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「俺は鳴海のことが好きだよ」
「…………はい?」
ぽかんとしてしまった。さっきまでそれを期待してしまっていたけど、しかし今は、まったく予想もしていなかった言葉だった。
わたしが呑み込めていないことはわかっているだろうに、陸くんは構わずに続けていく。
「でも鳴海は普通の女の子で、俺なんかが好きになっちゃいけない女の子だ」
「え、え?」
「俺は人も、人じゃないものもいっぱい殺してきた。勇者とか英雄って言えば聞こえはいいけど……実際は、化け物とか、兵器って言うのが正しかったんだ」
「陸くん、あの、ちょっと待って」
「俺は向こうですごく尊敬されて、同時にすごく怖がられてた。でも鳴海は、俺の向こうでの話を聞いても『大変だったんだね』って言っただけだった。俺を、ただの、普通の人間として心配してくれた。ただ現実味がなかっただけかもしれないけど……それがほんとに、嬉しかったんだよ」
「わたしの声聞こえてる……?」
「うん、聞こえてる。ごめん、このまま話させて」
……よく考えなくても、陸くんの話を聞くと言ったのはわたしだ。もちろんとまで言ったのだから、いくら理解できない話だったからとはいえ、遮ってはいけなかった。
大人しく口をつぐんだわたしに、陸くんはまた「ありがとう」と笑った。
「それからずっと好きだった。好きでいるだけなら、俺にもまだ許されると思ったんだ。だから告白なんてするつもりなかったよ。でも両思いなら、鳴海がそんなこと思ってるなら、話は別だ」
風が吹く。潮の匂いがした。
寒いはずなのに、なぜか体の熱は上がり続けている。
「俺はあのとき、大変だったんだねって心配してくれた鳴海に救われた。これからも話を聞こうかって言ってくれた鳴海に、救われたんだ」
救ってなんかない。たとえもし本当にわたしが陸くんを救ったのだとしても、そんなの偶然だ。
異世界から戻ってきた陸くんを、たまたま最初に見つけただけ。
たまたま最初に話を聞いただけ。
わたしじゃなくても、彼の周りになら彼を救える人が他にいたはずだ。
そう言いたくて、でも口を開くわけにもいかなくて、泣いてしまいそうになる。物言いたげなわたしを、陸くんはじっと見つめた。
「……こんなの、告白中に言うことじゃないけど、鳴海じゃなくてもよかったのかもしれない。鳴海じゃなくても、同じようなことをしてくれる人はいたかもしれない」
ひゅっと息を呑む。思考を読まれたのかと思った。そうだ、と自分で考えていたくせに、彼に突きつけられただけでショックを受けるなんて勝手な話だ。
「――だけど」
彼はそう、言葉を繋げる。
「あのときの俺を救ってくれたのも、今の俺を支えてくれてるのも、鳴海なんだ」
「っそんなの!」
「鳴海なんだよ」
思わず声を上げたわたしに、陸くんは間髪入れずに言う。信じてほしい、と言われているようだった。せっかく消えていた涙が完全に戻ってきて、目の前がぼやける。
「だから今度は、俺が鳴海を救いたい。鳴海を幸せにしたい。たぶん、魔女も俺にそれを望んだから、そんな条件を出したんだ」
苦笑いして、陸くんは――ほんの小さな一歩の距離を、詰めた。
抱きしめ、られている。零距離で伝わってくる彼の体温に、心臓が大きく跳ねた。……ああ、この音、聞こえてしまったかもしれない。それくらい大きな音だった。
彼の手はわたしの背中にしっかり回されていたけど、わたしの手は行き場を失った。
耳元で、彼のくちびるが動く。
「恋をすると人が馬鹿になるっていうのは、たぶん間違いじゃないよ。俺だって思う。鳴海の気持ちも無視してこんなことしてさ。な、馬鹿だろ?」
ごめん、と彼は謝る。
「でも、それでいいんだと思う。馬鹿になるのが、普通の恋なんだ。だから、嫌だとか気持ち悪いとか……そう思うのが苦しいなら、いつか思わないようになってほしいな」
そんなの無理だ。無理だから、魔法に頼ったんだ。
そう言いたいのに、言葉が詰まって出てこない。
「これは俺の、わがままなんだけど。色んなひとを救えなかったから、色んなひとの不幸を救えなかったから、せめて好きな女の子一人くらいは救わせてほしいんだ。俺の馬鹿な恋を、傍でずっと見ていてほしい。それでいつか、馬鹿だなぁってただ笑ってほしい」
無理だ。そんなのできない。ありえない未来だ。わたしの芯まで染みついたこの価値観が、そんなことくらいで変わるはずがない。
――だけど。
だけど、と思ってしまった。
彼がわたしを好きだと言うなら。わたしは彼の思いを、絶対に裏切らないという自信がある。それだけわたしは、陸くんのことが好きだ。ずっと笑っていてほしい。傷つけたくない。泣かせたくない。お母さんやお姉ちゃんたちのような目に、遭わせたくない。
