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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
110/207

110,雨の音色と連れだって


 集中するためだと言い聞かせ、長らく閉じていた目をゆっくりと開けた。目を閉じるとほぼ同時に沈黙してしまった場。こちらが意図したつもりはないが、おかげさまで外の様子がよくわかる。たとえ、硝子一枚で隔てられていても。

 聞こえてくる音と常よりも下がった気温、鼻をつく泥臭さ。それらから、とうの昔に結果なんてわかりきっている。それでも目に収めたいと思う理由は、安堵を手元にまで引き寄せたいからだろうか。

 この力に、偽りはないのだと。

 呑ませるつもりもなかった固唾を、自分の分だけ飲み下す。そこでようやく、喉の渇きを覚えた。漂わせていた気の張りようを緩ませるために、息を吐く。


「おらよ、こんなもんでどうだよ」


 ことさら軽い調子で。不安も疑心も全て隠し、彼らの顔を振り返るときには、余裕の笑みさえ浮かべてやった。

 それが不敵に映るように、こんなことは朝飯前だと思わせられるように。


「……相変わらず、見事なお手並みでいらっしゃる」

「ほんと。腹立つっすねー」


 リディオルの態度が、彼らの不満を余計に煽るのは知っている。

 それでいい。そう感じてくれたなら、我が意を得たりだ、


「わりぃ、水くれるか?」


 喋ったせいで、わずかに残っていた水分も使い果たしてしまった。咳き込みかけるリディオルへ、グラスがひとつ差し出される。


「ありがとな」

「どういたしましてっす」


 歯を見せて笑う彼女に、空いたグラスを返す。


「やっぱり、リディオル殿がいないと駄目っすね。うちじゃ、ここまでちゃんとした雨は呼べないっすから」

「おまえらだって、俺がいないとき呼べたんだろ? よくやったじゃねぇか。これで、俺がいなくても雨を降らせられるってわけだ」


 互いに見合わせている二人の顔は晴れない。


「一人で軽々と雨降らせられる人に言われても嬉しくないっすよ、それ」

「褒めてはいるんだぜ、一応」

「褒める気持ちがこもってないっすもん、リディオル殿」

「んなことねぇよ」


 それは思い違いだ。褒める気持ちはある。

 リディオルがいなければ、雲のひとつも呼べなかった見習いたちだ。一人では無理でも、見習いたちだけでことを成せたというのは、大きな進歩に違いない。


「まー、ちょっくら張り切りすぎた感はあるか」


 思った以上に強い雨になってしまった。どうやら加減を誤ってしまったようだ。


「だからご自身の水分まで持っていかれるんすよ。復帰早々倒れるとか勘弁っすからね」

「一回倒れただけで人を病弱扱いするんじゃねぇよ。不調だったら、風だって呼べねぇっつーの」


 ちょうどそこにいた風を操り、彼女の髪を遊ばせる。

 彼女は慌てて髪を押さえ、それ以上ぐしゃぐしゃにされるのを防いだ。


「……いたずら小僧なんすから。その言葉、信じるっすよ?」

「二言はねぇよ」


 窓の外へと転じた視線が、雨模様を映す。恵みの天気ではあるが、昼前にはやませてほしいと言われている。せっかく降らせたのだ、時間までだったらいくらでも降らせてやろうではないか。


「ここまで強いならしばらくはやまねぇと思うが、昼までにはやませてくれよ? あとは任せるぜ」

「……はい」


 もごもごと口の中で答え、聞き役に徹していた彼はのそっと動き出す。

 初めから雨を呼ぶのは苦手としていても、呼び出された雨を留めるのは、彼の得意とすることだ。その補佐をするのは彼女の得手。ならば、あとは二人に委ねてしまっていい。これで、昼まで時間が余る。


