第三章 迷宮(6)
先に進むと、巨大な空洞に出た。
足元は下り階段になっていて、広大かつ高低差のある複雑そうな迷路に続いている。まずは“迷路に騙されるな”という手掛かりをもとに、迷路そのものの謎を解き明かす必要があるだろう。僕は階段の途中で足を止めて、眼下の迷路を眺めた。
「迷路につきあったら永久にノセルの悪意に辿り着けない、か。難しい謎だな」
「一回り上空から見てきましょうか?」
エレカはそう言ったけれど、僕は止めておいた。迷路中に嫌な感じが充満している。単独行動は危険だろう。
「いや、迷路自体にすごく嫌な感じがする。単独行動は避けてくれ」
この迷路自体がノセルの悪意だと言われたら信じてしまいそうなくらい、迷路全体がきなくさい。まるでここまでの厄介な敵や罠は、ほんの前座にすぎないと言わんばかりに、迷路は悪意の塊のように思えた。
「はい。ぞくぞくして、じっとしていられなくて」
エレカの気持ちは良く分かる。僕も同じだったからだ。けれど、こういう時に不用意に動くと、ろくなことにならないものだ。
不意に、懐に熱を感じた。スターティアのガーネットだ。取り出してみると、赤熱したように輝いていた。呼べるのだろうか。
「スターティア?」
半信半疑で声を掛ける。すると、僕達の背後に、スターティアは現れた。
「ここに」
「体調はもう大丈夫?」
顔色は良くなっているようだけれど、こんなに早く本調子になるものだろうか。そんな風に考えていると、スターティアのうしろに、さらにもう一人の大きな影が現れた。
「何とか追いつけた。ぶっつけでもうまくいくものだ」
そう声を上げている。キースだった。体のあちこちに一〇人のマリオネッツが乗っている。
「君たちが入ったあと、ゲートの先から君たちの気配が消えたんだ。それでスターティアに頼んで追いかけてきた」
キースが説明してくれる間中、僕に注がれている、小さな一〇対の視線が痛い。明らかに心配しすぎて怒っている目だ。
「ああ、うん。僕が悪かった」
ここは言い訳を言っていい場面ではない。僕は素直にマリオネッツたちに謝った。
マリオネッツたちはキースのそばを離れ、僕はがっちり取り囲まれてしまった。
「大人気だね」
と、キースに笑われる。こっちの身にしたら笑いごとではないのだけれど。
「キース様、スターティア様、申し訳ありません。少々主殿とお話する時間を戴けますか」
マリオネッツの一人が唐突に皆にそう嘆願した。スターティアとキースはかまわないといった風に頷いた。
「主殿」
声が堅い。つまり何か不満があるということだ。
「最初は見間違いかと思いましたが、今見て間違いでなかったことに大変驚いております。何故エレカは素顔を晒しているのでしょうか。ご説明いただきたいです」
「え? 何か僕の知らない問題があったりするの?」
僕は首をひねった。本来は外すと怒られるとは聞いていただけれど、怒られるだけでは済まないことがあるのだろうか。
「大問題です。ずるいではありませんか。一人だけ主殿に顔を覚えていただけるなんて、そんなことは不公平です」
マリオネッツたちは皆その通りだと言わんばかりに皆頷いた。いや、だったら。
「僕からすれば、むしろ、みんな外してほしいくらいなんだけど。仮面付けられていると見分けがつかないし」
「それはいけません。そんなことを命じられたら、皆、主殿に顔を覚えて戴こうと、大混乱になりますよ。重用いただくための出し抜きあいを引き起こしたいのでしょうか?」
なるほど、一理ある。顔を隠し、画一化された兵になることで統制が取れている部分があるのだろう。
「とはいえ、エレカはマリオネッツのどこの部隊にも配属させていないからね」
だとしたら、エレカの立場が特殊であることを説明した方が良いのだろう。僕はそう考えて答えた。
「エレカは兵士としては正直スタンドプレーが過ぎる問題児だ。でも、彼女は判断が早く、個人戦闘の実力も確かだ。彼女の才能は、冒険でこそ生かせるものだ。でも冒険の最中は、逆に顔色が分からないと危険が多い。それで敢えて仮面は外してもらっているんだ」
