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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
122/207

122,新たな日々に約定を


 慌ただしく部屋から飛び出してきたラスターは、ちらと目を配る。薬室の方向を確認し、そちらとは反対に向けて駆け、ふと思い立って速度を緩めた。

 急ぎすぎてはいけない。気が急いていては何事も失敗に終わってしまう。焦ることと急ぐことは違う。逸る心を鎮めるためにラスターはゆっくりと歩き始めた。

 深呼吸をするラスターを、ちらと見ては通りすぎていく人たち。華やかで、どこか堅苦しくもあるけれど、王宮という場に似つかわしい。町とは異なる様相。目に入るだけでラスターもしっかりしなきゃと思わせてくれる。

 それなのに、どうして賢人たちの服装は、全てを覆い隠してしまう黒い外套なのだろう。ひと目で賢人と関わりがあり、それに近しい人物だとわかりやすいけれど、その人が何の役職なのかは判断しづらい。


 わかりにくいというなら、この王宮にある部屋の位置もそうだ。

 キーシャやシャレル、王に連なる人たちの部屋が中心にあり、その周りにはぐるっと一周できる廊下が、廊下を挟んだ外側には十二賢人たちの部屋が順に並んでいる。ちょうど円を描くように。ラスターがわかりにくかったのは、実はその独特さのせいもある。

 広いために、円を描いているというよりは横並びに見えるし、全て同じ廊下で繋がっているので距離感がわかりにくい。部屋の見わけもつかないので、さらに判別しにくいのだ。

 ラスターが薬室の場所を覚えたのだって、外に見える景色を覚えたからだった。

 隣に鉱石学者の部屋があるのは今初めて知ったし、ではその反対には誰の部屋があるのかと聞かれても、さっぱりわからない。現状では、賢人の誰かの部屋、としか答えられない。

 レーシェからひと通りの位置を教わったけれど、把握できたのは薬室、鉱石学者の部屋、それと今向かっている治療室の三つばかりだ。初めにシェリックと二人で通された部屋も、今となってはうろ覚えである。もう一度訪れようと思っても、無事に着けない確率の方が高い。

 もしその部屋に行く用事があったなら、改めてちゃんと聞かなければならない。

 用事がなくても、部屋の並び方くらいは把握しておかないと。困るのはラスターだ。


「地図、作ろうかな……」


 大がかりなものでなくていい。それこそ人に渡すような、誰しもがわかる代物でなくていい。ラスターがわかるくらいの、簡素な書き留め程度でいい。小さな紙に書いて懐にでも忍ばせておけば、迷わなくなるだろう。困ったらそこから引っ張り出して見ればいいのだから。

 十二賢人の部屋と部屋の間。隣同士ではあっても、間隔が空いたところには硝子のない窓がある。

 ラスターが偽物の賢人になるのだと、そう決めてシェリックに話したあの日の夜。二人で見上げた空が、なぜだかとても眩しく映った。

 陽の高い今、見える星はないが、自分の番だとばかりにどっしりと腰を据えた太陽がそこにいる。陰りなど知らないと言いたそうに、彼は今日も元気だ。雨の予報もなかったから、彼は隠れることなく一日を終えるのだろう。


 声には出さずに、ラスターは口だけ動かす。よろしくね、と。

 彼が元気でいてくれるからこそ、木も花も育っていく。同じように、ラスターたちもまた、彼から元気のおこぼれをもらっているに違いないのだ。

 いくつもの部屋を通り過ぎ、柱の装飾を横目で眺めていく。一本一本立体的に施されているのは、アルティナの象徴である剣と龍だろうか。扉もそうだけれど、王宮の手の込んだ造りは見ていて飽きない。見るたびに新たな発見があるから、まだ見慣れていないと言った方が正しいだろうか。

 近くで調べたら柱の装飾が微妙に異なっていたから、きっと全て異なる意匠が凝らされているのだろう。全部を見比べてみても面白そうだ。夢中になりすぎて、迷子になる恐れがあるけれど。

 変わり映えがあるのは、この外の景色だけだ。


 薬草園。生い茂る木々。空へ上る煙。王宮よりずっと高い塔。空に近いところから見上げた星空。シェリックと二人で食べた焼き菓子。大変だったはずなのに、どれも楽しかった記憶しか残っていない。

