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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
111/207

111,捉えどころのないままに


 ――どうしてあなたがその名をご存じなのですか。

 ――聞いたからだよ。『シェリック』に。


 生前のエリウスが挙げた名は、間違っても自分ではない。自分より前の占星術師だった、ノチェのことだ。彼の正式な名を、エクラ=ノチェといった。

 まだ自分がディアと呼ばれていたとき、彼は星命石を自分に託し、さらには自分を占星術師にした人だった。そうして彼は姿をくらまし、行方どころか生死すら不明となった人だった。王宮にもたらされた訃報はいつのことだったか、はっきりとは覚えていない。しかし、レーシェが禁術について聞いてくるようになったのは、その頃を境にしてだ。


「ここなら誰に聞かれる心配もねぇ。昼まで好きなだけ話せる」


 魔術師の塔半ば。頂上からも地上からもほぼ同じ高さという位置に、その部屋はあった。

 物を嫌ってか、無駄というものを一切省かれている。整えられた空間は、誰の手も触れられたくないと言いたげだ。壁にも寝台にも飾り気はなく、机上に散らばった紙だけが唯一、人のいた名残を感じさせる。紙に描かれているのはどこかの地図か。


「ここは?」

「俺の集中部屋」


 あとから入ってきたリディオルが扉と相対する。呟いていた何かは聞こえなかったが、誰かに聞かれないよう、あるいは入ってこれないよう、術でも施したのだろう。便利なものだ。

 何であれ、シェリックにとってはありがたい。森の中よりも確実に、誰にも聞かれることがなくて済む。

 窓も開いていないのに、どこかで鈴の音が鳴った。


「――で。おまえがさっき言ってた根拠ってやつ、聞いてもいいかよ?」


 扉に背を預け、腕組みをしたリディオルはそう切り出してきた。

 傍から見たその姿勢。扉を守る門番のようで、無性におかしくなった。自分をここから出さないようにするため。そんなとらえ方もできてしまった。


「……話す気あんのかよ?」

「ああ。悪い」


 押しかけたのはこちらなのだ。時間を浪費している場合ではない。


「――俺が知っているのは、死者を呼び寄せる禁術だ」


 何から話そうか。やはり初めからか。


「六年前、俺はレーシェに請われて禁術を使った。亡くなった前占星術師、エクラ=ノチェを呼び寄せるために」


 何度も何度も頼み込まれて、断りきれなくて。初めは濁していた回答を明確に断言するまで、さほど時間はかからなかった。禁術はあるのだと、自分がそれをできるのだと教えてしまった。

 禁術を行ってはならないとされるのは、禁術で呼び寄せた魂が、星の巡りから外されてしまうから。空から授けられ、また空へと返される魂が、その循環から外されてしまうのだ。循環から外された魂は星になれなくなり、空にも返れず、やがて消滅してしまう。地上で宿っていた肉体もなくなっているから、元には戻れないのだ。

 だから禁術は行ってはならない。星の巡りから外されてしまった魂はどこにも行けなくなり、消えてなくなってしまうから。


 シェリックとて、何も人から頼まれたからというそんな簡単な理由だけで、禁術に手を出すことを決めたのではない。詳しい説明など何もなしに自分を賢人にしたノチェに、言いたいことはそれこそ山のようにあったのだ。

 たとえノチェが星の巡りから外されるのだとしても。その重大さは知っていたはずなのに、占星術師だった彼なら、あるいは回避できるのではないかと、そんな絵空事を描いてしまった。


