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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
141/207

141,あなたのためになるのなら


「──レーシェ殿」


 聞いたことのない、声がした。

 視線を上にずらしてぎょっとする。頭から被っている黒い外套もそうだが、口元や首、足先、手首に至るまで、全身が黒く覆われている。

 かろうじて見えるのが金の両目と銀の前髪、それと手袋で隠されていない指先くらいだ。 厳重に隠さなければならないのかと思うくらいに。

 月が地上に降り立ったら、こんな姿をしているのだろうか。近寄りがたい空気がラスターの現実との境を錯覚させた。

 両目を拭い、レーシェがす、と立ち上がる。その人から、ラスターを守るみたいに。


「ラスター、上に座りましょう」


 背中に添えられた手が暖かくて、ラスターは一も二もなく頷いていた。さっきは動いてくれたのに、足も頭も信じられないほどに重い。自分の身体じゃないみたいだ。


「我々が取り決めたのは、彼女が目を覚ますまで、でしたね」

「そう、ですが……」


 ラスターと同じくらいの背丈。いや、もしかしたらラスターより低いかもしれない。年齢はきっと上だろう。口も、頬も、首も隠され、読めない目がラスターをちらと見た。

 ただ、見られただけ。


「約したとおり、彼女に話があります。席を外していただけますか?」

「──約束は守りますわ。ですが、彼が同席するのは想定外です。なぜ、ここに?」

「彼は必要があって同席させているだけです。決して危害を加えることはさせませんのでご安心を。エリウス殿とセーミャ殿もいますし、たとえ事を起こしたとしても、彼に利はありません」

「信用しろ、とおっしゃってます?」

「そう解釈していただいて結構です」


 無表情な金の目が、ラスターと一瞬合わさっただけ。それだけのことに、なぜかひどく安堵したのだ。


「レーシェ殿。ご心配になる気持ち、わかります。ですが、レーシェ殿も参ってしまいます。わたしがラスターについていますので、少し休まれてください。──ああ、でも、もし何かありましたらすぐにお呼びしますので、そちらだけご了承ください」

「……わかったわ。そのときは、遠慮なく起こしてちょうだい。ここだと邪魔になりそうだから、仮眠室にいるわね」

「はい!」


 レーシェは従い、一度ラスターに微笑んで、今度こそそこから出ていく。あとには、月の化身と思しき人とセーミャと治療師、もう一人が残された。

 どんな顔をすればいいのだろう。

 上げられない目に留まったのは、彼の両腕にはめられた銀の腕輪だった。ぶかぶかで、今にも腕から外れてしまいそうだ。なんだか不釣り合いな大きさだと思い、意を決してその人を見上げて──ラスターは目を見張った。


「──リディオル?」

「よう」


 残念じゃなかったと言ったら嘘だ。

 シェリックだと、思ったのだ。そこにいるのはシェリックで、だからラスターからこんなにも遠ざけようとされていたのだと。シェリックでは、なかった。


「ラスター=セドラ殿。お初にお目にかかります。私は十二賢人が一人、導師ジルク=メントーアと申す者です。あなたは、今のご自分の状況をどの程度把握しておいでですか?」


 冴え冴えとした声は、無駄話など一切挟まず尋ねてくる。必要なことだけを。

 状況。夢を見ていたこと。ラスターは夢の中にいたこと。

 どうして戻ってきたのだっけ。


「夢を、見てて」


 帰らなきゃならない。


「おばあちゃんだと思ったら、お母さんがいて」


 忘れなさいと。祖母の元に帰るべきだと言われて。ラスターはそれを断って。


「ここに来ちゃ、いけないって──」


 ──いや、そうではない。この人が聞きたいのは、きっとそんなことではない。

 何があった? ラスターは誰と話した? どこまでが夢だった? どれが本物だった?

