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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
131/207

131,求めたその手がつかむのは


 太陽が顔を出し始め、朝にしか咲かない花びらが開き始めた頃。誰の姿も見かけない廊下は少し肌寒く、また寂しくもあり、小さな冒険に出たような楽しみもあった。

 それでも、王宮にはまったく人がいないわけではない。早くから動き始めている人々も少なからずいる。

 引き締めた顔と動きづらそうな装備で廊下を闊歩かっぽする人。わき目も振らず、ラスターの横を忙しなく走りすぎていく人。すれ違いざまに落とした書類を拾って手渡せば、すまなそうに感謝された。あくびを噛み殺しながら歩いていく人は、徹夜で作業をしていたのだろうか。

 眺めていたらラスターに誘発し、大口でしてしまったあくびを右手で隠した。

 どうして眠気とはうつるのか。眠くないのだと、言い聞かせていても、誰かがあくびをしているとつられてしまう。


 ラスターは誘発されてしまったけれど、彼らの目に、ラスターはどう映っているのだろう。

 ラスターを見た誰かもまた、大きなあくびをこぼしているのだろうか。そうしてそれがまた別の人に、どこまでも連鎖していって、アルティナ王国の端の端まで届いていったなら。

 取り留めない想像にふふ、と笑ってしまう。

 ほんの小さな始まりが、いつしか国中に広がっていく。最初の人は、それと気づかずに。

 共有した思いは、やがて国をも越えて、世界中に浸透して。

 それがもし、誰かを思う、大切な人を思いやる心だったなら、どんなにか素敵だろう。

 夢見たところで、現実にそんなことは起こらない。世界をたやすく飛び越えられるのは、いつだって空想だけだ。他の人をいつでも思いやることは、誰でも難しい。

 それでも心掛ける気持ちを忘れたくはない。忙しいのを理由にして、目の前にいる大事な人を、ないがしろにはしないように。当たり前を、当たり前だけにしないように。


 右手が手いっぱいで空けられないのなら、左手は誰かのために。いつでも空けられるように。

 誰かのためにといいながら、結局は自分のためなのかもしれない。それでも貸した左手が誰かのためになったのなら。その行いが、いつか大切な人へも通じるのなら。やってきた行いは、決して無駄にはならない。

 自分がしてほしいことを、誰かにしてあげる。それはいつの日かめぐりにめぐって自分の元に返ってくるのだと、聞いた覚えがある。

 誰かのために。──誰のために?

 今日はナキのために。元気になってくれるように。

 何ができるだろう。何をすればいいのだろう。ナキを元気づけるには、どんなことをしたらいいのだろうか。ラスターが同じような事態に陥ったなら? 何をしてほしいだろう。


 答えが出るより、薬室についてしまう方が早かった。

 じっとしているだけではきっと浮かんでこない。どうせなら、何か薬でも作りながら考えようと心を決める。

 ユノの治療薬はまだあったはずだ。常備薬はどうだったろうか。在庫に関しては棚を調べないといけないから、ひととおり見て、それから──


「あれ、早いね。おはよう」


 ラスターは目をぱちくりとさせる。


「おはよう。ファイクも早いね」


 てっきり、一番乗りしたと思っていたのに。昨夜治療室に残ったファイクがここにいるとは、予想外だった。


「ナキが目を覚ましたから、何か口に入れられるものをと思って」

「ナキ、起きたの? どう?」


 残ると宣言したファイクに任せて、ラスターとグレイは先に部屋を出てきたのだ。意識が明確になったのなら、だいぶ回復したのではないだろうか。


「薬が抜けるには時間が必要だけど、昨日よりは少しましかな」

「そっか……でも、よかった」

「本当にね」


 常であれば、焜炉こんろの周辺がグレイの定位置だ。レーシェやナキ、ラスターが立つこともあるけれど、ファイクがそこにいるのは珍しい。

 焜炉にかけた薬缶やかんから、勢いよく湯気が立ち上る。ファイクは火を止めて、沸いた湯を水筒に移し替え始めた。


「何か、必要なものはある? ボクも一緒に行くよ」

「うーん……君はまだ来ない方がいいかもしれない。まだ、たまに錯乱状態があるから。こんなだよ」

「わ……痛そう」


 水筒から手を離し、見せてくれたファイクの右腕。真新しい引っかき傷と赤くなっている箇所がいくつもある。昨日グレイがしていたように、ナキを押さえ込もうとしたのだろう。


「じゃあ、持っていくものがあれば、それを手伝うだけにするよ」

「うん、ごめんね。本来なら君も連れていくべきなんだけど、ナキが嫌がると思って。僕でもこれだったからさ」


 はは、とファイクが笑みを漏らす。

 ファイクでここまでなら、ラスターはもっと抵抗されてしまうだろう。ファイクやグレイと比べて、ラスターはナキにいい感情を持たれていない。それは初めて顔を合わせて、ここで過ごして、常日頃感じていた。

 いつかはちゃんと仲良くなりたい。でも今は、それよりもナキの体調を第一に考えたい。ナキに負担がかからないように。ナキが衝動的に毒を摂取してしまった原因は、少なからずラスターにあるのだから。


「何を用意すれば──」


 ファイクに尋ねかけたラスターは、口をつぐむ。

 ファイクはいつも疲れている雰囲気だったから気づかなかった。今も、ちゃんと見ていなかったからわからなかった。

 今更ながら彼の様子を知る。いつもと違うのは、見せてもらった右腕だけではない。ファイクの目に、うっすらと隈ができている。昨夜ラスターとグレイに宣言したとおり、ファイクはひと晩中、ナキについていたのだろう。眠らず、彼女の傍に。

 そうしてまた、戻ろうとしている。ナキの元へ。ナキを安心させる、そのために。

 ラスターにファイクの代わりはできない。ナキがそれを望んでいないから。

 何をすればいい? ナキに、ファイクに、今何ができる? 何をしてあげられる?

 ひらめいた考えが、ラスターの足を動かした。薬室に置いていたラスターの鞄。目が、手が、目的とするものを探していく。あれはまだ、残っていたはずだ。

 ナキのために。ナキが必要としている、ファイクのために。今、ラスターにできること。


「ファイク」

「うん?」


 水筒に詰め終え、ふたを閉めて振り返ったファイクの目と鼻の先。ラスターは探し当てた小瓶を二本、突きつけた。


「──わっ! び、びっくりした……何?」

「ボク特製の栄養剤。ファイクの分とナキの分。おか──」


 勢いに任せてファイクの手に握らせてしまう。状況がつかめず、目を白黒させているファイクにラスターは言い直す。


「レーシェ直伝の薬だから、効果は保証するよ。ナキ、形のある食べ物はまだ無理だと思うから」

「あ、ありがたいけど……」


 尻すぼみに返された答えに、ファイクの言いたいことを何となく理解する。


「ファイクが黙っててくれればわからないよ」

「それ、あとで絶対僕が怒られるやつじゃないか……」

「だから、言わなければいいんだ」


 ラスターが作った薬だと知られたら、ナキは決して飲んではくれないだろう。


「……君も悪知恵が回るんだから」

「嘘じゃないよ」


 嘘は言っていない。ただ、言わないようにするだけだ。言わなければ嘘にはならないし、ばれてしまうこともない。

 口を開かなければ、災いの訪れだってないのだ。




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