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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
145/207

145,大人になったらなんだって


 薄い灰と濃い灰。重なり合った雲の向こうには、目も覚めるほどの快晴が広がっているのだろうか。

 覆われた分厚い雲から圧迫を感じないのは、空が高いからだ。もっと低い位置まで迫られていたなら、より鬱々(うつうつ)とした気持ちになっていたに違いない。

 意識を外に逃がしたくなったのは、どんよりとした空気が隣からずっと漂っているからだ。

 書庫から探り当てた資料を左脇に抱え直し、グレイは左隣を見る。


 肩を落とし、ため息を吐きながら歩いている同僚。残念ながら励ます言葉は持ち合わせていない。

 ほとんど二人だけでこなすしかない現状。毎日顔を合わせるのは変わらないが、それでも他の者がいるのといないのでは大きく異なるのを知った。

 初めのうちは気を紛らわせようと喋っていたファイクも、ここ数日はすっかり無口になってしまった。元々口数の少ないグレイに、ナキ以外とはほとんど喋らないファイクという二人だ。急ににぎやかに振る舞えという方が無理な注文である。

 ナキが起こした事件で衝撃が収まらぬまま、今度はラスターだ。受けた衝撃は小さくなるどころか、より大きく広がってしまった。


 薬膳酒を煮込んで、治療室に届ける薬を調合して、何か作業に没頭していたいと思うほどに、この状況を一度忘れてしまいたい。

 考えることで簡単に答えを見いだせたなら、すぐにでも状況が好転するなら──希望的観測だ。

 隣からはため息が吐かれる。これで通算何度目になるだろう。


「ファイク、気が滅入るからしゃんとしろ」

「だってさー……」


 ファイクも無意識のうちなのだろう。こんな事態に陥っている中で、少しでも通常の状態を維持しようと、目の前の作業や業務に集中して。けれども無視できない現実が、ファイクにため息をこぼさせる。グレイが薬膳酒作りに没頭するように。


「ナキがあんなことになって、ラスターがこんな状態になって、レーシェ殿もラスターにつきっきりで? どうしたらいいんだよ、僕ら二人で……」

「俺たち二人だけじゃない。ナキも、ラスターも。治療師たちがついてくれている。できることを、ひとつずつやっていくしかないだろう」


 気落ちしているファイクの気持ちがわからないでもない。自分も似たような状況だと思うも、それに委ねていては何も変わらないことも。

 変えなければならない。動かなければ、何も変わらない。


「そうだけどさー……じゃあ、僕らがしてあげられることって何?」

「薬を作ること。治療師たちの補佐をすること──人にばっかり頼ってないで、おまえも自分で考えろ」


 とは言ったものの、グレイも何をすべきかよくわかっていない。不安なのか。ファイクほど口には出さずとも、先行きの見えないこれからと、二人だけしか動けないということに。

 改めてのしかかってくる事実が、こうも重いと感じるとは。

 なんでもできると思っていた。大人になればなんでもこなせて、できないことは何もなくなるのだと。でも、現実には違った。大人になっても、できないことは誰にだってある。

 何ができるようになっただろう。今より幼かった頃と比べて。

 力は強くなった。体格も大きく成長した。様々なものに触れ、見聞きし、知識は増え──けれどそれだけかもしれない。

 かつて描いた大人の姿。なんでも知っていて、なんでもできて、立派という姿をした人間だった。


 それが、どうだ。

 今のグレイは、あまりにかけ離れている。大人という姿を模して、立派という形を作り上げて、崩さないように取り繕っているだけだ。

 それはまるで、年の数だけを重ねた子どものようだ。現状ひとつ変えられやしないのに、正しく大人と呼べるのだろうか。


「ラスターがずっと聞いてたけどさ」


 ファイクのひと言で我に返る。何かを考え始めている彼に。


「シェリック殿の居場所って、どこだと思う?」

「地下牢だろう」


 内心ありがたく思いながら、ファイクの思考に乗らせてもらう。そうすれば大人に近づけるのではないかと、打算的な思いも少なからずあった。

 罪を犯した者が、一時的に入れられる場所。うわごとのように繰り返し尋ねていたラスターの意識を別の方に向けようと、レーシェと治療師見習いの女性はずっと話しかけていた。

 逸らしても逸らしてもラスターは尋ねていて、最後には薬でラスターを眠らせていた。

 眠らせたラスターを前にして、治療師見習いの女性が祈るように泣いていたのを、グレイは見て見ぬふりをした。ラスターを傷つけた相手だろうに、ラスターも治療師の女性も、どうしてそこまで健気なのだ。