「それはそれで不公平ではありませんか」
難しい。そうかもしれないけれど、全員の選考会などできる筈もない。
「確かに君たちには冒険中に何ができるかを証明する機会が与えられていないという不満は分かる。でも、僕は逆にこう考えたんだ。君たちはすでに部隊に配属されていて、各部隊で欠けてはならない存在のはずだ。そうなると、冒険にいつも連れ出しても、戦力に影響が出ないマリオネッツはエレカしかいないんだ」
「主殿、一つお忘れではないですか。我等マリオネッツにも心があるのです。五一二の兵の、五一二通りの心があるのです。我等一人一人、主殿のお役に立ちたいという思いは一つですが、その内容は五一二通り違うのだということを、分かっていただきたいのです。確かに我々は兵として部隊に所属しております。しかし中には本来、エレカと同様、冒険の方が得意なものもいるのです。我々一〇名の中にすらおります。どうか、そのような者の実力を見る機会も、設けては戴けないでしょうか。そのうえで、エレカがもっとも適しているとご判断されるのであれば、それで結構ですから」
なかなか頑固だ。けれど、その希望に応えることは、事実上不可能だ。何故ならそのような希望に集応えていたら際限がないからだ。僕がそう説明しようと口を開きかけた時、
「ラルフ様、その子を無限バッグに入れ、今聞いたことは忘れてあげてください」
と、エレカに耳元でささやかれた。どういうことなのか。僕はエレカに尋ねた。
「何故?」
「神兵にあるまじきことですけど、たぶん、充満している悪意に毒されています」
エレカは悲しそうな声で言った。
「分かった」
僕はエレカに答えてから、マリオネッツたちを見まわした。
「皆はどう思う?」
直訴に賛同した者が五名、このような直訴は許されないという者が五名。どちらにせよ皆、妙に力説したことに変わりなかった。それで僕はおそらくエレカの言葉は正しいと判断し、彼女たちを次々に無限バッグに放り込んだ。そして、それが済むとエレカに聞いた。
「エレカは大丈夫なの?」
「正直、分かりません。ラルフ様に皆の様子がおかしいと告げたのが、悪意のせいでない自信がないです。でも、違うって信じたい気持ちもあって、良く分からないんです」
エレカは首を振った。僕はその態度に、何故かエレカは大丈夫だという確信を覚えた。
「きつかったら、君も荷物の中で休んでいていいよ。僕が見た限りでは、君は正常だという気がするけど」
「それならいいんです。でも、ラルフ様、もし私の様子がおかしいと感じたら、遠慮なく私も無限バッグにまた突っ込んでください」
エレカがそうまで言うなら、相当参っているのだろう。考えてみれば、ノセルの悪意は悪神の産物だ。影響力が神兵の耐性を超えても不思議はないし、相反する、善神の神兵であるマリオネッツに不調を引き起こしやすいこともあり得るかもしれない。
でも。
「エレカ、そうじゃない。苦しい時は苦しいと言ってくれ。そうじゃないと僕には分からない。君が耐えているだけだというのなら、そんな苦しい思いはさせたくない」
僕は、本気でそう思った。
「ごめんなさい、ラルフ様。でも私にも分からないんです」
エレカはもどかしそうな顔をした。本当に自分の状態が大丈夫なのかどうなのか、正しく判断できる自信がないのだ。だとしたら、すでに無理をしているということだ。
「分かった。エレカ、少し休んでいて。もしどうにもならない時には、手を借りなくてはいけないかもしれないけれど、なるべく僕達だけで何とかするよ」
「ありがとうございます。ごめんなさい」
エレカは自分から背負い袋に入った。ここではマリオネッツをあてにすることはできない。僕はため息をついてから、キースとスターティアを見た。
「二人は問題ない?」
「僕は大丈夫」
キースが頷く。スターティアもにっこりとほほ笑んだ。
「わたくしは、むしろ調子が良いくらいです」
それも何となく怖い気がする。
とはいえ、ここで立っている訳にもいかない。僕は眼下の迷路を眺めて、もう一度ため息をついた。
「本当に厄介な場所だ」