「――リディオル殿」

「ん?」


 外を見下ろしていた彼女が、こちらを見ずに聞いてくる。


「あの人、お客っすかね?」

「客?」


 雨降りの予報を出したというのに、外を出歩くとはなんて物好きな。

 下を覗く彼女にならって見下ろしてみれば、リディオルにもその物好きな人物が見えた。降り続く雨を意に介しもせずに、一人そこに立っている。

 降りだしてそう時間は経っていないから、ずぶ濡れではないだろう。それでも外に出たなら、どうしたって濡れてしまうだろうに。


「……変わり者の札でも貼られに来たか?」

「知り合いっすか?」

「まぁな」


 簡潔に答え、素早く窓から離れた。


「カルム。引き続き雨の維持と経過観察。アルセはカルムの補佐と、燭台に使う材質の燃焼時間を確認しておいてくれ」

「……承った」

「了解っす」


 二人からの了承には片手を挙げることで応じ、リディオルは足早に階段を下る。塔の内壁に沿って備えつけられている階段は、占星術師の観測塔にある階段と比較するとずっと上り下りしやすい。緩やかになった分だけ段数が多いのが悩みどこだが、傾斜が大きいよりはずっと楽である。

 ちょうど一階分、下ったところだろうか。件の人物が塔の中へと入ってきたのが確認できた。濡れた髪を拭こうともせず、見渡した目が階段の始めを捉える。

 彼の――シェリックの足が一段目にかかろうとしたところで、リディオルは声を張り上げた。


「そんなに急いで、何用だよ?」


 ぴたりと足を止めたシェリックが、真っ直ぐにこちらを仰ぐ。


「おまえに訊きたいことがある」


 軽口や世間話のひとつもなく、単刀直入に切り出された。

 止めた足、見返す瞳。そこに一切の揺らぎはない。押された勢いに逡巡しゅんじゅんし、腕を乗せていた手すりから離れがたくなる。

 ここでためらっていても仕方ない。そのときはどうせ、やってくるのだ。


「――降りるから、ちょっと待ってろ」


 ひと言ひと言をゆっくり発したのは、せめてもの抵抗だ。

 リディオルは知っている。

 シェリックが前置きなく本題から入ろうとするときは、往々にして良い話題ではないと。

 聞きたくない心がリディオルの足を鈍らせる。階段を使わずに下りるのが一番手っ取り早くはあるのだが、今はそれをやりたくはなかった。

 たかだか三階にも満たない高さ。できない距離ではない。気持ちの問題だ。


「それで? 俺に何が訊きたいって?」


 残り数段というところでリディオルは問いかける。面倒な話となるのは目に見えているから、あえて何でもない風を装って尋ねてみた。


「ノチェを――前占星術師を覚えているか?」

 抑えられた声が思いがけない名を挙げる。ぎりぎりここまで届くくらいの声量は、辺りに反響するのを防ぐためか。

 リディオルが眉根を寄せたのはそれが理由ではない。


「覚えてる。まとめて箝口令かんこうれい敷かれてんじゃねぇかよ」


 六年前に行われた禁術。シェリックとレーシェが呼び出そうとしていた人物は、確かその人だったのだと。リディオルはあとからそう聞いた。


「リディ、六年前のことはどこまで知ってる」

「おまえほどは知らねぇよ」


 ほとんどは噂で聞いただけだ。どこまで本当か、真実か、わからない程度の話。

 ついでに言うのならば、あの場にいなかったリディオルに、当事者だったシェリックほどの情報は持ち合わせていない。

 昨日からやけに話題に乗る。口止めされた話ほど話したくなる心理もわかるが、どうも頃合いがよすぎて疑いをかけたくなってくる。全員が全員とも共謀しているのか、あるいは変な符号でもあるのではないかと。


「ノチェは、本当に亡くなったのか?」

「――は?」


 続けて問われた内容に、リディオルは訊き返してしまった。

 口にするのをためらった様子はあったが、冗談で口にしたわけではないらしい。

 なぜそんなことを。どうして自分に訊くのだ。


「なんで、それを俺に訊く? おまえの方が詳しいんじゃねぇの?」

「なんとなく、おまえなら知ってそうな気がしたんだよ」


 吐いた息がシェリックの表情を和らげる。

 まったく、何を言ってくれるのか。


「根拠もなしに訊くんじゃねぇよ」


 リディオルとて、何でもかんでも知っているわけではないのだ。まさか、そんなことを訊くためだけにここまで来たのか。だとしたら、それは徒労だ。そう、思っていたら。


「根拠ならある」


 引き締められた声が、再びの緊張を呼び起こした。

 シェリックを見下ろし、保留にしていた数段をそのまま置き去りにして。生じた迷いは一瞬。どうせここでできる話ではない。


「――来いよ。聞いてやろうじゃねぇか」


 待ちわびる地上には背を向け、身を翻す一歩目とともに、リディオルはそう答えた。




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