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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
六章 アルティナ王国Ⅲ
120/207

120,隠した決意はただひとつ


 噂をすれば影がさすとはよく言うが、まさか本当に当人に出くわすとは思ってもみなかった。

 治療師の亡骸が弔われている、その煙が根本まで見える位置。まだシェリックには気づいていない。レーシェは欄干の柱に肩を預けながら、ぼんやりと遠くを見ていた。

 糸のような煙の真下には黒い影がひとつ。絶やさないように、強くなりすぎないように、弔炎を保ち続けている魔術師の見習いだろう。遠目からでは、それが誰なのかまでわからなかった。

 レーシェはいつからここにいるのか。弔う光景に何を思っているのか。感情を映さない横顔からは、何も読み取れない。初めからそこにあった石像みたいに、一枚の絵画のように。近づいてはならない。不可侵の領域。

 一歩、シェリックは踏み出す。幻想を破るべく、作りものじみたその絵画の中へと。作られた存在ではない。彼女を現実へと引き戻すために。風景に溶け込むレーシェに会うべく。


「思うところでもあったか?」

「それなりにね。賢人としての付き合いも、そこそこ長かったから」


 死角から話しかけたシェリックに驚きもせず、レーシェは答えを返してきた。

 どうしてそう自然に返事できるのだか。もしくは、そう感じたのはシェリックだけで、レーシェ自身はとうに気づいていたか。感づいた素振りなど見せなかったろうに。少しくらいは気にするなり驚く素振りなりを見せてくれてもいいものを、相変わらずこの人は。


「感傷に浸っている場合じゃないんだけどね。次の治療師の受継も控えていることだし、否が応にも進まなければならないわ。時間は待ってはくれないのよ。私たちが生きている限り、とめどなく動き続けているのだから」

「それにしては珍しく感傷的だな?」

「弔いの儀にあてられたのかもしれないわね。私としたことが、らしくない」


 帯びた憂いが、彼女の表情をす、と横ぎる。

 弱音を吐くレーシェは、シェリックも片手で数えるほどにしかお目にかかったことがない。かつてシェリックが王宮にいたとき、同じ賢人でありながらも、彼女は別格の人だった。完璧で、隙を見せず、超人ではないかと囁かれていたものだった。賢人とは、大人とは、彼女のような人を指すのだと、シェリックは密かに目標にしていたくらいだ。

 だから、レーシェがシェリックに禁術を願ったときには驚いた。彼女のような強い人でもそんなことを願うのだと。そしてきっと、同時に理解してしまった。彼女が強くあれたのは、その人がいたからこそなのだと。

 人は一人では強くいられない。その事実を、シェリックは深く噛み締めた。

 だって、そうだろう。一人でも生きていける強い生物だったなら、他の誰かに縋りはしない。亡くなった人に会いたいがために、禁じられた術に手を出したりもしない。人間というのは、一人では決して生きられない生き物だ。

 だからこそ、気になってしまう。

 今は、どうなのだろう。

 セーミャが教えてくれたように、レーシェも乗り越えられたのだろうか。今、レーシェがここにこうしていられるのは、乗り越えたゆえだろうか。


「雨でも降るんじゃないか」


 訊きたい質問を逸らし、冗談混じりに空を仰ぐ。

 きっとシェリックが知ったところで、何にもなりはしない。シェリックが居なくても、レーシェは一人で前を向いているのだから。


「馬鹿言わないで。せっかくのルースの晴れの日を、台なしにしたくないわよ」


 晴れの日。ルースの晴れの舞台。レーシェが彼に伝えたとき、シェリックもその場にいたから覚えている。

 受継が行われるということは、ルースは受諾したのだろう。新しい治療師になると。彼が、エリウス=ハイレンになるのだと。

 受継とは、新しい賢人を定めるときに行われる儀式だ。賢人の名と星命石が授けられるその儀式は、シェリックも久々に見る。ラスターの儀式を除けば、の話だが。


「ルースは受継を知っていたのか? フィノから、受継を知る見習いはグレイだけだと聞いたんだが」

「エリウス殿が生前、ルースや他の賢人たちに話していたそうよ。自分にもしものことがあったなら、ルースを次の治療師にするって。ルースも、そのときは笑って流していたと聞いたけど」

