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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
七章 アルティナ王国Ⅳ
138/207

138,願うは嘘か幻と


 物事が終わりを迎える少し前の、ほんのわずかな間。見せる変化が、これまでの過程が、終わりにたどり着くまでの残りの時間が、様々な感情を生み出して、名残惜しくなるのだという。


 兄が説明してくれたことを、ふと思い出した。

 確かにそうかもしれない。ひとつの物事に区切りがついて、次へ向かうための始まりの一歩にもなるのに、どうしたって悲しいのだと。

 その説明があってもなくても、きっと変わらなかっただろう。


 太陽が赤々と燃えながら、水平線の向こうに消えてしまう瞬間。一日が終わりに向かう、夕方と夜の時刻。一番好きな刻限だった。

 天上で煌々と輝いていた光が地上へ降りてきて、最後の余力とばかりに強大な光を放つ。白かった光が空を橙に染め上げて、炎のように情熱的な赤となって。その光を受けて、地上の小さな光が、沈む太陽を見送っていく。

 目を開けていられないくらいまぶしくて、昼間に負けないくらい明るかった。一面に広がる光の庭そこはまるで宝石で作られた楽園のようだと、誰かが話していた。

 宝石、という言葉に馴染みがなかったから、そのたとえには首を傾げた。きっと綺麗なのだろう。それほどまでにけれども、わからないものでは想像がつかない。だから、宝石よりも身近にあった、星に思えたのだ。


 夜空を埋めつくすのは、人々の思いが宿る光。いつか死んでしまったときには、あの中のひとつになるのだと、思っていた。疑うでもなく、信じたのでもなく、それが自然の摂理でそうなるのが自然なのだと、理解していた。理論も根拠も、理屈さえなかったけれど。それほどまでに、惹かれていた。

 天上にはない、様々な輝きを放つ星。本物ではないけれど、この手でつかめる星。淡い光が照らすさまは、世界に置き去りにされるのに似た、もの悲しさを覚えた。頼りない灯りをたどって、陽の光あふれる世界を目指すような。

 この光が人の一生を表すなら、なんて小さいのだろう。月の下で粛々と瞬く光は、隠しきれない不安をあちらこちらに落として、全て拾わなければ進めない。そうして待ちわびる。目を焼くほどのまばゆい世界を。


 太陽とともに始まり、太陽とともに眠りにつく。太陽をあがめて、感謝をして、ともに生きていく。

 当たり前にそこにある光景を、来る日も来る日も飽きることなく眺めていた。嬉しかったときも、悔しかったときも、その光に会いに行った。

 太陽とともに生きていたように、その光とともに生きていた。周りに呆れられるくらい、好きだった。

 どうしようもなく好きで、ずっとずっと、焦がれていた。



  **



 声が、聞こえた。

 鋭く、切迫した、叫び声が。

 それは、誰の──


「──リディオル、殿?」


 ためらいがちにかけられた声が、リディオルを現実へと呼び戻した。別のどこかへ向けられていた意識の所在を確かめるみたいに。リディオルの心情などつゆ知らず、お節介な風が、二人の周りを自慢げに飛びまわる。リディオルの反応が薄いとわかると、飽きたとばかりにわきをすり抜けていく。

 遅れた認識が、境目を錯覚させる。今、どこにいた。何をしていた──そうだ、目の前にいるアルセと話をしていた最中だった。

 話の内容は風と連れ立って行ってしまった。大事なことだったに違いないが、今は悔いている時間も惜しい。


「何かあったんすか?」

「──ちょっとな。悪い、外す」

「はい、問題ないっす」


 察しのいいアルセに詫び、すねてしまった風に呼びかける。断片的な声だけで、場所がどこかなんて見当がつくものか。

 アルセに背を向けて足早にそこから離れるも、どこへ向かうのが正しいのか。

 あの声は、一体どこから──


「──っ」


 いいや、今さらどこだろうと構わない。彼が居合わせたのなら、向かう先はひとつだ。

 目的地を定めた足が速度を増す。それでも、地を駆けるしかないこの足が、飛んでいけない身体がもどかしい。術は、方法は、すべてここにあるのに。

 あのときのように、飛んでいけたなら──

 欲した心が自嘲を宿す。想像だけで変わる現実があったなら、なんて簡単な世界だろう。

 集まる人の中に加わりたがるのは、いつの時代だって同じだ。人の好奇心は留まることを知らない。目指す場所はこの人だかりの先。

 本来ならば、かき分けるのが筋だろう。そのひと手間をかけるのも腹立たしく、代わりに息を吸い込む。


「──空けろ」


 風へと命じ、言葉を乗せた。声という便利な伝達方法がなければ、そうしていた。そこにいる全ての人間に聞こえるよう、意図的に細工して。ひと言だけで十分だと、誰よりリディオルが知っている。

 最後方にいた幾人かがすぐに気づき、さざめきのように場所を空けていく。やがて、一人が通れるくらいの道ができあがった。


 ──見習い?

 ──いや、賢人だ。

 ──リディオル殿?