 憎めない。信じたい。彼という人格を知るからこそ、そう思うのか。

 ──理解が及ばない。


 危害を加えられたなら、恨めばいいだろうに。糾弾して、問い詰めて、嫌悪すればいいだろうに。どうしてそうしない。


「僕らなら行けるかな」


 ぴたりと足を止める。隣にファイクはいない。

 振り返ったグレイへと、ファイクは目だけで訴えてくる。

 何を考えているのか、グレイならばわかるだろうと。買いかぶらないでほしいものだ。どうしてこう、ファイクも彼女たちと同じなのだ。

 理解が及ばないのに、わかってしまう。ファイクの言いたいことが、やろうとしていることが。そうして、それを反対しようとするグレイがいないことも。

 理屈なんかで説明できやしない。これほどまでに彼をかばおうとするラスターの意向を汲みたいと、またラスターを害した彼の真意を知りたいと思ってしまったのだ。


「会える保証はないが、ラスターが行くより可能性はあるんじゃないか?」

「だよね」


 ファイクはにかっと笑う。


「そしたらグレイ、君も道連れだ。あとで一緒に、レーシェ殿に怒られてよ」


 それはもう決定事項だ。どんな流れであったとしても、彼を敵視しているレーシェから叱責を受ける事態は避けられない。


「仕方ないな──それで? お目通りが叶う言い訳は考えてるのか?」

「そんなの簡単だよ」


 羽織っていた外套をつまみ、グレイに教えてくれる。


「治療の一環です、って?」

「そうそう。薬を作るだけが僕らの仕事じゃないからね」


 何も考えていなかったのではない。ひとつひとつ可能性を挙げて、できないことを潰して、ファイクなりに考えをめぐらせていたのだ。

 頼っていたのは実のところ、グレイの方だったかもしれない。


「頼もしいな」

「何言ってんの」


 ファイクは腰に手を当てる。そして、グレイに言ったのだ。


「仲間を助けるためなら、何だってできるよ」


 普段はおどおどしていて気弱なのに、こういうときだけ妙に頼もしくなる。

 だから、少しだけからかってしまいたくなったのだ。


「ナキ限定じゃなくてもか?」

「ひどい言い草だなあ。君だって、ラスターだって、仲間だよ」


 心底心外だと言いたそうに、ファイクが口を尖らせる。そうして口の端に乗せるだけ、笑ってみせた。



  **



 おまえと同い年くらいの弟がいるから、いつか会わせてやりたいと。彼の下にいた見習いがそう話していたと、彼が──シェリックが教えてくれた。

 知らぬ存ぜぬでいたつもりはなかった。顔を合わせれば挨拶くらいはしたし、素知らぬふりをしていたところで、どうせあっちから絡んでくるのだ。元より、リディオルに選択肢なんてものはなかった。

 振り回されていたのはリディオルだけではないと、いつもシェリックに教えられていた。振り回すくせに面倒見は良くて、何度助けられたかわからないと──シェリックはそうも言っていたか。


 袂を分かつことになってしまった理由を、どう説明すればいいのだろう。

 ぎこちなさと、違和感と。

 兆候はあった。思い返せばそうだと思える場面はいくつかあった。それが決定的に露見したあの日は、リディオルだけでなく、あのとき王宮にいた者全ての記憶に刻まれたと言っても過言ではない。

 初めて手にした、竜と剣が描かれた身分証。譲り受けた星命石。

 リディオルのものだと言われても実感はなかった。何の変哲もない一枚の証と小さな石。羽織っていたのはそれまでと変わらない外套だったのに、肩の重さが増した気がした。これが、賢人を継ぐということなのかと、わからないながらに納得はしていた。

 知ってはいるだろうが報告ついでに驚かせてやろうと、気まぐれな風を呼び寄せて、リディオルはその声を聞いた。


『──レーシェ!!』


 焦りを帯び、絶叫と称してもいいほどの、ふり絞られたシェリックの声を。

 なぜ。何が。

 深く考えるまでもなく、風に命じて頂上までを一気に飛んだ。

 広がる惨状に息を呑み、躊躇したのは一瞬。殺されかけていたシェリックの間に入り、リディオルは真っ向から向き合った。血走った目でにらまれ、状況を問うよりも彼らの間に入ることを選んでしまった。

 動揺を隠しきれずに対峙することも。なぜと問い質したい衝動を抑えることも。

『ナル、邪魔をするな!』

『そりゃあ、聞けねぇ相談だな』

 項垂れたシェリックがいて、レーシェが倒れていて、短剣を構えたギアがいて。これは、何の冗談かと──


 遠い、あの日の記憶。

 言葉はなく、涼やかな瞳が、あれほどわかりにくかった彼女の感情を何よりも雄弁に語ってくれる。

 注がれるのは疑いの眼差し。勘弁してくれと言いたくなるほどに、リディオルの考えを見透かそうとしてくる。心の奥底に何を隠しているのかと。どんな意図が隠されているのかと。彼女の瞳には、それを暴こうと探る密かなたくらみを宿して。


