に扱っては、中身もろともに壊してしまう可能性もある。それは避けたい。


「何を調べてたんすか?」


 ひょいと覗いてくるアルセへ、ユノは広げていた書物を見せる。


「魔術の潜在的な能力についてです。この怪我が、オレが魔術を使うのに関係があるのか、何か参考になればと思いまして」

「使いづらいすか? 魔術」

「ええと……使いづらいと言いますか、動かしづらいと言いますか……やっぱり少し、違和感があって」


 なんと説明したらいいだろう。うまい表現が見つからない。例えていうなら、使うたびに何かが引っかかるような感覚だ。

 腕の動かし方のみならず、身体の中で流れが滞っているみたいな。


「うーん……うちにはわからないっすね。リディオル殿に聞いてみたりはしたっすか?」


 卓に開いていた書物をそのままにし、左手を握ったり開いたりしてみる。時の流れが少しずつ動きを通り戻してくれているだろうけれど、それでもまだ数日しか経過していない。鈍い痛みと動かしたときの引きつれるような感覚はまだなくならないのだ。


「まだです。戻ってきたら聞いてみます」


 しばらくは消えないだろう。痛みも、動かしづらさも。戒められているようで、もどかしい。聞き手側でないのが、まだましであると言おうか。


「そういや、リディオル殿遅いっすね。ユノは一緒にいたんじゃなかったすか?」

「いえ、俺は治療室にいたので……見かけてないです」

「そうっすかー……相談したいことがあったんすけど、うちも帰ってくるまで待ってみるっすよ」

「はい。これ、読み終わったら、オレ、外灯見てきます。記録したいですし、不具合がないかもついでに確認しておきたいですし、暗くなる前でしたら気づけることがあると思うんです、けど……」


 ユノが説明するほどに、何故かアルセの顔が険しくなっていった。怒らせるような言動はしていないはずだけれど。


「あの、アルセ殿?」


 それとも、ユノが気づいていないだけだろうか。


「……またそうやって、ユノは危ない目に遭おうとしてるんすから」

「そんなことないですよ」

「日が暮れかけているときに一人で出かけようとして、何がそんなことないっすか。せめてカルムが戻ってくるまで待つっす」


 揺らぎなくユノを見返し、アルセらしい言葉で伝えてくる。ユノの杖がアルセの手の中にあるから、従わざるをえない。いつの間に人質──いや、()()にされていたのか。


「わかりました。アルセ殿まで、リディオル殿と同じようなことするんですから」


 杖を奪えば魔術が使えなくなる。その法則に当てはまらない人が、ユノの脳裏に浮かんだ。


「それは、魔術師があの人だから仕方ないっすよ。人は、身近にいる人に似てるんすよ」

「そうなんですね」


 アルセの身近にいる人。リディオルだけでなく、ユノやカルムも含まれるのだろう。

 と、いうことは。


「……それって、暗にオレもリディオル殿に似てるって言ってます?」

「バレたっすか。近くにいてその人を見てるなら、何かしら影響を受けていることは間違いないっすよ。うちも、カルムも、ユノも。もちろん、リディオル殿だってそうだと思うんす」


 自信満々に言い切られると、妙に説得力がある。納得してしまう。しかし、どの部分が似ているのだろう。聞いてみたくもあり、同時に聞きたくもなく。


「自分ではわからないですね……」

「ユノだって、前と全然違うっすよ。ユノ、初めて会ったとき喋らなかったっすからね」


 アルセがししし、と笑う。そのとおりではあるのだけれど、改めて言われると、なんというか、気恥ずかしい。


「緊張していたんだと思います。遠巻きに噂されるのが多かったですし」

 賢人見習いになるには、十五歳を迎えていなければならない。


 それが決まりではあるが、過去に十五歳で見習いになった者はいなかった。ユノがここに来るまでは。

 過去最年少見習いだと言われ、王宮では興味津々といった体で見られることが多かった。町で向けられた嫉妬や羨望のまなざしよりはましだったけれど、それでも注目されたことに変わりはなかった。

 今でこそ周囲の目は落ち着いたが、天才少年と揶揄してくる魔術師がいることだし。


「あのときはリディオル殿がほとんどつきっきりでしたし、リディオル殿がいないときはアルセ殿やカルム殿が傍にいてくれましたから。少しずつ慣れていったんじゃないかと思うんです。アルセ殿はずっと話しかけてくれましたし。ありがとうございました」


 一人で息苦しくて。どこを向いても人ばかりで。息の吐けない日々だった。気が休まらず、何かに急かされるような毎日だった。

 人の目と噂に晒され続けるのが、あれほど神経をすり減らすと思ってもみなかった。


「どういたしましてっす。あれ、実はリディオル殿の指示だったんすよ」

「──リディオル殿が?」

「そっす」


 アルセは笑って頷く。

「来たばかりで慣れていないだろうし、無駄に注目されて疲弊してるだろうから、ユノを一人にしておくなって、言われてたんすよ。言った本人が一番傍にいなかったすけどね」

 ユノは、環境に馴染もうと考えるばかりで精一杯だった。

 しかしよく考えてみれば、あの頃ユノが不自由なく過ごせていたのは、リディオルやアルセ、カルムの助力が大きかったのだろう。


「そうだったんですね……。オレ、知らないところで皆さんに助けられてばかりですね」

「ユノに限った話じゃないっすよ。うちだってそうっす。だから、目に見える全部と、楽なことが当たり前じゃないのを、肝に銘じているんす。書物は、書いてくれた人がいるから記録となった。果物は、木が育ててくれたから実をつけた。道ができたのは、誰かがそこを歩いたからできあがった──全てを初めから手がけたら途方もない時間と労力が必要っす。けれどその前に取りかかってくれた人がいたから、うちらは楽ができて、誰かや何かの恩恵に与っていられるんす」


