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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
107/207

107,めぐりめぐった頂上に


 足が重い。

 持ち上がらない足の代わりとばかりに上がった息が、余計に重さを増してくれている。ラスターは少しでも軽くしようと、深く息を吐き出した。抜けた息の分だけ、軽くなればと。

 地上から頂上まで届く一本の大きな柱。その周りをぐるぐると取り囲む階段が続き、ラスターはゆっくりと上に向かっているところだ。

 右手で柱に触れ、先を上る背中を見上げる。体力の差はあるのだろうけれど、それにしたって息ひとつ切らしていないのはずるいと思うのだ。こんなにも苦労して上っているラスターを鼻で笑うかのように。

 恨めしげに眺めていたら、その背中がついと振り返った。


「大丈夫か?」


 シェリックは決してそんなことをしないし、そんな意図もないだろう。けれども苦を感じさせず、涼しい顔をして尋ねてきたものだから、ラスターもつい口をとがらせてしまった。


「……大丈夫」


 左足を一段、高いところに乗せる。

 余裕そうなシェリックとの距離が開かないのは、こうして時折確認してくれるから。シェリック一人だけだったなら、もっと早く上っていただろう。

 目が回りそうな階段の終わりはまだ見えない。相当な高さまで上ってきた気はしている。柱と反対側にある手すりの向こう。覗き込んだなら、今の高さは容易にわかるだろう。

 ラスターがそれをしないのは、下を見たなら立ちくらみを起こしてしまいそうだったからだ。わかるのはいいけれど、胃がすくみそうだ。

 塔の頂上まで上がるかという、シェリックからの提案に乗ったのはラスターだし、なによりこんな中途半端な位置で終わりにしたくない。だったら頂上まで行ってやると決めたのだ。

 その決意は嘘ではない。嘘ではないけれど。


「もうすぐで屋上に着く。少し休むか?」


 答える代わりに、ラスターは首を横に振った。

 これ以上動きたくない。足を上げたくない。ここで終わりにしたい。そんな反対の気持ちもある。けれど、一度でも立ち止まってしまったら、そこで終わってしまう気がした。

 まだ頑張れる。シェリックがあと少しだというのなら。


「ラスター」


 黙々と足を進めていた矢先だった。呼ばれてシェリックを見上げる。数段先を歩いていたシェリックがそこに立ち止まり、ラスターを待っていた。

 背後に隠された一枚の扉。それはきっと、空への入り口。シェリックの手前に見えた階段のおしまいが、何よりラスターの足を軽くさせた。

 伸ばされた左手をつかむ。


「わっ」


 つかんだ瞬間、一気に引き上げられ、最後の二段は駆け上がる羽目になってしまった。最後の最後で重労働を強いなくても。


「……着いた、の?」

「ああ。頑張ったな」

「――わあ……」


 方向感覚がおかしくなりそうだった。長かった螺旋らせん階段の一番上。開かれた扉の先。ラスターが膝を笑わせてまで上ったその場所では、疲れも吹き飛ぶほどの光景が待っていた。

 三日前、シェリックと一緒に見上げた空とはまた違う。同じアルティナなのに、同じ王宮の中なのに。夜に二人で見上げた星空よりも、もっと星が増えている。


「こんなに見えるんだ」


 占星術師がいるから? 空に近い高さまで来たから? それともここが、占星術師の観測塔だから?