 頭がずきずきする。思い出そうとするのを拒むかのように。


「ジルク殿、やはり今は──」

「共感と同情は結構ですが、事態を把握しなければ何も始まりません。それは、彼女とて理解しているでしょう」


 降ってくる声がふつりと途切れる。

 ──あなたはここに、来るべきじゃなかった。

 レーシェが泣いたのは。夢をさまよったのは。シェリックがいないのは。

 起きたらリディオルがいて。セーミャがいて。

 胸に押し当てた手が、固い感触に触れた。


「星命石……」


 そうだ。ラスターはユノを探していた。それよりもっと前。星命石の言い伝えを聞いて、ユノを探して、シェリックに出会って。


「シェリック、に……」


 じっとりと、嫌な汗が浮かんでくる。冷えた手が、詰まる息が、呼吸の仕方を忘れていく。あんなに簡単だったのに、どう息をしていいかわからなくなる。シェリックに出会って、それから?


「ラスター、ゆっくりでいいんですよ」


 背中を優しくさすられたのは、そのときだった。


「僕らがついてる。話したくなければ話さなくていいからね」


 セーミャの手が、治療師の言葉が、ラスターの傍にいてくれる。背中がじんわりと暖かくなっていく。


「ジルク殿」

「ええ。理解はしているようですね」


 淡々と、事務的に。交わされているやり取りがひどく遠くに思えて、ラスターは一人、取り残されてしまう。ここはまだ、夢の途中なのかと疑いたくなるほどに。セーミャの手だけが、現実と繋ぐしるべのようで。

 少しずつ、呼吸が楽になる。


「三年……一緒に、いたんだ」


 たった三年。

 最果ての牢屋で出会ってから。彼を連れだしてから。お互いの素性を何も語らずに。

 変な関係だった。家族でもない。恋人でもない。ただ二人でいただけの、旅の連れだった。

 そうだ。出会い頭に鉄の枷を投げられたんだった。


「信じる。ボクは……シェリックを、信じたい」

「彼に害されたのに?」


 ひゅっ、と。

 喉から変な音がした。


「ラスターさん、息を吐いて。何も詰まってなんかいないからね。君は息ができる。そう、ゆっくり。全身に行き渡るように。吐いて、吸って。そう、上手だね」


 どうして、部屋の温度が急激に下がったのだろう。


「さ、む──」

「白湯を持ってきます。ラスター、ちょっと待っててくださいね」


 歯の根ががちがちと合わさらない。肩がふわりと包み込まれ、ラスターは落とさないようにしがみついた。それでも暖かくはならない。


「ラスター殿」


 かがんだジルクの顔が大きく映る。


「そこまで覚えていながら、どうして彼をかばい立てするんです?」

「……かばう?」


 誰を? 何を? 何から?

 シェリック、を?


「あなたは彼に会いたいとのこと。彼と話をする余地があるということでしょう?」

「かばってなんか、ない……」


 かばってなどいない。ラスターは訊きたいだけだ。シェリックがあんなことをした理由を。それを聞かずには帰れないからだ。

 縋りついた右手が何かをつかむ。そこだけいやに温かくて、だからラスターは凍えずにいられた。覚えている、この暖かさを。まだ、忘れていない。

 声にしなければ、言葉にしなければ、思いは伝わらない。右手の熱が、勇気をくれた。


「──恨まれてたのかな」


 その言葉は、ぽつりと零れ落ちた。

 ラスターの気づかないところで、彼からずっと。一緒にいたときも、旅をしていたときも。もしかしたら出会ったときから──


「それはねぇ」


 少しの間が空いて、上から降ってきた。


「あいつが嬢ちゃんを害する可能性は、ないに等しかった」

「可能性の話をされても、現状に変化はありません」

「そうでしょうよ。だが、ひとつ言える」


 リディオルは断言する。


「あいつが嬢ちゃんを恨むなんざ、万にひとつもあり得ねぇ。星にかけて、誓ってもいい」


 握り返される右手の勇気が、小さな小さな希望をくれた。



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