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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
123/207

123,心酔わせる憧れは


 十分な説明を受けないままに急かされて、廊下を駆けて。何度かぶつかりかけた王宮の人たちには平謝りをするしかなかった。たどり着いた薬室の扉を前にしって安堵するも、まだ何も終わっていないと気を引き締める。

 とにかく一刻を争う事態なのだと腹をくくり、取っ手をひねりながら心構えをする。

 怪我ではない。けれども急がなくてはならない事態だと。

 勢い任せに開いた薬室の扉。中へと飛び込みかけたラスターの心情を、果たしてどう形容するのが正しかったのだろう。


「えっ、と……?」


 息を弾ませたラスターがおかしいみたいに。待ち受けていた事態は。鬼気迫るほどに深刻な状況は、どこへ。

 何もおかしなところはない。ぱっと見、大変だと言えるような光景も。それどころか、静まり帰って落ちつきすぎた空気だ。ラスターがレーシェと出てきたときから、何が変わったのだろう。

 記憶の中との間違い探しをしてみようか。作業台に色つきの瓶が並んでいて、その隣には挽きかけの葉が乳鉢の中で放置されている。山がふたつ分盛られた粉末は、調合しかけたあとだろうか。焜炉コンロに置かれている鍋は、グレイが手がけている薬膳酒だろう。火は消えている。

 細かい違いはあるけれど、薬室で見かける状態だ。何の変哲もない。出かけたレーシェが戻ってくるには、もう少しかかるだろう。では、元からいたはずの二人はどこへ?


「ファイク?」


 だいぶ差がついてしまったようで、後方からやってきたファイクがようやく追いついてきた。肩を大きく上下させて、息を整えている。同じような光景を、つい先刻、見た覚えがあった。ファイクは今度は膝でなく、薬室の扉に手を突いていたという違いはあるけれど。


「ナキとグレイは?」


 あえいでばかりのファイクは、声を出す代わりに指を差す。その方向を目でたどり、さらには目を凝らす。

 備えつけられている調理台の隣。焜炉と作業台の間から、暗い灰色が見えた。あの頭は、グレイだ。どうやらしゃがんでいるらしい。


「グレイ? どうしたの、そんなところで──」

「……戻ったか」


 疲れ切ったグレイの返答。その彼が両手で押さえているものを見て、ぎょっとした。


「ちょっとお、戻ったならいいでしょう!? さっさとこの手を放しなさいよ!」

「断る」


 片膝を立ててしゃがんだグレイの目の前にいるのは、おしりを突いて座り込んだナキ。

 姿の見えなかった薬師見習いの二人を見つけて、安堵するのではなく、不安と戸惑いばかりが募る。

 大変、と称していいのかわからないが、不思議な光景ではある。グレイが押さえているのは、ナキの両腕だったのだ。


「……どうしたの?」


 見ようによっては襲われかけたナキ、と捉えられなくもないけれど、二人の様子をつぶさに見ると、どうもそういう状況ではないらしいし。


「どうしたも、こうしたも……」

「グレイが瓶をよこさないのが悪いのよ! こっちは確かめてただけだって言うのに!」

「えっと……確かめてたって、何を?」


 真っ赤な顔をしたナキが主張しているも、ラスターにはやっぱりわからない。状況の理解に追いついていないのだ。このナキの様子からして、怒りに顔を染めているのではなさそうだけれど。

 入り口からよたよたと歩いてきたファイクが、弱った顔で教えてくれた。


「ナキが、仕込む前の薬膳酒を間違って飲んじゃったんだよ。お酒の度数、強いやつ」

「お酒……? 薬膳酒ってコトは──」


 つぶやいたラスターから、逸らされた視線がひとつ。


「グレイのだよね?」


 是、とも否、とも返ってこない。合わさらない目が答えだ。薬膳酒を作るなんて、グレイしかいない。当然、その材料を扱うのもグレイだけだ。


「そうなんだよ。あれの元のお酒が、作業台の薬品と一緒に置いてあって、気づかなかったナキがそれを飲んじゃったんだ。あれほど管理には気をつけてって言ったのに」


 ファイクの駄目押しにも、グレイは何も言わない。


「置いてあったら飲むでしょ?」

「飲まないよ!」

「試さないとわからないじゃない」

「そうだけど!」


 無言を貫いていたグレイが、ぽつりとつぶやいた。


「ファイク。眠らせれば治るんじゃないか?」

「その投げやりな解決やめてくれる!? そもそも君が作業台の上に放置しておかなければこんな大変なことになってないんだからね!?」

「すまない」


 いつもの気弱さが嘘だったかのように、ファイクは強い語調で返していく。

 ラスターにも状況がわかってきた。きっと呼びに来るまで、こんなやりとりばかりしていたのだろう。ファイクの疲弊は、ラスターを呼びに来るために走った、それだけではないと思われる。確かに、これは『大変な事態』だ。


