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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
144/207

144,広がる波紋はとめどなく


 眠りに落ちたラスターが穏やかな寝息になったのを見届けて、セーミャは彼女の肩まで布団を引き上げた。久しぶりに長時間話したからだろう。ジルクやリディオルが去ったあとにはもう、まぶたが半分落ちかかっていた。

 話を聞く。考える。答える。それだけで手一杯になってしまうほど、ラスターは消耗しているということだ。体力だけでなく、精神的にも。

 話しかけるセーミャへ返事はする。反応もできる。ただ、彼女の表情は乏しく、両の目からは絶えず涙が流れていて、このままでは枯れ果ててしまうのではないかと思ったほどだ。

 あれほどくるくると表情豊かに変化していた彼女はどこへ行ってしまったのか。


 あれから、十日だ。彼女が初めに目を覚ましてから。ラスターが殺されかけてからは、さらに十日ほど経っている。時間が、ラスターの傷を癒やしてくれるのだろうか。

 断片的に意識が浮上して、叫んで、うなされて、ときに暴れて。ようやく少し話せるようになったのに、気をつけていたのに──結果として、ラスターに強い衝動を与えてしまった。

 ──もう、死んじゃってるって、コト?

 まだ、話をさせるべきではなかった。セーミャ達治療師の面々が止めるべきだったのだ。ジルクと話してしまったせいで、回復しかけていた心の余裕を根こそぎ奪い取られてしまったのだから。


 治療室からレーシェの私室へと、早めに動かしていたのは正解だった。王宮に来てから日の浅いラスターにとって、真に落ち着ける居場所はまだないだろう。強いて挙げるなら薬室かもしれないが、あの部屋に寝台は置いていない。

 レーシェからの強い希望と、ラスターが比較的長く過ごしていた場所ならば少しは落ち着けるのではないかという判断がくだされ、現状に至る。


「セーミャさん、どう?」


 リディオルに連れられてから、なにやら調べものをしていたらしい治療師が近づいてくる。


「今日は眠ってくれました」

「そう……なら、良かった」


 用意していた薬は、冷めてしまった白湯の横に置かれている。使わずにいられたのはしばらくぶりだ。

 使わずに済むなら、それに越したことはなかった。けれども、暴れるラスターを押さえるために、使うしか方法はなかった。

 夢を見ずに眠れるように。どこまでも追ってくる悪夢から、救ってあげられるように。

 夢を見ないほどの深い眠りへと、強制的に落とす妙薬。ラスターに使わなければならなかったのは、そういう類の薬だ。

 ラスターが怖がっているのを、苦しんでいるのを、セーミャは近くで見てきた。何か起きたときにはいつでも対処できるようにと、レーシェと協力してラスターの傍にいた。ラスターが泣きながら眠っていることも、絶叫して飛び起きたことも知っている。

 それなのに。


「ずっと、聞いてくるんです。シェリック殿の行方を。会いたいと。恨まれ続けていたその理由が知りたいからと。──レーシェ殿が、許すはずがないのに……ジルク殿が言ったシェリック殿をかばっているというのは、無意識なんでしょうね……」

「うん。ラスターさんがいくら望んでも、シェリック殿との面会は難しい。僕らですら会いに行けるかどうかも危うい。シェリック殿は、ラスターさんにとって信頼できる人だったんだろうね」

