第1話 女神アリエスのお仕事
わたしの名前はアリエス。女神だ。
人間界で不幸にして死んだ人間を、異世界へ送り出す仕事をしている。女神というと、さぞ優雅な暮らしをしていると思うかもしれないが、実際はそうでもない。毎月のノルマに追われる、なかなか大変な仕事なのだ。
「……ここはどこだ?」
今日も一人の男が、わたしの前で目を覚ました。
「異世界に通じる次元の狭間よ」
「い、異世界だと……?」
男は目を丸くして辺りを見回した。何もない真っ白な空間に、机と椅子が置いてあるだけなのだから、驚くのも無理はない。
「あなたは死んだの。心筋梗塞による突然死ね」
「し、死んだ? 俺が?」
「そうよ。残念だったわね」
男は信じられないという顔で自分の胸を触ったり、腕をつねったりしている。
こういう反応には慣れている。死んだことを受け入れられず、元の世界に戻してくれと泣きつく人間もいれば、異世界に行けると知って喜ぶ人間もいる。今日の男は、どうやら前者らしい。
「待ってくれ! 俺には妻も子供もいるんだ!」
「それがどうかしたの?」
「まだ死ぬわけにはいかない! 頼む、元の世界に戻してくれ!」
男は机に手をつき、必死な顔で訴えてきた。
わたしは書類に目を落とした。
死亡してから、まだ十分も経っていない。肉体にも大きな損傷はなく、魂を戻してやれば生き返らせることができそうだ。
もっとも、ただで生き返らせてあげるつもりはない。
「あなた、お金持っている?」
「……は?」
「貯金よ。どのくらいあるの?」
「な、何でそんなことを聞くんだ?」
「鈍いわね。お金を払えば、元の世界に戻してあげると言っているの」
男はしばらく口を開けていたが、やがて顔を真っ赤にした。
「め、女神が金を取るのか!」
「別にいいでしょ。地獄の鬼も何とかというじゃない」
「地獄の沙汰も金次第だろ!」
「そう、それよ。よく知っているじゃない」
なかなか物分かりのいい人間だ。
「それで、いくら払えるの?」
「いくらって……蘇生にはいくらかかるんだ?」
「それを聞いているんじゃない。あなたがいくら持っているかを聞いているのよ」
「まさか、貯金を全部取るつもりじゃないだろうな!」
「あら。全部払ってくれるの?」
男は呆れたようにわたしを見た。
失礼な人間ね。せっかく助けてあげようとしているのに。
もちろん、生き返った人間が料金を踏み倒す可能性はある。だから、蘇生させる際には魂に契約を刻み、あとから指定した口座に振り込ませることにしている。
人間界には、わたしの息が掛かった女がいる。その女を通じて、流行りのコスメや美味しいスイーツ、ラノベなんかを取り寄せているのだ。
女神同士で集まって、買った物を見せ合うのも楽しみの一つである。先日もミレーネに限定品の香水を見せびらかしたら、ずいぶん悔しがっていた。
ただし、人間界で買い物をするにはお金が必要だ。女神だからといって、商品をただで貰えるわけではない。
そのため、蘇生を希望する人間には、それなりの金額を払ってもらうことにしている。
「頼むよ。妻も子供もいるんだ。貯金を全部持っていかれたら、家族が生活できなくなる」
「じゃあ、払える金額を言いなさいよ」
「そもそも、どうして女神が金を欲しがるんだ!」
「わたしにだって色々と事情があるのよ」
まったく、面倒くさい男だ。
わたしは机の上に置いてある、もう一枚の書類を確認した。
今月の召喚実績、二十九人。
あと一人送り込めば、今月のノルマを達成できる。
「ねえ、あなた。生き返る気があるの? ないの?」
「もちろんある! だが、お前みたいな女神に大金を渡すのは納得できない!」
「そう。じゃあ、交渉は終わりね」
わたしは椅子から立ち上がった。
「あなたは異世界行きよ」
