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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
117/207

117,ほんの少しの息抜きを


 閉めた扉にもたれかかり、大きく息を吐く。身体の中、肺に収められていた全ての空気を入れ換えるために。

 泣いたり、するのだろうか。泣けずにいたセーミャは。まるで、泣かせたいがために手紙を渡したみたいだ。

 人の気配を感じて顔を上げれば、いつの間にかそこにいたルースと目が合った。

 裾や襟元がよれた白衣。へらっとした笑い方はどこかくたびれている。彼もかけずり回っていたのだろう。


「観察対象にしても面白いことはねぇし、盗み聞きは趣味がわりぃぞ」


 いつからいて、どこから聞いていたのかは知らないが。


「少し前に戻ってきたんですって。盗み聞いたつもりはないんですけど、聞こえてきたんですよ」

「よっく言うよ。ここまで近くに寄ってきておいて、盗み聞きじゃなけりゃなんだっつーんだよ」


 ユノが寝かされていた寝台のすぐ傍に、ルースはいた。そこは治療室の入り口から一番遠くて、昼寝室から一番近い位置だ。ユノがいなくなった今、理由なしにここまで来はしないだろう。


「たまたま聞いちゃったんですってば。先生の部屋から話し声が聞こえてたら、気になるじゃないですか」


 のらりくらりと。かわせているようでかわせていない。


「で、どこから聞いてたんだよ」

「セーミャさんがリディオル殿から手紙を受け取ったところですかね」


 はぐらかすことだってできるだろうに、答える辺りが素直である。言葉のままに受け取るなら、口言したとおり、ルースが戻ってきたのは『少し前』だ。


「……そういう奴だよな、おまえは」

「なんですか、その中途半端に諦めたような評価」

「あきれてんだよ。心配だったっていやぁいい話だろうがよ」


 良くも悪くも、嘘の吐けない性格をしている。


「そりゃあ、心配にもなりますよ。先生が亡くなってからまだ二日です。俺だって、未だに信じられませんから」

「誰だってそうだろ。人間はいつか死ぬっつっても、雨予報と違って予測はつかねぇんだから。受け入れるしかねぇだろ。──ま、それが簡単にできりゃ苦労はねぇけどな」


 ルースがなんとも言えない顔をして笑った。弱ったような、図星を突かれたような、それでいて困っているような。きっとどれも正しくて、どれもが正解ではない。


「──弱音、吐かないんですよ」


 ルースはそう切り出してきた。


「いつも大丈夫の一点張りではぐらかされて。詳しいことは何も話してくれなくて。どうやら俺は、話してくれるまでの相手ではないみたいです」

「そんなの、俺だって同じだ」

「でもリディオル殿は先生からの手紙を託されたじゃないですか」

「押しつけられただけだっつの。譲れるもんならそうしてぇわ」

「信頼されてるんですね」

「馬鹿言えよ」


 つきあいの浅い自分と治療師に、無条件で信頼できる絆なんて存在しない。賢人としての義務だとか、同じ立場として頼みやすかったとか、せいぜいそんなところだろう。

 感情を表現するのに乏しくなったセーミャ。彼女が感情を露わにするのは、決まって彼女の師に関するときだけだ。

 どう考えても、たまたまそこにリディオルがいたからというどうでもいい理由の下、体よく使われたにすぎない。


「なんか俺、情けないなあ。自分のことしか見えてなくて」

「俺も自分のことしか考えてねぇよ。厄介ごとを早めに片づけたかっただけだ」

「厄介ごとってひどい言われようですね。先生、泣いてるかも」

「そんなんで泣かせられるなら、いくらでも泣かせてぇわ」


 それこそ、星になった彼を引きずり下ろしてでも。


「たとえリディオル殿が面倒だと思っていても、受け取る側は全然違いますよ。手紙預かるの、俺だったら良かったのになー。頼られる男にはまだ遠いかー」


 なんでもない様子を装って、笑いながら話すのは、ルースがずっと秘めていた本音の部分だろう。本気で話そうとしたら落ち込んでしまうから、そうならないように笑いながら語って、ごまかして。


「頼られてるかはともかく」

「うわ、余計に落とさないでくださいよ。傷つくなー、もう」

「救われてる部分は、少なからずあんだろ」


 笑っていたルースが、ぽかんとリディオルを見ている。

 励まそうとか、そんな意図はない。リディオルは、そんな役柄ではないからだ。

 これは、自分の言葉ではない。自分の口を借りて出てきた、誰かの言葉だ。


「おまえが傍にいることで、全部背負わなくていい安心感とか、エリウス殿が亡くなって、どうしていいかわからなくても、おまえが先導することで先行きの不安が軽くなったとか。おまえがいなかったら、それはなかっただろうが」


 いるのが当たり前になっていたとしても、ルースがいなかったら生まれなかったであろうことだってある。それは周りの誰かにも影響しているはずだ。たとえ気づかれないほどの小さな影響でしかなかったとしても。目には見えない、支えであったとしても。


