134,彼が彼女に言うことには
「いないの?」
目を丸くしたラスターへ、男性は無言で頷いた。
「……今は、あっちにいる。治療師を弔った、あの丘に。そろそろ交代の時間だから、行ってみればいいい」
「わかった。ありがとう!」
教えてくれた男性は、ラスターに手を振ってくれた。言葉少なで不愛想に思えてしまったけれど、いい人だ。
魔術師の塔まで足を伸ばしたラスターに言い渡されたのは、またしてもユノの不在だった。一昨日治療師を葬送した、海を臨める丘。森の向こうに見える王宮を目印にして、方向を定める。建物が高いと遠目からでも見つけやすいから便利だ。向かって左側に進めば、ユノのいる丘に着くだろう。
三日三晩、火を灯し続けるのだから、一度灯しただけではすぐに消えてしまう。絶やさずにいるためには、その場で炎を見守る必要がある。もちろん、ただ単に見守るだけではいけないから、維持しなければならない。今日がその三日目、最後の日だ。
──そうか。それならば、最初からこちらに向かえば良かったかもしれない。無駄足ばかりを踏んだような、損した気分だ。
でも、ファイクに呼ばれて、ナキが大変な事態に陥って、シェリックの昔語りを聞いて。遠回りだったかもしれないけれど、無駄な時間はこれっぽっちもなかった。そう考えるとどれも大事で、ラスターにとっては必要な時間だった。無駄じゃない。
それにしても、ユノは働き者だ。あれだけ大きな怪我を負ったなら、休んでも文句は言われないだろうに。
「リディオルに休めって言われてそう」
リディオルがユノに無茶を強いているというよりは、ユノが好んで身を粉にして動いている、と言った方が正しいだろう。すごいなあ、と思う。
薄暗かった森を抜け、視界が突然明るく広がる。立ち止まったそこで、ラスターは大きく深呼吸をした。
草の音。陽の温かさ。微かに香ってくる潮に、帆を広げた船がよぎった気がした。高い灯台も、服屋の店員も、ここにはいないけれど。
海は、始まりだった。ラスターが新しい世界を知った、旅立ちの場所だった。今はここに、焦げた匂いが混じっている。弔いの炎の匂いが。青空の下に、それはあった。
ラスターの背丈ほどかそれ以上あった炎は、今はもうとても小さくなっているのだろう。もうほとんどが煙に変わっていて、ラスターの位置からは視認できない。
手を伸ばせば煙に触れられそうな位置で、ユノを見つけた。しきりに汗をぬぐい、真剣な顔をして杖をかざしている。黒い外套を羽織り、火の間近に長時間いるのは熱いだろう。
脱げばいいのに、と思った。軽装になってしまえば、熱さも和らぐ。
ユノはすぐ脇に控えている女性と言葉を交わしながら、一度も炎から目を離さずにいる。部外者が横から入れる雰囲気など微塵もなく、話しかけるなんて以ての外だ。どうしたら──
「──嬢ちゃん?」
いつからそこにいたのだろう。ユノたちから距離を置いた建物の壁。リディオルはそこに寄りかかっていた。
太陽から隠れるみたいに。建物の影に紛れ込むように。あるいは、ユノの邪魔をしないように? 何からも逃れるかのように、リディオルはひっそりと佇んでいた。
「何してるの?」
「そりゃ、俺の台詞だ。こんなところまでどうしたよ?」
うん、と答え、ユノをちらと振り返る。男性は交代の時間だ、と言っていた。きっと、ユノの傍にいる女性がユノと交代するのだろう。彼女が魔術師の見習いならば、それを見届けるため、ここにリディオルがいてもおかしくはないのか。
「ユノがここにいるって聞いて。今、邪魔になるよね……」
真面目な顔をしている中に割って入るのは気が引けるし、そうでなくても手が空かなそうだ。話はしたいけれど、邪魔になってはいけない。
「もうちょいしたら大丈夫だぜ。何かあったかよ?」
「うん。ちょっと、話したいコトがあって」
笑われるだろうか。フィノから教えてもらった迷信を信じて、様子を見に来たなんて。もしかしたら、ユノが怪我をしてしまったのは、ラスターのせいかもしれないだなんて。
「へーえ? 嬢ちゃんが? ユノに?」
しまった。はぐらかしても興味を持たれるだけだった。
ラスターは舌を出す。
「リディオルには絶対に教えてあげない!」
「なんだよ嬢ちゃん、冷てぇなぁ」
リディオルは人をからかうとき特有の悪い顔をしている。余計に言いたくない。
子どもじみた反抗だと思われてもいい。だって、ありのまま全てを話すのは恥ずかしかったから。
「一緒に旅した仲じゃねぇか」
「船から落としたじゃん」
「嬢ちゃんの棍を拾ってやっただろ?」
「元はと言えばリディオルのせいだよ。リディオルがシェリックに酷いコトしたの、忘れてないから」
「あれは、成り行きだ」
「成り行きであんなコト──っ」
言おうとした文句が喉でつっかえる。
「ああでもしなきゃ、あいつは戻ってこなかった。必要があったから、俺はあえてあの方法を取った」
リディオルは説明してくれた。事務的に。機械のように。言葉だけを並べて。
なのに。ラスターは。
「……どうして?」
子どもじみた疑問しか、返せなかった。
ルパでシェリックとリディオルが会話している姿を見たとき、お互いに良き理解者であるように思えた。ラスターと話をしているとき以上に、シェリックからは気安い様子がうかがえたし、同時にうらやましいと思ってしまった。
同年代の知り合いや友人がいなかったラスターにとって、その光景は決して手が届かないものだったから。
キーシャに再会し、ユノに出会い、ラスターがあの頃望んだものに触れて考える。
もしラスターとキーシャが同じような状況になってしまったなら? どちらかがもう一方を害さなければならなくなってしまったなら?