 拾ったささやきを無視し、一瞥した顔に戸惑いと狼狽を認め、仕方なく口を開く。


「関係ない者は持ち場に戻れ。こんなところで油売ってる場合じゃねぇだろ」


 この場の混乱を鎮めなければ妙な噂が一人歩きするだろう。人の口に戸を立てられるなら、万事解決するのではないか。

 ──ああ、まただ。

 逸れる思考と塊となった欲求が浮かんでは消えていく。渇望するほどに願ったつもりもない。

 衝動を堪え、空いた道を足早に進む。余計な問答をするつもりはない。

 リディオルが聞いた声の主は、そこにいない。道の終わりにあるのは、一枚の扉だけ。


「ですが、リディオル殿」

「実際に見聞きした者はここに残れ。それ以外は早急に立ち去れ。人の身を案じるなら、まず今、己がすべきことを考えろ。──エーギル、任せていいか?」

「は、はい」


 浪費する時間が勿体ないというのに。口早に指示を出し、顔見知りへとこの場を任せ、リディオルは治療室の扉を開けた。

 開いた扉を早々に閉め、野次馬から遮断する。好奇心をむき出しにした部外者など、相手にしても何の得にもなりはしない。


「リディオル殿……」


 そこにいた者たちが、一斉にリディオルを振り向いた。ユノの助けを求める眼差しに、しっかりしろよと無言の言葉を送る。

 治療師見習いがいることに違和はない。ここは元より、彼らの持ち場だ。ナクル、キーシャ、グレイ、フィノ──この短時間でよく集まったものだと、変な感心を抱く。


「その場にいた奴や、実際に目にした奴は留めてる。それ以外は引き取り願った」


 並んだ顔を一望して、簡潔に告げた。


「何があった」


 気まずそうに目を逸らされ、説明しかけようとした口にためらいを察知する。

 知っていながら話しづらい、といったところだろうか。それにしては、全員が全員、同じ反応を示すのが気にかかる。


「あなたともあろう人が、情報が遅いわね。ご自慢の魔術は飾りかしら」


 そこにいた中で唯一こちらを見ずにいたレーシェが、冷ややかに声をかけてくる。


「装飾する趣味はねぇよ。多少は把握してるが、事実と差異がある。俺が訊きたいのは、なぜ起きたかだ」

「それこそ私が訊きたいわ」


 とりつく島もないとは、このことか。これでは、事情を聞くにも聞けない。ならば、他の者に聞くしかない。適任なら、他にいる。


「──フィノ」


 リディオルが呼ぶと、彼は真っ青な顔を向けてきた。


「ちょっと、いいか?」

「ええ……」


 頷き、レーシェの傍から離れる。

 冷静でいなくなるのも無理はない。レーシェは彼女の母親だ。全てを敵視しようとするレーシェの心情もわからないでもない。

 気が立っているのはレーシェだけではない。口には出さずとも、彼らが矛先を向けんとする脳裏に誰が浮かんでいるのか、なんとなく理解している。

 リディオルも命じていない気ままな風が一番に運んできたのは、フィノの荒げた声だった。

 物腰は穏やかで、所作のひとつひとつは丁寧。そのフィノが荒々しい口調で止めたのだ。よほど尋常ならざる事態だったに違いない。


「どこまで、ご存じです?」

「嬢ちゃんが倒れた。そこにおまえとシェリックがいた。それだけだ」


 明瞭だったのは最初の叫び声だけで、あとは霞がかったようにおぼろげだった。


「嬢ちゃんは?」

「今は眠っておいでです。エリウス殿とセーミャ殿が、お側についております」

「生きてんだな?」

「もちろんです」


 ひとまずは胸をなで下ろした。


「あいつは?」

「それが……」


 フィノが口ごもる。これでは話が進まない。


「重ねて言うが──俺が知ってるのは、おまえがあいつを問い詰めていたこと、それと嬢ちゃんが倒れたことだけだ。レーシェにはああ言ったが、詳細を知ってるわけじゃねぇ。その上で訊く」


 不十分な情報量が、その先を欲する。


「おまえ、あのとき何を見た?」


 そうまでして口にするのがはばかれるものなのか。フィノだけでなく、治療室にいる全員が。ためらっていたフィノが、重々しく口を開いた。


「……殺されかけていました。ラスター殿は。……シェリック殿に、首を絞められて」


 理解と納得と。できないどちらもが、フィノの言動に誤りを探させる。誰が、何をしたと。


「──冗談だろ?」

「この状況で私が冗談など口にすると思いますか?」

「思わねぇから聞いてる。見間違いでも、人違いでもねぇんだな?」

「ええ」


 一番あり得ない状況だ。けれどフィノは嘘でも冗談でもないという。フィノの話と、先ほど治療室に集まっていた者たちの何とも言いがたい表情が合致する──してしまう。

 リディオルより先に話を聞いていた彼らは、どんな顔をしていいかわからなかったのだ。


「あいつは今、どこにいる?」

「王宮の地下牢に。私以外に目撃していた者がおりましたから……処遇は、追って沙汰すると」


 処遇。

 決して喜ばしい事態ではない。彼にとってはもちろん、リディオルにとっても。


「状況はわかった。地下牢に行って──」

「行ける立場だとお思いですか? リディオル=マゴス殿」


 扉が開くのとほぼ同時。その声は後ろからやってきた。間違ってもフィノではない。フィノよりも少し高い声。それに、フィノはこんなに抑揚のない声で話しはしない。


「彼と親しかったあなたを、彼の元に行かせるわけには参りません。それは、他でもないあなたが、一番よくご存じでしょう」


 低い背丈。表情の乏しい顔。身にまとった布で顔の大部分を覆い隠している出で立ちなのもあるが、一番は感情を表に出さない彼女のせいだ。

 彼女の後ろで、所在なさげに控えているエーギルがいた。何もおかしくはない。見習いであるエーギルが、賢人である彼女とともにいるだけだ──それが、今ほど恨めしいと思ったことはない。

 彼女の見た目は子どもだが、中身も同じだと高をくくって侮ると痛い目を見る。そうでなくとも、リディオルは彼女が苦手だった。


「導師、ジルク=メントーア殿……」


 呼んだ名に苦い色が混じる。リディオルと同じ、十二賢人の一人。

 全てを見透かしそうな瞳が、静かにリディオルと合わさった。




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