第四章 狂乱(3)
ノセルの悪意の影響が消えたことが分かる。
部屋の中からは嫌な気配はしてこない。どう見まわしてもただの地下室だった。僕は無限バッグを開いて、エレカ達マリオネッツを外に出してあげた。
「ありがとうございます」
エレカは元気だったけれど、他のマリオネッツたちは押し黙って下を向いていた。悪神の影響を受けてしまっていた時に、自分達がどうなっていたのかをしっかり覚えているのだろう。
「皆、助かったよ。戻って休んでくれ」
僕が声を掛けても、一〇人は誰も動かなかった。皆、だいぶ参っているようだ。
「マリオネッツ。全員仮面をとれ」
僕はため息をついて命じた。
マリオネッツたちは驚いたように顔を上げて、しばらく逡巡したあとで、皆仮面を外した。瞳の色も肌の色もまちまちの顔が現れる。仮面をつけていると見分けがつかないマリオネッツも、同じ顔は二つとなかった。
「おいで」
彼女たちを見まわして、僕は声を掛けた。
「イマには黙っておくよ。辛いなら泣いて良い」
命令でなく、僕は敢えて許可を出し、実際にどうするかは彼女たちの自主性に任せた。はじめはひとり、ふたりだけが涙を見せただけだったけれど、だんだん隣の涙に触発されたのか、だんだん泣き出す者が増え、最終的に一〇人全員が僕に縋りついて声を上げて泣き始めた。
「悔しいよね。悲しいよね。そうだよね」
僕は彼女たちに何度も頷いた。そうだろう。彼女たちは悪神に対抗すべき神兵だ。その彼女たちにとって、悪神に冒され、影響を受けたということは、悪神の力に屈したことに等しい。つまり、彼女たちは、戦う前に負けたのだ。今、彼女たちは、悔しくて、情けなくて、打ちひしがれているはずだ。
そして、その時のことを覚えているということは。
「パペッツ? 何故パペッツがいるんです!」
「おいら、コボルドの奴と友達になったのさ」
「失礼ですよ! ラルフ様と呼びなさい!」
「やだね。コボルドの奴がしたくないことはしなくていいって言ったもんね」
「ラルフ様はお優しいからそうおっしゃいますけど、勝手なふるまいは私が絶対許しませんからね!」
「お前、なんだよ偉そうに」
「私はラルフ様の直属です! だからラルフ様の身に降りかかる危険は絶対許さないんです!」
そんな風にプリックと言い合っているエレカを、ちらちらとマリオネッツたちが気にしている。あの時、エレカだけが、一人正常な思考ができていたことも覚えているのだ。今日の今日まで見習いだったエレカに耐えられたものが、自分たちには耐えられなかったということが、マリオネッツたちには何よりつらく感じられているのだろう。
「僕だってまだまだ手探りなんだ。君たちと一緒なんだ。だから一緒に頑張ろう。これからも一緒に頑張ってくれる?」
僕が声を掛けると。
「はい、はい。ありがとうございます」
涙交じりの声で、マリオネッツたちは頷いてくれた。それを横目で眺めながら、
「あれってお前らの主従関係じゃ当たり前な訳?」
理解できないと言いたそうに、プリックがエレカに聞いていた。
「ラルフ様はお優しく、慈悲深い方なのです。あなたと違って、相手の立場に寄り添って考えるということができる方なのです」
なぜか誇らしげにエレカが答えている。その答えに、
「ふぅん」
あまり良く分かっていないように、プリックは生返事をした。それでも興味深そうに、僕とマリオネッツのことを眺めている。うらやましそうに見えるその様子に、僕は良い手ごたえを感じた。誰だって居心地のよい空間の方が良いことに変わりはない筈だ。
「素直になれば良いのに」
エレカに指摘され、
「素直な悪魔なんて、気持ち悪いだろ」
そんな風に漏らしてから、
「嘘だ、嘘、嘘。そんなこと考えてないからな」
プリックは慌てて取り繕っていた。おそらくだけど、僕は彼と仲良くなれそうな気がする。