「禁術を行う前、試したことがあったんだよ。その禁術が成功するかどうか、占ってみたんだ。結果は失敗。術が成功する可能性はないと、教えられた」

「その結果を知りながら、よく実行に移したな?」

「今思えばな」


 未来が覆ることはない。他人の未来を占じて、それは痛いほどわかっているはずだった。

 それはきっと、他人の未来だったからだ。身近な誰かには該当しないのだと、思ってしまっていた。


「当てはめたくなかったんだろうな。どうにもならない未来があるんだと、努力したところで結果が変わることはないんだと、俺が認めたくなかった」


 自分や自分の身近なに降りかかってくる望まない未来を、受け入れたくなかった。


懺悔ざんげはいい。どうしてそれが今、疑問として抱くまでに至った?」


 そう、こんなのはただの昔語りだ。シェリックとて、許されたくて話したわけではない。


「セーミャから禁術を請われた話をしたよな?」

「断ったんだろ? 昨日聞いて――」


 それがどうしたとでも言いたげだったリディオルは、唐突に口をつぐんだ。

 いい加減気づいただろう。なぜ自分が、昔語りから話し始めたのかを。その意図と、理由を。


「昨日、俺にわざわざ雨を延期しろと言ったのはそのためか?」

「ああ」


 雨が降っていてはできない。雨雲がそこにあったのでは、見えないから。空が覆われてしまうから。雲が、星を隠してしまうから。


「結果は?」


 もうリディオルにも予想がついているだろうに。わかりきった答えだと知りながらも確かめるのは、その先を受け入れる覚悟ができているからか。

 知りたくはないのに、知らなければならない。知ってしまわなければならない。現実とは、えてしてそんなものだ。

 万が一。あるいは億が一。それだけ膨大な数が出そろえば、どこかひとつくらいは別の答えがあるかもしれない。淡すぎて、すぐにでも消えてしまいそうな希望を抱くのだろう。

 だからシェリックは打ち砕く。どれだけ望まなくとも。あのとき逃げてしまった自分と、向き合うためにも。


「成功する」


 願ったところで何も変わらないのだと、今はもう知っているのだから。


「セーミャの提案を受け入れて禁術を行ったなら、今度こそ成功する。星は、そう教えてくれた」


 昨夜、観測塔にて占じたのは二度。リディオルに呼ばれる前に占じた、エリウスを呼んだならどうなるか。もうひとつは気まぐれに、ラスターを連れてきてもう一度。もしもノチェを呼んだならどうなるか。

 前者は成功すると、後者は失敗すると出たのだ。六年前の結果を――いや、術の前提と根本がおかしいと、疑うには十分すぎるだろう。


「六年前に占じた結果がすべて正しかったと推測しよう。ならば、何がおかしいか。術の方法か、それとも条件が間違っているんじゃないかと思ってな。それで、おまえに訊きにきた」

「ノチェが本当に亡くなったかどうか」

「ああ」


 聞き役に徹していたリディオルが、長く深く、息を吐いた。言いたいことも感情も、言葉にする代わりに、そこへ紛れ込ませたみたいに。


「――知るわけねぇだろ。あいつの生死なんざ。こちとらおまえが来る前に何度か顔合わせたくらいだっつーのに」

「言われてみればそうか」


 シェリックは占星術師となって王宮に来た。その前からノチェは行方不明になっていて、王宮では周知の事実だった。シェリックがここにやってきたその日、王宮の人間には大層驚かれた。行方の知れなかった占星術師が戻ってきたと思ったら、それはまったくの別人だったのだから。

 ノチェとの関係において、リディオルはシェリックよりも希薄だという。だからこれは、裏づけなどなくて、理屈も所以すらもなくて、はっきりとした因果関係がない中での、単なる感想だ。


「おまえなら、何か知っているんじゃないかと思ったんだよ」


 漠然として、言い表せないほどの。

 予感。なんて、そんな言葉で片づけてしまいたくなる、人任せの感情。


「だから、趣旨がわからねぇよ」

「俺もだ」


 それはきっと、占星術師の勘なのかもしれない。自分にそんなものがあるというのなら。


「話は終わりかよ?」

「ああ」


 ため息を吐きながら指を鳴らすリディオルに、かけていた術はこれで解除されたのだろうと予測をつける。鈴の音がまたひとつ。術の合図にしてはまたずいぶんと可愛らしい音色だ。

 りん、と響く。

 同時にひとつ、思い出した。


「――忘れてた。昨日の答えだ」


 ユノに遮られてしまって、結局答えられなかった。六年前、シェリックが何を考えていたのか。どうして禁術を実行したのか。


「何か、したかったんだよ。あの人のために。あの人の顔を、期待に満ちた顔を、曇らせたくなかった」


 目の前のことしか考えられなくて、目に見えていた事実だけが全てだった。そこから先なんて思いつきもしなくて。少し考えたなら、簡単にわかったことなのに。


「失敗するって、わかっててもか?」

「ああ」


 それはきっと、表向きの理由。

 歪な笑みを浮かべた自分に、リディオルはどう思っただろう。


「失敗するなら、それはそれで良かった。希望が潰えて、絶望に打ちひしがれたあの人を、傍で支えられるなら、それでいいと思ったんだよ。――最低だろう?」


 誰にも言わなかった自分の罪科。

 誰にも言えなかった告解。

 禁術が失敗して終わるなら、自分がノチェの代わりになろうとした。占星術師である以前に、自分はノチェであろうとした。傍にいたなら、ノチェになれるのだとさえも思っていた。


「……救えねぇな。おまえも、レーシェも」

「本当にな」


 結末を知りながらも、それでも探してしまう。彼女のためにできることを。今でも、なお。

 それは、なぜ?

 ノチェに取って代わろうとすらしたのは、なぜ?

 その答えは初めからきっと、自分の中にあった。




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