 そのどれもが合っているようで、でもきっと全て違うのだろう。


「それで? 今度は何をしたんだ?」


 夜空に溶けてしまいそうな外套。ルパで購入した揃いの上着とは違う、黒い羽織りもの。賢人たちが身にまとう服装で、あのときと変わらない口調がラスターに尋ねてくる。


「今度はって、いつも何かやらかしてるみたいなコト言わないでよ」

「そう聞こえたなら悪い」

「思ってないでしょ、絶対」


 シェリックは笑うだけで答えない。


「リディオルに呼ばれたの?」


 シェリックが頃合いよく現れたのが、偶然ではないことはわかっている。リディオルが風を飛ばして、シェリックを呼び寄せたからだと。


「ああ。相変わらず脈絡もなく。外にいたから、あいつも風を飛ばしやすかったんだろうな」


 シェリックが姿を現したのは塔の中からだった。入口から屋上までは螺旋階段で繋がっていて、その途中には踊り場も部屋も、何もなかった。

 と、いうことは。


「もしかしてシェリック、ここから下りてきてくれたの?」

「ああ」


 片道だけでもあんなに大変だったのに、シェリックにとっては往復の距離だったとは。

 しげしげと顔を見られたかと思うと、シェリックは困ったように笑う。


「体力は使うが、別に苦じゃない。それにここは、俺のお気に入りの場所だからな」

「そうなんだ」


 シェリックがそうしたように、ラスターも夜空を仰ぐ。

 澄ました耳へと微かに届く、葉擦れの声。じんわりとにじんだ汗は風がなで、体重をかけた右足の下では小石がじゃり、と音を鳴らした。


「いいところだね。星と仲良くなれそう」


 うるさくはなく、静かすぎるでもなく、空へ近くとも地上へと容易に帰れる場所。ここまで階段で上がってこなければならないのが難点ではあるけれど、それを除けばとてもいい場所だ。

 自分でもそうと気づいていなかったくらいの、沈んでいた気持ちが解放されたような。シェリックがお気に入りだと話すのも頷ける。ラスターも、好きな雰囲気だ。


「来てくれてありがとう。ボクもここ、好きだな」

「そうか。提案した甲斐かいがあったな」


 笑うシェリックが、いつもより優しく映る。シェリックは本当に、この場所が好きなのだ。

 胸の中にほんわかとした温かさを感じて、ラスターは星に礼を言うべく上向いた。また来たいと思うのは早急だろうか。


「シェリックは何をしてたの?」

「星を見てた。調べたいことがあってな」


 隅の長椅子の上。そこに置かれていた書物を拾い、シェリックも空を仰ぐ。ラスターの知らない顔で、頭上の星を見渡して。


「良かったらちょっと休憩しない? お母さんから渡されたんだケド、食べ終わるまで帰ってくるなって言われてて」

「へえ? レーシェが?」

「うん。でも、どこで食べたらいいかわからなくって」


 セーミャを誘ってみようと思ったのだ。気分転換をするのにいいのではないかと。けれども、残念ながらセーミャには会えなかった。一人で食べようとも考えたけれど、王宮の廊下を汚すのは忍びなく思ってしまったのだ。さらに通りがかったリディオルに提案したのに、はぐらかされて終わった気がする。


「それで俺のところまで来たのか?」

「うん。提案してくれたのはリディオルだケド」

「わかった。協力してやるよ」


 苦笑しながら差し出されたシェリックの右手。ラスターは急いで包みを開け、中から転がり出てきた焼き菓子をそこに乗せる。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 ほどよく焼き色のついた星型のお菓子。レーシェはもしかして、予想がついていたのではないだろうか。ラスターがシェリックのところまで行くことを。だからこれを渡したのではないだろうか。星に形どられたこのお菓子を――なんて。

 本当のところはわからない。ラスターが一人で食べてしまう可能性だってあったわけだし、キーシャやユノ、リディオルと一緒に食べる可能性だってあった。

 つまんだひとつを口に入れると、控えめな甘さが広がる。ほろほろ溶けたかと思うと、喉の奥にすとんと落ちていった。


「――あ、おいしい」

「ああ、うまいな。座ったらどうだ?」


 示されたのは、書物が置かれていた長椅子だった。先ほどまでいたそこの主はシェリックの手中に移り、今そこには何もいない。


「ありがとう。借りるね」

「どうぞ」


 座ったラスターとは違い、シェリックは変わらず立ったままだ。書物を開き、夜空を見上げて。

 星を見ると言っていたし、あまり邪魔をしない方がいいかもしれない。ラスターは焼き菓子をもうひとつ、口に放り込んだ。

 星を見る。それはきっと、ラスターが眺めるように、ただ『見る』だけではないのだろう。占星術師と呼ばれる人たちは、そこから何か情報を得ているのだ。ラスターと旅をしていた際、シェリックが決して方向を違えることのなかったように。

 向かう先、導きの光。

 もしかして、シェリックは未来を知り得ているのではないだろうか。これから先に起こること全てを、シェリックは調べているのではないだろうか。そうならば、どんなにか凄いことだろう。

 未来なんて誰にもわかりはしない。けれど、占星術師にはわかるのだとしたら。それをできる術を、彼らは持ち合わせているのだとしたら。


「――ねえ、シェリック」


 返らない言葉。向かない顔。

 当然だ。だってラスターは、シェリックには届かないよう小声で呼んだのだから。

 伝わらないでほしい。届かないでほしい。答えが知りたいわけではない。

 仮に未来に起こることを調べていたとして、それが不変の事実だったなら。何を以てしても、その未来がやってくるとしたなら。


 変えられないと知りながらも、どうして未来を知りたいのだろう。




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