「信じたい、のかもしれません。殺されかけたことが信じられない、だけど信じたい、と」


 六年前には禁術を使い、最果ての牢屋に送られた。今回は、未遂とはいえ人を手にかけようとしたのだ。それも、彼が連れてきたラスターを。


「どんな気持ちだったんだろうね、シェリック殿は。俺がラスターさんと同じ立場だったら……許せないかな」

「──ルース」

「ん?」


 思考に落ち込みかけた顔がついと上げられる。彼は何を考えてラスターを殺そうとしたのだろう。セーミャならば、どうするだろう。


「仮に、人を殺したいほど憎んでいて、わざわざ人目につく形で事を成します?」

「場合にもよるけど、まず隠すかな。殺人ほど重い罪はない」

「どうして、今、なんでしょう……」


 賢人が四人殺されたこの時期に。警戒されているこの王宮で。


「あの……」


 ためらいがちにかけられた声。

 そっと開かれた扉が、セーミャたちの意識を引き戻す。扉の影からセーミャたちをうかがっていたのはユノだった。

 室内をきょろきょろと見回し、セーミャたちに尋ねてくる。


「こちらに、リディオル殿はいませんか?」


 セーミャは首をめぐらせ、時計を見上げた。彼が出て行ってから半刻は経ったか。


「少し前に出て行ったよ? 塔に戻ってない?」

「いえ、いないです……それと、その……」


 もじもじとするユノにぴんとくる。


「もしかしてユノ殿、ラスターのお見舞いですか?」

「はい。あの、でも、無理でしたら日を改めます」

「ついさっき眠ったばかりだから、話すのは無理かな」

「……そうですよね」

「ただ」


 肩を落としたユノへ、提案する。


「ユノくん、俺に話したいことある? 何か言いたそうな顔してる」


 指摘されたユノは迷う素振りを消し、力強く頷いた。


「──はい。今の会話を聞いてしまって、凄く、こじつけじみた考えなんですけど……オレ、ラスターから星命石にひびが入った話を聞いたんです。オレの怪我はそのせいじゃないかと言われて、そのときは違うと否定したんですけど……」

「星命石の言い伝えか……。でもあれは、粗雑に扱ったりしないように言い含められるものだから、関係ないと思うよ」

「そうなんですか?」

「うん。あくまでも噂で言い伝え。結びつけたがるのは人間だ」


 良かったことも、悪かったことも。そこに何かの力が働いた気になるのは、人がそう信じたいからだろう。人でない何者かの力が働いたのだと。


「でも、信じたくなるのもわかるよ。理屈では説明つかない事象が起きたとき、何か人ではあらざる存在の力があったって思いたくなるのも。信じる力は、ときに思いがけないくらいの強さを発揮するから」


 ユノが神妙に頷いた。


「思いを形作るのも得意ですよね」

「そういうこと。──だから、何か引っかかる」


 人の好さそうな顔を真顔に変えて、口元に手を当てる。


「今から俺、凄く胸くそ悪くなること言うよ」


 そう前置きをして。


「シェリック殿がどんな人か、俺は知らない。仮にシェリック殿がラスターさんを信じていたとしよう。その信頼を裏切るできごとが起こってしまった。それか、シェリック殿がラスターさんを憎んでいたとしよう。ラスターさんをわざわざ王宮に連れてきて、手にかけようとするかな? 手間も時間もかかる上に、あえて王宮でってところが引っかかるし……あたかも見せつけるように?」

「……それ、誰にですか? レーシェ殿に、なんですか?」


 彼が口にしたのも、セーミャが今話したことも、想像で予測だ。


「わからない。でも、ただ殺すだけなら、道中で殺してしまえばいい。それこそ山中とか、人里離れた獣道とかでね。見られるのも、知られるのも、危険はずっと低い。──ラスターさんが何かしてしまった可能性は、あると思う?」

「──ありえません」


 問われたセーミャはひと言で切り捨てる。


「仮にそうだとしても、簡単に崩れる関係には見えませんでした」


 嫌な想像ばかり駆け巡る。仮定とは言え、考えていて気分がいいものではない。


「シェリック殿はラスターを気にかけていました。何も思わなかったなら、無視すればいいんです。ラスターもシェリック殿のことを考えていて、彼を信じていたんです」


 ──待って!

 セーミャの前で座っていたキーシャに両手を突き出して。シェリック=エトワールという人物が犯した罪を語ろうとしたキーシャを、ラスターは止めたのだ。シェリックのいないところで、本人かもしれない人の過去を勝手に聞いてしまうのはいけないと。

 ラスターは決して是としなかった。聞くのであれば、本人からでなければならないと。


「お互いがお互いを思い合っていたのに、こんなことするでしょうか?」

「うーん……でも、実際に起きてしまった。何がきっかけだろうね?」


 至らない考えが、セーミャの頭を悩ませる。何をどう浮かべたところで、答えが出ないことはわかりきっているのだ。シェリック本人から話を聞けるならば、一番手っ取り早い。彼が本当のことを語ってくれるかどうかはわからないが。

