第一話 出会い
「最近は物の値段がどんどん上がっていて、歯止めがきかなくなってきている」
初老の男は、額についた汗を拭いながらそう言った。
「なら、今の経営状況はとても厳しいと?」
男の言葉に対し、真向かいに立つ少女はそう尋ねる。
その少女は左手に手帳、右手にペンを持ち、男の話を熱心に聞きながら、そのペンを走らせていた。
季節は春の終わり。まばらにある雲の切れ間から、さんさんと輝く太陽が顔を出している。
その光が砂レンガに囲まれた通りの、端の方にある屋根のない出店、そこにいる二人の姿をまばゆく照らし出していた。
少しばかり暑さを感じるその日差しに目を細め、カウンターの奥に座っている店主と、向かい側に立つ少女は話を続ける。
「ああ。しかし私の店はまだいい方だよ。
なんてったって、経営状況が悪化して、店を畳んでしまうまでには至ってないからね。
……あまり言いたくはないが、私の店以外では、もう既に廃業している所がいくつもあるんだ。今は平気でも、いずれここも同じようになるだろうさ」
「そうですか……」
残念そうに少女はペンと手帳をしまい込む。手帳には、今聞いたことが黒字でびっしりと書き連ねてあるようだ。
彼女は、前に垂れ下がった亜麻色の髪を背中側に持ってくると、店主に礼を言う。
「貴重なお話、ありがとうございました。
最初に話した通り、参考にさせていただきますね」
店主は無言で頷くと、カウンターの下から桃、白、黄色……色とりどりの果物を取り出し、そこに並べ始めた。
少女は肩にかけているショルダーバッグから、何枚かの硬貨を取り出す。
「あの、その二つはこれで足りますか?」
そこに置かれた果物を指差しながら、少女は銅の硬貨を差し出して店主に見せた。
店主がそれを受け取ると、一枚多いね、と言いながら、少女が選んだ二つの果物と一枚の硬貨を手渡す。
「ありがとうね、お嬢ちゃん。毎度あり」
店主はにっこりと微笑むと、またおいで、と言った。
少女も同じように笑いかけ、ありがとうございました、ともう一度礼を言う。
店の準備を再開した店主を背にして、少女は通りを歩き始めた。
十数歩程歩いた所で、少女はふと手帳を取り出し、一枚一枚ページをめくる。
(やっぱり、ここも……)
ペラペラと自分が書き連ねた文字を見て、少女は険しい顔をする。
一部付箋を貼られたページを見返しながら、顎に手を当て、彼女はより一層眉間にしわを寄せた。
(早くなんとかしないと……。でも、どうやって?私にできることって、一体……)
彼女が考え込むようにして歩いていると、いつの間にいたのだろうか。
前から大きな荷物を持った男が、彼女の方へと歩いてきていた。
しかも男は、前に少女がいることに気づいていないようで、どんどん彼女に近づいてきている。
それもそのはずだった。
その男は、自分の顔の前まである、大きな革製の袋を抱き抱えるようにして持っていた。
それは男の体の半分が隠れてしまうくらいには大きく、その上、袋はかなり重いようで、それを抱える彼の腕には力がこもっていた。
黒と白の入り混じった髪を揺らしながら、その男は袋の横から顔を出し、辺りを見回している。
彼は自分の持つ荷物が周りに当たらぬよう、通りを歩く人々に気を配っていたのだ。
しかし、前の方は全てを見通せているわけではないようで、男は未だ、前から歩いてきている少女には気づいていない。
それは少女の方も同じようで、未だに手帳をじっと見つめており、前から歩いてくる男のことには全く気づいていなかった。
そんな二人の距離はだんだんと近づいていき、そして——
「あっ!」
避けることができずに、ぶつかってしまった。
少女は、突然目の前に現れた袋に頭をぶつけ、反動で一歩後ろに下がる。
