第四章 狂乱(7)
それは見たことがないような結晶の塊だった。船のような形をしていて、宙に浮いている。
そこから無数の人型の結晶が跳び降りてくる。気が付くとすぐ近くにいたはずのシュリーヴェの姿はなく、その結晶の船上に勝ち誇って立っていた。
「あんな簡単な幻影に引っかかってくれてありがとう。おかげで本隊召喚までの時間が稼げたわ」
僕を見下ろして、シュリーヴェは冷たく笑った。人型の結晶の数は多く、今まで戦っていたビースタルの数などそれに比べてみればほんの些細な戦力にすぎなかったことは明白だった。
そして、人型はまるで本物の人間のように、複雑で、老獪な戦闘術を身に着けていた。あるものは剣の形をした結晶を振るい、あるものは弓の形をしたものから結晶を飛ばし、それぞれに異なる武装をもって悪魔たちを制圧し始めた。
当然そいつらは僕達の元にも殺到してくる。流石に一体一体はマリオネッツたちには及ばないものの、集団で襲ってくる敵に、マリオネッツたちも、ひとり、またひとり、と傷を負っていった。
それでもなお、エレカの個人技はマリオネッツたちの中で、ひときわ異彩を放っていた。ただ一人、敵の攻撃を掠らせずもせずに、僕の側で敵を退けていた。
それでも、マリオネッツたちが傷ついていくほどに、彼女たちが討ち漏らす敵がエレカに殺到した。僕やスターティアもエレカと並び戦ったけれど、なお、敵の数は多かった。
「危険です。下がってください」
苦しそうに、エレカが告げる。マリオネッツとて生物だ。体力の限界が近いのだ。その言葉は苦々しく、それ以外の言葉があればといった響きを含んでいた。
イマを呼べれば戦況はまったく違ったのだろう。けれど、彼女の返答はない。今ここにいる者達だけで何とかしなければならないのだ。
ついに、エレカの限界が訪れた。もう、武装をしっかり握る力が残っていなかったのだ。結晶の人型の武器がエレカの剣と盾を跳ね飛ばし、それは敵の群れの中に消えていった。
武装を失ったエレカの目が僕を見た。
「ごめんなさい、ラルフ様」
かすれた声で、彼女は言った。エレカが人型の武器に打たれる。彼女の纏った防具は壊れはしなかったけれど、彼女は軽々と跳ね飛んで、幸いなことに僕の背負い袋の上に落ちた。
「なんだ? おわ、ぼろぼろじゃないか」
状況に不釣り合いなほどにとぼけた声で、プリックがあくび交じりの声を上げた。なんということか、この状況の中、寝ていたらしい。
「生きてるか?」
プリックがエレカに声を掛けている。
「気絶してら。ちょっとこれはあれだなあ」
「うん、状況はかなりまずい」
僕も人型と渡り合ってはいるけれど、正直きりがない。全滅してもおかしくない状況だ。
「うにゃ。そうじゃなくてさ。友達をここまでされて、黙ってるほど、おいらも気が長くないってこと」
もう一度あくびをして。
「いいよ、おいらもおまえたちの友達だしね。神殺しの力、貸したげるよ、ラルフ。刮目して、見といてちょうだい」
プリッツは僕の頭上に浮き上がり、つんざく声で叫んだ。
「パペーッツ! 集合!」
次の瞬間。
襲ってきたのは吹き下ろされるような凄まじい突風だった。立っていられなくて、思わず僕も転倒する。
それから、突風に混じって、プリックとよく似た、真っ黒い男性版マリオネッツのような集団が空を埋め尽くすように舞い降りてきた。その手には槍が握られていて、獲物の血を求めるようにぎらついていた。
「あー、とりあえず、人型の結晶は全部敵だ。あと目障りな上空のあれ、あれも壊してきて。じゃ、そういうことで」
にやり、とプリックが楽しそうに笑った。
「狩りつくしてこい!」
パペッツが散開する。そしてそれは戦いというには、あまりも一方的な何かだった。まず、弓を持った人型の結晶が真っ先に叩き潰された。パペッツが持った槍は投擲槍で、投げた側から手元に新しい槍が出現して、パペッツたちは、人型の頭上から、何度でも投げつけていく。弓を持った人型の反撃は頭上のパペッツには当たらなかった。
パペッツは人型の結晶たちと比べても、更に数が多い。シュリーヴェが船上で生み出したそれも、地上に降りてくる前に槍に貫かれていた。