「主殿」
マリオネッツの一人が、涙をぬぐって顔を上げた。
「それでも、あの時申し上げた不満は、やはり本心なのです。皆がそうだと思うのです。皆、常に主殿の側にお仕えできるエレカが羨ましいのです。勿論分かっております。すべての兵がお傍に仕えることはできないことも理解しております。ですから、イマ様に親衛隊の編成を具申することをお許しください」
なるほど。すべての兵が一人一人違う顔をしているように、すべての兵が別々の心をもっていることは間違いないのだろう。そのことが原因で部隊統制が混乱する長であれば、それは僕が引き起こしている問題といえる。しっかり僕が解決方法を考えなければならないのだろう。
「いや、君たちからイマに上申すればおそらく角が立つだろう。今回の反省を踏まえて、僕からイマにもう一度相談し、直属の在り方を再考しよう。約束するよ」
ところが。
「えー、嫌です!」
エレカが大声を突然上げた。ものすごい剣幕で反対してくる。
「ラルフ様は、私だけではご不満ですか? 私は精一杯お助けしたつもりです! まだこれ以上必要でしょうか? 不足がありましたか? でしたら、一層努めますので、どうか、部隊編成につけないエレカの唯一の活躍の場を奪わないでください! エレカにはここしかないのです! どうか、どうか、エレカがやっと手に入れた居場所を奪うことだけはご勘弁ください!」
「エレカ」
僕はそんなエレカに、敢えて厳しい声で、エレカに求めることを説明してあげた。
「僕が言えたことではないけれど、ちゃんと言わなければならないことだろうと思うから、ちゃんと言おう。マリオネッツたちが言うことは一理あるんだ。君は正規のマリオネッツになるためのチャンスが与えられて、それを活かすことができなかったんだ。でも彼女たちは違う。僕のせいではあるのだけれど、直属に選考されるチャンスすら与えられていないのは間違いない。でもね、彼女たちはすでに編制されている兵だ。彼女たちが直属になろうとしたら、そこに穴を開けてでも直属とした方が戦力の増強になるということを証明しなければならない。君は部隊に穴を開けることがないから、直属にメリットしかない分だけ、彼女たちより条件としてはずっと優遇されているんだ。だから僕が君に望むことは一つだ。正規のマリオネッツたちの誰かが部隊に穴を開けるよりも、君がこの場所にいたままのほうが、マリオネッツ全体のことを考えた場合、理想的なんだということを、実力で証明することだ。僕の直属は君が基準だ。冒険中、君にできることができない兵なら、直属の仲間は君の方が良いのだからね。そうだろう?」
「はい。……はい、分かりました。有難うございます。今の立場に甘えるところでした。私だって栄えあるマリオネッツです。全員ふるい落として、ここは自分の場所だって、証明してみせます! 期待して見ていてくださいね、ラルフ様」
エレカはそう言って笑った。エレカならきっと大丈夫だろう。
《大変だねえ。頑張れ》
アラニスが他人事のように楽しんでいるのは、気が付かなかったことにした。
「誰か来たね」
それまでスターティアと並んで、静かに僕達を眺めていたキースが告げる。地下室の扉が開き、誰かが入って来た。
煌びやかに輝く、緩やかなウェーブが掛かった金髪と、紫色のイブニングドレスに包まれた、バランスの取れた肢体の女性だった。
見た目では別人のようだけれど、匂いで分かった。メレールだ。
「あんまり遅いから様子を見に来たよ。あたしを動かすなんて偉くなったもんだね、キース」
ノセルの悪意の影響がなくなったから、若い肉体を取り戻したということなのだろう。
「ラルフがたてこんでいて、動くに動けなかったからね。世の中全部が君の思うままって訳にはいかないものだ」
苦笑して、キースが答えた。