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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
136/207

136,笑い飛ばすは憂慮だと


 どうして、こう。


「お邪魔だったかしら?」

「……いや、別に」


 正直に答える気にはなれず、書物に没頭しているふりをしてレーシェから目を逸らした。

 気持ちの整理がついておらず、顔を合わせづらかったから、今日は観測塔から出ないと決めていたのに。向こうからやってくるとは思わないではないか。


「相変わらず閉めきりでこもりきりなのね? そんなんじゃ、あなたにカビが生えるわよ」

「生えてたまるか」


 人にカビが生えるなんて事態があったなら、治療師たちがこぞって調べにきそうだ。いや、シェリックが知らないだけで、実際にはあるのかもしれないが。


「窓くらい開けて換気なさい。いい天気よ?」

「あー、はいはい。そうだな」


 シェリックの答えを無視して、レーシェが窓を開け始める音がする。


「ほら、気持ちいいじゃない」


 強引なのは昔から変わりない。こちらの心情などお構いなしに、この人は。

 目は上げずに、シェリックは声だけで返した。


「──で、何の用だ。窓を開けに来ただけじゃないだろう」

「そうね」


 窓際の机に寄りかかっていたレーシェが、こちらに歩み寄ってくる。気配だけでそれを感知し、シェリックは次の紙をめくる。頭に入ってこずとも、多少は心は鎮まる。読んでいないわけではないのだ。

 六年もあれば、新しい情報が山積みになる。それらを記す書物もまた然りだ。

 賢人だから、占星術師だからという理由ではなく、単純に興味がある。星に対しての解釈や、発見された新しい星について、他国の占星術師が掲げる意見など、シェリック自身も思いもよらなかった新しい発見がある。

 シェリックが文字を追っていた書物の上に、突然包みが現れた。恨みがましく彼女を見上げる。これでは読めないではないか。


「邪魔だ」

「さっきは別に、って言ったじゃない。言葉を違えるんじゃないわよ」

「意味合いが違う。ここに置くな」

「あなたが見ないからじゃない」


 人の話を聞かないのはお互い様だと、どかそうとする。と、その包みから、微かに香りが漂ってきた。置かれた音から推測するに、布にくるまれているのは陶器の器だろう。ほんのり伝わってくる温度。

 改めて確認するまでもなく、香ばしい香りにはどこか覚えがある。


「……昨日、いただいたが?」


 それも、一人では食べきれなかったから、リディオルに分けた覚えもある。大きさもちょうど同じくらいだ。


「ちゃんと食べていないあなたを見かねたのよ。それに、感想、聞くの忘れたと思って。久々に作ったから、味の感想を知りたいの」

「うまかったぞ?」

「どうして疑問形になるのよ。感想の聞き甲斐がないわね」

「俺に感想を求めるな」

「失礼しちゃうわ」


 その割に、楽しそうだ。

 だから別に、感化されたわけじゃない。感想を言えと言われたから、それに従っただけだ。


「──昨日のは、うまかった。リディと──ギアと、三人で食べたときを思い出したな。あのときより、ずっとおいしかった」


 シェリックの顔をまじまじと見つめていたかと思えば、その表情は意外だと隠しもせずに教えてくれる。


「まさかあなたから、その名前が出てくるとはね」

「おかしいか?」

「いいえ? ちょっとびっくりしただけよ。ありがとう、シェリック」

「──どう、いたしまして」


 ふわりと微笑んだレーシェから視線を外す。

 シェリックの様子に気づいたのか気づいていないのか。窓も扉もすべて開けて、レーシェはそこから出ていった。まるで、吹きすさんでは跡形もなく消えていった嵐のように。

 来るのも去っていくのも突然で、意識と思考回路まで奪っていくのだから性質が悪い。これではもう、集中できないではないか。

 栞とため息を一緒くたにしてそこに挟み、書物を閉じたシェリックは立ち上がった。



  **



「せっかく時間が空いたのに、なんか、ごめん」


 ほんの少しだけ、時間をもらえれば済む話だった。休憩とも呼ばれるであろうユノの時間の大半を奪うつもりではなかったのに。


「えっ、それを言うなら、オレの方こそ無理につき合わせてしまってすいません。これ、どうしても気になってて」


 笑いながら話すユノが手に持っているのは、棒に刺さった四角い物体。半分ばかり透き通った明るい黄色をしていて、ひんやりとした冷気が伝わってくる。というのも、実はラスターも同じものを持っているからだった。

