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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
104/207

104,つぐんだ口を開けるため


 傾きかけた陽が色を増し、地平線の向こうに隠れようとしている。窓の外に見えた時刻は、いつの間にかそんなに経っていたのだ。

 旧友が出てくるのに乗じて抜け出してきたものの、治療師見習いに見つからないように動いていたらこんな夕暮れになってしまった。今はまだ、戻されるわけにはいかない。

 そうして目を上げた廊下の先、意外なところで生真面目な顔を見つける。寸分たりとも動いていないのではないかという不動の意志。それを体現した彼へと、声をかけずにはいられなかった。


「んなとこで油売ってていいのかよ?」


 後ろに組んだ手も、扉の前にたたずむ姿勢もそのままに、彼は目だけで応じてくる。


「いや、護衛のかがみだねぇって褒めるべきか?」

「取ってつけたようなお褒めの言葉は結構です、リディオル殿」


 眉ひとつすら動かさず、その瞳は静かにリディオルを捉えた。

 恐らくは、ここから動くなという彼の主からの命令を忠実に守っているのだろう。その彼――ナクルが護衛をしている、主の姿は見えない。

 彼がこの書庫の前から一歩たりとも動かないのならば、答えはひとつだ。

 王宮の中でも一番に静かな場所。そんな場所だからこそ、騒がしいところや煩わしい人から逃げてくる者も多い。しかし、彼の主がここにいるのは、そういった理由ではないだろう。


「ここで調べものすんなら、手伝った方が早いんじゃねぇの?」

「キーシャ様が望まれたことです」

「つっても、あんなだだっ広い場所を一人で探す方が骨折れるぞ。目的のもんを探し当てるまで、最低でも数刻はかかるだろ。キーシャ様にとって、それは痛手じゃねぇのか?」


 ナクルが目を伏せる。どう考えても、一人より二人で探した方が早い。よほど知られたくない何かを探しているのでなければ。


「ま、おまえのことだから、それはわかってるか。時間を浪費してまで調べることに、意義はあんのか?」

「答えられません。私は、その答えを持ち合わせてはいませんので」

「そりゃ残念だな」


 一度は伏せられた両目に意志を宿し、ナクルは再びリディオルを直視してくる。


「なんでしたら、あなたにお伺いしてもいいんですよ」


 無感動だった光が一転して変わる。いささか攻撃的な色を宿して。

 目の前にやってきたリディオルを逃がしはしないと。組まれた手が外される。


「六年前に行われた禁術について、話せることがおありでしたら」


 一段低く、小さくなった声が尋ねてくる。質問というにはあまりに生ぬるいけれど。

 他の時間の全てを費やしてまで、ナクルの主が調べているのは――ここにいる彼にも知られたくないことか。


「――知ってるとは思うが、一応、口外禁止だったはずだぜ? それ」


 敷かれた箝口令かんこうれいは、まだ解かれていない。同じ過ちが二度と起こらぬよう、禁術を初めとして、あの事件に関する一切を口に出すことが禁じられている。六年経った、今ですら。

 なぜナクルの主が知りたがるのか。

 直接的な関わりはないだろうに。占星術師と薬師が起こした過ちを知りたがる理由がわからない。

 ラスターやシェリックと出会ったからか。それで興味が湧いたにしても、他の全てを差し置いてまで調べるのはおかしい。大国の王女である彼女に、そこまでする価値はないだろう。


「そんなに知りてぇなら、あいつらに訊いたらどうだ。運のいいことに、今ならどっちもいるぜ?」


 彼女の理由は知らずとも、助言はできる。

 その場にいなかった自分などより、当事者の二人に訊いた方がずっと効率はいい。何を考えてあんなことをしたのか、なぜそうしなければならなかったのか、本人たちにしかわからない事情も聞けるだろう。

 条件として、二人から正しく聞き出せたなら、の話だが。そもそも口にするかどうかも怪しいし、二人が語らぬまま話を終える可能性の方が圧倒的に高い。


「……できもしないことを、軽々しく口にしないで頂きたい」

「そりゃお互い様だ」


 話してはならぬことを話せと、初めに言ったのはナクルだ。同じように返したリディオルだけ、とがめれるいわれはない。


「あんまり大声でしゃべり散らすんじゃねぇよ。お嬢様の気持ちもんでやんな」

「あなたにしか訊きませんよ、こんなこと」


 顔をしかめたナクルの肩を叩き、リディオルはにやりと笑った。


「いい心がけだな」


 己の立場はわきまえているのだと、キーシャの心情も慮っているのだと、ナクルは暗にそう言っている。ならばそれ以上、リディオルから言えることはない。


「それより、どうしてあなたが出歩いていらっしゃるんです? 治療室に軟禁されたと伺いましたが」


 返す言葉に詰まる。どいつもこいつも、いらぬ情報まで仕入れてくるものである。ナクルの変わらない表情が白々しく映って、不必要な弱みを握られているような錯覚がした。


「迷惑かけないよう出てきたんだよ。俺が二日も大人しくしてたら十分だろ」

「動き回られた方が迷惑ですが」

「言ってくれんじゃねぇか」


 しれっと返してくるナクルをひとにらみして、一歩足を後ろへ下げる。


「それじゃ、おまえの視界に入らないところにいてやんよ」

「そうして頂けるとありがたいですね」


 もの言いすらも可愛くない。敵意を明らかにしていた先刻の方が、まだ可愛げがあった。

 ナクルに背を向け、さてどうするかと考える。旧友から頼まれごとをされていたから、向かうとしたらまずは塔か。予報が出される前に、雨を中止しなければならない。何をやるつもりなんだか。


