103,入らずの扉、待ち受けて
薬草園を回って気づいた。ファイクは意外におしゃべりだ。
ナキのこと。グレイのこと。レーシェのこと。
ファイクは、ラスターが知り得ていなかった、様々な人の話を教えてくれた。ナキを盛大に怒らせてしまっただとか、グレイとこっそり作った薬だとか、王宮で語られているレーシェだとか。
きっと、誰かに話したくて仕方なかったのかもしれない。聞いているラスターも楽しかったし、話しているファイクも楽しそうに見えた。
「ラスター、ちょっと」
「はい?」
薬室に戻ってくるなり、ラスターはレーシェに手招かれる。
「それじゃ僕はここで」
「うん。ありがとう」
中へと入っていくファイクに礼を告げ、ラスターは薬室から出るレーシェを追いかける。
扉をくぐる間際、入れ替わるように戻ってきたグレイとばっちり目が合った。
「おかえり、なさい」
「――ただいま」
見下ろされる高さに気圧されながら口にすると、じっと見られたあとにぼそりと応じられる。ふいと逸らされた視線に安堵してしまった。
無言で見られると変に緊張してしまう。無視されるよりはましだと言い聞かせたけれど、あまりうまくはいかないと、心臓の早さが語る。ひと言でも小さくても返事や反応をしてくれるなら、全然ましだ。
グレイはシェリックより高い。だから、余計に落ち着かなくなるのだろう。
ラスターのように見上げるのが大変だったら、見下ろすのも大変ではないか。埋まらない身長差がもどかしい。
レーシェの手で、薬室の扉がしっかりと閉められる。レーシェの前に立ち、ラスターは尋ねた。
「なあに、お母さん。話って――」
「はい」
薬室の外へと連れ出されたレーシェから、満面の笑みで包みを渡される。
思わず手を出して受け取ったのはいいけれど、中身が何かはさっぱりわからない。
「えっと……ありがとう?」
ラスターの片手にすっぽりと収まるほどの大きさ。茶色い紙の包みは紐で緩く縛られ、かわいらしく蝶々結びにされている。それはまあいい。
扉の前に立ちふさがったまま、彼女はどうあっても動く気がなさそうだ。これでは薬室の中に入れない。治療室から寄越された追加分の薬は持っていったし、薬草園も回ったし、急ぎの用事は恐らくないのだろうけれど。
包みとレーシェとを見比べて、ラスターは恐る恐る口を開く。
「中に入りたいんだケド……」
「だーめ。今日はもう終わりになさい?」
控えめにお願いしてみるも、終了を促される。
「話があるって……」
「あれは口実」
促されてはいるけれど、これはどう考えたって強制されている。それも、拒否はできなそうだ。
「でも、ボクまだここに慣れてないし、知らないコトだって多いから、ちゃんと確認しておきたいんだ」
「明日でもいいでしょう? 薬は逃げないわ。優先順位はこちらが先よ」
「優先順位って……」
「あなたまで倒れてみなさい。賢人たちの健康管理が疎かにされてるなんて噂が立つわよ」
それは、あまりよろしい事態ではない。
「ほら、息抜き。気分転換。それ食べ終わるまで、入室禁止。食べたら部屋に戻りなさいね?」
「えー……」
薬室ではなく、部屋。これでは、食べ終わったとしてもここに戻ってこれないではないか。
「はい、行った行った。お疲れ様」
無理やり方向を変えられ、背中をも押される。そんな急に決められても、困るというか。
「……わかった」
きっと、ラスターがどう反論しようが部屋には絶対に入れてくれないのだ。仁王立ちで腕を組み、薬室への進路をふさいでいるレーシェに、越えられない壁の高さを感じてしまった。これは突破できない。
「そうそう。どこかでリディオルを見かけたら、治療室に戻るように言っておいてくれる?」
「うん――あれ、リディオルって治療室にいるんじゃないの?」
ラスターは一度、治療室で会った。フィノとともに訪れた際、そこにリディオルもいたから覚えている。
ユノを見舞ってやってほしいと言われて、そのあとユノがフィノに怒られて。
「いなくなったみたいなのよ。それでなくても今あそこは他のことにまで気を回せる状況じゃないのに」
ラスターは首を傾げる。リディオルは確かまだ、治療室で謹慎中ではなかっただろうか。