男の方はと言うと。
持っていた荷物が、ぶつかった拍子で後ろに重心がかかり、それに引っ張られるようにして、彼の体が後ろにバランスを崩した。
彼はそのまま大きくのけぞると、荷物と共にその場で尻餅をついてしまう。
少女は慌てて周囲の状況を確認すると、目の前で座り込んでいる男に対し謝罪する。
「あ! ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「いや、平気だ」
男は短く答える。
「君の方も大丈夫か?」
座り込んでいる男は、初めて少女の事を見た。
「え、ええ。なんともないです。ごめんなさい。私、前を見ていなくて」
少女はそう言いながら、バッグにペンと手帳をしまい込むと、男に対して手を差し伸べた。
男はそれを見たが、まるで必要ない、とでも言うようにそれを手で遮った。
そして、地面に落ちている荷物を拾い上げ、男はその場で立ち上がる。
「それじゃあ、俺はこれで」
男はそう言ってその場から立ち去ろうとする。そんな彼を、少女は呼び止めた。
「あ、待ってください! その足……」
彼女は男の左足を指差した。
見れば、彼の脛に切ったような痕がある。
袋が落ちた時に、それを結んでいた麻糸で切ってしまったのだろうか。
傷口には、じんわりと赤い血が滲んでいる。
しかし男は、それに気づいても何一つ気にしてはいないようだった。
彼は静かに答える。
「このくらいなんでもない。俺は別に……」
少女は首を横に振った。
「いいえダメですよ。
こういうのはそのままにしておくと、傷口から雑菌が入って、後で病気になったりしてしまうんです。
だから、今の内にちゃんとした処置をしないと」
「そうなのか。だが……」
男がためらっていると、少女は優しく声をかけた。
「遠慮なさらないでください。元はと言えば、私が前を見ていなかったのが悪いのですから。そうですね……」
少女は周囲を見渡すと、通りの端で、木箱が乱雑に置かれている場所を見やった。
彼女は男に手を差し出し、案内するように言う。
「ささ、こちらへ来て」
男は仕方なくそれについていくと、少女に促され、一つだけで置かれていた木箱の上に座った。
その木箱に乗った時、少し軋むような音がしたが——、人一人分くらいは座っても問題はなさそうだった。
彼の前でしゃがみ込み、少女はバッグから水の入った皮袋と、白いガーゼ、他にも様々なものを取り出す。
「失礼しますね」
少女は男の左足を持ち上げ、傷のある場所に皮袋の水をかけた。
それをしながら、傷口を指で軽く擦っていくと、血と共に糸くずや泥汚れが洗い流されていく。
少女は傷口の状態を確認して、少し泡だったクリームを取り出すと、そこに塗った。
そしてそれを布で拭き取り、ガーゼを小さく折りたたんで傷口に押し当てる。
すると、ガーゼの色が僅かに薄い桃色へ変化する。
少女は最後に、その上から茶色いテープを貼り付けた。彼女はテープがピッタリと貼り付けられたのを確認すると、使った道具を元のバッグに仕舞い始めた。
どうやら終わったようだ。
少女の作業が終わったのを見届けると、男は静かに顔を上げた。
この間、男は自分の足を手当てしてくれている目の前の少女を、じっと見つめ続けていた。
無表情のまま黙っている男に、少女は声をかける。
「……さ、できました。もういいですよ」
「ありがとう、恩に着る」
男は礼を言う。顔は変わらず無表情のままだったが、先程よりも口調が少し柔らかくなっている。
そんな彼に、少女は微笑みかけた。
「いいえ、こちらこそ。
……ただ、テープの粘着が弱いので、ほんの少しの間だけ、ここで安静にしていただいてもいいですか?
