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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
114/207

114,こぼれる滴がないならば


 ユノのつけた火は、三日三晩灯される。

 そうして死者を骨まで焼きつくし、灰にしてから埋葬する。それが、アルティナでの葬送だ。

 様々な技術を追求し、他国の追随を許さないアルティナならば、もっと別の弔い方をしても良さそうなものなのに。変わらない。昔から、今日に至るまでずっと。

 たとえば三日も燃やさずに済む設備を造るとか、わざわざ王宮の魔術師に送らせず、葬送のための人に頼むとか。

 別の国では海に沈めるという方法を取っているらしい。海と密接な国ならば、そんな弔い方も生まれるのだろう。

 アルティナでの弔い方に意義を唱えたいのではない。意見を申し立てたいだけだ。


「──火の扱えない魔術師しかいなかったらどうするんだっつーの」


 仮にその状況が訪れたとして、それでも弔い方は変わらないのか。それとも別の方法をもってして葬送するのか。


「ユノが心配か?」


 するりと入ってきたその声。あまりに自然で、つい返答しまいそうになった不自然さを同時に覚える。

 詰まった答え。何も返さないリディオルを、シェリックがじっと見ている。

 かみ合わない現実感。シェリックが自分の思考を呼んでいたのではない。

 考えていたこと。シェリックのひと言。そこでようやく、リディオルは自身が声に出していたことに気づいた。

 そうして口に出した内容と、シェリックがした返事とを照らし合わせる。ちぐはぐな感じを抱いたのはそのせいだ。ユノを心配しての意見ではないし、だいたい、どこをどう聞いたらそんな変換になるのだ。


「心配っつーか、憂えてんだよ。ここの未来に」

「へえ? たとえば?」


 それも真面目に訊き返してくるのだから、性質が悪い。本気で意見を聞いてほしかったのではなく、疑問が言葉となって出てきただけだった。


「……これから先、ずっと変わらないままの弔い方なんじゃねぇかってな」

「ああ、そういえば亡くなった人の弔い方は変わらないな。他の三人の賢人も、ユノが送ったのか?」

「ああ。間の悪いことに、今ここで火を扱える魔術師見習いは、あいつしかいないんでね」

「そうか。初めてにしては肝が据わってると思ってな」


 それにはリディオルも同意したい。先ほどのユノの立ち居振る舞いは見事なものだった。それがユノにとって糧となり自信となるなら、こちらとしても願ったり叶ったりだ。

 けれど──リディオルが危惧しているのは、今ではなくもっと先。リディオルやユノの将来よりもさらに先。未来のこと。


「どんなにいい人材や設備が集まろうが、やり方が一切変わらないなら、その先なんて望めるわけがねぇ。いくら新しいものを取り入れたとしてもな」

「古き良き習慣がそのまま残されているんだろう。それか、よほど変えたくない理由でもあるのか」

「それで古いやり方に固執するって? どんな理由だよ」

「俺が知るか」


 シェリックが知っているなら晴れたであろう疑問は、しかし彼からの否定で幕を下ろした。


「アルティナが国として大きく発展したのは知っている。何もかもを新しく入れ替えたんじゃなく、先人の知恵や考え方に基づいて栄えてきたんだと思うぞ。少なくとも、彼らの知恵が蔑ろにされてることはないが」

「……今、思いっきり俺の意見を蔑ろにしてんじゃねぇか」

「そう聞こえたなら悪い。そんなつもりはなかった」


 素直にそう答えてしまえる辺りが、シェリックたる所以である。


「別に悪いんじゃねぇし」

「──薄情者!!」


 突如として上がったのは、金切り声にほど近い叫びだった。

 その場に留まっていた雑談や哀惜の声を瞬時に静まらせる。

 何か口論でも起きたのか。周囲の人間も同じ方向を注目している。だから探すまでもなく、その人は見つかった。

 手巾を持つ手をわなわなと震わせ、目の前にいる女性をにらみつけている。真っ赤に泣きはらした目。振り乱した髪もそのままに、鬼のような形相をしていた。

 ただごとではない。

 今叫んだのが彼女であろうことはわかった。


「おい、もうやめとけって」

「あなたは黙ってて!」

「……はい」


 彼女の傍らに立つ男性がなだめようとはしているのだが、効果があるようには思えない。そもそも彼女の様子に怖気づいていて、どう頑張っても止めるまでには至らないだろう。

 彼女と男性の真正面に立っているのは一人の女性だ。リディオルの位置からでは背中しか見えない。矛先になっている女性はどんな表情をしているのか。ただ、項垂れることなく、しゃんと伸びたその姿勢にはどこかで見た覚えがあった。