「そしたら、お酒の成分薄めるのと、酔い覚ましの薬作ろっか?」

「いらないわよ」

「頼む」

「僕も手伝う」


 三人重なったばらばらな答えに苦笑いで応じ、ラスターは食器が収められている棚からグラスを取り出す。水差しからグラスへと水を注ぎ、ナキに差し出した。


「ナキ、とりあえずこれ飲んでて」

「いらないって言ってるでしょ?」


 グレイがナキの右手を解放するも、にべもなく断られてしまう。せっかく解放してくれたのに。


「酒の影響で暑いんだろ?」

「別に暑くないわ。ちょっと火照るだけ」

「それを暑いと言う。水分摂取くらいしておけ」

「グレイがさっきの残りをくれるなら、飲んであげてもいいわ」

「ああ。おまえが先に水を飲んだらな」


 見合ったままの二人だったが、やがてナキが無言で右手を差し出してくる。ラスターは見ずに、けれども右手はラスターに向けて、真っ直ぐに。どうやら、押し問答の勝敗はグレイが勝ち取ったようだ。


「──ナキ。中身がお酒だったのも管理が杜撰だったのもグレイのせいだけど」

「おい」

「グレイはちょっと黙ってて。──どうして薬品なんか飲んだの?」


 薬草の入っている木棚を開けながら、ファイクが尋ねている。


「飲めない薬品を飲んでたつもりはないわよ。飲用の薬品を置いていたから確認をしてたのと、その試作品を作ってたの。業務からは逸脱してないわ。完成すれば役立つわよ」

「飲用って言っても、用法と用量を間違えれば毒だからね?」


 こちらへ戻ってきたファイクが、突如顔色を変える。


「──ナキ、君、また実験してたね?」


 実験とは何だろう。ラスターもファイクと同じように瓶を見て、その中に見覚えのある植物を見つける。

 乾燥させて粉末状にしてから使う薄い灰色の粉。これは──有毒植物の一種だ。


「毒と薬は紙一重じゃない。知ってるわ。それに、毒だって慣らせば多少の耐性はつくのよ」

「だからって、君自身が確かめる必要はないよね。僕、それはやめてくれって言わなかった?」

「あたしが好きでやってることに、口出ししないでくれる? それに、万能の薬を作るためには、ありとあらゆる知識と経験、それに試作と実験が必要なのよ。たとえば、レーシェ様が作った、あの薬みたいに」


 頬を染めたナキがうっとりと口にする。


「──あの薬?」


 ナキの口から誇らしげに語られる薬。ラスターの母親は、何かすごい薬でも作ったのだろうか。流行り病に効くような、まだ解明されていない病気や怪我を治療できるような。


「おい、ナキ」


 グレイから上がる声がいささか低い。しかし、制止するまでには至らない。片一方の手をつかんでいるとはいえ、ナキの口を止めるには足りない。

 床に置かれたグラスが、いやに大きな音を立てた。


「あんたも知ってるんでしょ? あの人の薬の腕を。賢人になるために、生まれ育った村で毒をまいて、薬を作って助けた話」


 ──何を、話そうとしている。ナキは。ラスターの母親にまつわる、何の話をしようとしている。

 知らないわけがない。


「ナキ、ちょっと待って、その話は──!」


 瓶が音を立てて置かれる。それを合図に、ナキは得意げに語った。レーシェの話を。ラスターの母親がしたことを。ラスターは、その真意を確かめようとして、母親を探していたのだから。