さっき、その袋を運んでいたようですが……」
急いでいたのかと心配して、少女は彼にそう聞いた。彼は穏やかに答える。
「ああ、別にそれは構わない。
今は仕事中だが、この袋は急いで持っていく必要はないんだ。
だから少しくらい休んでいても、問題はない」
安心したように少女は頷いた。
そんな彼女を見て、男はそこでふと思い立ったように、先程から気になっていた疑問を少女に投げかけた。
「ところで……さっきから思っていたのだが、貴方のその身なり、ここ一帯の者じゃないな。貴族のように見えるが……」
そう言って男は、少女が身にまとっている服を見た。
その少女は、茶色をベースとした、所々金の模様が入っているベストを身につけており、下に履いている白いスカートは、シルクのように光沢がある。
少なくともそういった服は、街によくある庶民的な格好ではなく、貴族が身につけているような上等なものであった。
少女はそれを聞いて、思い出したかのように言う。
「ああ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。
私はリーサ・シルフェンディ。お気づきの通り、街の中央にある屋敷に住む、貴族の一人娘になります。どうぞ、お見知りおきを」
少女——リーサはスカートを持ち上げると、深々と頭を下げた。
同じように男も頭を下げると、リーサに自分の名を名乗った。
「俺はライオネル・ガロックナイツだ。
ラオと呼んでくれ。
それと、俺には敬語を使う必要はない。どうか崩して話してくれ」
「いいわ、それじゃ……ラオさん」
「ラオでいい」
「そう、ラオ……」
少女は突然あ、と声を漏らし、思い立ったように目の前にいる男——ラオに言った。
「実は少しだけあなたに聞きたいことがあるのだけれど、今いいかしら?」
ラオは首を縦に振る。
「さっきも言ったように、今は急いだりしてはいないから、それは大丈夫だ。
それで、何を聞きたいんだ?」
少女はバッグからペンと手帳を取り出した。
「今、私は街の人にいろいろと、『生活』のことについて聞いて回ってるの。
そこで、あなたにも少し話を聞かせて欲しくて」
「生活?なんでそんなことを?」
リーサはためらいがちに答える。
「え、ええと……そ、それはちょっと、事情があって……ね。
それよりも、あなたはさっき『仕事』って言っていたけれど、一体どんな仕事をしていたの?」
自分の聞いたことをはぐらかされたが、ラオはそれを気にせずに答えた。
「この袋の中の工具を、街の反対側まで運ぶ仕事だ。
荷物はこれだけじゃないから、この休憩が終わったら、これからまた何往復もするつもりだ。
……今日のはそういう仕事だったが、昨日はまた別の仕事をしていた」
リーサはペンを走らせる。
「それで……その仕事が終わったら、あなたはこれからどうする予定なの?」
「雇い主に賃金を貰って、今日の分のパンを買うつもりだ。
俺はその為に働いている」
リーサはそれを聞いて、感嘆の声をあげた。
「つまり、自分の生活の為に自ら働いてるって事?すごいわ……。
ねえ、あなたとても若く見えるけど、今いくつなの?」
「18だ」
「じ、18!?
実は私もよ!私も18歳なの。
私と同い年なのに、もう社会に出て働いてるなんて、すごいわ。
きっとお父様もお母様も喜んでいるのでしょうね」
リーサは淡々と答えていく彼に対し、尊敬の眼差しを向けた。
しかし次に返ってきた言葉で、彼女の表情が一変する。
「父と母は、俺が生まれた後にすぐに死んだ。
父方の祖父が俺を育ててくれたが、その人も俺が15の時に亡くなった」
それを聞いて、リーサは申し訳なさそうに言う。
「そ、そうだったの……そうとは知らずに……ごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。
……それよりも今の俺にとっては、今日の食事の方が大事だ。
最近は、というよりここずっと食べ物の値段が上がり続けている。
前までは1日働くだけで3日分の食事をまかなう事ができていたんだが、最近では1日働いて1日分の食事が稼げるのかどうか、ギリギリの所まで来ている」
リーサのペンを書く手が止まり、どこか残念そうに呟く。
「そうなの……じゃあやっぱり……」
「だが、まだ希望はある」
「……希望?」
「ああ。これだ」
リーサがそう言った時、ラオは一枚の紙をリーサの前に差し出した。
リーサはそれを受け取ると、促されるままにその紙を見る。
「これは……?」
「中央広場で配られていた。どうやら、調査隊とかいうものの募集要項らしい」
リーサがその紙——チラシを見ると、『調査隊隊員募集のお知らせ』という大きな文字が、一番最初に目に飛び込んできた。
その下には、それよりも小さな文字だが目立つ筆跡で、こんなことが書かれている。
『調査隊隊員募集のお知らせ』
あなたの力を役立ててはみませんか?
