102,手折る命の儚さは
「薬草園は見たことあるんだっけ?」
「――あ、ボク?」
「君以外に誰がいるの」
ファイクとは薬室ではほとんど会話しなかったから、ラスターに話しかけているものだと気づくのに時間がかってしまった。
「うん。初めてここに来た日に」
「じゃあ、説明しなくてもいいかな……」
ファイクの独りごとに返事はせず、無言で頷いておく。どこにあるかはわかるし、そこに何があるのかを全て教えてもらったとしても、きっと覚えきれないだろうから。
見たことあるというより、迷い込んだと説明した方が正しい。あの日ラスターは、薬草園を目指していたのではなかったのだから。
ラスターは左腕をぎゅっと握った。見渡した一面全てが薬草だったことに感動したけれど、苦い記憶ばかり浮かんでしまう。シェリックに一方的にわめき散らして、飛び出してきた先が薬草園だったから。
――ここまで来てくれて、ありがとうな。
あれほど聞きたくない『ありがとう』は初めてだった。ラスターを巻き込んでしまったと、負い目に感じていたシェリックに突き放されて、さらには忘れろなんて言われて、ラスターは衝動的に逃げ出してしまった。あれがまだ、三日前の話だ。
たまたま行き着いたのが、そうとは知らぬ薬草園だった。ところ狭しと植えられていた薬草に魅入られて、薬草の種類と量の多さに悔恨が湧いて。
ユノやナクル、リディオルと出くわして、ラスターは彼らの言葉にいくらか救われた。ユノの気遣いに、ナクルの思いやりに、リディオルの常と変わらない調子に。
よぎるのが感傷ばかりで、気持ちが沈みかける。これではいけない。
気づけたなら、そこからどうするかの選択は自分次第だ。動かなかったらそれまで。変えたいなら、少しでも、一歩でも、動かないと。
たとえ彼らにそんな気がなかったとしても、ラスターは助けてもらったから。今度はラスターが彼らの力になれるように。シェリックだけではなく、助けてもらった人たちの力になれるように。
自分の頬を両手で二回叩いたら、ファイクにぎょっとされた。
「えっと……大丈夫?」
「あ、うん。ちょっと、いろいろあったから」
「そ、そう……」
その全部を語るには、少なく見積もっても半日くらいかかりそうだ。
あんなにぎこちなかったのに、今はファイクと普通に話せている――とラスターは思っている。それがちょっぴり嬉しかった。
「薬草園ってすごい広いんだよね。でも、あれだけ種類があったら広いのもわかるや」
ラスターの感想に、ファイクの目が二度瞬いた。
「え、もしかして一日で全部回ったの? 回るだけでも相当大変なのに」
「そう?」
庭として考えるなら、ここの薬草園は段違いに広かった。家がひとつどころか、ふたつか三つは立てられそうな敷地で、薬草園だけでこんなに広くていいのかと思うくらいに。
――あれ、でも。
「薬草園って、こっちじゃないよね?」
そう言えば向かっている方向が違う。ファイクが歩いていく方向は、薬草園とは真逆だ。どちらかというと街の方角に歩いている。初めて王宮に来たとき、ラスターが通って来た門の方へと。
「……君、もしかして外の薬草園しか見たことない?」
「え? 他にあるの?」
「だからかあ……なんか話がおかしかったわけだよ」
納得したファイクとは違って、ラスターにはいまいちぴんとこない。何が食い違っていたのだろう。
「こっちにも薬草園があるってコト?」
「そうだよ。王宮の薬草園は、全部で三カ所にわかれてるんだ」
「三カ所? そんなに?」
あれだけの広さがまだあるのか。
「そう。今向かってる暗室と、温室、それから君が知ってる外の薬草園。外が一番広いけど、他のふたつは外の半分くらいかな。ここの薬草園はその三つだ」
ということは、ラスターが見たのはそのうちのひとつだけ。あと二つは見たどころか存在すら知らなかった。
説明を聞いて合点がいった。ファイクの言う『全部』とは、三つの薬草園、全てを指すのだろう。ラスターがユノやナクル、リディオルと出くわした場所以外にも、薬草園はあるのだ。
「全部の種類の薬草を、同じ場所では育てられないよね」
言ってみて、それは当然のことだと気づく。
外の薬草園だって、陽の当たるところと当たらないところにわかれていた。
「それはそうだよ。植物にはそれぞれ最適な環境がある。温度、水の量、日照時間、育てる量、生育状況。そのひとつが狂うだけで、簡単に枯れてしまう。薬草に限らず、植物はとても繊細なんだ」
「うん」
思い出すのはひとつの花。花弁をいくつもつけた、青色の大きな花。薬草ではなかったけれど、とても綺麗な花だった。
赤に白、紫。様々な色がある中で、青い花が一番綺麗だった。どれも鮮やかに咲いていたけれど、ラスターの目に最初に飛び込んできたのがその青だった。
ラスターの手には乗り切らないほど大きくて、その花がひとつあるだけで花束のように見えた。そこに咲いていた花の中でも、一番元気に咲いていたものを選んで、摘んだことがあった。
祖母に見せたかったのだ。花の綺麗さをうまく伝えられる気がしなくて、ならば実際に見せた方が早いと思い、手折ってしまった。
