142,彼女が欲したそのわけは
人が生を終えたあとは星になる。
空にあった魂が新しい命となって地上に降り、一生を終えたなら、また空に還る。生と死。空と地上の循環を星の巡りと呼んでいる。
──星にかけて誓う。
それは、決して命だけではない。命すら含めた、死後に戻るはずの星までかけるのだという。自らが星の巡りから外れ、消滅してまでも誓うという意味だ。
それを今、リディオルが口にした。
気負うでもなく、盲信したのでもなく、さも当然だと言いたそうな気配で。
ラスターもシェリックも海から落とされた。シェリックをアルティナに来させるために、ラスターを人質に仕立て上げた。ラスターに許さなくていいと言った。
それなのに、シェリックがラスターを恨むことはあり得ない? 星にかけて誓ってもいい?
ジルクから目を外さない横顔。端整なその表情からは、感情だけでなく、何を考えているのかすら読み取れない。
「なぜそこまで言いきれるのです?」
ラスターの気持ちを代弁したかのように、ジルクは尋ねた。
そう。どうしてだろう。和やかに話していても、互いに敵対していても。ある種の、彼らの二人の間で交わされた信頼とでも言うのだろうか。
ラスターにはわからない。敵対して、酷いことをされたのに、どうしてまた笑い合えるのだろう。
「あいつが、嬢ちゃんとここに来たからだ」
答えどころか、理由にもなっていない。
「俺から話を聞くまで、あいつはレーシェが亡くなったと思い込んでいた。当時のあの状況しか知らねぇなら、仕方ないと言える。あのとき、誰もが最悪の事態を覚悟してた。そのレーシェが生きていた。嬢ちゃんもここに来た。それが理由のひとつじゃないかと思いますが?」
ラスターも、並べられた事実には頷いたが、そこから先にはどうしても繋がらない。なぜラスターとレーシェがここにいることが、シェリックがラスターを恨まない理由になるのか。
「それ、何か関係が──」
治療師が言いかけた先を、ジルクが手を挙げて制する。
彼女は、何かに気づいたようだ。
「ラスター=セドラ殿。あなたは、エクラ=ノチェという人物をご存知ですか?」
尋ねたのはリディオルではなく、ラスターへ。ラスターは、問われたままに頷いた。
「名前だけなら……」
覚えがある。シェリックの話の中に出てきた人物だ。
「名前だけ?」
「シェリックが、呼び出そうとしてた人だよね? 前の占星術師だった人。でも、呼べなくて、ギアって人が来て」
失敗して、レーシェが重傷を負って、シェリックは牢屋に入れられてしまって──どうしてレーシェは、その人を呼び寄せたかったのだろう。
薬師と占星術師。
治療師とは違って、双方に直接的な関わりはない。賢人であるということを除けば、繋がりもないはずだ。
何も反応が返ってこない。不思議に思って見渡したラスターが見たのは、声もなく注がれた四対の目だった。
「──彼が、話したのですか? あなたに?」
意外だと。ジルクから、少し上擦ったような声で訊かれる。
「う、うん」
そんなに驚くことだろうか。シェリックが話さないでいたのか、何か他に理由があったからなのか。やはり、ラスターが聞いてはいけなかったのではないか。
「あの、シェリックはずっと話さなかったんだ。ボクも、聞かなかった。夜にシェリックと会って、占星術師に見習いはいないのかって聞いたら、それも引っくるめて教えてくれた。シェリックは、誰かに聞いてほしかったのかもしれないって言ってた」
「あいつの禁術に関して発言すんなって命令はあるが、あいつの中でひと区切りついたのかもしれねぇな。後悔と反省だけじゃなく、前に進むきっかけでもつかんだんじゃねぇか?」
黙っていたジルクが、ついと顔を上げる。
「今回の件、やはりあなたにも関係があるとお見受けしました。ラスター=セドラ殿」
続けて、彼女はこういった。
「エクラ=ノチェ殿。前占星術師である彼は、レーシェ=ヴェレーノ殿のご主人です。彼女が呼び出そうとしてたことに、何も不思議はないでしょう」
主人。それは、主と従者の関係ということか。ラスターの頭に、キーシャとナクルが浮かんだ。
しかし、レーシェは薬師で、ノチェは占星術師だった人だ。ラスターは首をひねりながら答える。
「レーシェは、仕えてたの?」
「いいえ」
一刀両断され、ラスターの言葉が詰まる。
けれど、なんだろう。その先を、知ってはいけないような気がするのは。
ジルクがことさらゆっくりと教えてくれた。
「エクラ=ノチェ殿は、ラスター=セドラ殿、あなたのお父上です」
ジルクが言う主人とは。
「──え、っと……?」
収まりきらなかった言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
エクラ=ノチェは前占星術師で、シェリックとレーシェが禁術で呼び出そうとしていて、彼はレーシェの主人で。その人が、何だって?
