第三章 迷宮(3)
そんな会話が良かったのか、泣けたのが良かったのか。
程なくスターティアも落ち着き、僕達はキースが待っているはずのゲートを戻った。ゲートの先は間違いなくメレールの屋敷の地下通路に繋がっていて、キースやマリオネッツたちも変わりなく待っていた。
通路に結構な数の、変質した悪魔の死体が転がっている。マリオネッツたちは役に立ったらしい。
「すまない、このゲートは罠だった」
僕がキースに告げると、キースも苦々しそうな顔をした。
「そうか。まあ、無事で何よりだよ」
「ゲートを超えた先はスターティアの居城だった。他にも飲み込まれた建物があるかもしれない。思ったよりも厄介な場所だね」
ノセルの悪意のありかを見つけるのは、想像以上に苦労するかもしれない。僕も唸り声を上げた。それでも、ここで立っていても仕方がないのは間違いなかった。
「ありがとう。とりあえず戻って休んでくれ」
キースを守ってもらっていたマリオネッツたちに声を掛けて撤収させると、僕はまだ探索していない方向を確かめるために歩き出した。なんとも雲をつかむような探索になって来たものだ。
考えてみれば、僕も物理的に推測がつかない探索は初めてだ。慎重になるべきか、罠があることを承知で、今後も大胆にゲートに飛び込んでみるべきなのか、見当もつかなかった。
「次元迷路的な探索は難しいな」
「そうでもないですよ、ラルフ様」
僕のつぶやきに答えたのは、頭の上のエレカだった。
「強い力で無理やり捻じ曲げられてくっつけられた空間の場合、似たような空間に出るゲートは、似たような空間接続の痕跡のパターンになります。先ほどのゲートについていた痕跡のパターンは把握しました。同様のはずれであれば、私は見分けることが可能です。任せてください」
「それはありがたいな。すると、君が見て、違うパターンの痕跡が残っているゲートを探せばいい訳だね」
僕が聞くと、
「はい、そうです。それで消去法で正解パターンを見つけていけば、最終的には正解ルートに繋がるゲートだけを選べるようになるはずです」
エレカは自身ありげに頷いた。心強いばかりだ。
「とりあえずゲートを探そう」
まだ行っていない方向の通路を進むと、すぐ先で通路は右に曲がっていた。回廊のように一周続いているのかもしれない。角を曲がると、左への分岐があるのが見えた。まっすぐ進んでも、おそらく階段のほうへ戻るだけだろう、僕達は左に曲がることにした。
通路の先は、また、左右に分岐している。分岐まで進むと、左も右も扉で通路が終わっているようだった。
まず左の扉を調べてみる。罠はなさそうだった。鍵もかかっていないし、鍵穴もない。扉の向こう側には生物の気配もなかった。
思い切って開けてみる。
扉の先は小部屋とすら呼べない狭い空間で、黒っぽいゲートが渦を巻いて回っていた。
「罠です。入らないでください」
エレカがすぐに制止の声を上げた。おそらく不用意に扉を開けながら跳び込むと閉鎖空間に閉じ込められるのだろう。危ないところだった。
ゲートを避けることはできそうにないし、狭い空間には何もない。僕達は引き返して、逆の扉へ向かった。
逆側の扉も罠はなく。鍵穴もなかった。開いてみると、やはり扉の先は、ゲートが渦巻いている狭い空間になっている。
エレカは、身を乗り出してしげしげと渦を眺めている。すぐには言葉を発さなかった。
「パターンは、違います。でも、なんというか……すごく嫌な感じがします。それが罠かと聞かれると、分からないんですが……ラルフ様、ちゃんと断言できなくてごめんなさい」
「いいんだ、ありがとう。とりあえず今は入るのはやめておこう。おそらく戻ることになるだけだと思うけれど、通路を一周してみよう。これに入るのは、それで何もないことが確認できてからでいい」
僕の言葉に、エレカは落ち着きを取り戻したようだった。僕の頭の上で頷くのが分かる。
「決断が早いなあ」
キースがそうつぶやくのが聞こえた。このくらいの決断であればそれほど難しいものでもないのに。