「――リディオル殿」


 間に合うかと考えていた思考の中に、その声は入ってきた。


「あ?」


 互いに五歩ばかり開いた距離。リディオルが顔だけ向けると、呼び止めたナクルはこちらを見ていた。

 迷うような様子が映り、最終通告を出してやる。


「六年前のことなら、俺から話せることは何もねぇぞ?」

「違います。エリウス殿のことで」

「――エリウス殿?」


 今までの流れから出てくる名前ではない。リディオルは仕方なくうしろを振り返った。


「何かあったかよ?」

「エリウス殿は亡くなった際、黒の外套を羽織っていたそうです」

「あの人が?」


 黒い外套は、賢人や賢人の見習いが羽織るもの。治療師がそれを着ないことは、賢人の間だけでなく、王宮の人たちの中でもよく知られていた。治療師は他の賢人たちとは違う行動をする、変わった人だと。

 確かに、噂どおり変わった人だった。黒い外套ではなく白衣を羽織って、雨が降る日には外に出たがる人だった。

 けれど、それだけだ。話しかければ返事をするし、どこかで出くわせば会釈も交わす。彼の全てを変わり者だと称するほど、変わっているようには思えなかった。

 治療師は黒い外套を着ない。リディオルはその理由を訊いたことがない。王宮でも、知らない人の方が大半ではないだろうか。

 そういえば、リディオルが最後に見たときはどうだった。あの人はまだ、白衣を着ていた。月明かりに照らされて、夜半でも鮮やかだったあの白を覚えている。では、なぜ?

 部屋から出て行ったとき、わざわざ着替えたのだろうか。何のために?


「久々に着たくなったとかじゃねぇの?」

「どんな理由ですかそれは……」

「たまにこう、普段とは違う行動取りたくなんねぇ?」

「……」


 完全な沈黙で返される。無言の視線が痛い。そんな、『訊いた私が馬鹿でした』と言わんばかりの顔をしないでほしい。こちらとて、適当に答えただけだというのに。


「……冗談だよ。で、それは誰からの情報だ?」


 物言わぬ返事に耐えきれなくなって、そう答えるしかなかった。


「レーシェ殿です」

「へぇ……」


 それならば確実だろう。第一発見者の中には、彼女もいたらしいし。


「ま、気に留めておくわ。ありがとよ」

「どういたしまして」


 どんな皮肉を言おうが礼はちゃんと返してくる。律儀な護衛へと手を振り、リディオルは今度こそ、その場から離れた。



  **



「――すっかり待たせてしまってごめんなさい」


 数刻ぶりに聞いた声を、どれほど待ち望んでいたか。

 中からしか開けられなかったその扉が開いたのは、空に星が瞬き始める頃だった。

 自ら入口を守っていたのだから、何も起きないのは百も承知している。それでも主の無事な姿を見られて、胸をなで下ろすナクルがいた。気がかりでいたことをおくびにも出さずに、ナクルはキーシャが持っていた上着を預かった。


「ありがとう」

「いえ、収穫はありましたか?」

「全然」


 キーシャは首を横に振る。わかりきった答えだったと。疲れた様子が見え隠れしているも、言うわりにはあまり残念そうに見えない。


「戻りましょう、ナクル」

「どうなさるおつもりです?」

「そうね……ひとまず、賢人候補の選出の続きから取りかかろうかしら」


 キーシャの返答に、こちらの意図が正しく伝わっていなかったと知る。ナクルは正しく言い直した。


「いえ、キーシャ様が探し求めていた情報を手に入れたら、です」


 詳しくは話さない。話せない内容なのを知っていると、ナクルは言外に告げる。リディオルの忠告に従ったからではない。うっかりこの会話を耳にしてしまった誰かに、変な誤解を招きたくなかったのだ。それと、内容を知られたくなかったからだ。


「何か、片鱗でも見つかればいいと思っただけよ。足がかりになれば」

「これ以上、賢人が殺された事件に首を突っ込まないでください。あなたの身が危うくなります」

「いいえ、そうじゃない」


 いやにきっぱりと、キーシャは否定した。


「私が求めている情報は違うわ。もっと別のこと。私が、知りたいのは――」

「――え」


 キーシャが語った内容に、ナクルは大きく目を見開いた。



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