「準備がよすぎやしないか?」

「ええ、そうね。まるで、あらかじめこうなることがわかっていたかのような手際のよさだわ」


 レーシェの言うとおりだ。初めから最悪の展開が予想されていたみたいに。エリウスは、彼がいなくなったあとの対処をしていた。セーミャへの手紙といい、ルースへ語った受継といい。

 いつエリウス自身がいなくなってもいいように、準備されていたかのようだ。

 彼は何を知っていたのだろう。シェリックがかつて名乗っていたディアという名だって知っていた。知りすぎたから殺されたという解釈もできる。知ってはならないことを知ってしまったから、彼は殺されたのか。

 では、何を?

 それを調べて知ってしまったなら、シェリックも殺されてしまうのか。そうしてまた、賢人が失われていくのか。どこまで失われる? 最後の一人がいなくなるまで?

 いや、決して失われるばかりではない。受継が行われる。新しい賢人が一人、増えるではないか。

 その変化が、もしかしたら現状を変えるための礎となるかもしれない。そこまで、大げさなものではなくても、小さな布石となったなら。


「前回の受継は誰だったんだ?」


 その疑問は、ふっと湧いた。

 賢人が三人亡くなって、治療師も含めば四人目。今回治療師にルースがつくのはわかったが、他の三人の空いた席は誰が埋めたのだろう。

 まだその話を、誰からも聞いていないのに思い当たったのだ。シェリックが知らないうちにすれ違っていた可能性もあったけれど、顔まで正確に覚えているかどうかは危うい。

「あら、あなたもよく知っている人よ」

 ということは顔見知り程度ではなく、シェリックも確実にわかる人物だ。目だけで問いかけると、レーシェは面白そうに笑った。


「リディオル」

「──は?」


 よく知っているどころではない。ないけれど、どうしてその名が出てくる。


「嘘でも冗談でもないわ。前回受継がなされたのは、リディオルよ」


 最近なんて言葉はそぐわない。リディオルが賢人になったのは、六年と少し前。七年もいかないほどの頃。シェリックが禁術を使う、ほんの少し前だ。

 減った数と増えた数と。人数が合致しない。十二人いるはずの賢人。何人減って、何人増えた?


「おい、待て。賢人が三人殺されたんだよな?」

「そうね」

「エリウス殿で四人目になるんだよな?」

「そのとおりだわ」


 四人もの賢人が殺されて、ようやく一人、受継が行われる。その一人だけ、やけに手際がいい状態で。


「他の三人は?」

「リディオル以来の受継なのよ。それがどういうことか、わかるでしょう?」

「空席のままなのか?」


 察してくれと、レーシェの目は言う。言葉よりも雄弁に語られる。これ以上は、訊いてくれるなと。

 こんなおかしな話があってたまるか。不在のまま? 最初の賢人が殺されてから、三年も経っているのに?

 しかし、フィノの話を当てはめてみれば腑に落ちてしまう。彼は言っていたではないか。唯一受継を知る見習いは、薬師見習いのグレイだけだと。リディオルが賢人になってから受継が行われていないなら、見習いたちのほとんどが受継を知らないのにもうなずけてしまう。

 通常二年、あるいは三年。見習いたちが王宮にいるとされている期間だ。その間に賢人になれないのなら、王宮から出されてしまう。そうして外に学びに行くのだと聞いた。

 六年、占星術師の席を空けていた自分が言えることではないが、それにしたって。


「シェリック。あなたの場合とは訳が違った。候補に当たる人はいても、決断するまでに至らなかった。今回のルースの件は、エリウス殿の言があったこと、それを他の賢人も聞いていたこと、加えて賢人たちからの推薦があったから滞りなく進んでいるだけ。偶然に偶然が重なってしまった、それだけなのよ」