 セーミャの視界の端で何かが光る。吸い寄せられたその光に、抱いていた疑問が口から飛び出た。


「そういえば、リディオル殿の腕輪ってご存知です?」


 ユノがここを訪れたのも、リディオルを探してのことだった。

 装飾品を好まない男性しかいない中で挙げるのもどうかと思ったが、魔術師である彼も装飾品を好んでつける人ではなかったはずだ。それなのに、いつの間にか彼の両腕には腕輪がついていた。

 逆に目立つのは誰だろう。一番に思い浮かぶのが、楽士だったレマイル。指輪に腕輪、首飾り、耳飾り、髪飾りと、彼女は全身を飾り立てていた。しかし、殺されてしまった彼女は、もうこの世にはいない。彼女が身に着けていたその装飾品ごと、土に還ってしまった。

 導師であるジルクは、その容姿こそが装飾品なのではないかと思うくらい綺麗だ。そしてレーシェ。身につけた深い青の耳飾りは、彼女の星命石だと聞いた覚えがある。

 だから、普段身につけないリディオルの装飾品は、目立ったのだ。珍しいと思いはしたけれど、その場で尋ねられる雰囲気ではなかった。だから、セーミャは今の今まで尋ねる機会を失っていた。

 先にユノが反応を示す。


「──腕輪、ですか?」

「ええ、そうです。珍しいですよね。リディオル殿、装飾品なんてつけていなかったのに。ユノ殿はご存知ですか?」

「いえ、初耳です。最近すれ違うことが多かったので、ちゃんと顔を合わせていなくて……」

「じゃあ、どなたかのもらいものでしょうか──どうかしました?」


 治療師からは答えがない。なんとも言えない表情で口を引き結んでいる。


「──え? あ、セーミャさんごめん。何か言った?」


 ぱっとこちらを向いた彼に、セーミャは彼の耳を差した。


「いえ……耳飾りの他に、装飾品をつけたりしないんですか?」

「俺? いや、似合わないでしょ。つけるなら、俺よりセーミャさんじゃない?」

「診るとき邪魔になるじゃないですか。薬品も扱いますし」

「じゃあ、俺も同じだ」

「似合わないって言ったのは誰ですか」


 舌の根も乾かぬうちに、だ。


「リディオル殿を探しているそうですけど、ユノ殿はこれから塔まで戻られるんですか?」

「そうですね。リディオル殿が戻っているかもしれないので、オレも戻ってみます。ラスターの様子も確認できましたから」


 顔を曇らせるユノが言いたいことは、セーミャにもわかる。ユノも、治療室で叫んでいたラスターの声を聞く場面に何度か遭遇しているし、その度に気遣う素振りを見せていた。

 何の手出しもできないことが、見ているだけでしないのが、歯がゆいのだろう。

 話したいのだろう。元気づけてもあげたいのだろう。

 けれども適切な言葉が浮かばなくて、それしか言えなくて、今ラスターに伝えることもできなくて、そのことをユノは懊悩している。


「ありがとうございます。オレ、戻りますね」

「でしたら、わたしがお送りします」


 ラスターも眠っているし、少し外しても大丈夫だろう。


「いえ、そんな! 悪いですよ!」

「一人よりは二人ですし、わたしは薬草園に行く用事がありますので」

「反対側じゃないですか。それに、セーミャさんが帰りに一人になってしまいます」

「治療室も寄っていきたいので遠回りなのは承知の上ですよ」

「俺はレーシェ殿が戻ってくるまでここにいるから、行っておいでよ」


 早々に手を振られ、ユノが喉の奥でうなる。


「……そうやって外から埋めていくの、ずるいですよ」

「大人ですので?」

「セーミャさんもこもりっぱなしだったし、気分転換したいでしょう?」

「そうですよ。なので、ユノ殿を送るのはついでですから、お気になさらないでください」


 集中して物事に取りかかるのは嫌いではないが、動けないのも窮屈なのだ。

 ユノの相好が崩れる。


「──敵わないなあ」


 張っていた力を抜いてくれたような、そんな笑みだった。


「では、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃーい」


 セーミャはユノの背中を押し、レーシェの私室を出た。

 治療室は塔に向かう途中にあるから、先に覗いてから行こう。ユノの言うように大回りにはなってしまうけど、薬草園にはそれから向かえばいい。

 先に押し出す形になってしまったユノへ、セーミャはにっこりと笑いかける。


「ユノ殿、行きましょうか」


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