 話そうとしたその矢先。ユノの提案を受けて、ラスターたちは治療室にいるグレイのところへ向かった。ユノから話を聞いたグレイは、薬室に来るよう言って、そこで渡されたのが、この二本の物体だった。

 薬室にある冷凍庫から取り出していたから、冷たいのには頷ける。グレイはいつの間にこんなものをこしらえていたのだろう。


「これ、何?」

「氷菓だそうです。果実を糖蜜漬けにして、型に入れて凍らせたのだとか。薬師見習いのグレイ殿が考案したと、ルースさんに教えていただいて。オレも食べてみたくなったんです」


 そういえば、薬室にいるときは調理台の近くが彼の定位置だ。薬を作る以外にもたまに食事を作ったりもしてくれて、見慣れてしまった光景だからあまり気に留めていなかった。

 もしかしたら、ラスターの知らないところでも、様々な料理やお菓子を作っているのかもしれない。


「料理するの、好きなのかな?」


 手に持ったこの氷菓を、果たして料理と呼んでいいのか疑問ではあるが。


「──うん、おいしいですよ、これ! アルセ殿──あ、オレと同じ魔術師の見習いの方なんですけど、その方が絶賛していたんですよ。暑いときに食べるとおいしいって」

「そうなんだ──あ、冷たっ」


 無邪気に顔を輝かせたユノにならい、ラスターも氷菓にかぶりついた。ほどよい歯ごたえと冷たさが口内の温度を一気に下げ、酸味と甘みが遅れてやってきた。


「何これ、おいしい」

「ですよね! 王宮だけじゃなくて、もっと大々的に広めたら人気が出そうなのに」

「うん、暑い日とかに広めたいね。でもすぐ溶けちゃうから、早く食べないといけないケド」


 溶けたしずくが地面に落ちる。食べるより先に溶かしてしまうのはもったいない。せっかくもらったのに、地面にあげてしまうなんて。


「そうですね。早く食べきってしまいましょう」


 しゃくしゃくと。氷菓を食べる音だけが聞こえてくる。

 王宮を行き交う人を眺めながら、のんびりと歩く。急ぐ用事ではない。

 時たま過ぎていく風がリディオルを彷彿ほうふつとさせて、なんとなしにその行方を追いかける。当然ながらそこにいるはずもない。ラスターは引かれた後ろ髪を振り切って、前を向いた。

 ユノの右手がぱたぱたと振られている。ずっと火の傍にいたのだから、相当暑かっただろう。少しでも風のある外に出てきて正解だったかもしれない。ユノほど暑さは感じていないと思うけれど、ラスターも氷菓で涼しくなったのは確かだ。


 氷は食べたことがある。けれども果実が入っていたり、甘かったりするのは初めてだ。こんなお菓子もあるのか。グレイは面白い食べ物を考えるものだ。

 ラスターは氷菓のなくなった棒を、口から引き抜く。薬室に戻ったら、グレイにおいしかったと伝えよう。今後の参考になんて言いながら、意見を聞かれそうだ。どう話したらいいかと考えをめぐらせる。


