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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
124/207

124,その身に悪夢を招き寄せ

※拙い表現ではありますが、今回もお食事前後での閲覧はご遠慮した方がいいかもしれません。


 ──苦いのに、どうして飲まなきゃいけないの?

 舌先でなめた粉はとても苦くて、口に広がる味も、鼻に残る匂いも酷くて、ラスターは半泣きになりながら吐き出した覚えがある。喉のいがいがが良くなるように、火照った頬の熱を鎮めるために、薬を飲まなくてはならない。いつまでもそのままだと苦しいだろうと、早く遊べるようになりたいだろうと、祖母はラスターに言ったのだ。

 良い薬は苦い味だけれど、今のラスターを苦しめているものと戦ってくれる。体調がよくない人には必要不可欠だと、そうも言われた。

 薬は人を不幸にするものではない。身体の不調を治すために、その人が違和感なく動けるように、辛さを和らげるためにあるのだと、ラスターはそう教えてもらった。

 だからラスターは早めに治すために、涙目を隠しながら苦い薬を水で押し込んだ。苦くて、辛くて、じゃりじゃりした不快感全てが嫌で、もう二度と飲むものかと誓って──そうしたら翌日には熱が下がり、喉の痛みもましになった。

 何でも治せる薬は存在しない。症状に合った薬を出して、少しずつ、少しずつ、良くしていく。薬とは、そうであるはずだ。


 ──だったら、ここで試せばいいんでしょ?

 誰も傷つけていない。──本当に?

 誰も苦しませていない。──ではここに倒れているナキは?

 誰のために?


「瞳孔は?」

「広がってる。意識は、ある……? 何飲んだんだよ、もう!」

「落ち着け。焦燥に駆られては思考を鈍らせる」

「毒が全身に回る前に対処しなくちゃならないだろ!」

「なら、わかることから確認していく。ナキを頼む」

「……わかった」

「即効性あり。致死性は不明。経口摂取にしては回るのが早すぎる。成分は……わからないな」

「でも、調べないことには対処法もわからないじゃないか!」

「治療師を呼んで──いや、今は受継中か。戻ってくるまでは俺たちだけでなんとかするしかない」

「……冗談でしょ?」

「いたって本気だ」


 水差しを床に置き、ラスターはふらりと立ち上がる。力の入らない足で、三人の傍に寄った。

 グレイは二本の棒で、割れた小瓶の破片をつまみ上げている。ファイクはナキの枕元にしゃがみ、あちこちに視線をさまよわせている。床に置き去りにされた空のグラスが、所在なさげに佇んでいる。

 ラスターはナキの傍らに膝を折り、青ざめた彼女の顔を見下ろした。


「──ナキ」


 口は開くも、ラスターの呼びかけには応じない。応えようとしてくれてはいる。けれど声を出したくないのか、返事をしたくないのか、もしくは発せないのか。話せないわけではないと思いたい。

 グレイの払いのけた小瓶が無残に散らばっている。気をつけないと踏んでしまいそうだ。茶色い硝子の破片が、室内灯の光を浴びて不気味に反射した。特徴的な匂いはない。


「触るなよ。二次被害は面倒だ」

「触らないよ」


 グレイが注意を促してくる。ラスターが見たその先へ、伸ばしかけた手をも止めさせるために。胸元に引き寄せた手を、ぎゅっと握りしめた。

 他に、何か。手がかりはないだろうか。

 腕を抱えるナキ。ナキの傍で座り込むファイク。食い入るように小瓶の破片を眺めているグレイ。ナキは小瓶の中身が毒だと断言してはいない。だからこれは毒ではないと──そんな楽観視をしてはならない。現にナキは倒れたのだ。


 ふと、作業台に仲良く並んだ瓶が目に入る。

 ナキはおそらく、あの中のいくつかと混ぜ合わせて作ったのだろう。近くに寄ってもわかる。色も大きさも様々な瓶。これほどまでに数があるのが恨めしい。褐色の瓶がいくつかと、緑色の瓶が一本。当然ながら、どれも中身はわからない。

 一体何を作ったのだろう。何の薬を作るために、この試作品をこしらえたのだろう。いくつか手に取り、眺めていた瓶の隙間。ころりと転がるものを、ラスターは見つけてしまった。