今のシェリックやリディオルと同じように、言葉を交わせるかどうかわからない。
表向きには以前と変わらずに話し、接しているように見えるけれど、ルパで見たような快活さはそこにない。
探るような眼差しが行き交い、互いに一切気を許さないような、そんな剣呑な気配をはらんで。時折見え隠れするその気配が、ラスターは怖かった。
──いや、もしかしたらラスターの知らないところで、何度もそんなやり取りが交わされていたのかもしれない。ラスターには見せなかっただけで。見え隠れさせるだけでなく、敵意をむき出しにするようなやり取りを。
今だからわかってしまう。親しいだけでは説明できない空気を。肌と気配で、感じ取ってしまう。二人のその光景をを目の当たりにしてしまうことが、何より悲しかった。
「シェリック、楽しそうだった。ルパでリディオルと話してたとき、再会したのが嬉しそうだった。なのに、どうして? リディオルが初めからシェリックを連れてこようとしたのだとしても、シェリックが楽しそうだったのは本当だったよ」
楽しそうで、ラスターといるときよりも少しだけ、シェリックの素が見れた気がしていた。
「だから、全部嘘だったなんて思いたくない。リディオルがシェリックに酔い止めの薬を渡してたのも、ボクの棒を拾ってくれたコトだって、ボクは嬉しかったんだ」
口を挟まず、リディオルは静かに耳を傾けている。
「友だちなのに騙さなきゃいけないのは、悲しいよ。シェリックとリディオルがぎくしゃくしてるのは、やっぱり嫌だ」
またいつか、二人が対立してしまうかもしれない。飛躍した予想が、架空の不安までも呼び起こし、現実へと近づける。近く、訪れる未来を彷彿とさせて。
「嫌だ、ケド……」
ラスターが感じたこと。悲しくて、寂しくて、不安になって、苦しかった。それだって本物だ。どれもラスターの感情で、嘘はない。けれどもうひとつ。抱いた感情があった。
「でも……リディオルが、シェリックを騙してまでボクを連れてきたコトは、許したくない」
言ってしまった。
ラスターは許したくない。リディオルを許してはいけない。だからといって、リディオルがラスターに謝るのはおかしいと思うのだ。許したくないのも、許してはいけないと思うのも、ラスターが一方的に抱いた感情でしかないのだから。
「ま、嬢ちゃんはそうだろうな」
あっけらかんと答えられ、ますます顔を上げられなくなる。これでは、面と向かって「嫌いだ」なんて言っているようなものだ。
「いいんだよ、俺らはこのままで」
「え?」
ラスターは固まる。ぎこちなく上げた目が、微笑むリディオルを見つけた。
呆れられるのは覚悟していたけれど、不安を増長させる返事に耳を疑ってしまった。
「馴れ合いの関係でいるわけじゃねぇ。俺とあいつがまたやり合う羽目になったら、嬢ちゃんは嬢ちゃんの判断に従ってくれりゃいい。あいつの味方になるのも、俺の敵になるのも、何なら無関心になるのだって自由だ。それで万事解決すんだろ」
「そんな横暴、な……」
どうしてそんな顔ができるのだろう。どうしてリディオルは、こんなに穏やかに笑えるのだろう。
「嬢ちゃんが思ったこと、感じたこと、考えたこと。それらは全て、嬢ちゃんのもんだ。俺と違ってたからって、否定はできねぇよ。考え方なんて、人それぞれだからな。違って当然だ。だから、嬢ちゃんが俺を許したくなければ、許さないままでいればいい。それだけの話だ」
戻せない。戻らない。許したくない。許してはいけない。だったら、そのままで。
──許さずにいろ、だなんて。
誰かの、声が。