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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
132/207

132,届かぬ草木に棘はなし


 他には何が必要だろうか。ああでもないこうでもないと考えていたラスターは、ふとその場所が目につく。

 陽の当たらない薬室の一角。作業台でナキが定位置としている椅子の後方。

 ナキがそこから薬品を取り出しているのを見た覚えがある。だからここにある薬品は、ナキの管轄なのだろう。普段はナキがその前にいるから、眺めることすらできない。ラスターがちゃんと見るのは、これが初めてだ。


 乾燥した草木は大きな瓶に入れられ、ところ狭しと並べられている。それも雑多な配置ではなく、薬品の種類ごとに並べられ、中身がわかりやすいように瓶には名前が明記されている。下手に触ろうものならあとで知ったナキに怒られてしまうだろう。進んで怒りを買いたくはないので、見るだけに留めておく。

 大きさの違う色つきの小瓶の中身は何だろう。こちらには名前は見当たらない。何か数字が書かれているだけだ。影の形から中身が液体であることはわかるけど、それ以上はわからない。

 硝子扉の向こう側。醸し出される異質な気配。鍵のかかった棚。そこまでして保管しなければならない薬品たち。ラスターには、心当たりがあった。


「ねえ、ファイク。これって、毒?」

「うん。そうだよ」


 あっけないほど簡単に認めたファイクは、ラスターが予想していたとおりの答えを返してくれた。


「何度かナキが使ってたケド……ナキの私物?」

「ひょっとしたらあるかもね。薬品──毒だけど、それ自体はナキが管理してるんだ。元はレーシェ殿が管理してたんだけど、そこだけはナキが受け継いだんだよ」


 手を伸ばさなくとも、触れることは叶わない。ラスターはこの棚を開ける術を持たないからだ。鍵を開けない限り、誰の手にも触れられはしない。おそらく、鍵の持ち主であるナキ以外には開けられないだろう。


「あんなことが起きたから信じられないかもしれないけど、ナキは毒の扱いに関してはレーシェ殿に匹敵するくらいだよ。僕もグレイも、ナキの知識には敵わない。毒の怖さも、その対処も、扱いの繊細さについても知ってる──だから、今回のことはびっくりしたけど」


 乾燥させて保存に適させた草や、光の反応を受けないように保管された液体。毒に限らず、薬品は保存方法がそれぞれ違う。片手どころか両手ですら足りないくらいの種類がある。その全てが、適正に管理されている。

 この棚を眺めるだけで、ナキの几帳面さが見えるようだ。どれだけ丁寧に保存し、扱っていたのだろうかと。

 それだけに、信じがたい。ファイクの言ったとおり、毒についてありとあらゆる知識を兼ね備えていたナキが、あんなに簡単に毒を飲んだりするだろうかと。

 ──もしくは、ラスターがそれほどまでに、ナキを追いつめてしまったからか。


「もし今回の患者がナキでなければ、もっと正確で迅速な処置ができたと思う。間違っても、君の対応が悪かったというわけじゃないからね」


 ぐっと堪え、ラスターはファイクに告げた。


「ごめん、でも、許せなかった。ナキが言ってたコト──レーシェがしたコトも」


 薬を作るためには犠牲も厭わないと。過去にそれを体現してのけたレーシェも、レーシェのしたことを是としたナキも。


「人を助けるために薬を作るのに、それを作るために苦しむ人がいるのは間違ってるって……ボクは思うから」

「君は当事者だからね」


 ファイクの言葉にうつむく。それが免罪になりはしないのに。苦しんでいる人たちと目の当たりにしてしまったから。ラスターは、苦しむ人を出さないようにしたかった。


「何を助けるか、何のために使うか、それを履き違えてはならない。別に、薬に限った話じゃないだろ。問題は、それをどんな目的で使うかだ」


 戸口からやってきた新たな声に、ラスターたちは振り向く。


「グレイ」

「意外。君も来たんだ」

「昨日の今日で、おちおち寝ていられるか。大方、おまえたちもそうだろう?」


 ラスターはぎこちなく頷く。

 起きてすぐに目がさえてしまったから、こうしていつもより早く薬室に来たのである。ファイクだけでなく、グレイも来るとは思いも寄らなかったけれど。考えることはみな同じようだった。