 薬室や治療室でも見かける。馴染み深いと言えばそうであるが、今最も見つけたくないものでもあった。


「ねえ、これって……」


 一本の注射器。すぐ隣に置かれたグラスには、わずかに残る無色透明な液体があった。

 直接打ち込んだのか。ナキは。自身の血液に。早く毒が回るように。

 浮かんだ想像にぞっとした。口から含むより、血液に流してしまう方が、毒の周りは断然早い。効き目だって早く現れる。まず間違いなく。けれど、それでは助からない。


「──いや」


 近くに来ていたグレイが首を横に振った。


「よく見ろ。これは使われていない。中身は空だ」


 もう一度顔を近づけて凝視する。グレイの言うとおり、注射器の内部は乾いている。中に何か入っていた形跡も見当たらない。

 それならば、どうして効果が現れたのがこんなに早いのか。


「さっき飲んだときより前に、ナキは飲んでた……?」


 置かれてるグラスの中身が瓶に詰められる前で、ナキは既に試していたのだったら。


「多分な。これを使われていたら、望みは潰えてる」


 何のだなんて、わかりきったことは訊かない。


「──怖いコト、言わないでよ」

「事実だ」


 聞きたくない。認めるのも嫌だ。

 グレイの険しい目が間近にある。あとで残りそうなほど眉間にしわを作り、喋るとき以外は口が固く引き結ばれる。苛立たしいような、怒っているような顔だ。


「助けられる可能性がなくなったわけじゃない。こいつの中身を調べて、薬を作るのが一番手っ取り早いが……」


 見知ったことを淡々と、それでいて手加減などなく、グレイはひとつひとつ述べていく。まるで、努めてそうしているように。

 そうだ、グレイの確認事項に一喜一憂している場合ではない。


「ファイク」


 いつも聞いている声より、一段と低い。感情の抑えられたその声は厳しく、眉根の寄った顔を崩さずにいるから余計にそう思える。


「成分分析、できるか?」

「……やるしかないじゃないか」


 ナキと同じくらい青くなった表情で、しぶしぶながら、それでもファイクはしかと頷く。

 できないなどと言わない。言いたくないが本音だろう。ラスターだって、助けられないなんて言いたくない。


「──っち、──よ」


 ラスターが呼びかけても反応しなかったナキが、小さく声を発した。


「ナキ? わかる?」


 ナキの腕が振られる。払われたファイクの手が、行き場を失い宙に止まった。


「……ないで──って、言ってるでしょ……!」


 ナキはうっすらと目を開けて、何かを振り払っている。弱々しかった腕が、次第に強く。やがて大きく見開かれた目が、怯懦きょうだに染まった。


「こっち、近寄るなあああ!!」

「ナキ!? 何を見て──」


 ファイクの言葉が宙ぶらりんに浮く。

 髪を振り乱し、半狂乱になって叫んだナキ。ファイクもグレイも映さず、ラスターさえも見ず、誰もいない方向へと。まるで、ラスターたちには見えない何かがそこにいるかのように。

 そのときだった。水の中で咳き込むような、変な音がしたのは。

 横向きになっていたナキが、身体をくの字に折り曲げてえずく。何度も、何度も。胃に入れていた全ての飲食物を追い出すように。

 誰も動けない。吐瀉物としゃぶつの匂いが鼻について、もらってしまいそうになる。

 副作用、だろうか。これは。あと何度、この状態が起こる。そのたびにナキは叫ぶのか。ラスターたちには見えない何かに怯えて。

 成分がわかって、薬が完成したとしても、ナキの身体が保たないかもしれない。飲んだ毒の量はどのくらいだったのか、グラスの中身はいつ飲んだのか。それは毒だったのか。小瓶とグラスの中身は同じ毒だったのか。

 どうしたらいい。どうしたら助けられる。毒の対処なんて、どうしたら──


 ──たまにあるんだよ。

 不意に、祖母の背中が浮かんで。


「胃洗浄……」


 同時に、単語がぽつりとこぼれ落ちた。


「俺がやろう。ナキが暴れる可能性がある」


 理由を訊くより先に、グレイは言った。

 どこから調達したのか。顔の下半分を覆った手巾の端を頭のうしろで結んでいた。


「管は治療室だな?」

「確か、そのはず……」

「毒を排出する。下剤を準備しておけ」

「う、うん。あと鎮静剤だね」

「ああ」

「え、ちょっと、どういうこと? グレイも、確かめてからにしてよ」

「……悪い。俺も動転してる」


 困惑したファイクに、いち早く動き出していたグレイが動きを止める。


「ラスター、この毒が何かわかったってこと?」

「もしかしたら、だケド……」


 思い出せ。ラスターは知っている。もてない確信が口の中で居座るも、覚えがある。きっと。


「似てるんだ、ボクの村でたまに起きた中毒症状と。野菜に似た毒草で、草の根っこを間違って食べちゃった人がこんな症状だった、気がする」


 可能性のひとつでしかない。あのときは祖母が薬から何から対処していたし、ラスターはその補助をしていただけだった。記憶に引っかかっていたのは、ラスターが作った薬が払いのけられてしまったから。こんなものが飲めるかと、怒気を露わにされながら。


「毒に関してはボクもそこまで詳しくない。お医者さんじゃないから、当たってるかどうかもわからないケド……でも、もし当たってたら、なんとかなると思う」

「ナキは助かるかもしれない、だね?」


 ファイクの言葉に頷く。


「──乗った。手をこまねいているよりは、可能性に賭ける」

「僕も。分析を急ぐよ!」


 くぐもったグレイの声が、動き始めたファイクが、頼もしく思える。


「ラスター。症状がわかるなら、俺たちの補佐をしながら以前と同じ症状かを見極めてほしい。わかるのは、あんたしかいない」

「うん。それと、お母さんが戻り次第、治療師を呼びに行こう。ボクたちよりはずっと詳しいはずだから」

「賢明だな。それで、どうしたらいい?」

「ええと、寝かせてあげて。それと、遮光して、頭を冷やして──」


 祖母のやっていたことを、ラスターは記憶の底から引っ張り出す。丸まっていても、きびきびと動いていたあの背中を。けれどもここに祖母はいない。祖母の背中を見ていたラスターしか、ここにはいない。

 やるしかない。まだ助けられるなら。助けられる可能性が、ここにあるというなら。

 ラスターは祈る。ナキの体力が保ってくれることを。絶対助けるのだと、同じ思いが三つ、ここにあるのだから。




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