「そういえば、オレに話があるってお聞きしましたけど、何です?」


 ユノが尋ねてきたのは、そんなときだった。

 示し合わせたわけでもないのに、外の薬草園までたどりついていた。ユノと何度も出くわした場所に。

 ここにある外灯は、ユノが作り、管理をしていると聞いた。どんな称賛の言葉をかけよう。そう考えながら歩いていた先で、憔悴しょうすいしていたユノを探し当てたのだった。押さえていた左肩は変色していて、決して軽くはない怪我で。それがもしかしたら、全て──


「──傷のついた星命石に初めに触れた者に、不幸が訪れる」

「何です、それ?」

「フィノから教わったんだ」


 首から提げていた麻紐を引っ張り、その先端についている石を取り出す。銀の飾りにくるまれた、緑の星命石を。


「これ、いつの間にか落としてみたいで。シェリックから、ユノが拾ってくれたんだって聞いた。だから、それはありがとう。でも……」


 言いよどんだラスターと緑石とを見比べて、ユノの笑みが消える。


「傷がついていたんですね? だからオレに不幸がやってきたと。それでオレが怪我を負ったと、そういうことですか?」


 ラスターは頷く。抱いていた不安そのままを口にしたユノへと。


「ボクは知らなかった。ケド、知らなかったで済む話じゃない。ユノが怪我をしたのは、もしかしたら──」

「考えすぎですよ、そんなの」


 破顔したユノが、その表情と同じように笑い飛ばす。


「心配性ですね、ラスターは。オレが怪我をしたのはラスターの石を拾う前です。因果関係はありませんよ。何か起こるっていうんなら、もうとっくに何か起こってておかしくないですし、今何も起きてないなら、これから先だって何も起きないです」

「そんなの、わからないよ」

「じゃあ、起こりません。オレが言うんだから、間違いないです」


 いやに自信満々に語るユノが、リディオルとかぶって見えた。あの師にしてこの弟子あり、ということだろうか。


「何が起きても、自分の身くらいは守りますよ。今は、リディオル殿から杖を返してもらっていますし。──あ、でも、万が一何かありましたら、ルースさんやラスターのお世話になるかもしれません。治すのは苦手なので」


 自信をなくしたように、急に弱気になった。困った様子がおかしくて、ラスターもつい笑ってしまった。


「うん。そのときは任せて。でも、来ないように祈っておくね」

「それが一番ですよね」


 杞憂だと、不安が見せた幻だと。そう言われたようで、少しばかり気が楽になった。


「──あ。でも、ラスター」


 何か思いついたユノがラスターをじっと見る。


「オレ、石には触ってないですよ。珍しい細工だと思って、近くで見せてはもらいましたけど」

「なんだ、そっか」


 それならば安心だ。直に触っていないならば、やってくる不幸は何もない。噂だって、迷信だって、条件に当てはまらなければ意味はない。


「だから大丈夫ですよ。すいません、変な心配をかけてしまったみたいで」

「ううん。ボクが勝手に不安になっちゃっただけだから。時間もらっちゃって、むしろごめん」

「いえ、一緒に氷菓を食べられて良かったですよ。じゃあ、戻りましょうか」

「うん」


 迷信なんて信じない方がいい。噂だって、何も実際に目にしたわけではないのだから。やっぱり、ただの話に過ぎなかったのか。ユノが言うなら、大丈夫だ。

 ──大丈夫だと、そう言いきっていいのだろうか?

 なんだろう。何か、忘れている気がしてならない。

 この石は星命石で。ラスターが落としてしまって。ユノが拾って。それがシェリックに託されて。ラスターの元まで戻ってきて。

 ──傷のついた星命石に初めに触れた者に、不幸が訪れる。


「ラスター?」


 最初に触れたのは、果たして誰だった?



「──ごめん。ボク、行くね」

「はい。では、また」

「うん、またね」


 麻紐を首にかけ、ユノに背を向けて走り出す。

 ユノは触れていないという。ならば、ユノではない。

 ユノから託されて、シェリックが持っていて。シェリックは、ラスターの目の前で触れていた。この星命石に。

 あれが初めてではないと、どうして言えよう。




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