「すごいわよね。毒と薬の効能を一度に確かめるなんて。そんな効率のいい方法、あたしには思いつかないわ」

「──やめて」


 握りしめていた水差しが、急に重さを増す。うまく力が入らない。抱え込まないと、落としてしまいそうだった。


「あたしもレーシェ様みたいに、万能な薬を作るの。そうして認めてもらうんだわ。そのために、試作品の毒だって、作ったんだから──」

「やめて!!」


 我慢ならなかった。


「万能って何? 薬を作るためなら、何をしてもいいの……?」


 ナキの言ったように、薬を作るためには知識も経験も必要だ。試作も、実験することだって欠かせない。けれど、ラスターにはどうしても受け入れられなかった。

 何が万能。何が薬。


「薬師は、誰かを傷つけるための薬を作ってるんじゃない!」


 どうして意気揚々と語られなければならない。ラスターの母親が何をしたのだと、その結果どうなったと思っているのだ。

 誇らしそうに言わないでほしい。結果として薬ができたのかもしれない。救われたのかもしれない。

 けれどもその前は? 薬を作る過程で、薬の効果を確かめるために毒が作られて、たったそれだけのために傷ついた人がいて、悲しんだ人がいて、苦しんだ人だっていた。

 薬を作るために、こんな過程を通らなければならないのか。毎回、毎回。

 そうではないだろう。見たこともない症状だったなら、投薬するのは実験と呼ばれるのかもしれない。無理矢理に症状を作り出して、それに対しての薬を作るのは違うだろう。

 犠牲にしていい人の命など、どこにもない。あってはならない。


 ──私はどうしてもここに来なければならなかったの。何を捨てたとしても。

 それはナキの言うように、賢人になるために? 賢人という地位を得るために? そこまでしなければ得られない地位なら、そんなものはいらない。

 地位と名誉のために他の誰かを足蹴にしなければならないのなら、地位も名誉も必要ない。甘いと言われても、夢みたいな話だと貶されてもいい。誰かを犠牲にして成り立つ名声なんて、ラスターは欲しくない。

 ナキの右手に握られている小瓶。ナキが卓から取ったものだ。それは手の中に隠れてしまうほど小さく、室内の光をきらりと反射する。けれど入っている中身は、そんな可愛いものではないだろう。ナキが言うように、その小瓶が試作品であるなら。


「ねえ、ナキ。それを誰に試すの? 誰を傷つけるの? その万能の薬を作るために、誰を苦しませるの? 万能の薬なんてないよ。何でも治せる薬は存在しない。そんな魔法みたいな薬は、どこにもないよ」


 夢見たって、探し求めたって、あるわけがない。どんな症状もたちまち治ってしまう、そんな薬があるとしたら、おとぎ話の中くらいだ。創作された話の中にしか、存在しない。


「ボクらが作る薬を、認められるための道具にしちゃ駄目だ!」


 何のために作るのか。その道筋を、意味を、履き違えてはならない。

 ナキならばわかるはずだ。本当はこんなやり方が間違っていると。伝わるはずだ。口では辛辣だったし、ため息も悪態も盛大に吐かれたけれど、それでもナキはラスターに教えてくれたから。

 薬師の心がけを。王宮のことを。薬室の使い方を。

 正直に言えば、ナキのことは少しだけ苦手だ。邪険にされるし、気分屋だし、目の敵にされてしまうから。

 けれど挨拶をしてくれる。返事もしてくれる。だから信じたい。

 ラスターに見せる一面だけがナキの全てではないと知っているから。


「薬を作るために誰かを苦しめちゃいけない。薬師はそんなコトをする人じゃないよ」


 届いてほしい。わかってほしい。

 レーシェに憧れを抱いているナキだからこそ、思い留まってもらいたい。ラスターの母親がしたのと同じことは、決してしないと。


「ラスターの言うとおりだよ、ナキ。いくら君が毒に詳しくったって、薬の効能に直結するわけじゃない。君の知識の豊富さは認めるけど、やっぱりこんなことはいけないよ」

「……わかったわよ」


 項垂れたまま、ナキは声を発する。


「だったら、ここで試せばいいんでしょ?」

「え──」


 緩んでいた拘束の隙。グレイの手を振りほどいて。小瓶のふたを開けて。ナキは中身をひと息に飲み干した。ためらいもせず。


「──ナキ!!」


 ファイクが叫ぶ。乾いた音。作業台が騒々しく鳴る。グレイが払った手。割れた小瓶が転がる。ゆっくりと、ゆっくりと、動いていく。


「……いった。容赦ないんだから、あんた」

「馬鹿か! 吐け、ナキ!」

「大丈夫よ。レーシェ様が作ったものじゃないし、あたしだって少しは慣れてるから大丈夫に決まって──」


 その身体がぐらりと傾き、青ざめた顔が、駆け寄るファイクが。抱き止めたグレイが。

 水差しと一緒に、ラスターはすとんと床へ落ちる。

 酔い覚ましの薬を作らないと。いや、もっと別の薬を作らなければならない。手遅れになる前に。助けられなくなる前に──

 グレイがナキを床に横たえる。ファイクは膝を突いて、ナキを覗き込む。ナキのその口からは、荒い呼吸が繰り返されている。

 今、何が起きた?


「……ナキ?」


 彼女は何をした?

 誰がそうさせた?

 彼女を、追いつめてしまった?




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