「だからといって、それでまかり通るものか。賢人のいない見習いたちはどうなる? 上に立つ者がいなくて、まとめる者もいなければ、瓦解するのは時間の問題だ」


 崩壊の一途をたどっているとしか思えない。


「それが保っているのよ、今のところは、だけれど」

「どうやって……」

「そんなことができるとしたら、シャレル様かしらね?」


 告げられた一人の名。アルティナ王妃の名前。王宮にずっといたレーシェですら確信が持てていないのだから、それが本当かどうかも定かでない。


「指導者がいなければ、別の人が率いればいい。型にはめなければ、どんな考え方だって、できるんじゃないかしら」

「だが、それでは足下が弱くなる。仮にシャレル様がまとめていたとしても、専門的な部分までは詳しくないだろう。基盤や土台が弱ければ、いずれは崩壊する」


 どれだけ小さな綻びだって、直さなければなくならない。放っておいたなら、大きくなっていく。大きすぎる綻びは直せなくなる。そうすればどうなる? あとは壊れていく一方だ。


「なぜ、こんな──」


 あるいはそれを狙って──?


「綻び始めているのかもしれないわね、この国は」

「滅多なことを言うな」

「──ねえ、シェリック」


 空から目を離さないレーシェが、呼びかけてくる。それがなぜか、今までの調子とは違うように思えた。


「どうしてあなた、戻ってきたの?」


 独白のように。シェリックがレーシェの近くにいなければ、ただの独り言だと思っていただろう。シェリックに向けられたものだと、気づけなかった。レーシェのひと言は、誰に向けてでもないところへとつぶやかれたから。


「戻ってきてほしくなかった口ぶりだな」

「あなた一人がいなくても、アルティナ王国はなくならない。姿を変え、形を変えて、なおもここにあり続ける。たとえ、壊れかけているとしても。牢屋から連れ出されたなら、そこからあの子と一緒に、どこに消えてしまっても良かった」

「おまえが、それを言っていいのか? 母親だろう」

「あの子が元気でいてくれたなら、私はそれで良かったのよ。私の勝手であの子の前からいなくなったのだから。今更ひと目でも見たいだなんて、過ぎた願いだわ」

「親が子どもの成長を願うのは当然だろう。どんな理由があろうと」

「大人の都合なんて、子どもに通用すると思う?」

「……難しいな」

「でしょう? だから、あの子を引き留めておいてほしかったわ」

「それも無理な話だ」


 ラスターの望みに引きずられていた節もあったが、シェリックが同行していたのはそれだけではない。

 シェリックは罪を償わなければならなかった。禁じられていた術を使ってしまった、その罪を。同時に、償い方も探していた。どうしたら償えるのだろうかと。


「あなたは私の望みを叶えようとしてくれただけ。その方法がたまたま禁じられていたものであっただけ。けれど、結果としては何も起こらなかった。なら、もういいじゃない。過ぎたことなのだから。だったらもう、賢人に縛られる必要なんてないのよ」


 終わったことだと。レーシェは言う。牢から出たなら、そこから先は自由なのだと。戻ってくる必要はなかったのだと。


「──いや」


 贖罪しょくざいを。手向けを。シェリックがなしたかったのはもうひとつあった。


「必要だったんだ、俺には」


 理由があったからだ。誰に諭されようと、何と責められようと。どうしても譲れない理由が。

 ラスターを、アルティナとは何の関係もなかった少女を巻き込んでしまった。罪滅ぼしと言えば、厳密にはそうなのだろう。人質として狙われて、交渉材料として利用されて。シェリックに出会わなければ、ラスターは何も知らずにいられたはずだ。

 レーシェとの再会だって、もっと穏便にできたはずだった。

 無事に帰らせたかった。ラディラ共和国に。ラスターの故郷に。彼女の祖母が待つ家に。アルティナ王国とこれ以上関わらせないようにするために。

 だからシェリックは、フィノの言葉にあえて従った。賢人になるために。賢人の地位を得るために。贖罪ではない、もうひとつの理由のために。


「俺は、賢人に戻る必要があった」


 従いはした。けれど、それだけで終わらせるつもりはなかった。


「俺が賢人に戻ることで得られる発言力と影響力、それがほしかった」

「どういうこと?」


 ようやくこちらを向いたレーシェに、シェリックは真正面から答える。

 フィノと、シェリックと。


「いち王宮の見習いでしかない者と、賢人の一人である者と。相反する意見を述べた際、重きを置かれるのは果たしてどちらだ?」


 それが理由。全て、全て、ただ一人のため。

 シェリックが地位を欲した理由は、ラスターをアルティナから解放するため。ただ、それだけだった。




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