 ふと遠くに門が見えた。初めて目にしたときは王宮ばかりに目が行ってしまったけれど、入り口の門だって、ラスターの頭より、もっともっと高かった。

 あの門を通ってきたのだ。フィノに先導され、シェリックと一緒にここまで来たのだ。

 もうずっと昔にあったことのように感じてしまう。何年もここにいるような、変な感覚がする。

 王宮に来てから、まだ数日しか経っていないのに。──数日。それだけしか。

 母親の手がかりを見つけられたなら。会えたなら。母親と一緒に故郷へ帰るのだと、それでおしまいなのだと、そう思っていた。

 ──ごめん。

 心の中でラスターは謝罪する。ここにはいない人へ。遠く、海を越えた故郷で待つ祖母へと。首を長くしているであろう祖母へと。


「まだ、帰れないや」


 母親と会えたけど、それで終わりではなかった。まだ終わりにしたくなかった。

 浮かんだ思いを振りきって、ラスターは足を急がせる。今考えるべきは他にあるのだ。

 フィノが話していた。傷のついた星命石へと最初に手を触れた者に、不幸が訪れると。触れた初めの人は誰か。訪れる不幸とは何か。

 ラスターはいつこれをなくしたのか覚えていない。肌身離さずつけていると信じ込んでいたのだから。

 落としてしまった星命石にたまたまユノが触れてしまって、その身に不幸が降りかかったのだとしたら。そのためにユノが大けがを負ってしまったのだとしたら。それは全て、ラスターが招いてしまった事態ではないか。

 迷信で噂だとも、フィノは話していた。けれどそんなことがなかったら? 迷信でも、噂だけで終わる話でもなかったとしたら?

 何も起こらなかったなら、噂なんて立つわけがない。何かが起きたから、噂になったのだ。火のないところに煙は立たないのだから。

 考えすぎかもしれない。被害妄想が強いと笑われるだろう。でも気になってしまったから、確かめて安心したいではないか。


 努めてゆっくり進めていた足がたどり着いた治療室は、今までで一番遠くに感じられた。歩く速度を落としていたから、より時間がかかったのは当然だ。

 開いたままの扉を見つけて、ラスターはそこだけ一気に駆け寄る。開いているなら、入ってもいいだろうか。けれども勝手に入るのはいけない。悩んだ末、ひょっこりと顔だけ覗かせた。


「こんにちはー……って、あれ?」


 いつもなら数人の治療師見習いたちがいたはずだ。それなのに、今日は一人の姿も見当たらない。治療に使う薬品が置いてあるだろうに、治療室を開け放したままなのは不用心ではないだろうか。


「──ラスター? どうされたんです?」


 足を踏み入れるかどうか迷っていたラスターへ、声がかけられる。誰もいなかったのが錯覚だったように、セーミャはそこにいた。どうやら、ラスターの見えない位置にいたようだ。


「あ。えっと、ユノに会いに来たんだケド、起きてる?」


 セーミャなら、中の様子もわかるだろう。


「ユノ殿なら、昨日塔に戻りましたよ。場所はご存じです?」


 いつの間に。


「うん。リディオルと一緒に行ったからわかるよ」

「それなら、案内は必要なさそうですね」


 ──あれ。

 なんだかセーミャが違う。治療師が亡くなってから元気がなかったのに、いつものセーミャに近づいている。セーミャを見るたび、ぎゅっと締めつけられていた胸の痛みは、浮かんでこない。代わりに、鼻の奥がつんとした。ほんの少しだけ、セーミャに笑顔が戻っている。その違いが、嬉しいだなんて。

 ラスターを見ていたセーミャがふ、と笑う。申し訳なさそうに、わかっていると言いたそうに。


「すいませんラスター。ご心配をおかけしました」

「ううん。大切な人がいなくなったら、誰だって悲しいよ」

「──はい」


 奥から出てきそうになる気持ちをぐっと堪える。ここでラスターが慰められてはいけない。セーミャが笑っているなら、それ以上の笑顔で応えなければ。


「そういえば、他の人は?」


 治療室を見回しても、セーミャ以外誰も現れない。奥まったところで作業しているとか、そんな気配もなさそうだ。


「今から治療師の受継が行われるので、みんなそちらに行っているんです。わたしも、これから向かうところだったんですよ」

「あ、それで誰もいなかったんだね」

「そうなんです」

「ごめん、引き留めちゃった」

「いえいえ、お構いなくですよ」


 受継。行われるのはきっと、ラスターが受けたものではない。本物で本来の受継なのだろう。

 新しい治療師が生まれる。喜ばしいことだ。けれどラスターは前の治療師を知っている。喜ばしいことなのに、寂しい気持ちと切ない気持ちが浮かんでくるのは、仕方ないのだろうか。


「──ねえ、セーミャ」


 ラスターがそう思うのだ。治療師見習いであった人たち──特に前の治療師を慕っていたセーミャが、ラスター以上の思いを抱えているであろうことは想像に難くなかった。


「はい。なんですか?」


 微笑むセーミャがどのようにして、治療師が亡くなったことを受け入れたのかはわからない。どうやって新しい治療師を認められたのかも。

 もしも身近な人が亡くなったとき、ラスターはどうするだろう。ちゃんとセーミャと同じように受け入れて、乗り越えられるだろうか。たとえばキーシャが、セーミャが、リディオルが、レーシェが──シェリックが。亡くなってしまったのなら。

