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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
129/207

129,遥かに臨む、果ての空


 木々も、灯りも、星までもがおしゃべりをやめて。あるいは話し声をひっそりとさせて。

 彼らと一緒に、ラスターも黙って耳を傾けていた。誰の邪魔も入らず、とうとうと語るシェリックの声だけが聞こえていた。

 やがてシェリックが息を吐く。長い、長い、旅の終わりを迎えたみたいに。


「──これが、俺が最果ての牢屋に投獄されるに至った経緯だ」


 そんな言葉で締めくくられる。語り部の役目は終わりだと言わんばかりに。

 物語のような本当にあった話。牢屋にいたのは誇張ではないのだと、教えてくれた。シェリックは、罪人だった。

 たった一人だけいた見習い。占星術師の禁じられた術。呼べなかった前占星術師。殺されかけたラスターの母親。ラスターと出会う前のシェリック。頭の中に並べ立ててみても、情報の処理が追いつかない。


 シェリックは、知られたくなかったから話さないのだと思っていた。最果ての牢屋にいた理由を。占星術師であったことを。でもそれは違ったのだ。

 禁術を犯したことも、牢に入れられたことも、全てシェリックの業であるから。ラスターには関係のない話だったから。

 ラスターに話すことで、シェリック自身の贖罪につき合わせたりしないようにしていたのだろう。

 かつてシェリックが、見習いであるギアを巻き込まないよう口を閉ざしていたように。


 途中から疑問だった。見習いにあんな恨まれ方をされて、シェリックはどうして王宮に戻ることにこだわったのだろうと。戻りたくない理由も、レーシェへの罪悪感からではないかと思っていた。


「ギアは俺にとっては最初の、それと最後の見習いだ。これから先、もう二度と、俺は見習いをとる気はない。ノチェが戻ってきたときに返すつもりだったこの地位も、いずれはアルティナに返す」


 ──戻りたくないわけじゃない。そんなんじゃねえんだよ。

 そう。シェリックは言っていた。戻りたくないわけではないと。

 シェリックは次の占星術師を途絶えさせないよう、もらったその賢人の地位を返す気でいたのだ。そのためにアルティナまで戻ってきたのだ。シェリックが本当に返したかったその人は、ここにはもういないから。

 いずれは返すつもりなら、なぜわざわざ占星術師に戻ったのか。アルティナに戻り、占星術師の地位を返還するだけではいけなかったのか──

 尋ねかけた口を固く閉じる。


 ラスターがいたからだ。シェリックの傍に、交渉として使えそうな材料があったからだ。

 平行線で終わりそうな押し問答を蒸し返しても、互いに譲らず終わるだろう。だからラスターは、別の疑問を口にした。シェリックが語り始める前に、ラスターが聞かずにしまい込んだ疑問を。


「どうして、ボクに話そうと思ったの?」


 それも、ラスターが逸らそうとした話を戻してまで。互いの過去には干渉しないと、あれほど頑なに話そうとしなかったシェリックが、世間話のように話してくれた。一緒にいて、こんなことは初めてだった。

 無関係ではないと、思ってくれたから? ラスターが、レーシェの娘だと知ったから?


「どうしてだろうな」


 前を向いたまま、シェリックはラスターではない誰かへとこぼす。


「誰かに、聞いて欲しかったのかもしれないな」


 一点をぼんやりと見つめ、交差させていた指を組み替えて。

 何が映っているのだろう。どんなことを考えているのだろう。誰を思い浮かべているのだろう。

 ずっと憎まれていたギアか、重傷を負ったレーシェか、呼べなかったノチェか、それとも当時のシェリック自身か。

 ひとつだけ確かなのは、そこにラスターはいない。シェリックの脳裏にはきっと、隣にいるラスターではなく、もっと遠くにいる誰かや何かで占められている。


 ラスターはきゅっと唇を噛みしめた。

 悔しい。ほんの少しだけ、そう思う。ここにいるのはラスターなのに。シェリックの目に、ラスターは映っていない。

 だから、ちょっとだけ望んでしまう。こっちを見て欲しい。ラスターを向いて欲しい。シェリックの言う聞いてほしかった誰かが、ラスターだったらいいのにと。誰でも良かったではなくて、ラスターだったら良かったのに、なんて。そんな醜い感情がかすめたのだ。