そして、何より恐ろしいのは、パペッツたちが投げた槍が当たった敵は、黒ずんで動かなくなり、そのまま塵のように崩れ落ちていくことだった。あまりにもえげつない散り際だった。
やがて船上の人型の結晶も、見えなくなった。発生が止まったのかと、僕が見上げると、とんでもない光景が目に入った。
パペッツたちがまるでありがたかるように群がり、シュリーヴェを空中高く宙づりにしている。全身にパペッツに群がられて、まったく身動きが取れない状態であることは容易に想像がついた。
パペッツが一人プリックの側に降りてくる。
「壊していいか? あれ、でかい結晶の上にあった。壊していいのか?」
そんな風に聞いている。ぞっとする声だった。
「だめだ、だめだ。やめてくれ」
僕は遮二無二叫んだ。そんな恐ろしい光景は見たくない。
「うーん、そうだなあ」
プリックはしげしげと、空に持ち上げられたシュリーヴェを眺めて。
「あいつ襲ってきたやつだね。もうちょっと降ろしてきてよ。ちょっとからかおう。泣きべそかくとこ見たい」
「やめるんだ、それは流石にやりすぎだ」
僕はそう言って止めたけれど、プリックはまったく聞く耳を持っていなかった。シュリーヴェは全身を押さえつけられながら降ろされてきて、地上から数メートルのところでさらし者にされるように留められた。
「残念だったねえ。もうちょっとだったのにねえ。悔しいねえ。悔しいねえ」
シュリーヴェの前まで浮かんでいき、意地の悪い声でプリックが笑う。不快な声に、けれど、シュリーヴェは反応を示さなかった。
「シュリーヴェ? どうなっている?」
僕は首をひねった。何か違和感がある。
そういえば。
「シュリーヴェが持っていた結晶はどこだろう? 誰か取り上げた?」
僕が聞くと、
「え? 誰か知ってる?」
プリックもようやく僕の言葉に反応を示し、パペッツたちに聞いた。パペッツたちは一様に首を振り、どう見ても誰も持ってもいなかった。
やはりおかしい。僕が考え込むんでいると、背負い袋の上で気を失っていたエレカが起き出して、シュリーヴェの前に飛んで行った。
「ラルフ様、これはただの人形です。魂は入っていません」
やはり。エレカの言葉に、僕も納得できた。
マリオネッツの時と似たような展開に、敗色を察知して、パペッツが現れたと同時に逃げたのだろう。
また襲ってくるだろうという懸念を感じながら、同時に僕はなぜか安堵していた。
「なあんだ。じゃ、興味ないや。壊しちゃって」
プリックも興味を失って、人形の破壊をパペッツたちに命じる。パペッツたちは、新しい玩具を手に入れた子供のような声を上げながら、シュリーヴェの姿をした人形を、弄んで少しずつ破壊していった。
人形だと分かっていても、その光景は気分のいいものではなかった。けれどプリックは僕の背負い袋の上まで来ると、
「やりすぎなのは分かってる。でもあいつみたいなのは、情けを掛けちゃいけないやつだ。何があったかはおいらどうでもいいけど、あいつは危険だとだけ言っとくよ」
全てわかってやっていたと言いたげに告げて、パペッツが敵を蹂躙しつくすのを眺めていた。その横顔には、悪意ではなく、物思いに耽る、真剣な表情が浮かんでいた。
「ありがとうございました」
と、そんなプリックにエレカが頭を下げる。その周囲には、エレカよりもさらに傷だらけの一〇人のマリオネッツも集まって来た。
「逃げられましたね」
まるでパペッツたちがとった行動は邪悪でも何でもなかったと受け入れているように、マリオネッツたちはプリックに話しかける。
「うん、やられたね。おいらともあろうものが、逃がしちゃったよ。失敗、失敗」
周囲には結晶の破片と、悪魔の死体が散乱している。スターティアの姿は見えなかった。どこに行ったのかと探すと、随分離れた場所で、生き残った悪魔たちを指揮して、まだ動いている人型の結晶を、パペッツたちと一緒に追いつめていた。
空から、轟音が響く。
パペッツたちが、結晶の船を粉々に粉砕したのだ。頭上から、ぱらぱらと細かい結晶の破片が雨のように降り注いでいた。
僕はため息をついた。周囲を見る。たくさんの悪魔たちが死んでいる。その中に、小さな剣と盾が転がっているのを見つけた。
近寄って拾い上げてみると、エレカの剣と盾は、もう使い物にならないほどにひしゃげていた。