喜んでほしくて、大事に、大切に持ち帰って――祖母に見せた途端、ラスターは大層叱られた。
いくら野生に咲いている花でも、無断で採ってきてはいけないと、摘んできた花はそれ以上生きられないのだと。薬草とは違って、誰かの糧にはならないのだと。必死に生きぬいて、やっと咲くことのできた花の命を刈り取っては駄目なのだと。
祖母にも花にも謝って、ラスターはもうしないと約束した。そうしたら祖母は許してくれて、その青い花を花瓶に活けてくれた。ラスターは反省の意をも込めて、いつでも眺められるよう窓際に置いて、暇さえあればその花を見ていた。
手折れば長くは保たない。摘んでしまったなら、花はそれ以上生きられないと。それならばせめて少しでも長くなればいいと、丁寧に活けて、水も替えて、大切にしていた。
それでも花瓶に挿した花は徐々にしおれていき、枯れてしまうまで、三日もかからなかった。
「わかるよ」
環境が変われば生きることもできなくなる。生きる場所を選べないのは、植物も人間も同じだ。
だけど、人は適応することができる。良くも悪くも、それは人が学んだ生きる術だ。
ならば環境を選べない植物はどうすればいいか。どうすれば長く生きられるのか。
答えは簡単だ。環境を整えてあげればいい。たったそれだけで、生きられる期間は劇的に変化する。
「でもすごく強いよね。踏まれても折られても、何度でも生えてくるし。それだって、限られた植物だけだケド」
「そうだね。生命力は侮れないよ。薬草が全部強ければ、管理も楽なんだけど……手をかけただけちゃんと育ってくれるから、手がかかるのもいいものだよ」
手がかかる事柄は嫌われることが多い。ひとつ、面倒だと言ってしまえばそれで終わりだ。面倒ならやらなければいい。手がけなければいい。けれども、ファイクはそれさえも加味してか『いい』と言った。
無駄かもしれない。徒労に終わってしまうかもしれない。それでも、いいな、と思う。そんな考えを持つファイクが、ラスターには羨ましく思えた。
「苦労が報われるね」
「そう」
うまい返事が見つからず、そんな感想を抱いた。
褒めるのは違う気がするのだ。立場上ラスターの方が上かもしれないけれど、まだ認めてもらっていない。ならば、立場は対等か、逆転するのではないか――なんて。
着いた暗室の扉を開けると、もうひとつの扉が現れる。ファイクに訊いてみると、あまり光が入らないように二重の扉にしているらしい。ファイクが手前の扉を閉じ、奥の扉に手をかけて開いた直後だった。
「わあ……」
ラスターの目が釘づけにされたのは。
暗室と呼ばれるなら、中は当然真っ暗だと予想がついていた。実際暗かったけれど、足元に照明がつけられていて、完璧な暗闇ではない。その明かりも、薬草の邪魔にならない程度の明るさだった。これなら、わざわざ手に灯りを持たずとも歩ける。
それだけではなかった。決して明るくはないその部屋では、淡く発光している植物が出迎えてくれたのだ。
「カゼノシルベだ。これも材料になるんだよね」
「うん。根が赤くなったものだけ採ってくれると――って、ちょ、ちょっと!」
ぶちぶちと、既に三本抜いたラスターへ、ファイクの制止が入った。ラスターは手を止めて、ファイクのいる方へと振り返る。
「根が赤いか確認してからだよ。そんな無差別に――」
「赤いよ?」
三本全てを差し出すと、それを見たファイクの目が真ん丸になる。
「――え?」
「根っこが赤く変色するのは、終わりかけのもの。薬として使えるのはその終わりかけのものだけ。終わりかけのシルベって、光が少し赤くなるんだ。これとこれ、光ってる色が少し違うでしょ?」
今摘んだばかりの三本と、手前で光っていたひとつを指し示すも、ファイクの反応は芳しくない。
「根っこを見るより、光の違いを見た方がわかりやすいし、すぐ見わけられるんだ」
「……え、えっと」
「どのくらい必要なの?」
ラスターが尋ねると、ファイクは我に返ったように、カゼノシルベから顔を上げた。
「じゃ、じゃあ、十本くらい」
「わかった」
カゼノシルベは、摘み取ってもしばらく発光状態が続く。林や森など、木の生い茂る場所に生息しているから、月の出ない夜にはよく灯りとして使われていた。
取り過ぎてしまうと次が生えてこないから、その加減も大事である。
十本採り終えたラスターが渡そうとすると、ファイクは何とも言えない顔でそこに立っていた。ラスターが初めに採った三本のカゼノシルベを凝視して、首をひねっている。
「何か変だった?」
間違えて終わりかけでないものを摘んでしまっただろうか。
「……ううん、何も」
口では否定しているが、どうも納得していない様子だ。
「温室に行こう。カゼノシルベを取ったらもう、ここには用事はないから」
「うん」
三つ目だ。ファイクの様子も気になるけれど、新しい薬草園へ行ける楽しみがそれを追いやってしまう。文献で見かけた薬草や、祖母が長年育てたくても育てられなかった薬草も、もしかしたらあるかもしれない。
次はどんな薬草が待っているのか、楽しみで仕方なかった。