聞いたことがなかった。母から、祖母から。父の話など、一度として。
父がいた。それも、アルティナに。レーシェも、シェリックも、彼とともに?
いつからここにいたのか。どんな人だったのだろう。どんな顔をして、どんな声だったのだろう。背は高いのだろうか。髪は、目は。ラスターと似ているのだろうか。聞きたいことが山ほど湧き上がってくる。説明しきれない不安も一緒に。
──その人は、シェリックとレーシェが呼び出そうとしていた。
シェリックはなんと言っていた? その人を呼び出すために禁術を使ったと。禁術が使われたということは、つまり。ラスターの父でもあるその人は。
「──もう、死んじゃってるって、コト?」
「そうなりますね」
母に会えたのだから、いつか父にも会えたなら。話を聞いたことがなくても、そんな願望を抱いていたのは確かだ。
父がいないどころか、既に亡くなっている? いないとは、そういう意味だったのか。
「──ま、この話はあくまでも客観視した事実だ。嬢ちゃんがあいつにとって大事な二人の娘だという事実に過ぎない。けど、仮に知らなかったとしても、あいつは嬢ちゃんを守ってたんじゃねぇか? でなけりゃ、船であいつがあんなに必死にはなんねぇし、絶望しきってたあいつが、あんな顔で笑わねぇよ」
「絶望……」
他でもない、シェリックが言っていたではないか。
ギアに殺されても良かったと。レーシェが助かるのなら、死んでしまっても良かったと。
シェリックは、どんな気持ちで禁術を求めたのだろう。レーシェに請われて、完全ではなかった禁術を作り上げて。ラスターが出会ったとき、彼は笑っていた。全てを諦めたように見えたのは、決して見間違いではなかった。
「最果ての牢屋に移されるとき、あいつは一切笑ってなかった。ただ無表情で、されるがままだった。嬢ちゃんが変えたんだ。あいつが、笑えるようになった。それだけでも、あいつと嬢ちゃんと出会った価値はある」
ぽとりと。
ひと粒落ちてきたのを皮切りに、涙がどんどん溢れてきた。
「……変えられた? ボク……シェリックの、ために……?」
「あぁ。嬢ちゃんは大した奴だよ」
頭をわしわしと撫でられる。シェリックより力強い右手。
信じたかったのだ。信じたいけど、ラスターは信じきれなかった。ラスターが傍にいても、シェリックのためには何にもなっていないのではないかと。シェリックに話を聞きたいと思う反面、本当は恨まれているのではないかと。確かめるのが、怖くて仕方なかった。
だから、誰かに言って欲しかったのかもしれない。そんなことはないと。シェリックとともに、いてもいいのだと。
起きてしまった事態だけに焦点を当てられて、それ以外は関係ないだなんて、切り捨てられたくなかった。
「ラスターさん、これを使って。ジルク殿、これ以上は……」
「ええ。私はこの辺で失礼しましょう。少し、お休みください、ラスター=セドラ殿。あとはよろしくお願いします、エリウス=ハイレン殿。あなたがいるのなら、リディオル殿もいてくださって構いません」
彼女がそこから退出する音だけ聞こえてきた。
「……ほんっと、いい性格してやがる」
「レーシェ殿への義理立てをしたのでしょう。性格に関しては、あなたもいい勝負ですよ」
「おい、セーミャ嬢」
「ラスター、置いておきますね?」
差し出された器は、寝台の横にある棚へと置かれる。
器から立ち上る湯気を、ぼんやりと眺める。ゆらゆら上り、消えていく様を。
「ラスターさんがここに来たのは、偶然じゃなかったのかもしれないね……」
「偶然だろ。そこに必然性を求めて何になるよ?」
「運命、ですかね」
「それは言えるかもな。けどな、消極的な考えだけを運命だと決めつけんじゃねぇよ。全てが運命だっつーんなら、嬢ちゃんがおまえらと出会ったことだって運命だ」
「それを言うなら、リディオル殿に会ったこともですね。悲観してばかりいられませんよ、エリウス殿」
「それもそうだね」
頭上で交わされる会話をなんとなしに聞いていると、ラスターの肩が、ぽん、と叩かれた。
「嬢ちゃん、わりぃ。手、いいかよ?」
「え?」
見上げた先には、すまなそうに左手を掲げるリディオルがいた。ラスターはようやく気づく。その手をずっと握ったままだった、ラスターの右手がそこにあった。
「……ごめん、借りてた……」
「気にしてねぇよ。──エリウス、ちょっといいか?」
「はい」
「セーミャ嬢、頼んだぜ」
「お任せください」
三人のやり取りがする。
出会いも、これまでのことも、全て運命だというなら。ラスターは、これからに立ち向かっていけるだろうか。
セーミャから呼びかけられ、話したことは覚えている。ちゃんと受け答えできたかどうかはわからない。
それでも、心に灯された小さな灯が、小さかった希望を少しだけ大きくしてくれた気がした。