「──そうだったら、いいですよね」

「そうだったら、じゃねぇよ。そうなんだよ。俺ですらわかるんだ、あいつがわからないわけねぇだろ。今は、気づいていないだけかもしんねぇけど」


 自分より数個年下なだけのルースが、いつもより幼く見えてしまって。気づいたら、激励させるような言葉をかけていた。柄にもない。どこかの誰かさんの性格が移ってしまったかもしれない。これだって、ひとつの影響だ。


「だから、んなへこんでんじゃねぇよ。これから賢人になろうって奴がそんなんじゃ、ついてく奴も不安に思うだろうが。受けるんだろ? 賢人の話」

「……はい」


 消えてしまいそうな答えが返される。リディオルとて、今ルースからはっきりと聞くまでは、他の人から聞いただけだ。

 噂程度の話。ルースが受継をするのだと。彼自身が決めたのだと。


「前にも思いましたけど……先輩の言うことは身に染みるなー」


 似たようなことを話したのは昨日だったか。二日も続けて柄にもないことをしているとは。二度やったなら、三度目はない。


「もっとありがたがってくれてもいいんだぜ?」

「そういうひと言がなければ、もっと敬えるんですけどねー」

「お堅いだけばっかじゃ面白みがねぇだろ。親しみやすくしてんの、俺は」


 ルースから、気の抜けたような笑みが漏れる。


「はいはい。勉強になります。ありがとうございます」

「へぇへぇ、どういたしまして」


 本音を本音のまま言わずにいる点だけは、ルースもいい勝負をしている。

 なんてことを思ったが、心のうちだけに留めておくことにした。



  **



「──『君は、君の道を。エリウス=ハイレン』」


 ひと文字ずつ、目と指でたどった文章は、師の名前を最後になぞって終わりを迎えた。ここから先には何も書かれていない。

 たった数日。耳にしていなかった声が懐かしくて、文字をたどる度に、その言葉は師の声で再生された。師のいなくなった、師の部屋で、師の話を目の前で聞いているようで。

 声がしないのが不思議なくらいだ。セーミャの記憶の中にいる師は、いくらでも話してくれていたのに。

 広げた手紙を元のように折りたたみ、封筒へと収める。これで、おしまいだ。


「……馬鹿です」


 書き残すくらいならと、セーミャが代わりに願うのはただひとつ。

 絶対に叶わないから、二度と願ってはならないから、だからセーミャは、一番に望んだ願いごとを諦める。それしか選べないのは、とうの昔にわかっていたのだから。

 立ち上がった右足がよろけ、左足が代わりに踏みとどまる。セーミャは立てるのだ。立って、歩いていけるのだ。


「お師匠様、ありがとうございました」


 師の戻ってこない部屋に、師に届くことのない感謝を述べて。言い尽くせないありったけの思いを込めて、セーミャは頭を下げた。

 応えはない。応えがなくとも、師の言葉はここにある。セーミャがもらった、師の言葉が。

 下げていた頭を戻し、元のように明かりを消す。

 いつか。また、いつか。師と言葉を交わせる日まで。師の代わりに、たくさんのものを見て、聞いて、知ろうと思う。いつかセーミャが星となる、その日まで。

 ──あの人の直接の言葉じゃねぇが、あの人が残した、あんたへの言葉だ。


「……本当ですね」


 会話をしたわけではない。単なる文字を追っただけ。けれどもこれは、間違いなく師の言葉だった。

 届けてくれた彼に、礼を言わなければ。先ほどは言いそびれてしまったから。


「──お、読み終わったか」


 てっきり帰っていると思っていた声が聞こえ、セーミャは瞬いた。


「まだ、いらっしゃったんですか?」

「一応、戻ってきたつもりだったんだけどな」

「それは失礼しました」


 ああ、そうか。彼は確かにそう言っていた。表向きの理由だとばかり思っていたのはセーミャだ。


「ルースも、戻ってきていたんですね」


 卓に寄りかかる彼の横。椅子に座ったルースは、卓に突っ伏して寝ていた。羽織った白衣も脱がないままに。


「あんたがこっちに来るまでは起きてるっつってたんだけどな」


 腕を枕にして、聞こえてくるのは規則正しい寝息。起こすのが申し訳なくなるほどに熟睡している。賢人になる。ルースが、新しい治療師に。師の代わりに。

 紙をめくる音に意識が戻される。片手間に読書でもしていたのだろう。しかしそんなもの、彼がここにやってきたとき持っていただろうか。

 何気なく目を向けて、彼が手にしているものを見て固まった。


「──あの、リディオル殿」

「ん?」


 見たことがある。彼が治療室にやってくるまで、セーミャも同じものを読んでいた覚えもある。


「何をごらんになっているんです?」

「ユノの治療記録」


 予測どおりの答えが返ってきても、まったく嬉しくない。落ち度はセーミャにもある。棚にしまわずここに出しっ放しにしていたのだから。


「……個人情報ですけど、それ」

「気にすんな」

「気にする、気にしないの問題ではありません」

「許可はもらってある」


 セーミャはもちろん出していない。ならば、ここで寝ているルースか。なんてことをしてくれたのか。


「部外者が読んでも面白くありませんよ」

「弟子が体調崩したとき、参考にはなんだろ──ありがとさん」