 差し出された杖を、ユノは右手で受け取る。


「──なんて言っても、気づかないことの方がまだまだ多いんすけどね。気づけた分だけ、誰かがその当たり前を作り上げてくれたことに感謝しようと思うんす」


 規則があるから規律が生まれる。先人たちがいたから、続きを甘受できる。決して初めからそこに存在していたのではなく、労せずに出現したのでもないのだ。


「いいですね、そういう考え方」


 誰かが敷いた道の上に、ユノたちは立っている。それを忘れてはならない。続きを行くも、別の道に進むも、ユノ次第だ。


「ユノも真似していいんすよ?」


 もったいぶった言い方に、ユノは笑ってしまった。


「じゃあ、そうしますね」

「同盟結成っす」


 類をもって集まると。


「さっき、人は身近な人に似るって言ったっすけど、似た者同士は自然と集まるんすよ」


 アルセは朗らかに言った。


「アルセ殿」

「なんすか?」


 迷った末、ユノは伝えることにした。


「さっきアルセ殿が歌ってたの、素敵でしたよ」

 アルセは口をぱくぱくとさせ、ユノを指差して叫んだ。

「そういうこと、今言うんすか!?」

「有言実行ですよ」

「うー……複雑っす」


 アルセは真っ赤な顔をして、「もう塔で歌うのやめとくっす……」と呪いのように呟く。


「上手でしたし、今度また聞かせてください」

「……ありがとうっす。気が向いたらっすね。うちは夕飯作りにこもるっすよ!」

「はい、楽しみにしています」


 逃げるように出て行ったアルセを見送り、ユノは中断していた本を読み始める。

 早く終わらせて、カルムを待とう。戻ってきたら、すぐに出られるように。



  **



「ただいま戻りました」


 いつものとおりに告げてから、そういえばここは治療室ではないと思い当たる。何やら書きものをしていた彼の姿に、つい勘違いをしてしまった。


「おかえりセーミャさん」


 セーミャの心中を意に介さず、いつものように返される。小さなことで悩んでいるのがどうでも良くなってきた。さっと目を走らせた室内には、彼と、よく眠っているらしいラスターしか見当たらない。今のうち、か。


「先ほどの、聞いてはいけないことでしたか?」


 ずっと、セーミャの頭の中に居座っている。


「なんのこと?」

「リディオル殿がつけていた腕輪です」


 流麗を綴り続けていた彼の筆記具が、岩にぶつかったように止まる。


「ルース、話したくなさそうな顔をしていましたから」


 顔だけではない。様子、態度、雰囲気、そのどれもからにじみ出ていた。


「うーん……ちょっとね。ごめん、セーミャさんにも言えない」

「わかりました。聞きません」


 知ってはいるけど話せないというなら、これ以上聞いても仕方ない。セーミャも深い意味を持って聞いたわけではないのだ。ただなんとなく目について、気になっただけで。

 それもあのリディオルのことだ。理由なくつけているわけではないだろう。意表を突いて突然おしゃれに目覚めた、という理由だったら面白い。真相は知らずとも、想像して密かに楽しむくらいはいいだろう。

 ──と、じっと見られている視線を感じた。


「なんですか?」

「もう少し食い下がられるかと思ってた」


 その顔には意外だと描かれている。何でもかんでも根掘り葉掘り聞くわけにはいかないし、セーミャはそこまで聞き分けが悪くないとは思っている。あくまで自分の中では、だが。


「わたしはお師匠様で慣れていますから。まだ教えてくれるだけありがたいです」

「そっか。それは心強い」


 ごほんとわざとらしい咳払いがした。


「──それと、セーミャさん」

「はい?」

「名前」


 苦笑しながら言うエリウスに、セーミャは失言をしていたことを知る。


「……すいませんでした。エリウス殿」


 完全に無意識だった。今だけでなく、さっきも何度か呼んでしまった気がする。


「いいよ、俺は気にしてないけど、一応ね? セーミャさん、気が緩むと出ちゃうじゃない」

「わたしが気にします……以後、気をつけますので」


 彼が治療師を継いでから、間違えて呼んでしまったりはしなかったのに。どうして今頃、そんな呼び間違いをしてしまったのだろう。

 ルースは治療師。彼がエリウス。

 目を閉じて、脳内にしかと刻み込む。彼こそが、エリウスなのだと。


「別に、誰もいないところだったらいいよ」


 必死に刻み込ませているセーミャに、彼は言う。


「俺はエリウス=ハイレンだけど、ルース=フォルティスでもある。どっちも俺であることに変わりはない。だから、ルースって呼んでくれるなら嬉しいかな。セーミャさんが忘れないように」


 治療師で、エリウスで、立場が変わっても彼が『ルース』だ。その根幹まで変わりはしない。

 たとえ呼ばれる機会が少なくなってしまったとしても。


「治療師になったからって、数日で忘れるわけないじゃないですか。ルースはルースです」

「ありがとう、セーミャさん」


 へらっとした気の抜けた笑顔が寄越される。それを見て、むくむくと湧き上がってきた心がひとつ。


「呼ぶかどうかはわかりませんが」

「ちょっと、セーミャさん。俺の感謝返してよ」

「一度いただいたものを返すのは流儀に反します」

「そんな流儀、早急に改善しといてよ」


 エリウスが参るまで、時間の問題だろう。レーシェが戻ってくるか、エリウスが降参するのが先か。いい勝負ではないだろうか。

 立場が変わっても、どれだけ名前が変わろうとも、変わらない関係だってある。利点欠点、一方だけでは説明しきれないのだ。



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