第四章 狂乱(1)
長い下り坂を降りると、何とか跳び降りられそうな高さの段差があり、その下にはスケルトンやゾンビなどの下級のアンデッドがひしめき合っている通路が続いていた。
「なるほどこういうことか」
下級のアンデッドとはいえ数が数だ。このような場所に取り残されたらと思うとぞっとした。
《いいかい、行くよ》
道を作るということは、おそらくアラニスが先頭に立ってガリガリかみ砕きながら進むつもりなのだ。僕は周囲を見ながら少しだけ他に方法がないか考えた。
「待って。アラニス、そんな無理をしなくても大丈夫だ」
僕は跳び降りようとするアラニスを制止して、坂の横壁を叩いて回った。
「あった、ここだ。やっぱり抜け穴があるよ」
「どうして抜け道があると分かったの?」
僕が抜け穴の隠し扉を開けていると、キースが首をひねった。確かによく見ないと分からないかもしれない。僕は通路の奥の方を指さしてみせた。
「あの辺の壁、よく見ると脇の通路が見えるんだ。この手の通路で一番意地の悪い構造といえば、途中で横に安全な道があると知っても、もう戻れないことだよ」
僕は笑って答えた。これまでの意地の悪さを考えると、アンデッドを敷き詰めただけの通路というだけで終わらないだろう気がしたのだ。それで観察したという訳だ。
「行こう、こっちだ」
《知らなかったよ。やるねえ。おばちゃんアンデッド薙ぎ倒して進むことしか頭になかったよ》
そんな風に平然を装って、抜け道についてくるアラニスに、僕は我慢ならなかった。
「右側の第三脚」
ちくりと言ってあげる。
「動きがぎこちない。無理はしないでほしい」
《そっか。目ざといね》
予想外に、アラニスは嬉しそうだった。何を思ったのか、その真意までは理解できなかったけれど、少なくとも悪くは取られなかったようだ。
《ありがとね。おばちゃんそんな風に気にしてもらえるの、すごい久しぶりかも》
「そうなんだ。でも、アラニスくらいになると、頼られて信頼されることはあっても、心配されることはあまりないのか」
それも少し可哀想に感じた。そんな風に考えながら歩いていると、スターティアが口を挟んできた。
「レイダーク様、それは少し違うと思います」
「違うっていうと?」
僕は首をひねった。どういうことだろう。
「周りの心配をよそに走って行ってしまうから周りのひとが心配しているという言葉を届けられないのではないでしょうか」
スターティアの目が、誰のことを言っているか分かりますよね、と語っている。僕は言葉に詰まった。
《こりゃ一本とられたね。そうかもしれないね、おばちゃん思うに、確かにそういうとこ、ラルフもおばちゃんに似てそうかも》
アラニスも素直に認めていた。
「分かるね。そういうところがすごいとも思うけど、真似したくはない」
キースも笑い出した。僕とアラニスは、キースやスターティアにしばらくそんな風にからかわれながら歩いた。
抜け穴には罠はない。時折覗けるアンデッドでいっぱいの隣の通路を横目に見ながら、僕達は抜け穴を進んだ。しばらく進むと、抜け穴の正面に扉が見えてくる。僕達は扉を抜けて、通路を抜けた先の場所に辿り着くことができた。
そこは円形のホールで、真ん中に巨大な円形のオブジェが回っていた。
《ラルフ、オブジェの前へ行きな。他の者は近づかないようにね》
アラニスに促されるままに、僕は円形のオブジェの前に近づいた。アラニスも僕と一緒に並ぶ。そして、アラニスが告げた。
《ノセル。ここにいるラルフが迷宮を踏破したよ。さあ、『ノセルの悪意』を出しな》
「見ていたとも。全くもって腹立たしい」
円形のオブジェから返答があった。円形のオブジェは回転のスピードを速め、球体の一部を僕の目の前で開いた。