「なっ! ちょっと待ってくれ!」
指を鳴らすと、男の背後に巨大な扉が現れた。扉がゆっくりと開き、向こう側から冷たい風が吹き込んでくる。
「ほら、さっさと行きなさい」
「嫌だ! 俺は元の世界に帰りたいんだ!」
男は机にしがみついたが、そんな抵抗は無駄だ。わたしが軽く手を振ると、男の体が宙に浮き、扉へ向かって引っ張られていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 金ならある! 払うから!」
「もういいわ」
「いくらでも払う! だから助けてくれ!」
「しつこいわね。あなたを送り込めば今月のノルマも達成するのよ。もう気が変わったの」
「そ、そんな勝手な……うわああああああ!」
男は悲鳴を上げながら、扉の向こうへ消えていった。
わたしは扉を閉じ、書類に印を付ける。
三十人。これで今月のノルマは達成だ。
「ふぅ……やっと終わったわ」
まったく、人間を異世界に送り込むのも楽ではない。ああだこうだと文句を言う人間を相手にするのだから、こちらの身にもなってほしいものだ。
机の上を片付けていると、書類の束から一枚の紙が出てきた。
「あら?」
スキル付与申請書だった。
そういえば、さっきの男にスキルを与えるのを忘れていた。
異世界は、剣と魔法のファンタジーというやつだ。魔物もいれば、魔族だっている。何のスキルも持たずに送り込まれたら、簡単に死んでしまうかもしれない。
「ま、いっか。あいつ、勇者の素質もなさそうだったしね」
今さら送り直すわけにもいかない。それに、わたしの仕事は人間を送り込むところまでだ。向こうでどう生きるかは、本人の問題である。
わたしは申請書をゴミ箱に放り込んだ。
さて、仕事も終わったことだし、お風呂にでも入ろう。
私室に戻り、浴槽に湯を張る。お気に入りの入浴剤を入れると、甘い花の香りが広がった。
この入浴剤も人間界から取り寄せたものだ。女神になって数百年になるけれど、人間というのは次から次へと面白い物を作る。ラノベなんかも案外に面白く、つい夜更かししてしまうことがある。
「まったく、神の野郎も人使いが荒いんだから」
湯船に肩まで浸かりながら、わたしは愚痴をこぼした。
最近は魔王軍の勢いが増しているとかで、神がやたらと召喚数を増やしたがっている。
異世界の人類が滅亡しそうなのは分かるけれど、だからといって、わたしたち女神にばかり負担を押しつけるのはどうかと思う。
そもそも、戦うのは人間の仕事だ。
わたしだって異世界に行こうと思えば行けるが、魔族に見つかったら何をされるか分からない。そんな危ないところへ、わざわざ出向くつもりはなかった。
「来月も三十人かあ。嫌になっちゃうわね」
わたしは湯船に浸かったまま、目の前に小さな鏡を出現させた。
女神の権能を使えば、この鏡で人間界の様子を覗くことができる。人間を探すだけでなく、流行りのファッションや新作コスメを調べるのにも便利だ。
今日は何か面白いものがないかしら。
鏡に映る街並みを眺めていると、歩道を歩く一人の男が目に留まった。
「あら。いい男じゃない」
背が高く、顔立ちも整っている。服装の趣味も悪くない。
こういう男なら、次元の狭間に呼んで、しばらく話し相手になってもらうのもいいかもしれない。
残念ながら、生きている人間を勝手に召喚することはできない。わたしが呼び寄せられるのは、不幸にして死んだ人間だけなのだ。
男は誰かと電話で話しているらしく、とても楽しそうに笑っていた。
ずいぶん幸せそうね。
わたしは鏡の中の男を眺めながら、湯船の縁に頬杖をついた。
「ちょうどよく死んでくれないかしら」
ここまで読んで頂きありがとうございます!ぜひ、フォローお願いします!