「そんなに大変なの?」
「新しい治療師が選ばれたから、引き継ぎの準備とか諸々もやらないといけないのよ」
「新しい治療師……」
それはつまり、エリウスにとって代わる新しい賢人が決まったということだ。
治療師がいなくなって、見習いたちだけになって。かかる負担は、今までの比ではないだろう。
次の治療師が決まるのは、素直に喜ばしいことだ。見習いたちの上に立つ人が決まるのだから、『いる』というそれだけで安心感がある。
ラスターだって、レーシェがいるから安心できている部分がとても大きい。
「――でも、私たちが気に病んでも仕方ないことよ。できる範囲で補助しましょう?」
「うん」
「と、いうことで」
肩をつかまれ、再び外に向けて押される。薬室から遠ざかる方向へ。
押されるまま、流されるまま。促されるまま。
「はい、いってらっしゃい?」
従うより他に選択肢はないようだ。
「――ねえ、お母さん」
場の雰囲気に呑まれかけるも、ラスターは呼びかける。逆らえないのなら、妥協案を提示して。
「あとで訊きたいコトがあるんだ」
「何よ、改まって。答えられることなら、いくらでも答えてあげるわよ」
「うん。ありがとう」
答えられないことを訊くつもりはないけれど。
不思議な返事をされたことに笑いながらも頷き、ラスターは薬室に背を向けた。
**
アルティナの書庫は広い。ありとあらゆる情報をまとめて、その全てを書物にしているのだから、ちょっとやそっとの広さでは収まりきらないのは知っている。だから、収められている情報の量もそれに匹敵するくらいにはあるはずなのだけれど。
キーシャがここへ訪れてから半日。その時間すら無為にしているのではないかと思わずにはいられない。
調べても調べても、探し求めている記述だけひとつも見つからないのだ。六年前に起きた、禁術についての記述だけ。ただのひとつも。
どこかにひとつくらい隠れていてもいいだろうに、現れる気配すらない。
これは想像に過ぎないけれど、箝口令が敷かれているからだけではないだろう。誰かが意図的に情報を隠しているのではないか――キーシャが抱いた予測だって、遠からず当たっているだろう。
隠すのなら徹底的に。決して見つからないように。もしくは、本当に存在しないか。
とにかく、六年前に起きた禁術の詳細は『ない』ことが事実。半日もかけてわかったのはそれだけだ。後世に伝えるのが目的なら、存在しないなんてことはないだろう。
書物と同時に思考も閉じて、キーシャは目頭を押さえる。活字を見すぎて目がしょぼしょぼしてきた。
近くをたくさん見たなら、遠くを見て目を休ませること。以前ナクルがそう教えてくれた。
いつでもどんなことでも、それこそなんでも教えてくれる。
――私を遠ざけてまで書庫に行きたい理由を、お聞かせ願いますか?
浮かんできた笑みが引っ込んだのは、ここに来る前に彼にかけられたひと言を思い出してしまったからだ。
「……嫌っているわけじゃないわ」
ナクルは頼りになる。それはキーシャが一番よく知っている。他の誰にも真似できないほど、ナクルは優秀な護衛だ。
私事で巻き込みたくはないと、キーシャは考えている。たとえばナクルに手伝わせて、それを誰かに知られて、ナクルが護衛から外されてしまったなら?
キーシャとしてもそれは避けたいし、もしそんな事態になってしまったなら、ナクルは誰より自分自身を責めるだろう。巻き込んでしまったキーシャではなく。
そうしてキーシャの護衛から外されてしまったことを悔やみ、シャレルから言い渡されていた任務を果たせなかったことに、申し訳なさを感じるのだろう。
主であるキーシャのせいだとは、決して言わずに。
ナクルがキーシャの身辺を守ってくれるのなら、キーシャはナクルの心を守りたい。
彼の意志を、誓いを、台無しにはしないように。それが主たるキーシャの務めだと思うから。
――それに。
長時間同じ姿勢でいたから、身体のあちこちが凝ってしまった。
キーシャが真に知りたいのは六年前の禁術ではない。人が犯した罪を暴き立てたいのではない。
キーシャの求めている情報は、その先にあるのだから。