「治療師でもないのに?」


 渡された記録を受け取り、その反動で憎まれ口が漏れた。


「俺だからできることだってあるだろ。いついかなるときも治療師が傍にいるわけじゃねぇんだからよ」

「それはそうですけど……でしたら、わたしたちがいつでも看ていられるように、治療室にいていただけます? 探し回るよりはずっと楽なので」


 昼寝に出かけた師を探すのだって難航したのだ。どんなときにも治療師が傍にいてほしいと願うなら、そちらも傍にいる努力をするべきではないだろうか。

 なんてことを考えていたら、じっと視線が注がれているのに気づいた。


「なんです?」

「いや?」


 注視されて気分がいいかと言われると、そんなことはない。むっと押し黙ると、彼はこちらを見て微笑んだ。


「いつものあんただなと思っただけだ」

「なんですかそれ……」


 妙なことばかりする。言動も、行動も、不思議なことばかり。

 戻ってきたと言ってはセーミャに手紙を渡し、セーミャにそれを読ませる。その割に手紙の内容とか感想には一切触れてこず、今度は治療記録を読んでいる。

 まったくもって不可解なことばかりだ。

 ああ、そうだ。彼には言わなければならないことがあった。


「リディオル殿、ありがとうございました。お師匠様からの手紙を、届けてくださって」

「別に? 頼まれたからこなしただけだ」


 彼にとっては何でもないこと。たいしたことではないこと。それだけのことが、セーミャにとってはありがたかった。もう一度師に、師の言葉に会えたのだから。


「あなたにとって何でもなくても、わたしにとっては大事なことでした。だから、ありがとうございました」


 この先、読み返すことはないかもしれない。セーミャの奥底にしまって、取り出すこともないのかもしれない。けれどもこれは、大事な大事な品物だ。


「──人が亡くなって泣くのは、その人に対する後悔が残っているからなんだと」

「え?」


 突然何を言うのだろう。

 セーミャの疑問も戸惑いも置いてけぼりにして、彼は語る。淡々と。


「あんたに後悔がなかったとは言わない。それはあんたにしかわからねぇからな。ただ、あんたは考える余裕すらないほど忙しなかった。誰もあんたを責められねぇよ」


 治療記録を抱えたまま、動けずにいたセーミャの肩を叩き、彼が治療室を出て行く音だけ拾った。

 後悔していないわけではない。後悔ばかりだ。師から教わることも、知りたいことも、聞きたかったことも。数え切れないほどあった。

 余裕。なかったのか。セーミャには。

 やることは山積みだったし、何をどうこなしていいかもわからなくて、言われるがままに動いていた。何も考えたくなかったのに、考えることは多くて、頭が破裂しそうだった。そうならないように、動いて、動かして、考えて、考えないようにして、逃げて、逃げて。


「──戻ってきたなんて、大嘘吐かないでくださいよ」


 扉の閉まる、その音で思い知らされる。

 戻る気なんて、さらさらなかったくせに。どうしてわざわざ──

 彼がただここにいた理由。セーミャが出てきてから出て行ったのは。

 戻ってきたと言ったのは、やはり建前だったのだ。セーミャに手紙を届けるための口実ででまかせで、言い訳でしかなかったのだ。でなければ、わざわざ言いはしない。


「──セーミャさん? わ、すっかり寝てたや……あれ、リディオル殿は?」


 寝ぼけた声が、ついでとばかりにあくびをこぼす。夢と現の境。起きがけの気配。


「セーミャさん? どうしたの?」

「……ちょっと、まぶしかったんです」

「あー、先生の部屋の照明、ちょっと暗いからね。こっちに戻ってくると目に痛いかも」

「……はい」

「明日も大変だから、しっかり休んでおかないと。ふわあ……俺も戻って寝るかなー」


 寝足りなさそうな様子に、セーミャも笑みが漏れる。


「明日大変なのは、わたしじゃなくてルースですよ」

「言ったね? 俺、セーミャさんにやること全部投げるからね?」

「地味な嫌がらせじゃないですか」


 痛いのは初めてだった。誰かに優しさを向けられて、これほどまでに苦しいと思ってしまったのは。

 似合わないことをするからだ。彼らしからぬことをされたからだ。師に頼まれたそれだけで、ここまでする必要はなかっただろうに。


「……似た者同士ですね」


 本人に話したらきっと否定される。

 見つけてしまった秘密。それは、いつか師にもらった優しさにそっくりで。もらった手紙と一緒に、セーミャはしまい込む。誰にも見せないように、ひっそりと。


「俺、もう出るけど、セーミャさんも早く休みなよー」

「はい」


 秘密は秘密のまま。こっそり隠して。


「おやすみ、セーミャさん」

「おやすみなさい、ルース」


 ルースを見送り、セーミャも部屋を出る準備をする。脱いだ白衣をかけて、鞄と、携えてきた傘を手にとって。明かりを落としたら、それでおしまい。

 明日には、いつもどおりでいられるように。いつもどおりになれるように。


「……おやすみなさい」


 だから今だけは、ほんの少しの休息を。



  五章 了


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