「ナキ、目を覚ましたよ」

「経過は?」

「悪くはないかな」

「良くもない、か」

「どうして君はそう批判的に捉えるのさ」


 昨日よりはましだと聞いた。でも、あくまでもましというだけで、全快したわけではない。だから、グレイの解釈も、間違いではない。


「止められなかったことは謝罪する。すまなかった」


 前触れもなく、グレイは頭を下げてきた。ファイクと、ラスターへと。


「──待って。それはグレイのせいじゃない。ナキが毒を飲んだ引き金は、ボクだった」


 頭を下げられる理由なんてない。むしろ、謝らなければならないのはラスターだ。


「ナキは酩酊状態にあって、正常な思考が働いていなかった。ナキが衝動的な行動を移すに至った原因は、俺にある」

「でもそれは多分、ナキが心の奥で考えていたコトが表面に出てきただけで、ボクが言い返したりしなければ──」

「てぇい」


 軽快なかけ声とともに、頭を叩かれた。


「……っ」

「いった!」


 ラスターとグレイ。二人の頭へと同時に手刀を落としたファイクが、口をへの字に曲げてにらんでくる。


「二人とも、それはナキ本人に言うんだね。反省するのは勝手だけど、終わったことを考えても仕方ないよ。僕らが考えなくちゃいけないのは、これからどうするかと、今何をするかだ」


 ラスターとグレイを交互に見やると、ファイクは上げていた両手を下ろす。残ったのは、地味に痛む頭。


「……おまえ、ナキ以外だと本当に容赦ないな」

「優しさだよ。ありがたく受け取ってほしいね」


 頭をさすりながら独りごちるグレイにも、どこ吹く風だ。

 尊敬、なのだろうか。ファイクがナキに向けているのは。ファイクだけじゃない。ナキだってそうだ。ナキがレーシェを尊敬しているのは、普段の様子から明白だった。

 ラスターだって、憧れていたのだ。祖母と肩を並べるほどの薬の知識を持って、その技術も使いこなしていて。こんなふうになりたいと、幼心にそう思っていたのだ。

 純粋に憧れだけを抱いて、敬愛の情を向けたかった。非難する感情を、持っていたくはなかった。


「──なら、俺も容赦はなしだ」

「うん?」 


 グレイはそう言うなり、ファイクが取ろうとしていた水筒を横から奪い取った。


「ナキに持っていくものか?」

「そうだよ。何するんだよ、もう」

「俺が持っていく。おまえは寝てろ」

「ええー。僕、それを作りに来たんだけど」


 不満げに手を出すファイクへ、グレイは代わりとばかりに拳を押しつけた。


「それじゃない」

「届ける人間が変わっても問題はないな?」

「もー……君は強引なんだから」


 文句を言うわりに、ファイクは苦笑している。

 やられたら同じような方法で返される。身をもって知ったファイクは、ため息をこぼして手打ちにしたらしい。


「わかった。君に任せるよ。それと、これも届けておいて。ナキに無理はさせないでね」

「当然だ」


 ファイクはさりげなくラスターが渡していた小瓶もひとつ持たせ、颯爽と出ていくグレイを見送る。グレイの姿がそこからいなくなると、ファイクはその場で大きく伸びをした。


「──さて、それじゃあ僕は仮眠してくるよ」

「うん。渡してくれてありがとう」

「僕は渡しただけだよ」

「? うん」


 確かに、ファイクは渡しただけだ。ラスターを見ると、ファイクは苦笑気味に言った。


「黙ってたら、誰の薬かわからない」


 それは内緒の話をするみたいに。


「──あ」


 グレイは知らない。あの小瓶がラスターの作ったものだとは。説明したあとに来て、説明する前に行ってしまったから。これはもう不可抗力だ。


「教えるか教えないかは君に任せるよ。おやすみ」

「ありがとう。おやすみ」

「こっちこそありがとう」


 ファイクは手に持った小瓶を掲げ、ラスターに見せてくれる。

 おやすみ、だなんて。朝なのに変な挨拶だ。

 元気になりますように。ナキも、ファイクも。

 飲み物と栄養剤はグレイに託して。ファイクはいったん休憩。もうすぐレーシェが起きてくる。さあ、ラスターは今日何をしよう。

 まずは昨日できなかったことから、始めようか。




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