 ここではない場所。白い部屋。振り向いた目が大きく見開かれていて。あれは。あの女性は。


「あれだけエリウス殿の傍にいて、あれだけ可愛がってもらって! それなのに、何もなかったみたいに淡々と仕事して、エリウス殿を送る日にも泣きもしないなんて、とんだ薄情者よ!」

「──そうですね」


 彼女の甲高い声とは正反対に、抑揚の乏しい声が女性から発された。

 リディオルはもう一度女性を凝視した。肩より少し長い髪。いつも結ばれていたから印象が違う。やはりあの女性は、セーミャだ。


「わたしは、薄情者です」

「本当は悲しくないんじゃないの! 利用できる先生がいなくなったから、今度はルース殿に取り入るつもりなんでしょう!? 悲しくもないから泣けないんだわ──!」


 セーミャの肩が微かに跳ねた。

 ──わたしは、最低なことを考えました。


「──おい」


 一歩、出しかけた足がシェリックに制される。


「ちょっと、待った、待った!」


 直後に二人の──正確にはその三人の間に割って入ってきた人物がいた。ルースだ。新しい賢人になる人物。保留していた答えに、返事をしたことは聞いている。


「先生が亡くなったんだから、悲しくないわけないでしょう。気持ちの整理がついていないだけだと思うよ。ほら、こんな日に口げんかなんてやめよう。先生が心配になって戻ってきちゃうじゃない。先生には、空でゆっくりしてもらわないと」

「あー、そうそう。仲間内でいざこざなんてよそう! な! 先生がぐうたらできなくなっちまうだろ!」


 ルースに合わせて、男性も慌てて援護に入る。


「……わかった」


 腑に落ちないながらも、不精不精といった体で彼女は口をつぐんだ。


「ほら、おまえも気が動転してるんだよ。俺だって、まだ実感湧かないし──」


 ルースに目くばせをし、片手で謝った男性が、隣の彼女の肩を抱いてそそくさと離れていく。

 誰からともなくほっとした空気が流れ、遠巻きに眺めていた人たちも興味が失せたとばかりに離れていく。張り詰めていた空気は緩み、再びとりとめのない会話があちこちで交わされる。


「──間違ってないですよ」


 一触即発の雰囲気が過ぎ去ったかと思えたそこへ、ひと言注ぎ込まれた。


「あの人の言ってることは、間違いではないです」

「セーミャさん、真に受けない。先生が亡くなってみんな不安だし、悲しいんだよ。それはセーミャさんも同じ。セーミャさんが先生の死を悲しんでいないわけない」

「そんなの、ルースの思い込みです」

「セーミャさん……」


 困り果てたルースへと、セーミャは言ったのだ。


「だって、泣けないんです。本当に悲しいなら、涙が出てくるはずでしょう?」

「そんなこと……」

「だから、一滴の涙も出てこないわたしは、薄情者なんですよ」


 ──あなただったら良かったのにとも、考えてしまったんです。

 セーミャからそれを聞いたとき、リディオルは憤慨する気も起きなかった。

 自分の近しい人が、親しい人が亡くなったなら。リディオルも考えるかもしれない。その人でなければ良かったと、他の誰かだったら良かったのにと。セーミャが考えたのと、まったく同じことを。

 ──こんな最低なこと、一瞬でも考えてしまったわたしには──


「──悲しいことを悲しいと思うのに、資格なんか必要ねぇだろ」


 人の感情は刹那的に動く心の働きで、衝動的に湧き上がる気持ちだ。そこに資格などいらない。

 誰にその権利の是非を問うのだ。

 誰からその回答をもらうのだ。

 胸中に宿る感情は、その人にしかわからない。だからと言って──

 王宮へと戻っていくセーミャと、彼女を追っていくルース。遠ざかるふたつの背を見送りながら、リディオルは届かない言葉を飲み込んだ。




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