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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
140/207

140,導かれた現実に


 願わずにはいられない。

 何度も、何度も。


 うとうとと微睡みに浸っていると、どこか遠くからさえずりが聞こえてきた。

 楽しそうなふたつの声。何を話しているのだろう。もっとよく聞こうと耳を集中させた途端に、二羽が飛び立ってしまった。

 とんとんと。刃物が木の板を何度も叩く小気味よさ。その軽快さと一緒に漂ってくる香りが、外の明るさをも教えてくれる。

 さわさわと。気持ちよさそうな風は、透明な硝子の向こう側だ。風に任せて枝葉を伸ばし、気ままに踊っているのだろう。細い枝を揺らして、葉っぱ同士がくすぐり合い、より一層大きな声を上げる。


 いつもの朝。穏やかで、平和で、和やかな日常。

 ずっとここにいたい。起きてしまうのがもったいないくらいだ。

 けれども起きなければ。祖母の仕事を手伝わなければならないから。

 おはようって挨拶をして、半分しか開かない目を擦りながら顔を洗って、飛び上がりそうなくらいの冷たさで目が覚めて、それを見ていた祖母が笑って、ラスターはちょっとだけ怒って、一緒にご飯の支度をするのだ。そうして、一日が始まる。

 だから、おはようって言うために、まずは起きなければ。


 起きようと思うのに、まぶたが重い。半分どころではなく、開かない。苦労して開けても、その一瞬後には閉じてしまいたくて仕方ない。

 指先を動かすのも億劫で、首を傾ける動作すら苦痛だった。首よりまだ自由が利く目を、見える限り動かして、ラスターは見つける。壁際にいた、しゃっきりとした背中を。

 見慣れた真っ直ぐな姿勢が、夢からの帰還を教えてくれた気がした。


「──ねえ、おばあちゃん」


 呼びかけたラスターに気づき、祖母はゆっくりと振り返る。


「夢、見たよ」 

「そう。どんな夢?」


 頭ががんがんと響いて、とにかく重い。


「旅する夢」

「旅?」

「うん」


 色んなものを見て、様々な人に出会った。


「家から出て、船に乗って、違う国まで行ったんだ。そしたら、お母さんに会えた。元気そうだったよ。おばあちゃんにお土産も買って、一緒に食べようって思ったんだ」

「何を買ったの?」

「飴っていう、東国のお菓子だよ」


 ラスターは目を閉じて、聞いてくれる祖母にぽつりぽつりと話す。


「凄いんだ。職人さんがいて、飴を鋏で切って、それがあっという間に植物とか生き物になってて、魔法みたいだった。生きてるみたいだったんだ」

「そう。良かったわね」

「うん。伝統芸だって、教えてもらって──」


 教えてもらった。それは、誰に?


 そのとき、視界の端で何かが目についた。

 壁に立てかけている棍。くたびれた羽織りもの。比較的新しい黒い外套。見慣れないのに、見覚えのあるものたち。

 薬草を探すとき、草をかき分けるのに便利で、ラスターがいつも持参していた相棒。あれは、あんなに汚れていただろうか。

 夢? 本当に? 全て夢でのできごとだったのか?

 ならば、今そこにいる祖母は? ここは、本当にラスターの家だったか?

 よく見ればわかる。ここが、ラスターの家ではないこと。そこにいるのは祖母ではないこと。では、ここは、彼女は、ラスターは──


「おか──」

「忘れなさい」


 それ以上は口にさせないと。言葉にすることは許さないと。ラスターの口を封じるかのごとく彼女は言う。黙ったラスターを見届けて、彼女は壁際に戻ってしまう。

 何を間違った。何が違っていた。

 ラスターは必死に記憶をたどる。

 ラスターは知っている。全てが夢ではないことを。どこからだ。どこまでが夢で、どこからが現実で。その境はどこなのだ。何が起きて、どうしてここにいるのだ。

 森の中を探検したのは。祖母に告げて家から出てきたのは。最果てと呼ばれた牢屋に行ったのは。そこで出会って、共にアルティナまで来たのは。ラスターがずっと知りたかった話を教えてくれたのは。彼が伸ばした手の先にあったのは──


 布団をはねのけ、彼女の背中を探す。見つけたそこ目掛けて床に足を下ろすも、うまく立てずに転んでしまう。どうして、立てないのだろう。


「ラスター!?」


 音に気づき、駆け寄ってきたレーシェの腕にすがりつく。


「──ねえ!」


 近づけないなら、引き寄せればいい。この機会を、逃してはなるものか。


「シェリックはどこ!?」


 できる限りの力を込めて、口をつぐんだレーシェへなおも声を張り上げた。


「お母さんも、リディオルも、ユノもここにいた。でも、シェリックのことだけ教えてくれなかった! ねえ、シェリックはどこにいるの!」

「落ち着きなさい、ラスター」

「どうしてシェリックだけいないの!」


 困らせてはいけない。迷惑をかけちゃいけない。頭ではわかっているのに、言葉が止まらない。

 誰も教えてくれなかった。彼の居場所を、知りたいのに。


「シェリックはどこ? シェリックは、どうなるの?」

「あなたが知る必要はないわ。もう、忘れなさい」

「嫌だ。ボクは当事者だ。知る権利があるよ」

「それを知って、あなたはどうするの?」


 ぴりっとした、低い声だった。今度はラスターが口を閉ざす番だった。


「いる場所を知って、会いに行って、許すつもり? あなたがどれだけ会いたかったとしても、私は絶対に会わせないわ」

「どうして! ボクは──」

「殺されかけたのよ、あなた!」


 ラスターが初めて見る剣幕で、レーシェはラスターの言葉を遮った。


「簡単に許すなんて言わせないわ。あなたが許したとしても、私が許すものですか」


 勢いに呑まれ、言葉が出てこない。


「帰りましょう、ラスター。おばあちゃんのところへ」

「……嫌だよ」


 ふり絞った声はかすれていて、とてもじゃないが聞けたものじゃない。


「帰って、全て忘れなさい」

「嫌だよ!」


 言わないで。そんなことを。

 無理だとか、忘れろとか。誰も彼も、どうしてラスターにそんなことを言うのだ。

 忘れられないのに。忘れたくないのに。覚えていてはいけないのは、どうして?

 レーシェの顔が、徐々にぼんやりと歪んでいく。レーシェは両手でラスターの手を包み込んで、ラスターの目線の高さに合わせてくれた。


「──あなたはここに、来るべきじゃなかった」


 言わないで。そんな、悲しい顔をして。

 目の端に浮かぶうっすらとした涙が、彼女の言葉を全て語っていた。


 願わずにはいられない。

 何度も、何度も、繰り返し。

 夢だったら良かったのに。どこまでも、夢であったなら幸せだったのに。

 どうしようもなく、涙が止まらなかった。




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