 だからだろうか。気の利いた言葉、ひとつも出てきやしない。もしこの場にいたのがレーシェだったなら、あるいはリディオルだったなら、当時の心境を伝えられただろう。シェリックにふさわしい言葉をかけられたに違いない。

 でも今、ここにはラスターしかいない。シェリックの話を聞いていたのは、ラスターだけだから。

 慰めるのは違う気がする。気休めにもならない。感想を伝えるのもおかしいか。かといって、糾弾したいのでもない。ラスターのあずかり知らぬところで起きていた事態を、責める権利などない。

 どうしようか考えて、考えて。ラスターは、最初に浮かんだ思いを言葉に変えた。


「ありがとう。話してくれて」

「それなら、こちらこそ。聞いてくれて感謝する」


 ようやくラスターを見て、目を合わせ、笑ってくれた。ラスターは首を振る。

 感謝されるいわれなどない。シェリックの話を聞くと、承諾したのはラスターだ。たとえシェリックが勝手に話しただけだと思っていても。

 ──おまえ、やっぱり知ってたのか。

 やるせなく答えたシェリックも、感情のままに責めるしかなかったラスターも、ここにはいない。シェリック自身が語ることを望んで、聞くことを了承したラスターがいるだけだ。

 あのときとは違う。お互いにわかり合えないと、現状を受け入れるばかりでしかなかったあのときとは。


「シェリックのそれって、癖? 何でもかんでも諦めちゃうの」

「何でも諦めた覚えはないが」


 自覚すらないのかもしれない。レーシェがシェリックに怒っていたように。聞いていたラスターにはすぐわかったのに。


「ギアって人に、殺されてもいいって言ってた」

「レーシェを助けたい一心だったんだ」

「でも、本心だった」


 よそ見なんかさせない。先ほどはラスターが逸らしかけたけれど、今度は逸らされないように捕まえる。引き戻す。

 シェリックが何を思ってあんなことを口走ったのか、はっきりさせておきたかった。死んでもいいと、本気でギアに言ったのだろう。


「──ああ」


 観念したように答えたシェリックに、ラスターはぐっと口を引き結ぶ。

 できれば、否定してもらいかった。その場限りで、窮地を切り抜けるための嘘だったと。そう言ってもらいたかった。


「なんでおまえにはわかるんだろうな。あの場にいたみたいに。多分、俺はどうでも良かったんだ。レーシェがノチェと会えるなら、他のことはどうなっても。それさえも叶わないと知ってしまったから、余計に。あのときはレーシェが助かってさえくれれば、それで良かった」


 シェリックが言葉を切る。苦笑された気配がした。


「どうしておまえが泣くんだよ」

「……シェリックが、自分を大事にしないから。お母さんじゃなくたって、怒るよ」

「悪かった」


 ラスターだって怒りたかった。口を挟んではいけないと思って、終始黙って聞いていたのだ。

 背中へとためらいがちに回された左手が、ラスターを引き寄せた。額に当たった肩がひんやりとしている。どれほどここにいたのか。シェリックの左手も、すっかり夜の温度だ。

 諦めなかったから、シェリックはここにいる。レーシェが諦めさせなかったからここにいる。諦めてしまっていたら、ラスターとも出会わなかっただろう。


「──今は?」

「うん?」


 くぐもった声では届かないだろうか。けれども涙に濡れた顔を見せたくなくて、額をシェリックの肩に押しつける。


「今は、もう諦めてない?」

「そうだな……多分、前よりは」


 祈りにも似た問いかけに、欲しかった答えが返される。


「だったら、いい」


 ラスターは目を閉じる。叶えばいいと。その未来が来て欲しいと。

 わかっている。胸に巣くう小さな不安があることを。シェリックがいつかいなくなってしまうのではないか。その可能性がぬぐえなくて、シェリックが口にしたばかりのことを本当なのかと疑ってしまうのも。

 でも、シェリックが言ってくれた。どんなに小さくても、すぐにはそれとわからなくても、変化はあったのだと信じたい。シェリックは、全て諦めていたあの頃とは違うのだと。だから、ラスターは言わない。本当に言いたかった言葉は、胸の奥に隠しておく。

 言わない代わりに、心の中でつぶやいた。

 もう絶対に、諦めないでと。



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