中には、安楽椅子に座った少年がいた。青白い肌と、真っ白な髪の、人間の容姿によく似た少年だった。青紫に輝く双眸が、僕を見ている。
「コボルド。控えろ。ここにいるのは暴虐と殺戮の神、偉大なるノセルであるぞ」
「あいにくだけれど、僕は悪神に向ける敬意は持ち合わせていない」
僕は拒否した。ノセルの双眸は妖しく輝いているけれど、僕はそれが恐ろしいとは感じなかった。正直に言えば、アラニスの方がよっぽど怖い。
「なんたる傲慢。なんたる不遜。神を侮辱するか。このような輩に貸す力はない」
「僕は悪神の力をもらい受けに来たわけではない。メレールの屋敷をノセルの悪意から解放するために来た」
僕も欲しくはない。むしろ願い下げだ。
「即刻ノセルの悪意と共に、メレールの屋敷から立ち去ってくれ」
「立ち去れ、だと?」
ノセルの顔がゆがむ。そして、彼はアラニスを見た。
「なんだ、このコボルドは。コボルドの分際で俺のダンジョンを無傷で踏破し、コボルドの分際で俺の力をいらないと切り捨て、コボルドの分際で俺に立ち去れとほざく。何だ、何なのだ、コイツは。アラニス、貴様、何を連れてきやがった」
《見ての通り、コボルドの聖騎士だね。コボルドのしたたかさと、聖騎士の図太さを持ったハイブリッドさ》
アラニスは即答した。あまり褒められた気はしない。
「クソッ、なんて日だ。最悪だ。コボルドならコボルドらしく欲の皮突っ張っとけよ。コボルドの魂なんて食っても食あたりしそうで嫌ではあるが、こんな奴に全部持ってかれるくらいなら食あたりの方がマシだった。いいさ、ああ、いいさ。ちくしょう、チクショウ」
ノセルがひじ掛けを叩いて喚く。何がどうなっているのか分からない僕は、アラニスに聞いてみる以外なかった。
「どういうこと? 何がどうなっている訳なの?」
《おめでとう、ラルフ》
と、アラニスがからかうように答えた。
《ノセルの持つ破壊の軍勢は、いまからすべてあんたのもんだよ》
「は?」
という声しか出ない。それこそいらない。マリオネッツだけで考えるのが大変なのに、これ以上軍勢をもっても把握できる気がしない。それに、ここにあるのはノセルの悪意ではなかったのか。
「なんだその顔は。ここまで図々しく踏み込んでおいて、何も知らないとは言わないだろうな」
ノセルが激怒寸前の苛立ちを見せる。そう言われても知らないものは知らない。僕は首を振った。
「いいや、知りたくもない。さっきも言った通りだ。僕は力を求めてはいない。ただ、ノセルの悪意をここから撤去したいだけだ。悪神の軍勢を貰えると言われても、ほしくもない」
「貴様」
ノセルの顔がゆがむ。アラニスにまた視線を向け、怒りの声を上げた。
「何故何も説明しておかなかった。こんなとぼけた奴に何ができるのだ」
《あんたが考えてる以上のことはできるさ。それと、説明しなかったんじゃないよ、説明できなかったのさ。なにせあたしだって実物を見たことはないんだからね。いい加減鬱陶しいよ、あんた。それに見苦しい。さっさとその幻影消してノセルの悪意だけ残しな》
アラニスはそう答える。いい加減僕も意味の分からない状況が不快になってきた。ノセルでもアラニスでもいいから、何がどうなっているのか、ちゃんと説明してくれ。
「レイダーク様」
けれど、声を上げたのはそのどちらでもなかった。そういえば、スターティアはノセルの悪意の存在を知っていた。スターティアなら、説明してくれるかもしれない。
「これはどういうことか分かる?」
「ノセルの悪意とは、形のある物品ではございません」
スターティアは、そう言った。彼女を振り返ると、スターティアは、一度だけ、頷いた。