調査隊は、地域、社会、そして世界に住む全ての人々の為にその力を尽くし、活動、また活躍しています。
あなたの働きで、たくさんの人が救われる。
あなたがどのような人でも構いません。『調査依頼』を受けて成功すれば、それに見合った報酬をお渡しします。
依頼内容は、主に『人助け』。人道支援等々です。
腕に自信のある方は、特に活躍の場が大きくなるでしょう。
そしてその報酬額は——最低で銀貨二枚。最高で金貨が数百枚も!
上手くいけばすぐに高額な依頼を受ける事が可能です!
調査隊に入る上で必要な手続き、また物資は、全てこちらで用意します。
私達があなたにお渡しする物資は、隊服、武具、食料、寝袋、調査隊専用のリュック等になります。
それらは全て、入隊手続き完了後に「無料で」お渡しします。
調査隊は、どのような人でも歓迎します。
このチラシを見て、興味が出た方は明日、説明会を開催しますので、この街の集会所、第二ホールにてお集まり下さい。
ちなみに、初参加のあなた方には、そこで先に一日分の食料をお渡しします。
積極的なご参加を、お待ちしております!
リーサがそこまで読んだところで、ラオは話し出した。
「配っていた奴は随分やる気のなさそうな奴だったが、もしここに書いてあることが事実ならば、それは俺にとって大きなチャンスになるはずだ。
調査隊に入ることで、今の苦しい生活から脱却することができるかもしれない。
このまま何もせずここで仕事を続けるよりも、俺は『これ』を選択しようと思う。
それが今の俺にとって、いい生活をする為の手段になるだろうから」
「調査隊……」
リーサは紙の隅々まで目を通す。
紙には先ほどの言葉以外にも、受付案内をしている場所についての詳しい説明や、それが始まる時刻などが書いてあった。
だが、彼女はそんな言葉、文字には目もくれなかった。
リーサは他の、最も関心の深いところへ目を向ける。
『世界中』『地域』『社会』『人助け』『調査依頼』——
————『調査隊』————。
リーサの中で、火花が散った。
「俺は明日、この募集の受付をしている第二ホールに行くつもりだ。そこで……」
「これだわ!」
リーサが思わず声をあげる。
その声は歓喜に満ち溢れ、体はワナワナと震えていた。
リーサはその紙からパッと目を離すと、ラオの手を握った。
「ねえ、ラオ……お願いがあるの。
私もあなたと共に、その場所へ行きたいわ。お願い!ついて行かせて!」
ラオは驚いたように目を見開く。
「!…………」
彼はリーサの、突然変わったその態度に、たじろぎながら聞いた。
「俺は別に構わないが…………。だが、君はいいのか?」
リーサはそれを聞いて目を輝かせた。
「ええ、勿論! 是非そうさせて欲しいわ!」
ラオがそれを聞いて静かに頷くと、ありがとう、と本当に嬉しそうにリーサは言った。彼女の勢いに若干押されて呆然としていたラオも、そんな彼女の姿を見て、表情を和らげる。
「……分かった。なら、明日俺と共に行こう。
場所はここに書いてある通り、第二ホールだな」
「ええ。それじゃあ明日、そこで待ち合わせしましょう」
「ああ。また明日、第二ホールで会おう」
「うん。……本当にありがとう、ラオ。また明日!」
そう言うと少女はその場から駆け出し、後ろを振り帰ると、ラオに手を振った。
彼女の心は喜びの感情で満たされており、明日起こる出来事に胸を躍らせている。
彼女は心地よい風に吹かれながら、通りを走り抜けていった。
そんな彼女の後ろ姿を見て、ラオは小さく微笑んだ。
彼は木箱から静かに立ち上がると、走り去っていくリーサのことを見送る。
そんな二人を祝福するかのように、太陽はより一層さんさんと輝き、二人のことをまばゆく照らし出していた。
乾いた風が通りを吹き抜けていき、彼らの服や髪を揺らした。
しかし、彼ら二人はまだ知らなかった。ラオとリーサ、この二人の出会いが、自らの運命を分ける、大きなものになっていくということを——————。