ひとまず僕達は最初の角を左、次のの角も左へ曲がり、元の通路を進んでみた。やはり通路は先で右に折れていて、角を曲がると先に登り階段が見えた。途中には分岐も扉もない。念のため通路を確かめながら歩いてみたけれど、隠し扉や隠し通路も見つからなかった。
「やはり、あのゲートに入るしかなさそうだね。何が待ち構えているかも分からない。警戒しながら入ろう」
僕達はエレカが嫌な感じがすると言ったゲートの位置まで戻り、またキースを残してゲートに進入してみることにした。礼のごとく、キースの護衛のために、マリオネッツたちも配置しておく。
僕とエレカ、それと、スターティアの三人がゲートを抜けると、その先は、奥行きのある広めの空間に繋がっていた。
饐えたような匂いがしている。血と肉の匂いだ。ひどい匂いがする何かが、空間の奥にいた。
飛び掛かってくる。
僕とエレカは反応して横に避けられたけれど、スターティアの反応が遅れる。緑色の体毛の巨大な塊に、スターティアが弾き飛ばされ、ゲートに吸い込まれて行った。
通路に戻っただけならいいけれど、と僕は思う。追っている余裕はなかった。
「まずいな」
僕はうめいた。ゲートのそばには、蛇にも竜にも似た、丸々と太った魔物がいた。
「ヴリュだ」
こいつには体毛の中に混ざった棘に猛毒がある。スターティアが危険な状態かもしれない。急いで始末してゲートを戻らなければ。
「体は駄目だ、エレカ」
すでに攻撃態勢に入っているエレカに声を掛けて止める。
「体には猛毒の棘があるけれど、尻尾にはない。尾を切れば死ぬらしい」
「分かりました。お任せを」
僕の声に反応し、エレカはヴリュの巨体を飛び越えた。しかし、ヴリュはその丸々とした図体から想像もできない速度で身を捻り、大口を開けてエレカを追う。その隙に、僕が尻尾を狙うものの、ヴリュは尾をしならせて振り回してきた。
躱すことはできたけれど、尾の一撃は、石壁を打つとひびを入れるほどの威力があった。
まともに食らってはひとたまりもない。これではヴリュの尾を、接近戦で切るのは不可能に近いだろう。
エレカもヴリュの追撃を振り切ることができず、噛みつかれないように躱し続けるので精いっぱいな状況だ。僕はヴリュをすぐに倒すのを諦め、エレカに声を掛ける。
「エレカ、しばらく頼む。スターティアの様子を見て、すぐに戻る」
そして、エレカを追ってヴリュが離れたために近づけるようになったゲートに飛び込んだ。エレカなら無理をしなければ躱し続けてくれるだろう。そう信じるしかなかった。
ゲートを戻ると、キースがいる通路に戻れた。スターティアが床に転がっている。マリオネッツたちがそばにいて、僕に気付くと首を振った。
「このままでは助かりません。毒が強すぎて、我々の魔法では消えませんでした」
ヴリュの毒は普通の人間であれば測地するほどの猛毒だ。まだ息があることの方が奇跡だった。
「診せてくれ」
僕はスターティアの傍らに膝を付いて、彼女の様子を見た。すでに意識がない。僕は魔法書に載っていた魔法を、一か八かで試してみることにした。
両手に意識を集中させる。やり方は基本的には治癒魔法とそう変わらない筈なのだ。ただ違うのは、傷に意識を集中して癒すのではなく、体全体の毒素を打ち消すことをイメージすればいい。僕は目を閉じて初めて治癒魔法を使った時に、あの小さな手から教わったことを、も一度思い出しながら、毒の中和を強く念じた。
僕の両手に、淡い光が集まる。それはすぐにスターティアの体へと溶けていった。手ごたえはあった。果たしてうまくいっているのかは分からないけれど、僕は念じ続けた。
光が消える。
気が付くと僕は荒い息を吐いていた。ものすごい疲労感が襲ってきた。
スターティアの顔色を見る、良くはない。けれど、彼女は目を開けていた。
「申し訳ありません。ご迷惑をかけてばかりで」
細く、震える声で、スターティアはかすかな声で言った。意識を取り戻したのだ。もう大丈夫だろう。
「大丈夫、気にしないで」
スターティアにそう告げて。
「治癒を頼む。エレカが一人で戦っているんだ。僕は戻らないといけない」
僕はマリオネッツにスターティアを任せて、ゲートを戻った。