 わからない。想像すらできない。だって、それはとても悲しい。今まで当たり前にいた人が、いなくなってしまうだなんて。もう二度と、会えないだなんて──

 ラスターは引き結んでいた口を開けた。


「またいつか、おいしいお菓子を食べよう。一緒に」


 見開かれた目が、直後に柔らかく綻んだ。


「ええ。そうしましょう」


 人の心は多種多様で、複雑だ。今のセーミャの心中は、セーミャにしかわからない。たとえラスターが言い当てたとしても、ラスターが抱いた感情と同じだとは限らない。笑っていても泣きたいほどに悲しかったり、表面だけの笑顔だったり。

 癒やすのが難しくても、悲しみに寄り添ってあげることができなくても、どんな言葉をかけたらいいかわからなくても。ラスターには小さな約束しか交わせられないけれど。

 何かひとつでも。些細なことでも。悲しみに暮れて、沈んだままの状態をひとときでも脱せてあげられたのなら。ラスターだったら、そうしてもらったら嬉しいから。


「それでは、わたしのおすすめのお菓子をご用意しておきますね」

「うん。ボクも、おいしいお茶を探してみるよ」

「それは楽しみですね」


 当たり前だと信じていた次への約束。それがどんなにかけがえのないできごとだったか。いつか突然失われてしまうかもしれない。果たせなくなるのかもしれない。だから、そうなる前に。人は次へ繋がる約束を交わすのではないか。少しずつ繋がった約束が、いつか途方もない期間になるように。『次』を楽しみにいられるように。

 約束は交わせられるうちに。果たせられるうちに。思いは伝えられるうちに。何もかも、できなくなってしまう前に。


「セーミャ、ありがとう。それじゃ、また!」

「ええ、また」


 笑顔で見送るセーミャへ手を振り返して、ラスターは一路、塔へと向かう。ユノがいるであろう場所へと。次は出会えるようにと。

 なんて、軽く考えていた。


「──ねえ、ちょっと!」


 その足を止めざるを得なかったのは、聞いた覚えのある声がしたからだった。

 きょときょとと首を回し、ラスターのうしろからやってきたファイクを見つける。


「ファイク?」

「やっと、見つけた……! 君、どこに行ってたんだよ! いつまで経っても、戻ってこないし……!」


 心当たりはとてもある。星命石が直るかどうか知りたくて鉱石学者がいるフィノの元まで行き、不穏な言い伝えを耳にしてユノを探していた。確かに、一度薬室に戻ってから改めて出てくるべきだったかもしれない。

 息も絶え絶えに。ぜいぜいと肩で呼吸をしながら小走りでやってきたファイクは、そこで体力が尽きたのか、膝に手を当てて立ち止まった。ラスターは駆け寄って、その背をさすってやる。

 数日一緒にいてわかったけれど、ファイクはあまり体力がない。朝に顔を合わせたときには比較的元気なのに、日が傾くにつれてだんだんと疲れてくるような印象を受ける。

 誰でもそうだが、ファイクはそのわかりやすさが顕著だ。朝に花が開き、夕方にはしぼんでしまう、天陽草てんようそうみたいだ。

 こんなに急いで、どうしたのだろう。


「……だ、大丈、夫……ありがと……」


 ファイクが右手を挙げて答える。とてもじゃないが大丈夫そうには見えなかった。まだ昼刻前なのに、普段の様子に輪をかけて辛そうだ。それほどまでに探させてしまったのかと思うと、途端に申し訳なくなってきた。


「ごめん。どうしたの? 何か急ぎの用事?」


 ラスターを探していたようだったけれど、何かあったのだろうか。

 急病人ですぐに薬が必要になったとか、作った薬に不備があったとか、ナキの代わりに呼びに来たとか、あとはレーシェに頼まれたとか──どれもありそうだ。

 できれば最初のひとつではありませんようにとこっそり願う。


「とにかく、薬室に戻って! ナキが、大変なんだ!」

「ナキが?」


 両肩をわしづかみにされ、必死の形相で訴えられた。切迫しているらしいことは伝わってきたけれど、何が起きたのかは全く伝わってこない。ナキに呼び出されたわけではないけれど、彼女の身に何かがあったのだろう。

 ──急病人。もしや。


「怪我したの? ナキ」

「そういうわけじゃないけど」


 ほっ、と胸をなでおろす。ユノの一件があったから、その可能性がなくなったのは救いか。


「とりあえず、戻ればいいの?」

「そう。急いで!」

「う、うん」


 背中を押されながらせき立てられ、なんだかわからないままに走り出す。うしろからファイクがついてくる足音がした。あれだけ疲れ果てていたのに、なおも急ごうとするファイクの精神力が凄い。それほど切迫した事態なのだろう。ならば、ラスターも急がなければ。

 浮かんだ疑問を解消するよりも急ぐのを優先にして、ラスターは走った。魔術師の塔へ向かおうとしていた足を、今度は薬室へと方向転換して。




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