第四章 狂乱(5)
グレイオスが持っていたデブリスを召喚していた杖は、アラニスが砕いた筈だ。だから、デブリスが、また現れるとすれば、誰かが召喚の方法を再び手に入れたことになる。僕にはその心当たりは一人いた。
「シュリーヴェ、君なのか」
僕はつぶやいて起き上がった。
「まだバルダは屋敷の中には侵入してはいません」
メレールの手下のサキュバスはそう報告していた。彼女は僕に助けられたことに驚きながら、
「メレール様が頼った訳だ」
とつぶやいた。僕はそのサキュバスに手を貸して起き上がらせると、屋敷の出口に向かって走った。
「お手伝いします」
サキュバスはそう言ってついてきた。
「私は、ネーレリアーネ、ネーラとお呼びください」
「無理はしないで。相手は外世のモンスターだ」
僕が彼女を心配して言うと、
「命を救われたことは分かっています。私は恩知らずだとは思われたくないです」
ネーラは首を振った。だんだん妙なことになってきている気がする。何故こんなに悪の筈の者が、善の者である筈の僕に力を貸してくれるのだろう。
「であればネーラ、私の指示に従えますか」
スターティアが僕とネーラに追いすがってくる。ネーラはしばらく僕とスターティアを交互に見ていた。
「どういうこと? スターティア」
僕が真意を問いかけると、スターティアは笑った。
「レイダーク様はマリオネッツの指揮や、プリックを見張るのでお忙しいでしょう。その他はわたくしにお任せください」
なるほど。それは助かる。僕はスターティアに頷いた。
「ネーラ、手を貸してくれるなら、スターティアを手伝ってあげてほしい。僕は君の状況をを十分に見てあげられないだろう。君の身が危険なのは忍びない」
その言葉に、ネーラは納得してくれた。
「分かりました。よろしくお願いします、スターティア」
僕達は階段を駆け上がり、廊下を走り抜けた。インプたちが集まってきて僕達に続く。
「君たちは危険だ。隠れていてくれ」
僕は彼等にそう声を掛けた。けれど、彼等もまた首を振った。
「音もなく現れるバケモンが襲って来やがった。だからよぅ、どこにいても危険なのは変わりねえのは分かってやす。だからですかね、なんとなく、旦那の指揮下で戦った方が生き残れる気がするんでさ。俺あ、死にたくねえよぅ」
インプの一匹が答える。他のインプも同意した。なるほど、そうかもしれない。
「分かった。無理はしないように。指示はスターティアから貰ってくれ」
「わかりやした」
僕達の後ろを、キースやメレールもついてきている。メレールの姿に気が付くと、メレールの手下のサキュバスやラナンシーたちも集まって来た。
「メレール様、ご指示を」
「生き残りたけりゃ、スターティアの指示に従いな」
メレールもスターティアに指揮系統を集めている。
「やれる?」
念のためスターティアに僕は尋ねた。どんどん指揮しなければいけない相手が増えているけれど、戸惑ってはいないだろうか。
「お任せください」
スターティアは力強く頷いた。
屋敷の出口が見えてくる。また数体のデブリスが僕達を不意打ちするように現れる。ビースタルだ。
けれど、一度見た相手にはもう遅れはとらないとばかりに、マリオネッツたちがすべて出現と同時に蹴散らしてくれた。エレカも勿論一体倒したけれど、独壇場とはならなかった。
「主殿の前です。エレカにだけポイントは稼がせませんよ」
マリオネッツたちがそう言って笑った。彼女たちはまだ仮面をつけていない。
屋敷から外に出る。まだバルダ達とは距離がある。バルダの周りにはアンデッドはいない。すべてデブリスで埋め尽くされていた。
そして、バルダは正気というにはあまりにも様子がおかしく、まるで操り人形のようにぎくしゃくと動いていた。その傍らには見覚えのある姿がある。
「やはり」
シュリーヴェがいた。彼女は怒りに燃えた表情をしていて、憎悪を湛えた瞳をしていた。彼女はすでに知っているのかもしれない。グレイオスがこの世にいないことを。
僕達はシュリーヴェと対峙して止まった。シュリーヴェが僕を睨んでいる。
「仇を取りに来たわ。そして、私からすべてを奪っていく、あなたを殺すわ」
やはり知っているのだ。僕は聞いた。
「そうか。敵になる覚悟はできたってことでいいね」
「そんな細かいことはどうでもいい。私にはもう何もない。あなたばかりが沢山のものを得ていく。そんな不公平な世の中が私は憎い。だから、あなたを殺してすべて壊してやる」
悪でもない。邪でもない。そこにあるのは純然たる怨みと憎しみだけだった。シュリーヴェの目にはもうミミリの面影もなく、ただ狂った怒りだけがあった。
シュリーヴェはグレイオスが杖につけていたものよりも、さらに大きなデブリスの結晶を携えていた。そして、それを相らに向かって掲げると、キースによく似たデブリスが現れた。
アメシストタラスク。アラニスは確かそう呼んでいた。キースの同族だ。
「あれか。お前達の敵対者は」
アメシストタラスクが言葉を発する。
「ディーグ!」
キースが叫んだ。知っている個体らしい。
「キースか。人の元に下った軟弱ものめ」
ディーグと呼ばれたアメシストタラスクがキースを横目で見て、興味もなさそうにまた視線を外した。
「シュリーヴェ、お前はまだ十分に戦を知らん。そこで見ていろ。お前にはこんな場所で倒れられてもらっては困るからな。そんなことのために、グレイオスから身柄を託されたのではない」
デブリスの数は多い。僕はイマの名を呼んだ。
「イマ」
けれど、返事はない。
「遮断されています」
エレカにそう報告されただけだった。マリオネッツは呼べないということだ。
「大丈夫です、心配いりません。ラルフ様は、私が、いえ、私達、一一人のマリオネッツが護ります」
エレカが周囲のマリオネッツに視線を向ける。エレカを含めた一一人のマリオネッツたちは、同時に頷きあった。
「なあ。大丈夫なのか、これ」
プリックに聞かれる。僕には明確な答えは返せないけれど、
「死ぬつもりはないな」
とだけ答えておいた。
「答えになってないなあ、ま、いっか」
プリックは背負い袋の上で寝転がって気楽そうな声を上げた。戦うつもりはないということだ。
「エレカ、おいらたちをちゃんと守れよお」
「あなたのことは知りません。ラルフ様のことはお守りします」
エレカは正直だ。エレカの言葉にケタケタ笑いながら、プリックはさらに愉快そうに言った。
「なら、ここにいれば、おいらも守ってもらえるね。死ぬ気でラルフ守れよお。任せたかんなあ」
「どこかで振り落とした方が良いですよ」
エレカにはそう言われたけれど。
「友達になろうと僕から言ったからには、無碍には扱えないよ」
僕はそう告げて笑った。プリックがこういう奴だなんてことは、分かったうえで友達になったのだから。
「あれが脅威の一端って奴でいいんだね?」
メレールがキースに聞いている声が聞こえている。
「そうだよ」
キースが答える声も。メレールも、スターティアも覚悟を決めた顔をしていた。
「なら、こんなとこで負けちゃいけないね。粉砕しといてやらないと。頼むよ、スターティア」
「はい。勝ちます。レイダーク様の名前を穢す訳には参りません」
スターティアが、頷いた。