第1話:『別れと出会い』
俺は死んだ。
ミハエル・ラグナロクとの戦いの末に。
結局、妹を見つけることもできなかった。
だけど、不思議と苦しくはない。
むしろ、温かかった。
まるで優しい何かに包まれているような感覚。
(ここは……天国なのか?)
「――はっ!」
留は勢いよく上体を起こした。
視界いっぱいに広がっていたのは、青空とどこまでも続く草原だった。
風が草を揺らし、心地よい音を立てている。
留は慌てて自分の体を見回した。
服は少し汚れているものの、戦いで負ったはずの傷は見当たらない。
腕も足も動く。
痛みもない。
(おかしい……)
あれほどの重傷を負ったのだ。
生きていたとしても、何かしらの後遺症が残っていても不思議ではない。
なのに、まるで最初から傷など存在しなかったかのように体は健康そのものだった。
(それに……ここはどこなんだ?)
記憶をたどろうとした、その時だった。
「大丈夫か?」
突然、後ろから声をかけられた。
留は反射的に振り向く。
そこには一人の男性が立っていた。
年齢は四十代後半ほどだろうか。
穏やかな顔立ちをしている。
「だ、大丈夫です」
そう答えると、男性は安心したように微笑んだ。
「そうか。それならよかった。だが、こんなところで寝ていると危ないぞ」
「危ない?」
留は首をかしげる。
(熊でも出るのか? それとも猪か?)
そんなことを考えているうちに、男性は立ち去ろうとした。
慌てて留は呼び止める。
「あの、すみません!」
「ん?」
「ここは……どこなんですか?」
男性は少し不思議そうな顔をした。
「ここがどこかって? ここはオワバの町外れだよ」
「オワバ……?」
聞いたこともない地名だった。
「迷子かい?」
男性は苦笑した。
「だったら、うちまで来るといい。少し休んでいきなさい」
「あ、ありがとうございます」
正直なところ、状況がまったく分からない。
ここがどこなのかも、自分がなぜ生きているのかも。
今はこの男性に頼るしかなかった。
男性に案内され、数分ほど歩く。
やがて、一軒の木造家屋が見えてきた。
二階建てで、庭には立派な畑が広がっている。
「あったあった。あれが私の家だ」
「すごい……」
留は思わず声を漏らした。
都会育ちの彼にとって、これほど大きな畑は珍しい。
「綺麗な畑ですね」
「ありがとう。最近は時間ができたからね。せっかくだし始めてみたんだ」
穏やかな笑顔だった。
二人はそのまま家の中へ入る。
室内は木の香りが漂い、落ち着いた雰囲気だった。
男性は椅子に腰を下ろす。
「君も座るといい。そういえば、名前を聞いていなかったな」
「安藤留です」
「安藤くんか。良い名前だね」
男性は頷いた。
「私は犬夜だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
「それで、安藤くんはどこから来たんだい?」
留は少し考えてから答えた。
「東京です」
しかし、その瞬間。
犬夜は首をかしげた。
「東京?」
「はい」
「聞いたことがないな」
留は思わず固まった。
(……は?)
東京を知らない?
日本人なら誰でも知っているはずだ。
仮に外国人だったとしても、一度くらいは聞いたことがあるだろう。
「えっと……日本です。日本の東京から来ました」
そう言うと、犬夜はさらに困惑した表情を浮かべた。
「日本……か」
しばらく考え込んだあと、彼は首を横に振る。
「私は長いこと世界中を旅してきたが、そんな国の名前は聞いたことがないな」
(嘘だろ!?)
留の頭の中で警報が鳴り響く。
G7の一国。
寿司や天ぷらで世界的に有名な国。
その日本を知らないなど、あり得るのだろうか。
「そうだ」
犬夜が何かを思いついたように顔を上げた。
「トトなら知っているかもしれない」
「トト?」
「私の同居人さ。とても物知りなんだ」
留は少し安心した。
少なくとも話の分かる人物がいるらしい。
「今日はもう遅い。部屋を用意するから泊まっていくといい」
「ありがとうございます」
その時だった。
二階から声が聞こえてきた。
「犬夜ー。誰か来ているのか?」
続いて、階段を下りてくる足音。
犬夜は笑った。
「ちょうどいいところに来た。紹介しよう。彼がトトだ」
(さて、どんな人なんだろうな)
留は何気なく階段へ視線を向けた。
だが――
次の瞬間。
彼は言葉を失った。
階段から姿を現したのは、人間ではなかった。
全身を黒い羽毛に覆われた身体。
青く輝く瞳。
身長は一・二メートルほど。
鳥をそのまま人型にしたような、不思議な姿をしている。
「これはこれは、新しいお客さんか」
その存在は穏やかに微笑んだ。
「僕はエピナージュ出身のトトだ。よろしくね」
留の思考が停止する。
(なんだ……これ)
夢か?
幻覚か?
それとも死後の世界か?
目の前にいる存在は、どう見ても人間ではない。
まるで、本物のモンスターだった。
「あれ? どうしたんだい?」
トトが首を傾げる。
留の視界が揺れた。
心臓が激しく脈打つ。
頭が理解を拒絶していた。
(なんなんだよ……ここは……)
意識が遠のいていく。
足元から力が抜ける。
そして、安藤はその場に倒れ込んだ。
「おっと!?」
「安藤くん!?」
二人の驚く声を最後に、彼の意識は完全に闇へ沈んでいった。




