終章 次の旅へ
それからすぐに、僕はカーニムの宮殿に戻った。念のためにキースにミリーというあの少女に連絡を取ってもらって、ブラックブラッドの危険度がどれだけ下がったかを確認してもらった。
「ええと、ブラックブラッドは、と。グリーン。いい感じにリスク破壊されてる。ばっちりね」
とのことだった。それを聞くと安心できる。
トリックスターはまだ戻っていない。キースは彼の状況をミリーに聞いている。僕には意味の分からない会話を続けた後、ひとしきり悩んでから、キースはトリックスターの所へ行くと告げて消えた。
それを見送ると、僕はカーニムに声を掛けられた。
「あの子、目が覚めているよ」
「そうか。ありがとう」
僕は礼を言って、ただ、その前にいくつかやることがあると言って、カーニムに空いている部屋を貸してもらった。
カーニムはすぐに客間に案内してくれた。
客間の机に向かい、腰を落ち着けた僕は、まず、最初に魔法のスクリーンを作り出した。久々に見える、エルフの少女の姿をしているルーサが浮かぶ。
『知りません』
と、へそを曲げる彼女に、僕は平謝りに謝った。
「本当にごめん。いろいろありすぎて」
言い訳はしない。忘れていたのは確かだ。
『いろいろ大変なのは分かっています。分かっているから悲しいのです。頼ってもらえないのはとても悲しいです』
その言葉に、僕は反論もできなかった。
ルーサを頼る。まったく頭になかったことだ。すっぽり頭から抜けて落ちていた。彼女が怒るのも当然と言えた。
「うん。君の戦力をあてにするという選択肢がまったく思いつかなかった……レインカースで実際に見たはずなのに。すっかり忘れていた。ごめん」
『ひどいです。本当にひどいです。次に忘れたら許しません。無理矢理仲間を送り付けますから』
許さないとは言いながらも、絶交だとは言わないルーサに、僕は本当に申し訳ない気分になった。それだけ心配させてしまっているということだ。
「うん、ありがとう」
僕は礼を言い、ルーサの顔を眺めて少し無言になった。すると、突然、ルーサの映像が乱れた。
《割り込みごめんよ》
テレパシーが混ざる。アラニスだ。
《ちゃんと連絡とったね、偉い偉い》
そう前置きしてから、まずアラニスはルーサに断った。
《ちょいとラルフを借りてもいいかい?》
『はい……どうかしたのですか?』
ルーサが戸惑った様子で答えると。
《ラルフには言っておいたけど、ちょいとこの子に助けてほしいことがあるんだ》
アラニスがそう答える。だとしても、会話に割り込む理由が僕には分からなかった。
『なにか、切羽詰まっているのですか? 私にもお手伝いできることはありますか?』
ルーサが心配そうな声を上げる。
アラニスはしばらく黙った後で答えた。
《あんたは何もしなくていい。たぶん、あんたが首を突っ込むと余計面倒なことになる。ここは自重しておいておくれだよ》
『そうですか』
と、残念そうにルーサが引き下がる。アラニスは彼女に短く、
《すまないねえ》
と謝った後、僕に話を振ってきた。
《さて、ラルフ。ゆっくりさせてやりたかったんだけどさ、急ぎになっちまったんだ。すまないね。一時間後に迎えに行くから、いつでも旅に出られる用意だけしといてほしい》
「分かった。その時に詳しい話を聞けるってこと?」
僕は首をひねった。できるだけ情報は欲しい。事前に準備ができるかもしれない。
《そうだね。あんたは簡単に説明しておいた方がいいか。この神域の中に、目録にも載っていない若い次元群があるんだよ。神域の中に、ミニマムの神域がさらに存在してるって思ってくれればいい。それで、それを作った女神さまってやつを、助けてやってほしいんだ。すぐに行動を起こした方が良い問題から、長い時間がかかる問題まで、幾つもの問題を抱えててね、かなりまずい状況なんだよ。五魔神への対策としても、ここを綺麗にしとかないとかなりまずくてね、すぐにとりかかったほうがいいってのもある。頼めるかい?》
アラニスの頼みは漠然としているけれど、深刻そうでもあった。僕は答えた。
「解決できるかは分からないけれど、ここで考えていても結論は出ないだろう。会ってみよう」
《助かるよ。問題は複数あって複雑だ。あんたひとりでどうこうできない問題も多いはずだ。必ずマリオネッツは連れて行きな》
アラニスはそう言ってから、また、しばらく黙った。そして、
《それと、これはおばちゃんも確信は持てない、ただの感覚的なものなんだけど》
と、言葉を濁した。それから、続けた。
《なんとなく、だけどさ。シーヌも連れてお行き。必ずあの子が必要になる気がするんだよ》
何故なのか分からない。
分からないけれど、僕もそうした方が良い気がした。
「分かった。話をしておくよ。どちらにせよ、このあと顔を見に行くつもりだったからね」
僕は頷いた。そしてルーサに声を掛ける。
「ごめん、あまり時間が内容だから、一度会話を終わりにして、準備に入るよ。ごめんね、ルーサ」
『いいえ、仕方がないです。気にしないで』
ルーサは笑ってくれた。けれど。
「そのままで大丈夫。ごめんなさい、立ち聞きして」
僕の背後から、声が聞こえた。驚いて振り向くと。
「なんて言ったらいいのかな。お久しぶり、かな。ありがとう、かな。私にとってはほんの十数時間だけれど、あなたにとっては、きっとそうじゃないのよね?」
複雑そうに笑うシーヌが立っていた。
僕は何も言えずに、ただ、その姿を眺めた。そこにいたのは、人型のナマズのような姿の人物でも、半透明の水色の生き物でもなかった。
ヒレのある手足。長く床に這う尾。角のような突起が並ぶ頭部は流線型で、体はきれいな水色をしていた。二足歩行をする水竜といった言葉がしっくりくる容姿をして、
「驚かせてごめんね」
と、語る声だけは今までのシーヌと同じだった。
そういえば、と、ムイムがいつか言っていたことを思い出す。成熟したヌークは、水竜型の生物になると。
「うん、びっくりした。そうか、成熟期に入ったんだね」
「そうみたい。起きたらこうなってて、私もびっくりした」
困ったように笑うシーヌの雰囲気は、変わっていない。それだけで何となくほっとする。
「でも、聞いていてくれて良かった。僕はしばらくしたら出かけなければいけない。シーヌもついてきてくれる?」
それから、気を取り直して僕は聞いた。
「勿論」
シーヌが、笑顔で答える。すると、机の横に剣と盾と一種に置いてある、僕の背負い袋の上で、二種類の声が上がった。
「私も同行します」
「おいらも。うまいもん食えるといいな」
アラニスも、二人は同然ついてくると思っているようで、エレカとプリックの言葉には異論を挟まなかった。
「でも、やっぱり会話を終わるよ。カーニムに挨拶しておかないと」
『はい。困ったら、次はちゃんと教えてくださいね』
と、ルーサに釘を刺された。僕は頷いた。
スクリーンを消して、僕は椅子から腰を上げる。エレカとプリックが乗ったままの背負い袋を背負うと、剣を腰に、盾を背中に背負う。聖者の盾を、シーヌは嬉しそうに眺めていた。
「とても役に立っているよ」
僕がそう告げると、シーヌの笑顔はさらに嬉しそうになった。
僕も嬉しくなって笑った。それから、カーニムに話をするために、シーヌを連れて、部屋を出た。
次の旅が、待っている。