「──それを聞いたところで、あんたに何か利はあるんです?」


 かつて、占星術師の見習いであったギア=ハクレシア。彼とリディオルの関係性を表沙汰にされても、一部の人間は既に知っていることだ。リディオルが彼の前に立ちふさがったことも──いや、知らないからこその言葉か。

 そのリディオルが? 誰に復讐を考えていると? 笑わせてくれるではないか。


「私は可能性を列挙したに過ぎません。納得のいく別の可能性をお持ちでしたら、是非ともお教え願いたいですが──」


 あるものなら今ここで出してみろと言わんばかりに。

 どの口が可能性だと言うのか。こちらの意向など無視して、勝手に判断を下しただけではないか。可能性などという生易しいものではない。疑わしき欠片を集めて組み立てただけの冤罪えんざいだ。


「リディオル殿、疑いが強まるか弱まるか──あなたの回答次第です」

「そりゃ、ありがたい配慮をしてくれますね」


 わかりやすい脅しをかけてくれる。

 どう答えたところで、リディオルの疑いが完全に晴れることはないだろう。

 同時にシェリックが牢から出される選択肢もない。ここにあるのは、シェリックに下される罰がより重くなるか僅かに軽くなるか、それだけだ。

 ならば、リディオルの答えはひとつしかない。


「では──」

「ええ。回答を拒否します」

「なぜです?」


 ジルクにとっては本気で予想外だったようで、間髪入れずに詰め寄られた。


「かけられた嫌疑を晴らそうとは思わないのですか? 不自由なその身で、あなたに何ができるのです?」


 まるで、今のリディオルでは何もできないと言いたげに。


「別に、煩わしかった声が少しばかりなくなっただけですよ。何も、不自由ばかりではありません。それに、権利は人に強いるためのものではありませんよ。そうでしょう、ジルク=メントーア殿」

「その選択をされたこと、今に後悔しますよ。あなたご自身が置かれている立場を、努々(ゆめゆめ)お忘れなきよう」


 固い面持ちを崩さずに引き下がったジルクは、リディオルに背を向けて去っていく。

 その背が角を曲がったのを確認して、リディオルは首を回した。彼女との会話は、毎度肩が凝って仕方ない。

 もう十分距離ができた頃だろう。彼女がいなくなった方向へと歩く。意識して歩を遅くして。間違っても、もういちど顔を合わせたりしないように。

 まさか、出待ちされるとは思っていなかったが──塔に押しかけられるよりはまだいいか。

 導師である彼女がいつも身を置いている部屋と、リディオルたちがいる塔は隣同士に位置している。

 見習いたちに見せたい光景ではない。まだ人払いをした部屋で話した方がましだと言えるが、前提条件として、リディオルが彼女と二人で話したくない。

 苦手なのだ。彼女は。

 何か言いたいことを隠していたようにも見えたが、彼女の考えは元より読めた試しがない。

 場所がどこであれ、話の内容が何であれ、また相手が誰であったとしても。

 どれだけの交渉材料を提示されようとも、かけられた天秤がもう片方に傾くことはない。不便ではあるし、計画にも支障が出てくるが──


「ま、やるしかねぇな」


 呟いただけなのに、やけにはっきりと耳まで届く。王宮は、こんなにも静かな場所であったのかと改めて感じるくらいに。

 そう、静かだ。

 きっと、膨れ面をしているだろう。リディオルに何を話しかけても何も反応がないから。そのうち本当に愛想をつかされてしまうかもしれない。

 利便性だけで片づけていい問題ではない。無茶を言うなと怒鳴り込んだなら、改善の余地くらいは与えてくれるのだろうか。あまり期待を抱かずにいよう。一考どころか、なだめられて終わる未来が浮かぶ。

 柔らかい風が、リディオルにその人を見つけさせた。


「待たせたみたいでわりぃな」


 花壇の端、しゃがんで葉を摘んでいたセーミャが面を上げた。


「いえ、今来たところですから」


 セーミャの両手で簡単に持てるそのかごには、今摘み取ったばかりの葉が十枚ほど入っている。確かに、言葉どおり今来たばかりのようだ。

 薬草園の端。甘いような、苦いような、独特の香りが漂ってくる。


「お話って、なんです?」


 かごを置き、膝を伸ばしたセーミャが尋ねてくる。

 使える作戦がまだ残っているのなら。

 切れる手札があるならば。

 リディオルは惜しみなく、使わせてもらうだけだ。



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