彼のことがずっと好きで、彼のことをずっと、大切にできる自信があった。
だから――そんなわたしに恋をしてくれる陸くんのことを、馬鹿だとは思っても、それは嫌な気持ちじゃなくて。
愛おしいという意味での、馬鹿だと思った。
「……『大変だったんだね』って、それ、学校で会ってすぐくらいに言ったことじゃん。それからずっと、わたしのこと好きだったの?」
「そうだよ。それだけで、馬鹿みたいだろ?」
「陸くんがわたしのこと好きなんて、全然気づかなかった」
「ばれたら終わりだって思ってたから」
「……勝手に終わりにするのは、ひどいよ」
「鳴海こそ、勝手に終わらせようとしてたじゃん」
そうだった。……勝手に終わらせて、勝手に死のうとさえしていたわたしのほうが、よっぽどひどい。
「ごめんね」
謝る声に、笑いが混じった。それがわかったのか、回された腕の力が強くなる。ちょっと苦しかったけど、文句は言わずにそっとわたしも抱きしめ返してみた。
宙に浮いていたわたしの手は、ようやく行き場を見つけた。
「しばらく……ううん、もしかしたら一生、わたしは、陸くんのことが好きな自分を嫌い続けちゃうかもしれない。そんなわたしでも、陸くんは好きでいてくれる?」
「もちろん」
「……そっかぁ」
――それなら、いい。
ぐ、と彼の胸に顔を押しつける。
どさくさ紛れではなく、今度ははっきりと伝えよう。緊張で唇が貼りついてしまいそうだったけど、どうにか開いて息を吸う。返してもらった自分の声で、それを告げる。
「陸くん。わたしも、好きだよ」
「……うん。俺も好き」
小さな告白を交わして。互いの体温を確かめるように、しばらくそのまま抱きしめ合った。ふれている部分がすごく熱くて、このままだと火傷してしまうんじゃないか、とほんの少しだけ本気で思う。ほんの、少しだけ。
とくとくと、陸くんの心臓の音が聞こえる。……あれ、なんか、速くなってきてる、ような。っていうかわたしの心音もめちゃくちゃ速い。死にそう。
恥ずかしくなって腕の力を緩めると、同時に陸くんも緩めてくれた。体を離して、顔を見合わせる。照れくさそうに笑ったのは、彼が先だった。
「なぁ、今度こそ鳴海のこと、亜依って呼んでもいい?」
消したい記憶がよみがえる。『あいってよんでいいよ』と、上から目線で書いた文字。
……陸くんから言われたときは即座に断ったくせに! 厚かましすぎでしょう正気じゃなかったわたし!
「う、うう、うん。そう呼んでほしいな」
記憶を頭から消そうとしつつ、平気な顔を作ってうなずく。とはいえたぶん真っ赤になっていただろう。
それでも陸くんはそんなことは指摘せず、ただ嬉しそうに笑った。
「亜依」
――実はちょっとだけ、自分の名前が嫌いだった。あいって響きがよくない。親子やきょうだい、友人への愛しか、わたしには認められなかったから。
それにこの名前は、顔も覚えてない本当の両親が……大好きなお母さんを苦しめた人たちが付けた名前だから。
でも。
「亜依、亜依、亜依……やっと呼べた」
「ふっ、あはは、大げさ」
「ずっと呼びたかったんだよ! 拒否られてめちゃめちゃショックだったんだからな!? これからは絶対、毎日最低百回は呼ぶ!」
陸くんは唇を尖らせ、そんな宣言をした。
彼への恋は、きっといつか、愛になる。……もしかしたらとっくになっているのかもしれないけど、まだわたしにはよくわからない。
だから、いつか、だ。
彼がこんなふうにわたしの名前を呼び続けてくれて、そしていつか、わたしのこの恋が愛に変わったのなら。
わたしは、自分の名前をちゃんと好きになれるのだろう。
――まずは、その前に。
「馬鹿だなぁ」
彼の願いを一つ叶えるため、わたしは精一杯の幸せを込めて笑った。
「こうして二人は、いつまでも幸せに暮らしました……ふふ、なんちゃってね」
ずっと夢見ていた光景を見守りながら、魔女は独りごちる。大事なひとの、大事な宝物が、幸せそうに笑っている。それだけで少し救われた気持ちになった。
けれども、結局これはただの自己満足なのだ。亜依の恋を叶えたところで親友にかかった呪いは解けないし、罪滅ぼしにもなりはしない。
だって彼女は魔女のことを覚えていないから。魔女を認識することすらできないから。魔女の行動は、彼女にとって無意味だ。
今の親友は魔女のことを何も知らない。何もわかっていない。わからないことすら、わかっていないはずだ。
それでも、
「……あそこで笑っているのが、貴女だったらよかったのに」
そう心から思ってしまうくらい、今でも私は――
ああ、なんて愚かしい思考、と魔女は笑って。
抱きしめ合う二人に背を向ける。
彼女のいないハッピーエンドは、魔女には少し、眩しすぎた。
Cast1
ルチア
ヴァレーリア
異世界の男
Cast2
鳴海 亜依
赤羽 陸
魔女(ルチア)
鳴海 美代
鳴海 美和
亜依の母親